第30話 ヴァルバード
「ひぎぃ!?」
アリエさんがマダコさんを蹴り上げた。何メートルか蹴り飛ばされたマダコさんは、地面を転がるとそのまま動かなくなった。完全に意識を失っている。
容赦ないアリエさんにちょっと引いたが、今は気を失っていてくれたほうが助かる。呪術なしで大災害獣を操れてしまうマダコさんは危険だ。この戦いが終わるまでお休みいただきたい。僕達は前に浮いているでっかいドラゴンに集中しなくてはならない。
ヴァルバードはリュノグラデウスよりは小ぶりだが、それでも相当巨大だ。怪獣といっても差し支えない。ヴァルバードは翼が四枚あり長い尻尾と体全体を覆うきれいな白銀の鱗が特徴的だ。鱗は金属のようにキラキラ光っていてとても硬そうだ。メタリックな感じがかっこいい。一見すると聖獣といっても良さそうだが、顔が殺意増し増しの猛獣のようで、やっぱり魔物側の存在なんだなと思った。
ヴァルバードはリュノグラデウスの反対側からやって来た。つまり僕達は大災害獣二体に挟まれているのである。大ピンチだ。
「ヴァルバードですか。なぜ近くに居たか分かりませんが、マリン様がしくじるとは思えません。しかしここに居るのも事実。ちょうどいい、まだ暴れたりなかったところです。私が相手になって差し上げましょう」
青凪の乙女に変身したアリエさんは大絶賛イケイケ中である。自信満々殺る気マンマンなところが頼もしい。
「私が1人で戦ってもよろしいですか?」
「それは構わないが大丈夫なのか?」
クライス王子の懸念も当然だ。大災害獣とサシで戦おうなど普通ならば無謀と言う他無い。しかし今のアリエさんはイケイケフィーバーなのである。
「おまかせを殿下」
そう言うとアリエさんはぺろっと舌で唇を舐めた。それが艶めかしくもあり妖艶でもあり怖くもあった。ヴァルバードを見つめる視線はまるで獲物を捕捉した獣のよう。自分が捕食者だと言わんばかりだ。
クライス王子は異論を挟まなかった。実際に覚醒した彼女の力を見ていたので、任せる気になったのだろう。
「さあ! ヴァルバード、来なさい! 私が相手です!」
大災害獣相手に宣戦布告をしたアリエさんだったがヴァルバードは全く相手にせず、このドラゴンが見据えている先はリュノグラデウスだ。リュノグラデウスの方もヴァルバードに対して敵意を剥き出している。
「……どういうことだ?」
なぜだか大災害獣同士が敵対している。元は一つの魔物だったというので仲間ではないのか。そんな僕達の疑問を余所にヴァルバードは人間の軍隊を無視して、リュノグラデウスに向け攻撃を仕掛けた。
2体が同時に咆哮を上げる。怪獣同士が激突した。その迫力と言ったらなんと表現すればいいものか。まるで特撮映画の登場人物になった気分だ。もちろん逃げ惑う非力な一般市民としてだ。
「えっ? 待ちなさい!」
置いてけぼりにされたアリエさんは二体の大災害獣の戦いに割り込もうとした。だが流石にそれは無謀だ。
「全軍後退!」
クライス王子の号令がかかると、兵士達は待ってましたと言わんばかりに急いで後方へ退いた。アロン教徒の5人は全員縄で簀巻きにし身動きを取れなくした。マダコさんと魔人だった男は気を失っている。
「アリエさん、行きますよ!」
僕が声をかけるとアリエさんは大災害獣達と戦いたそうな様子だったが、しばし逡巡した後、最終的には僕達と一緒にここから撤退する事にした。
後退している途中、後ろで怪獣たちがドカンドカンズシンズシンと激しくやり合っているものだから生きた心地がしなかった。それは一部の人を除いてみんな同じだったが、それでも兵士達は隊列を乱すことなく整然と素早く動いていた。さすがの練度だ。
しばらくしてからさっき居た地点と首都メイゲツの中間辺りの一帯まで来た。大災害獣の戦いの行方を見守るの為、ここで陣形を構える事になった。本当はもっと遠くに行きたかったのだが、これ以上後退するとメイゲツに被害が及ぶかもしれないのだという。
「恐らくヴァルバードが勝つだろう。そうなればヤツと戦闘になる」
クライス王子の言う通り2体の大災害獣の戦いはヴァルバードが始終優勢だった。リュノグラデウスは僕達との戦いですでに致命傷を負っていたし、そもそもアロン教徒によって、予定よりも早く封印が解かれた訳だから不完全な状態で目覚めてしまったのだ。
対するヴァルバードの方は完全な状態で復活し、見た限り傷も少なくまだまだ余裕がありそうだ。
ヴァルバードの大きさはリュノグラデウスの三分の一ほどだ。それでも十分巨大であるのだがヴァルバードは恐ろしく俊敏に動く。リュノグラデウスの周りを蜂のように自由自在に飛んでいる。ヴァルバードが突っ込み亀が頭で攻撃しようとすれば、それを回避する為に全くスピードを落とさずに逆ベクトルに移動する動きはどうみても不自然だ。
まるで慣性の法則がヴァルバードには適応されていないかのようだ。魔法的な力が働いているのだろうか。
後退している途中でリュノグラデウスが魔性咆哮弾を撃ったのだがそれも難なく躱していた。リュノグラデウスはもう魔力が無いのか、次の魔性咆哮弾を撃つ気配がなかった。
「アリエ殿、使者殿。貴殿らはアレと戦えるか?」
「ええ、問題なく」
「まだ余力はありますが……」
クライス王子に聞かれアリエさんは自信満々に答える。僕はちょっと心配だけれど。
「クライス殿下、私もまだ戦えます」
イーオ様が言った。彼女の顔には若干疲労の色が見えていたが、まだ気力は十分ありそうだった。
「そうか……。マンマル王国の青聖魔法部隊はリュノグラデウスに特化した部隊だ。ヴァルバードに対抗することはできないだろう。故にどうしても貴殿らに頼らなくてはならない。準備も殆どできず危険は大きいがどうか力を貸してほしい」
クライス王子は我々に頭を下げた。これに慌てたのはアリエさんだ。
「頭を上げて下さい、クライス殿下。悪氣から無辜の民を守るのはカトリーヌ教徒として当然の務めです。それに私は青炎討伐部隊なのですから、大災害獣と言えど魔物に背を向けるなどありえません」
「その通りです。それに大災害獣は人類全てにとっての脅威です。ヴァルバードを野放しにしておけば甚大な被害が起きるでしょう。私は一介の神官にすぎませんが、命をかける覚悟など疾うに出来ております」
「すまない。恩に着る」
3人共立派だな。現代日本という温室で育った僕とは生き方や心構えがまるで違う。僕も乗りかかった船であるから最後までやるつもりではいるが、使命感の類は僕には殆どない。まあ、それはさておき一つ懸念事項がある。
「クライス王子、大災害獣とは元は一つの魔物だったのですよね? それならあの二体は合体したりする可能性とかってないんですか?」
もしくはどちらかが吸収してスーパー大災害獣になる事だってあり得る。ならば早めにあの二体の戦いに介入したほうがいいのではないか。怖いけど。
「使者殿の懸念も分かるが、それはないと断言できる」
「おやおや、クライス殿下は何かご存じですかな? 我々はそれを目論んでいたのですが。やはり聖都に何か秘密が?」
ガシャという老人が会話に割り込んできた。今にも死に体であるが、眼光は鋭く意識ははっきりとしている。
「貴様に言うことは何もない。貴様の方こそこちらの質問に答えろ。どうやってヴァルバードをここへ差し向けた?」
「ほっほっほ。向こうにも我らの同胞がおりましてな。死地天と罰刀がうまくやったようですな。いやあ、ぎりぎり間に合ったようで安心しましたぞ」
「バカな! 死地天と罰刀ごとき我らが苦戦する事はない! 貴様らが妨害に来ることは分かっている故、赤刀武人衆の精鋭を多く配置している。なによりそこにはスピネル様がいらっしゃる!」
「なんと! それは愉快の極みでございますなあ。“青炎のマリン”はおろか“赤刀のスピネル”まで出し抜く事が出来たとは。正直、期待はしておりませんでしたが、向こうも魔人化に成功したみたいでございますなあ」
「魔人ごときにスピネル様が遅れを取るか!」
「もう良いヒガン殿。これ以上此奴に聞いても無駄であろう。此奴らの監視は任せた。我々はヴァルバードに集中する」
「見て下さい!」
イーオ様が指し示す先は宙に浮かぶヴァルバードだ。全身が炎のようなオーラに包まれていて、何やら必殺技を出しそうな様子。トドメを刺す気だ。
「広範囲殲滅火炎か」
リュノグラデウスはすでに動くことすらままならず、甲羅はすでに跡形もなく肉がむき出しになっている。これでは自慢の防御力も半減以下だ。ヴァルバードの攻撃を防ぐことは不可能だろう。
魔力がヴァルバードの口に集約しドラゴンブレスが放たれた。ヴァルバードを起点として扇形に広がった火炎は、巨大な亀を安々と飲み込むほど大きく広範囲だった。火炎は岩石を溶かすほど高温で、その熱波が僕達の所まで届いた。
リュノグラデウスが断末魔を上げる。大地を震わすほどの咆哮を上げると、リュノグラデウスの体はドロドロに溶けていった。真っ黒くまるでヘドロのようなそれが、大災害獣の魔氣だろう。
魔氣は丸く集約すると、金属の殻のようなものが表面を覆いズシンと地面にめり込んだ。大きさはリュノグラデウスの十分の一程度で、楕円形のそれはまるで金属製の卵のようだった。怪獣の卵だ。
「あれが封印なんですか?」
「そうだ。あの中で長い年月をかけ再び孵化するまで力を溜める」
何はともあれ、一匹大災害獣が倒れた。後はドラゴンの方だ。
ヴァルバードはリュノグラデウスが卵になった事を確認すると、ゆっくりと振り向き僕達を睨みつけた。
「私がやります」
「了解した。我々はアリエ殿の援護に回ろう。軍も無作為に青聖魔法を撃てば牽制程度にはなるだろう」
「お願いします」
アリエさんとヴァルバードの間に緊張感が走る。誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた。僕の掌にはじっとりと汗が滲んでいた。アレを倒せば長かった戦いも終わりだ。
「ねえ、これはあなたがやったの?」
いきなり声をかけられた。その声を聞いた瞬間全身に悪寒が駆け抜ける。心臓を氷の手で握られたような感覚。体が硬直する。少女のような声には聞き覚えがあった。声は僕の前から聞こえた。僕は恐る恐る視線を下げる。
視線のすぐ下、僕の前に10歳くらいの女の子が居た。長く黒い髪のお人形のような女の子……。
邪神だ……。あの時の邪神が僕の目の前に居た。




