第1話 僕と邪神と怨霊系女子と~時々毛玉~
「何、もう戻ってきたの。早かったじゃない」
「えーっと……」
僕達に気がついた聖子さんに話しかけれたが、この状況に未だ困惑中の僕はなんと返事すればいいか分からなかった。
なぜドドさんが超越神社にいるのか、聖子さんにドドさんが見えているのか、邪神とおっちゃんが知り合いっぽいがどういった関係なのか、謎だらけである。
「なによその小娘は」
聖子さんが僕の隣の邪神を見てそう言った。なぜだか聖子さんは邪神の事も見えるらしい。
「彼女が見えるんですか?」
「当たり前じゃない」
聖子さんは何いってんだコイツ、みたいな目をしていた。だがこの場合邪神が見える聖子さんが異常なのである。いや、もしかすると超越神社の影響なのかもしれない。以前にも似たような事があった。
五八千子ちゃんの呪いを遠ざけるため“伝説のさといも”の実食会を行った時、灼然さんが突然訪ねてきたが灼然さんの姿はおじさんにも見えていた。それまで特殊な霊体である灼然さんは、五八千子ちゃんと聖子さんの曾祖母の桂花さんしか見ることができなかったようなのだが、なぜだがその時はおじさんも灼然さんの存在を知覚する事ができたのだ。
原因はよく分からないが、多分僕か超越神社の影響だろうという話だった。
「あんちゃん、また会ったな」
トテトテとドドさんが僕の方に歩いてきた。近くで見るドドさんは相変わらずの毛玉具合だ。
「何よ、あんたこのセクハラ毛玉と知り合いなの?」
「ええ、まあ……」
「向こうのでしょ、コレ。っていうかなんなのよ、この毛玉」
「おっちゃんとあんちゃんは親友同士やで」
勝手に親友にしないでいただきたい。それより気になるのはおっちゃんがなぜ超越神社にいるのかだ。
「ドドさん、どうやってここに来たんですか?」
「?」
おっちゃんは首を傾げて不思議そうな顔をしていた。いや、そんな難しい質問はしてないんだけど。
「おじさま」
僕の隣の邪神が神妙な顔つきでおっちゃんに話しかけた。
「お! お嬢ちゃんも久しぶりやな」
対するドドさんは親戚の女の子に久しぶりに会ったようなノリである。ドドさんを見る邪神の目はいくらか批難めいていた。
「おじさま、なぜ急にいなくなってしまったの?」
「お嬢ちゃん、おっちゃんはな、探しものがあんねん」
「探しもの? だから私を1人にしたの?」
「せやで」
邪神の表情は真剣そのものであったが、ドドさんはどこ吹く風といった様子で鼻くそをほじっている。
「だからこの毛玉はなんなのよ。そっちの小娘も」
「なあ、姉ちゃん。パンツ見せてくれへん?」
「沈めるわよ、クソ毛玉」
「おじさま、私まだ納得してないわ」
「と、取り敢えずみんな落ち着きましょう。部屋の中で座ってゆっくりお話しましょう」
まるで想像できなかったこの状況に僕は困惑を隠せなかった。しかし、邪神と二人きりであるよりは、聖子さんとドドさんが一緒に居てくれた方が気が楽だ。
僕達は大広間の中央のちっこいテーブルを囲んで座った。そういえばこのテーブルはどうしたのだろう。異世界側の住居兼本殿には家具の類は全く持ってきていなかった。部屋の中を見渡せばテーブルの他に時計や座椅子、湯沸かしポッドなどちょろちょろ日用品が置いてあった。聖子さんが持ってきたのだろう。
「それでは改めまして、こちらドドさんと邪神さんです」
聖子さんにはあえて邪神だと紹介した。聖子さんの邪神に対する態度がぞんざいであるので、こちらの少女が危険な存在であると伝えるためである。そもそも名前知らないし。
「あんた邪神なの?」
「そう呼ぶ人間は多いわね」
「……ふーん」
「あなたも私の事が見えているのね。お友達になりましょう」
「お友達?」
「そう。あなたもカミヒトと同じ私のお友達になるの」
「あんた、邪神と友達なの?」
「そうですね……」
「あんた名前は?」
「皆からはボッチって呼ばれているわ」
「変な名前ね」
「そお? あなたの名前は?」
「菩薩院聖子よ」
聖子さんは少女が邪神であると聞いた後でも、信じていないのかぶっきらぼうな態度は変えなかった。彼女は少女の禍々しさを感じていないらしい。だとすれば邪神の見た目は普通の小学生の女の子にしか見えないので、信じられないのも無理はないだろう。
聖子さんの態度に邪神は気にしていないようだが僕は気が気でない。彼女の逆鱗が分からない以上、慎重に応対しなければならない。ひょんな事で気分を害する可能性もある。という訳でやや強引だが話題を変えさせてもらおう。
「ドドさんの探しものってなんですか?」
本当は邪神との関係を聞きたかったが、彼女にとってはナイーブな話題っぽいからここで聞くのはためらわれた。
「おっちゃんな、かあちゃん探してんねん」
「かあちゃん? ドドさんのお母さんですか?」
「ちゃうで。おっちゃんの奥さんやで」
…………嘘でしょ?
「……結婚していたんですか?」
「そやで」
この毛玉がまさか既婚者だったなんて。ちょっと信じられない。やはり奥さんも毛玉なのだろうか……。
「それで、奥さんを探しているうちにここに迷い込んだと」
「せやで」
「私がこっちに日用品を運び込んでる時に、ふと御神木を見たら近くに大きな毛玉があったのよ。何かと思ってよく見れば動く毛玉じゃない。最初妖怪かと思ってじっと見ていたら私に近づいてきて、パンツ見せろとかほざいたのよ。だから蹴り上げたんだけど、すり抜けて全く触れなかったのよ。何度やっても結果は同じだから諦めて家の中に入ったんだけどここまで付いてきてね。セクハラを止めないから塩でも撒いてやろうと思ってた所にあんた達が来たのよ」
「なるほど……そういう経緯だったんですね」
「で、コレなんなの?」
「おっちゃんやで」
「僕にもよく分からないんですが、精霊っぽい何かだと……」
「こんな気色の悪い毛玉が精霊なの? 夢が壊れるわね」
「おっちゃんはおっちゃんやで。気色悪うないで」
それから僕達3人はおっちゃん談義に花を咲かせていた、というよりほとんど聖子さんがおっちゃんに罵詈雑言を吐いていた。その間、邪神は黙ったままで、じっとおっちゃんを見ているだけである。
しばらくするとおっちゃんは何を思ったのか突然立ち上がった。
「どうしたんですか?」
「おっちゃんな、もう行かなあかんねん。あんちゃん、楽しかったで。お嬢ちゃんとお嬢ちゃんも元気でな」
そう言うとドドさんはサムズアップして玄関に向かい走っていった。その後姿を邪神は無表情で見つめていた。本当に掴みようのない毛玉だ。
「あの、行っちゃいましたけどいいんですか?」
邪神改めボッチさんはまだドドさんと語りたい事があるのではないだろうか。ボッチさんの姿が見える数少ない人(?)であるから、ドドさんに対し特別な心情があってもおかしくない。
「いいわ」
きっぱり言い放ったボッチさんはまるっきり未練などないようだった。
「あの、答えたくなかったらいいんですけど、ドドさんとはどういった関係で?」
僕は聞こうか聞くまいか迷ったが、結局好奇心が勝り彼女たちの関係を尋ねてしまった。だってすごく気になるじゃん。
「昔ね、私がまだあの館に居た頃、唯一の話し相手だったの。突然居なくなっちゃってすごく寂しかったわ。でも今はカミヒトとセイコがいるから大丈夫よ。おじさまなんて、何とも思っていないわ」
屈託のない笑顔を浮かべる邪神にどうやら僕達は寂しさを埋めるための相手としてロックオンされてしまったようだ。僕だけならまだしも聖子さんまで友達認定されたとなるとちょっとまずいかもしれない。
「カミヒト、この娘ネグレクトでもされてるの?」
聖子さんが顔を寄せ小さな声で尋ねてきた。さすがの聖子さんでも本人に直接聞くことはしなかった。
「そういうわけじゃないと思うんだけど……」
「ねえ、私お菓子が食べたいわ」
「え? あ、はい」
そういえばお菓子で釣ったんだった。聖女様に大量に買わされたお菓子は日本側の超越神社にある。申し訳ないが聖子さんに取ってきてもらおう。その間、僕はここでボッチさんとおしゃべりして間をつながなくては。なんとしてでも彼女を向こう側の超越神社へ連れて行ってはならない。
「ケーキならあるけど」
「ケーキ?」
「ここで食べようと思っていたのよ」
「私、それが食べたいわ」
ちょっと待ってなさいと言って聖子さんはダイニングの方へ向かった。僕はこれ幸いと彼女の後を追いかける事にした。
「ボッチさん、僕も彼女の手伝いをするのでここで待っててもらえませんか」
それだけ言うと僕はそそくさと聖子さんの後を追った。この隙に彼女に邪神がマジで邪神で危険である事を伝えなくては。
聖子さんはキッチンに置かれたケーキボックスから苺のショートケーキを取り出していた。傍らにはティーカップと紅茶の茶葉が入った缶がある。
「私一人で十分よ」
「いや、聖子さんにどうしても伝えたいことがあって……」
僕が邪神の恐ろしさを伝えようとするとすぐ後ろに気配を感じた。
「それがケーキというお菓子?」
僕の後ろにいつの間にか居た邪神が興味深そうに尋ねた。付いてきちゃったよ。待ってるように言ったのに……。
「そうよ。紅茶もあるわよ」
「コウチャ?」
「向こうで淹れてあげるから」
聖子さんはお盆にケーキと紅茶セットを乗せ大広間へ向かった。邪神が嬉しそうに聖子さんの後を付いていく。仕方無しに僕も彼女たちの後に続いた。
大広間に着くと聖子さんは手際よく紅茶を淹れケーキとともに邪神の前に差し出した。聖子さんは本気で邪神がネグレクトされていると思っているのか、ボッチさんに対するあたりがだいぶ柔らかくなっている気がする。
「いただくわ」
邪神はむんずと素手でケーキを鷲掴みにした。いきなりのことに僕は驚き、慌てて彼女の手を止めた。
「あんた、フォークの使い方も知らないの?」
聖子さんは呆れていたが、フォークの使い方を子供でも分かるように丁寧に教えて上げていた。聖子さんにはまともに教育を受けていない子供のように映っただろう。彼女の中のネグレクト疑惑が更に高まった気がする。
「こうね」
邪神はたどたどしくフォークでケーキを掬うとそれを口に含んだ。その瞬間、目を大きく見開き驚愕といった表情を浮かべる。表情の乏しい邪神がこれだけハッキリと驚いてみせたのは初めてだった。日本のケーキはそれほど美味しかったのだろうか。
一口また一口とケーキを頬張っていく。すると邪神の大きなクリクリの目から涙が溢れてきた。次から次へとこぼれ落ちる雫に僕達は戸惑いが隠せない。
「あの……ボッチさん?」
「ごめんなさい。こんなに美味しいお菓子は初めてだったから……」
それだけ言うと邪神は涙を流しながら黙々とケーキを食べていた。合間に熱々の紅茶をごくごく飲む。僕達は彼女が食べ終わるのを黙ってみていた。
「美味しかったわ!」
ボッチさんは満面の笑みだがケーキのくずが口の周りに付いている。聖子さんが軽くため息を付きながらハンカチで口を拭ってあげていた。以外にも彼女は面倒見がいいのかもしれない。
「あんたちゃんとご飯はもらってるの?」
「ご飯? 食べ物ならたまにメアとチムから貰っているけれど、あの二人はあなた達ほど力が強くないから味がとても薄いの。おじさまがくれたクッキーは美味しかったけれどケーキはもっと美味しいわ!」
「そう……意味分かんないわね」
「ねえ! 私、このお家の中をもっと見てみたいわ」
邪神からのおねだりに僕は頷くしかなかった。邪神に対する恐ろしさは勿論のこと、今は無邪気な子供の願いを叶えてあげたいという思いが微かながらに芽生えたからだ。僕達は立ち上がり住居兼本殿の中を見て回ることにした。
ボッチさんは家の中を隅から隅まで探検した。風呂やトイレ、部屋のクローゼットから天袋の中までも。襖を開けたり閉めたり勝手口から顔を覗かせたり、まるで冒険ごっこに興じる子供のようだ。
「外も見てみたいわ!」
家の中だけでは飽き足りないようなので境内を案内することとなった。一通り神社内の設備を説明して回り、特にボッチさんは賽銭箱の上の鈴が気に入ったようで何度も麻縄を振り鳴らしていた。こうしてみると本当にただの子供のようだ。
僕は日本側の神社の片隅に子供が遊べるように遊具でも設置してみるのもいいかもなんて考えていた。
一時間ほど遊んだところで邪神は満足したのかそろそろ異世界へ帰宅する旨を伝えてきた。
「名残惜しいけどもう帰らないといけないの」
僕は内心でガッツポーズをした。超越神社で暮らすと言い出すんじゃないかとヒヤヒヤしていたからだ。素直に帰ってくれるようで一安心だ。
白い鳥居の前に来ると邪神は振り向き僕達にお礼を言った。
「今日はとても楽しかったわ。カミヒト、セイコ、ありがとう」
満面の笑みの邪神から何かが流れてきた。神正氣の素となる感謝パワーである。しかし今までのそれとはだいぶ違っていた。
重く不吉な油のような液体が体にべっとりと張り付くような言いようもない不快感がある。今までの感謝パワーはすんなりと僕の体に溶け込み、すぐに神正氣となってくれたが、これはいつまでも僕の体の中にとどまり全然消化できる気配がない。全身が胃もたれを起こしているような苦しさだ。
「また遊びに来ていい?」
「……え、ええ」
「気をつけて帰りなさいよ」
じゃあねと言いながら邪神は白い鳥居の中に消えていった。僕は苦しすぎて倒れそう。
「変な娘だったわね。……どうしたのよ?」
僕は立っている事ができずうずくまり気が遠くなっていった。




