騒々しい朝、いつもと変わらぬ日常
4月某日
「あっつ」
春だというのにまるで季節を感じさせないほど蒸し暑い部屋の中、寝ぼけ眼をこすりながら目覚まし時計に手を伸ばす。
「やっば、7時半やん」
いままで纏っていた眠気を吹き飛ばしベットから這い出る。
このままでは遅刻は確定だという焦りに背中を押された様に部屋を飛び出しリビングへ行く。
左記版作っておいた朝食をレンジで温め、待っている間にテレビを付けお気に入りの番組にチャンネルを合わせると寝癖を整え、服を着替える。
いつものルーティーンだ。
「えぇ~っとたしかこの辺に置いといたんやけど…あった!」
調味料を引っ張り出し、最後の味付け。サラダを取り出しドレッシングをかける。
「完成っと。いただきます」
ワンルームの中僕の声と、テレビから流れるニュースが空間を満たす。
「今朝の大阪は晴れのち曇り、最高気温25℃最低気温16℃で過ごしやすい1日でしょう。」
最近話題の美人アナウンサーが笑顔で1日の空模様を教えてくれる。朝から目の保養が出来て幸せだとバカみたいなことを思いながら朝食を頬張る。
「にゃ~」
いつも通りの朝食を掻き込んでいると足元から同居人の鳴き声が聞こえてきた。
ふと足元を見れば少しぶきっちょな色合いの三毛猫が足首に頬ずりをしてくる。
「おはよう、ミケ。ご飯か~?」
首元に手を伸ばし顎を撫でながら聞くと、ミケはその手を避け早くしろとキャットフードの置き場に向かう。
そんなやり取りをし、専用のお皿にキャットフードを入れてやると、待ってましたと言わんばかりにミケがご飯にがっつく。
「いっぱいたべろよぉ、ミケ~」
とても人には見せられない程緩んだ笑みを浮かべ、既に俺のことなど視界に入っていないミケの頭を一撫でし食卓に戻る。
「やば45分やん。」
慌てて食器を流しに入れ、歯磨きとヘアセットをしに洗面所へ向かう。
「よっしゃ、ばっちり」
鏡の前に立ち、いつも通りであることを確認する。鞄を持ち制服の皺を伸ばし、靴を履き同居人へいつも通りの一言。
「ほないってくるなぁ。ミケ」
ミケの行ってらっしゃいという一鳴きに笑みを浮かべ鍵を閉め、澤木家を後にする
「いや~、ええ天気で何より」
朝特有の気温の低さと朝日の眩しさを一身に浴び、イヤホンを耳に差し込みお気に入りの曲を流す。
全く最高の朝だ、と一人鼻歌を歌いながら学校までの道を歩く。
「相変わらずヘタクソな鼻歌やな、俊也」
そう声をかけられ振り返ると、綺麗に整えられた前髪と背中に流した長い黒髪が特徴的な少女。桜井羽奈が人の悪い笑みを浮かべていた。
「お前も人の事言えへんやろ。羽奈」
挨拶代わりにそう応じるが、彼女はいつものようにあっけらかんと笑いながら歩調を早め、追いついてくる。
「お互い音痴のくせになんで歌うのは好きなんやろなぁ」
まだ朝だというのにテンションの高い羽奈はスキップでもしそうなほど軽い歩調で俺の一歩前を歩く。
気温も高くなってきたというのにカーディガンを羽織り、見ているこっちが暑くなる。
袖を捲り少しでも涼もうとしているこっちが馬鹿に思えてくる。
しかし当の羽奈は暑さなど微塵も感じさせない顔で、両手を頭の後ろで組みながらこっちを見ている。
「そんなもん知らんよ」
素っ気なく俺が返答する。
「知らんかぁ~」
カラカラと喉を鳴らし羽奈が笑う。
「んなことより、なんでまだここにおるんや。この間担任に遅刻はせんって誓ってなかったか?」
スマホを見れば、8時10分と味気ないフォントと共に時間を教えてくれる。ここから学校まで15分はかかる。どう考えても間に合わない。
どうするんだと羽奈を見るが、先ほどまで元気に揺れていた彼女の長い黒髪がさらりと動きを止めていた。
つられて俺も足を止め、彼女の視線の先を見る。
「あ、ニャンコ!」
という言葉と共に、羽奈は担任との約束などお構いなしで野良猫がいる方へと駆け出していく。
まったく自由人やなと尊敬半分諦め半分で彼女の後を追うと、青い目をした黒猫が地面に寝転がり、羽奈にされるがままになっていた。
「ここが気持ち良いのかにゃ~?」
うりうりと猫を撫でまわし、通学途中という事をすっかり忘れ、まるで猫カフェに来たのかと錯覚するほど猫のご機嫌取りに夢中になっていた。
「ンニャ~!」
羽奈の頭越しに後ろからのぞき込むと、ご満悦の羽奈と対照的に黒猫は抗議の声を上げ、こちらに助けを求めるような視線を送ってくる。
「嫌がってないか?その黒猫」
俺がそう言うと、
「え~、そんな事ないって!」
と変わらず撫でまわし続ける。
「聞く耳なしやわ、すまん。気に入ったもんは構い倒す性格やから諦めてくれ」
どことなく疲れ雰囲気を出し始めた黒猫に声をかけ、羽奈の横にしゃがみ込む。
「おーい、そろそろ行かんとホームルーム間に合わんくなるぞ」
スマホを確認すると8時15分を回っている。
「もうちょっと!あと10撫でしたら行くから!」
時間など知らないといわんばかりに羽奈が抵抗する。だが流石に待っている時間はもうない。
「いや、多いわ。はよ行くぞ」
そう突っ込みを入れ、首根っこをつかみ黒猫から引き離す。
「この薄情者~人でなし~」
未練がましく黒猫に手を伸ばしまだ物足りないという顔をする羽奈だったが、当の黒猫はほっとした顔で足早に去っていく。
「はぁ、振られちゃったやんか!せっかく仲良くなれたのに」
羽奈は頬を膨らませ文句を言ってくる。
「いや、あれはどう見ても嫌がってたぞ」
昔から羽奈は動物は好きだが、なぜか動物からは好かれないという体質の持ち主だ。
「そういえば、ミケ元気にしてる?最近行けてなかったから気になってたんよ」
眉を下げ、少し不安そうに聞いてくる。
「大丈夫、元気にしてるぞ。懐かしいなぁ、何年前や?ミケ拾ったん」
通学路を歩きながら昔の記憶を思い起こす。
「何?忘れたん?がっかりやわ…まぁ小学生の時やししゃーないか」
露骨に肩を落とし、非難の目を向けてくる。
「ちゃんと覚えてるって。小5の時公園で遊んでて見つけたんや。懐かしいなぁ、高2になったから…6年前か」
ミケは今となってはすっかり懐いているが、拾った当初は臆病で警戒心が高く、撫でようとして何度引っかかれた事か。
「6年前かぁ…。ついこないだやと思ってたのに、そんなに経ってるもんなんや。あっという間やな」
そう言い羽奈は後ろ手に腕を組み、少し草臥れたローファーで小石を蹴飛ばす。そのまま最後の交差点を曲がり校門への坂道を歩く。
「しばらく会ってなかったから余計にそう思うな」
少し目線の高くなった羽奈へそう投げかける。
「確かに!俊也が転校してきて半年かぁ、びっくりしたわ。だって俊也全然変わってなかったもん」
さっきまで怒ってた事を忘れたのか、今はニコニコとしている。
(相変わらずころころと表情が変わる奴や)
「これでもちょっとは変わったんやがなぁ。ってか俺のほうがびっくりしたわ。お前滅茶苦茶変わってたから、誰か分からんかった」
俺も多少変わってと思っていたが、初めて羽奈に再開した時は本当に驚いた。最後に覚えている羽奈の姿は、ガキ大将も顔負けのお転婆だったのだ。髪もぼさぼさのショートカットだったのに、今は遠くからでもわかるほど丁寧に手入れされたロングヘアーになっている。
「そ?ま、昔と比べればね。でもショックやったなぁ」
俺のほうを振り返り、器用に後ろ歩きをし横目でこちらの顔を見つめてくる。
「降参。悪かったって」
そう言い両手を上げると満足したのか、俺から視線を外した。
「ふふっ。まっいーけど、ええもん見れたし。ウチやって気づいた時の顔、今思い出しても笑えるから許したる」
目端に浮かんだ涙を指先で拭い、白い歯を見せながらスカートを翻し校門へと向かっていく。
「別に許してもらわんくてえーよ。それより遅刻確定やんか、はぁ~最悪や。」
呟くと同時、遠くからチャイムの音が聞こえ、ポケットのスマホが振動しメッセージの着信を知らせる。
[ホームルーム始まるぞ!急げ!]
スマホのロック画面には届いたばかりのメッセージと共にホームルームが始まっていることを知らせるカレンダーフォントが浮かんでいる。
「やばい。先生もう来るぞ!走れ!」
リュックを背負い直し一足先に校門へ駆け出す。
「まじ?!やばっ。週明けから遅刻はまずいって。俊也が言ってくれへんからやで!」
一歩後ろから非難がましい声が聞こえてくる。
「羽奈が猫触ってたからやろ!それに遅刻するぞとは言ってた!」
自分が5分前まで何をしていたのか忘れたのかと呆れ、まぁいつもの事かと思いなす。
誰もいない通学路を騒ぎながらかけていると、市立津田浦学院高校と書かれた校門が見えてきた。すでに挨拶係の教師の姿もなく、遠くの校舎には一限目が移動教室なのか廊下を歩く生徒の列が見える。
その列の中から一人の男がこちらに向かって手を振り、スマホを指さしている。
「あ、佑希!」
その姿に羽奈も気づき、手を振り返す。
メッセージを送るためにスマホを取り出すと、ちょうど佑希からメッセージが届いた。
[一限目美術に変更らしい。お前はトイレに行ってて今教室におらへんって俺と梓でマコっちゃんに誤魔化しといた。梓が羽奈もおらんって言ったときはまたかって顔してたけど笑]
[まじ神。今度ジュース奢る。羽奈は普段の行いや]
と感謝の返信を送り、二階の窓を見ると佑希がサムズアップながらその親指を美術室のほうを向け窓から離れていく。
「佑希と梓がマッサンに俺らトイレでおらんって誤魔化しといてくれたらしい。あと一限美術になったからそのまま向かえやってさ」
正面玄関を抜け、下駄箱にローファーを入れ上履きに履き替える。
「梓まじ最高。今度ジュース奢ろ」
俺と向かい側にある自分の下駄箱から廊下に移動し、美術室の方へ両手を合わせ拝む。
「二人のおかげでマッサンも許してくれたみたいやから感謝やわ」
スマホをポケットに戻し、正面階段を上る。
「くぅ~。やっぱ持つべきものは友と話のわかる担任よね!」
重力を感じさせない程に軽快な足取りで駆け上がっていく。
「マッサンが許してくれたのは俺だけ。もう恒例行事やからな、羽奈の遅刻は。」
羽奈は時間ぎりぎりに行動する癖があり、週に1度は遅刻する。
「そんなことないって!それに遅刻したのは俊也もじゃんか!」
「俺優等生やし、残念やったな不良生徒」
「俊也もさぼり魔のくせに!」
階段の踊り場であーだこーだと言い合いをしていると教室からこちらに近づいてくる足音が聞こえてくる。
「相変わらず仲良しね」
ため息交じりにそう声をかけてきたのは、制服を少し着崩し髪を茶色に染めたショートボブの少女だ。
「梓!おはよー!」
羽奈は梓の元に駆け寄り、その勢いのまま抱き着きにいく。
「おはよう、羽奈。それに俊也君も」
そんな羽奈を抱きとめ、頭を撫でこちらに視線を向けてくる。
彼女は羽奈の親友で、城田梓。中学の時に東京から大阪に移住してきたそうだ。
「おはよう、梓。相変わらず大変やな」
梓にへばりつき、満足げな顔をしている羽奈と、それを受け止めあやしている梓はまるで姉妹のようだ。
「いつもの事よ、何年一緒にいると思ってるの。それより早く美術室行くわよ。ほら羽奈、もう十分でしょ?」
「えぇ~、もうちょっとだけー」
「ダメ。ほら行くわよ」
嫌々と駄々をこねる羽奈だが、梓は全く意に介さず羽奈を引っ張っていく。
(さすがは梓、羽奈の扱いを熟知してる)
一人置いて行かれた俺は、年季の入った廊下を進み二人の背中を追いかけた。
「やっと来たか。遅刻やぞ、優等生」
美術室の前でひらひらと手招きしながら、そう茶化してくるのは高峰佑希。
短髪のいかにもスポーツマンといった風貌の少年だ。
「ギリ間に合う予定やったんやけど、猫に捕まった」
ため息まじりに伝え教室に入る。まったく災難だといわんばかりの俺の表情から察したらしく。
「猫?あぁ羽奈か。あいつアレルギー持ちのくせに、猫見かけたら追っかけていくもんな」
遅刻の理由に納得した様子でドンマイ、と俺の肩を叩き美術室へ入っていく。
佑希に続き美術室へ入ると、昨日見たドラマを話題に雑談に興じる女子、スマホをいじりながらだらけている男子、欠伸をかみ殺している奴、こっそりと持ってきたトランプでゲームを始めている男女といつも通りのクラスメイトの姿がある。
入口から向かって左奥に羽奈と梓が机を確保してくれたようで、こっちにこいとジェスチャーをしている。
「全くこのアホは何で学習せんかなぁ」
席に着くや否や佑希が手を上げ、首を振りながら言う。
「本当にに何度言ったか分からないわね」
梓もそれに便乗し、溜息を吐く。
「二人とももしかしてうちの事言ってる?」
その二人を睨みながら、羽奈が聞く
「「もちろん」」
示し合わせたかのように全く同じセリフで羽奈にとどめを刺す。
「お前以外おらんやろ、俺は間に合う予定やったのに。」
俺も机に突っ伏したまま追い打ちをかける
「う~、マリちゃ~ん。いじめられる!助けて~」
形勢不利と悟ったのか教壇で準備をしていた美術教師の笹原麻理に助けを求めだした。
「いじめはだめよ~。」
緩いウェーブのかかった前髪とハーフアップの美人で男子生徒からの人気は高く、今まで何人もの男子生徒を返り討ちにしてきた不落城だ。
「いじめてないって!」
「当然の権利です!」
麻理の言葉に佑希と梓が、抗議の声を上げる。笹原先生は陸上部の副顧問も務めており、部員である羽奈に甘いのだ。無闇に甘いというわけでもなく、ノリの良さと笹原のおっとりとした口調が調和しあまり気にはならない。
「らしいわよ、桜井さん」
「味方がいない~」
再び羽奈が突っ伏したところで、いつもと変わらない気が抜けるチャイム音が一限目開始を教えてくる。その音を合図に教室の空気が雑談から授業へと切り替わる。
「起立、礼、着席」
「おはよう、それじゃ授業始めるわね~」
委員長の掛け声に合わせて刷り込まれた動きをし、返すように笹原もお決まりの言葉を返す。見慣れた光景であり、日常だ。羽奈は梓とペアを組み、楽しそうに課題となった似顔絵を描いているが、梓は眉間にしわを寄せおっかなびっくりと筆を操り、俺の向かいでは佑希がにやにやとキャンパスに筆を走らせているが、どうせろくでもない似顔絵を描いているのだろう。
「羽奈動かないで」
「だいじょ~ぶ。うちは書けてるから!」
「私が書けないの!いいからストップして」
「しょうがないなぁ~」
「しょうがなくない!変な似顔絵になっても私は知らんからね!」
「もぉ~梓は固いんやからもっと力抜かんと」
勝手気ままな羽奈と、真面目人間の梓のペアは相変わらず梓の防戦一方で膠着している。モグラたたきのようにキャンパスから顔を出す羽奈に対し、職人のような目つきでキャンパスを睨む梓。あれだけ正反対だと見ていて飽きない。
「俺才能あふれ過ぎじゃね?」
「何あほなこと言ってん」
「いや、見てみこれ。傑作作ったわ」
「そこまで言うなら鑑定してやろう」
自信満々に筆を立て下手くそな絵を見せびらかしてくる。どこからその自信がわいてくるのか、心底不思議だ。何をするにも臆せず、常に今あるものを楽しむ姿勢は尊敬する。惜しいところは、絶望的に絵画センスがないところだろうか。
「前衛的過ぎや。現代のピカソやな」
「褒め過ぎや」
皮肉も全く通じない。
「俊也はどんな感じ?ちょい見せてや」
そう言い、横からのぞき込んでくる。
「普通やな。普通過ぎて逆におもろい」
「何やそれ、はよ席に戻れ。まりちゃんに怒られるぞ~」
「それはまずい」
いそいそと自分の席に戻り、真面目腐った顔で絵を描き始める。
周囲のクラスメイト達も各々仲の良い人とペアを組み思い思いに絵を描いている。真面目に書くことを諦め好き勝手に書く人。梓のように少しでも良く書こうと真剣に書く人。佑希のように自己流で突き進む人。教諭の笹原は教室を巡り、微笑みながら生徒たちと談笑しながら授業を進めていく。その中でもやはり羽奈は一際賑やかで、楽しそうに絵を描いていた。