学び舎、放課後、部活
宣言通り羽奈と佑希は授業中、一回も寝ずに授業を受けていた。珍しく真面目に授業を受ける二人の姿に教師も目を丸くしていたが、しばらくするとそういう日もあるか、と割り切ったようで粛々と授業を進めてゆく。普段寝てばかりの二人は授業についていくので精一杯なようで、ふざける素振りすら見せずに板書をノートに書き写している。
梓も二人が真面目に授業を受けているのが嬉しいらしく、時折小さな鼻歌が聞こえてきた。普段は黙々と授業を受ける梓からはあまり想像がつかない。横に座っているクラスメートも一体どうしたのだとちらちらと様子を伺っている。当の本人はあまり自覚が無い様で、顔に何かついているのかとペタペタと自分の顔や髪を触って、何もついていないことが分かると小首をかしげる。
(そりゃいつも真面目なやつが変なことしてたら気になるよなぁ)
上機嫌なだけで、ノートはしっかり取っているし、邪魔をしているわけでもない。だが、普段うるさい奴が静かで、静かなやつがうるさいのは気持ち悪いようで教師は槍でも振るのかと戦々恐々としていたのが面白かった。
そんなこんなで授業は問題なく終わった。時折寝そうになっている佑希を羽奈が小突いたり、梓が教師に注意されたりとアクシデントもあったが、些細な事だ。
「梓がせんせーに怒られるなんて珍しーよね」
「その後も思いっきり凹んでたし」
お調子者二人組はここぞとばかりに梓を弄り倒している。
「いいでしょ!別に!」
梓が二人に食いつくがよほど恥ずかしかったのか耳を赤くして机に突っ伏した。そのまま唸り声を上げて授業中の事を忘れようと頭を左右に振った。
「そういう日もあるって」
「うるさい、俊也もニヤニヤしてたくせに」
フォローしようと思ったのだが、逆効果だったようで顔を伏せたまま文句を飛ばしてくる。実際梓が授業中にあんなに上機嫌なのは珍しかったので、ニヤついていたのであまり否定できない。
「そりゃあんなに珍しいもん見たらなぁ」
「ほら!最悪だぁ」
俺が言ったのは上機嫌な梓を見た事だったのだが、訂正した方が怒りそうだ。まず間違いなく羽奈がおもちゃを見つけたと言わんばかりに追求するだろう。
(それはそれで面白そうやけど、梓の機嫌を直すのも面倒いし黙っとくか)
「よしっ」
うじうじしていても仕方ないと言わんばかりに頬をパシッと叩き顔を上げる。
「それで二人はしっかりノート取れたんでしょうね?」
元はと言えばあんたたちのせいだし、というセリフと共に梓がけらけらと笑っていた佑希と羽奈に詰め寄る。二人はよくぞ聞いてくれたと大仰に頷きながら後ろ手に持っていたノートを見せびらかす。
「どや!完璧やろ!」
目の前にあるのは、乱雑に書かれた情報の塊だった。はじめは板書に沿って書いていたのだろうが、途中から内容が飛んでいたり、かと思えば急に現れたりとノートの体を成していない。後から見返すことを全く考えていない、まさに初めて授業を受けましたと宣伝してるものだった。あまりに雑多に書かれているもので梓も絶句している。
俺たちが呆気に取られて二の句を継げないでいると、佑希と羽奈はそれを感動して言葉を失っていると勘違いしたのか益々自慢げな表情をしていく。
「自分でも結構な力作やと思うんよね。特にこのあたり」
そう言って文章が崩壊している部分を指さす。
「先生が後から継ぎ足していくから書き写すの大変やったわ」
(それであんなにわけわからんノートになってたんか)
佑希は授業の流れなど全く考えず、とにかく板書を写すことに集中していたのだろう。その結果があの惨状というわけだ。
「まぁ、頑張ったのはすごい伝わるぞ」
「えぇ、初めてにしては漏れもないし。次の授業から整理できるようになればもっといいんじゃない?」
漏れが無さすぎる事が問題なんだよなぁ、と思うが言ったとしても本人のやる気を削ぐだけで、目的に反する。言うだけ無駄になるしお互い気持ちよくない。
「やろ、次はもっとびっくりさせたる」
中身はとにかく前向きなのは良い事だ。今後に期待するとしよう。みんなはじめは下手くそなのだ。
「そんな話は置いといて、今日もみんな部活あるん?」
「もちろん。言ってる間に大会やからね」
「右に同じく」
「同じく掛け2」
まだ夏前だというのに各運動部は大会に向けて熱心に活動している。佑希と梓はバスケ、羽奈は陸上、俺は弓道。佑希と梓以外はみんなばらばらだ。
「みんな頑張ってるね~」
「お前もやろ」
どこか部外者のような顔をしている羽奈に、思わずそう突っ込んでしまう。
「…そうやな」
「そうやろ」
なんだか余計な事を言ってしまった感があるが、今更だ。
「まぁ部活行くのも次の授業おわってからやなぁ。ちゃんと授業受けるのって体力使うわ。めっちゃ眠い」
佑希が欠伸を嚙み殺しながら俺の肩を叩く。
「頑張ったもんねぇ。うちも絶対に寝る自信ある」
久々授業で不真面目組が音を上げる。そこまで重い授業ではなかったが普段寝てばかりの二人にはきつかったのだろう。
「体力お化けも、頭の体力は人並みなんやな」
「失礼やなぁ。そういう自分はもやし野郎のくせに」
ちっとも失礼だと思っていない声音で羽奈が非難してくる。ただ、もやし野郎は心外だ。
「もやし野郎は言い過ぎなんじゃない?弓道はあんまり動くイメージないけど」
顔に出ていたのか、俺の心を読んだのか、机から顔を上げていた梓が擁護してくれる。
「使う体力が違うんよ、皆とは」
武道の中でもマイナーかつ動くイメージがない弓道は貧弱と思われがちだ。実際バスケや陸上には運動量の面では到底及ばないが、集中力という側面では負けているとは一切思わない。
「ま、比べるもんでもないしなぁ」
腕を頭の後ろで組みなおした羽奈が、すっかり興味を無くした顔で言った。その上、次の授業の準備を始めるというおまけつきだ。あまりの変わり身の早さに毒気抜かれる。
「おい、言い出しっぺ」
俺がそういうと羽奈は舌を出してそっぽを向いた。
授業もすべて終わり残すはホームルームを残すのみとなった。最後の授業はやはりというか、当然というべきか、体力馬鹿の二人組は授業を半分過ぎたあたりで机に倒れていた。今日は普段寝ているばかりの授業を一つとはいえ、しっかりと起きて受けていたのだから良しとするべきだろう。今はすっかり体力回復モードだ。そうして皆でゆっくりしていると、ガラガラと音を立てドアが開く。
「ホームルーム始めるぞ~」
教室に入るなりいつも通り草よれよれの白衣纏ったを福原が教室を見渡して言う。一日授業を乗り切った生徒たちがようやく解放されるとどこか浮足立った空気を醸し出した。だが、一部の生徒は疲れ決壊したようで、福原の言葉に安心したきり机に倒れこむ。
「みんな放課後まであともうちょいや。気張っていこ~」
全くもって気張る気もない福原がそれを言うのかと呆れ半分安心半分の何とも言えない空気が流れるが、いつもの事なので対して目くじらを立てる生徒も最早いない。学期当初は梓を筆頭に数人がしゃきっとしてくれという趣旨の野次を飛ばしていたが、繰り返される何とも言えない発言に気力を削がれ、福原の粘り勝ちとなった。
「ホームルーム終了~。みんな気を付けて放課後を送るように」
過去の攻防を思い返している内に連絡事項の伝達諸々が終わったらしく、福原がホームルーム終了を告げ解散を告げる声と同時に勉学から解放された生徒たちがそれぞれ行動を始める。てきぱきと荷物を纏め足早に部活へ向かう生徒、机を寄せ合い駄弁り始める生徒、スマホを取り出し趣味に没頭する生徒、予習復習の為にノートを開く生徒と、つい先ほどまで同じ行動をとっていたとは思えない程自由だ。
俺たちは4人とも部活に所属しているのでゆっくりしている暇はない。配布されたプリントをファイルへと挟み教材と一緒にロッカーにしまう。
「うちらも早く部活行こ!」
羽奈が早くしろと軽く足踏みをしながら急かしてくる。授業の準備もそのぐらいのスピード感をもってして欲しいところだが、言ったところで変わるはずもないので準備に集中する。ロッカーから自身の机に向かう途中、梓と祐希の方を見ると、二人とも同じように急かされているらしく苦笑を零している。
三人は置いておいて準備を進める。クラスメイトも続々と自分たちの準備を終わらせて教室を去っており、教室は帰宅部の面々が目立つようになっていた。
「おし、準備できた。そっちはどう?」
机の中身も必要なものは全てカバンに詰め込み、荷物を背負う。
「準備完了~」
「私も終わったわ。羽奈、お待たせ」
二人に声をかけると、丁度タイミングよく二人とも準備を終わらせた所だった。佑希はなぜ準備に時間がかかったのか不思議な程荷物が少ない。勉強道具一式を置いているようで机の中に教科書が詰め込まれている。
梓も荷物が少なかったが必要最低限のみ持っているという風情で、部活に行く前に机の整理整頓に時間をかけているのだそうだ。何の整理をしているのか気になって聞いた時に、机の中身を明日の時間割に沿って整理している、という返答が返ってきて心底驚いた。
「よし、じゃあ行こう!」
やはり梓の腕を引っ張って羽奈が教室を飛び出していく。一人で歩けないのかとあきれそうになるが、それも羽奈の持ち味なのだろう。
「ほんじゃあうちらはこっちやから」
「また後でな~」
バスケ部に所属する佑希と梓の二人とは渡り廊下を超えたところで別れる。うちの学校では部活棟が1号館と2号館の二つ存在している。所属人数が多い球技系部活は、その大部分が校舎に近い1号館が割り当てられている。
千尋曰く一部の生徒からは不公平だという声も出ているらしいが、球技系が集まっているということからわかる様に基本的に男所帯で汚い上に臭い。梓から女子バスケ部やバレー部が毎日消臭剤片手に男子部員と日々格闘していると聞いた時には2号館でよかったと心底思ったものだ。
1号館の惨状に思いを馳せながら、非球技系の羽奈と俺は2号館への歩みを進めていく。最近発売された制汗剤の匂いが気に入った、新型のランニングシューズを買いたいけど高すぎて買えない、ユニフォームの色がかわいくないなどなど、相変わらずのマシンガントークを浴びつつ今日の練習は何をしようかと思考を飛ばす。
「ちゃんと聞いてんの?」
「・・・聞いてるよ」
途中から生返事になっているのがばれたらしく、羽奈が正面に回り込み睨みつけてくる。
「じゃあ何の話してたのか当ててみて」
お手上げだ。何を言っても怒らせる未来しか見えない。
「今日の帰りどこに寄るか」
「全然ちゃう!やっぱり聞いてないんやんか」
ダメもとで答えたが盛大に外してしまった。どうせまた食べ物の話だろうと思っていたがどうやら違ったらしい。
「なんの話してたん?」
「知らん!教えたらん!一日悩むんやな!」
「えぇ・・・」
(まぁどうでもいっか)
内心そこまで興味もなかったのでこのままスルーして羽奈の記憶からこの話題が消えることを祈っておく。蒸し返してもどうせ碌な事にならないのだから、放置が一番だ。
(部活終わっても怒ってたらなんか奢るか)
しばらくの間黙って歩いているとグラウンドと道場への分かれ道が見えて来た。
「そんじゃあ俺こっちやから、また後でな」
「あんたなんか知らん!また後で!!!」
(なんやかんやいっても挨拶を返すところは真面目やなぁ。後でどうしよ)
帰り道、まだ機嫌が悪かったらどうするかと考えを巡らせながら一人になった道を進む。道場の玄関が見えてきたところで人影がこっちを見ていることに気づく。
遠目からでも優等生とわかるピン伸びた背筋。その優等生が微動だにせず腕組みをして玄関前に仁王立ちしていた。唯一人差し指だけが一定のリズムで揺れていた。
(うげぇ。怒ってらっしゃる)
「遅いぞ。澤木」
「ごめん。ちょっと色々あって教室出るのが遅くなった」
(気まずい・・・。同い年と思えへん圧があるんよなぁ)
柳はしばらく、といっても数秒程度そのままじっと静止していたが、ふぅと息を吐くと
「まぁいい。どうせ桜井が何かしたんだろう。もういいから早く準備してこい」
「了解」
柳の許可も出たので急いで道場に併設されている更衣室へ向かい着替えを済ませる。カバンと制服をロッカーに入れ、代わりに弓道用具一式を持ち道場へと向かう。
道場横の桜は名残惜しさを微塵も出さずに花弁を散らし、5月の匂いを漂わせている。花が散るころには試合が始まっているだろう。そう思うと普段掃除の手間を増やすばかりの憎らしい花弁にも、もう少し粘っていてほしいと思う。
道場に入ると、既に部員たちがそれぞれ柔軟やアップを始めており、俺を含め遅れ気味の数名が荷物を各人に割り当てられた棚に置き、準備を急ぐ。
「全員揃ったな。じゃ整列」
ストレッチを終え皆に合流したタイミングで時間になったらしく部長の号令がかかる。体育の授業よろしく部長を上座に据えて部員が整列し、神棚に向かい全員で礼拝をする。礼拝後は各人設定した練習メニューに取り組み自身の課題を潰していくという流れだ。
「5月には試合があるので選抜された部員は本番を意識して取り組むように。それでは練習はじめ」
部長からの通達事項が終わると、それぞれが弓を取り射場へ向かっていく。弓道は団体競技であると同時に個人競技でもある。その上、相対するものは自分自身であるため、技術と同等以上に精神力が試される。ふと前を見ると柳が射場で弓を引いていた。
(相変わらず綺麗な射やなぁ。)
顔だけでなく射も綺麗とは全く恐れ入る。射には少しのブレもなく、全体のバランスも崩れていない。当然というべきか柳が放った矢はそのまま的へと吸い込まれていき、的を貫く。全く何時見ても小気味良い程にお手本をそのまま再現したような射で見とれてしまう。女子部員の中には柳目当てで入部しているものも多く、その他大勢の男子部員は血涙を流している。見返してやろうとしても、当の本人は愚直に的へ向かっているため意識しているこちらが惨めになるというおまけ付きだ。
ただ、目標とする相手が身近にいるというのは有難く、動機は不純ながらも部員は皆熱心に取り組んでいる。かくいう俺もその一人だ。向き合う相手は自分とは言え、張り合う相手がいる事はやりがいがある。
深呼吸一つ、意識を集中させ的へ向かう。一つ先を行く背中を支えるため、いつも共にある背中に恥じない姿になるため、今日もまた一本を積み重ねていく。
ご無沙汰しております。長門です。
相変わらず作中時間は遅々として進んでおりませんが、前回投稿から軽く1年が経過しており自分でも引いております。
ほかの皆様の更新スピードや分量に圧倒されつつ自分のペースでやっていこうと思っておりますので、
お読みいただけた方にも暇つぶしとして楽しんでいただければと。。。
次話もそんなに遅くならずに書きたいとは思っておりますので、長い目でお待ちくださいませ!