第29話 青凪の乙女
拝啓
風に舞う花吹雪が目に眩しい今日この頃、菩薩院破魔子様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか?
そちらは桜も満開でまさに春爛漫といった時節であると思います。異世界は日本より少し季節が進んでいるらしく、じっとしていれば汗ばむほどの初夏の日差しでございます。
こちらに行き来できるようになってからというもの、ずっと慌ただしくゆっくり観光する暇もありません。今も大変な渦中に巻き込まれており、言葉では言い表せないほど厳しい状況に置かれています。
神様をやるというのも苦労が絶えません。
僕の方は大変ですが、破魔子様は学園生活を満喫してください。学友たちと学び舎で共に過ごす時間は、人生においてとても貴重なものでございます。是非とも天女ちゃんや五八千子ちゃんと一緒に学生生活を楽しんでください。
何卒ご自愛専一にてお願い申し上げます。
敬具
P.S. 退魔絢爛乙女団の新しいメンバーが見つかったかもしれません。
「な、何なんですか! この破廉恥な格好は!? これはカミヒト殿がやったのですか!?」
「……そう、なりますかね」
自身の異変に気がついたアリエさんが吠えた。突然露出の多い衣装に変わり大混乱である。僕から勝手に出たマーブル模様のEX神術、通称“願い玉”によって彼女の着ている服はアイドル風になってしまった。
実際は水晶さんが勝手にやったことだが、彼女に今それを説明しても理解してもらえないだろう。彼女の非難する視線に耐えられず、思わず破魔子ちゃんに挨拶を申し上げてしまった。
「このような時に一体何を!? こんな格好をさせて何をするつもりですか!?」
アリエさんは羞恥に耐えないと言った様子で顔を真赤にしながら僕に詰問した。
アリエさんが着ている衣装は青と黒を基調にしたノースリーブとふんわり膨らむミニスカートに、衣装に合わせた長めのブーツ。ミニスカートからはレースのようなものがちょこんと覗いていた。首にはワンポイントのチョーカー。クール系のデザインの衣装は彼女にとても良く似合っている。
それまでの彼女の格好は長袖にズボンといった動きやすい簡素なもので、装備といえば速さを活かす為か、胸当てぐらいしかしていなかった。手袋もしていたので露出している部分は首から上だけとなる。そんな訳だからスラッと長い生足やがっつり鎖骨まで見える大胆な衣装に大きな抵抗があるのだろう。
「このような屈辱……! いくらカミヒト殿でも許しませんよ!」
僕に言われてもそのデザインは破魔子ちゃんのセンスだと思うからどうしようもないんだけれど……。
「えっと……」
いい言い訳も思い浮かばす、僕はアリエさんに睨まれタジタジである。
「カミヒト殿、遊んでいる場合では……」
クライス王子からもやんわりとクレームが来た。イーオ様やヒガンさんもどうしたらいいのか分からないといった様子で戸惑っていた。遠巻きに見ていた兵士達も同様だ。なんていうか、場が白けている。
それもそうだろう。必殺技でリュノグラデウスを打ち、明らかにこれで大災害獣戦が終わりになる雰囲気だったのに、蓋を開けてみれば1人の少女が破廉恥な格好になっただけである。派手なエフェクトまで出してこれは恥ずかしい。ちょっと水晶さん、責任取ってよ。
「な!!??」
突然、アリエさんが驚きの声を上げた。
「な、無い……!? カトリーヌ様から賜ったスキル『疾風』が無くなっている! なんですかこの『青凪の乙女』とは!? スキルが変わったのもカミヒト殿の所為ですか!!?」
そんな事言われても知らんがな。スキルを置き換えたつもりなんて無いし。でも、破魔子ちゃんという前例を見ればパワーアップしているんじゃないか。
「リュノグラデウスが!」
イーオ様の声でリュノグラデウスを見れば、口腔には膨大な魔力が集結している。もう魔性咆哮弾を撃つ寸前である。
やばいぞ。一か八かアリエさんに託すしか無い。彼女がこのタイミングで“青凪の乙女”に変身したのはそういう事なんだろう。僕もまだ神正氣は残っているが、願い玉でグンと減ってしまった。残りの神正氣で倒せるか心もとない。信じるよ、水晶さん。
「アリエさん! そのスキルには僕だけでなくカトリーヌさんの力も籠もっているんです! 今のアリエさんならリュノグラデウスにも対抗できるはずです!」
「え?」
「来ます!」
リュノグラデウスの魔力が爆発的に上がった。魔障咆哮弾が来る!
僕は全員を守れるような結界を張ろうとした。大きな結界は張った事ないけどぶっつけ本番でやるしかない。
「銀婆……!」
同時にイーオ様も魔障咆哮弾に対して何らかのアクションを取ろうとしている。僕たちを守るのに前へ出て何かを唱えた。しかし、僕とイーオ様はどちらも行動に移す事はなかった。
硬い岩が砕かれるような大きな音がしたかと思うと、リュノグラデウスの顔が大きく仰け反った。なにかと思えば、アリエさんが渾身のアッパーカットを亀の下あごに叩き込んでいた。さっきまでそこに居たのに、一体いつの間に移動したのだろう。
魔障咆哮弾を撃つ直前で口を閉じさせられたリュノグラデウスの口腔で、膨大な魔力が暴発し大爆発が起きた。爆発した衝撃は激しい突風となって辺り一帯に吹いた。
あまりの強い風に僕は吹き飛ばされたが、クライス王子が腕を掴んでくれたのでそのまま飛んでいく事はなかった。爆発の余波だけでこれほど強い衝撃が起きたのだ、がっつり巻き込まれたアリエさんが心配だ。
巻き上がった大量の土埃が収まると、リュノグラデウスの姿が現れた。亀は甚大なダメージを負っている。下顎は完全になくなり、残った顔も半分潰れていた。甲羅全体に大きく深いヒビが幾筋も入っている。最強の防御力を誇る大災害獣が見るからに致命傷を負っていた。
リュノグラデウスの痛々しい姿を眺めていると、僕の隣に上からアリエさんが着地した。
「無事だったんですね」
彼女は傷一つ汚れ一つ付いておらずピンピンしていた。ただ顔が少し紅潮しており高揚と陶酔が入り混じった表情をしている。
「カミヒト殿……この力は凄まじいですよ……!」
「……ええ、そうみたいですね」
あの一瞬で亀の顔まで移動し強烈な一撃をお見舞いしたのだ、言われなくてもすごいのは分かる。
「体の内側から神聖で重厚な力が湧き上がってきます。このスキルは素晴らしいものですよ! この格好はいかがなものと思いますが」
先程の羞恥と非難する態度とは打って変わって今は雰囲気がルンルンである。強い力を得てよほど嬉しかったのだろう。
――亀さん! ジャンプ!――
マダコさんの声が一帯に響く。空を見上げると小さい人影が2つ見えた。アロン教徒の二人はまだ逃げていなかったようだ。
マダコさんの呪言によってリュノグラデウスが膝を曲げ跳躍しようとする。またアレが来るのかと皆身構えたが、しかし瀕死状態の亀は力が入らない様子で膝を震わせているだけである。
――何してんの! 早くしろ! むぐう!?――
マダコさんの間抜けな声が響いたかと思えば、またアリエさんが上から僕の隣に着地した。今度はお土産付きである。
アリエさんはマダコさんと黒い羽つき男を抱えており、乱暴に地面に放り投げた。二人ともお腹を抑えて苦しそうに唸っている。どうやら一発いいのをもらったようだ。っていうかアリエさん速すぎる。
「全く、この愚妹は。本当にどうしようもない……」
実の妹を見下ろす視線は実に冷たい。
「うぅ……。何よ……そんな娼婦みたいな格好しちゃって」
「だれが娼婦ですか!!」
姉妹喧嘩をしている傍ら、クライス王子が拡声魔法で声を轟かせた。
「全軍! 整列!」
四散し逃げ惑っていた兵隊に再び隊列を組むように命じた。
「リュノグラデウスはすでに死に体である! 今が好機だ! 全軍総攻撃の準備をせよ!」
王子の命令に混乱していた兵達は我に返ると、迅速に陣形を組んでいった。
リュノグラデウスはすでに風前の灯火であったが、残った片方の目は依然殺意に満ちており未だ戦意は失っていない。その証拠に下顎を失った口に魔力を溜めだした。しかし溜める速度は明らかに遅くなっている。それでも油断はできない。
「さて、私は誘導役としての務めを最後まで全うするとしましょう」
そう言うとイーオ様はリュノグラデウスの方へ飛んでいった。今まで待機していた他の誘導役の面々もイーオ様に続く。
「この愚か者に構っている暇はありません。私もリュノグラデウスの討伐に参加しなくては。カミヒト殿、どうか愚妹を卑人から人間に戻してやって下さい……」
「だ、ダメ! 絶対ダメ! そんな事許さないんだから!」
僕はアリエさんの言う通り浄化玉を2つ出した。
「ね、ねえ使者さん、お願いだからやめて? 姉さんにエッチな事していいから」
「マダコ!!」
僕は黙って浄化玉を放つ。アロン教徒二人は光に包まれるとマダコさんの方は変化はなかったが、男の方は背中に付いてる黒い羽が無くなった。彼女たちの中の邪氣は完全に消え去った。これでもう呪言でリュノグラデウスの行動を操る事はできなくなった。
「全体攻撃準備!」
陣形が整い、全軍による青聖魔法の攻撃準備に入った。イーオ様達はすでにリュノグラデウスのヘイトを取っており、次の魔性咆哮弾を凌げば全軍による一斉攻撃でリュノグラデウスは終わるだろう。
「マダコ待っていなさい。リュノグラデウスを倒した後、あなたは裁きを受け処刑されるでしょう。しかしあなたが生涯をかけて贖罪をすると誓うならば、私もあなたの罪を共に背負い減刑の嘆願をカトリーヌ様に致しましょう」
「まさか姉さんったら、もう勝った気でいるぅ~?」
邪教に堕ちた妹であっても家族の情をもって接しているアリエさんに対し、マダコさんは姉を嘲笑うかのように挑発してみせた。彼女の余裕は虚勢には見えない。
「……呪術の使えない今のあなたに何ができるのです」
マダコさんはニヤリと笑ってみせた。そして大きく息を吸うと大声で叫んだ。
「ドラゴンさーん! 助けてー!!」
彼女の声が大空に木霊する。僕達は最初、言葉の意味を掴む事が出来なかったが、やがて彼女の言葉の意味することを理解することになる。
どこからか空気を切り裂く音が聞こえてきた。音はだんだん大きくなり、彼方の空から何かがすごいスピードでこちらに向かってきた。戦闘機のような速さで滑空しているそれはこちらへどんどん近づいてくる。
……ドラゴンだった。
白銀のドラゴンがソニックブームを生みながらこちらへ向かっている。超音速で飛行するそれは僕達の前へ来ると急停止した。激しい風が僕達を襲う。
「まさか! ヴァルバード!?」
クライス王子が目を見開いた。目の前のバカでかいドラゴンはもう1体の大災害獣らしい……。
「なぜ! あなたはもう卑人ではないのに……」
「残念でした~。大災害獣は呪術で操ってたわけじゃないんですぅ~」
マダコさんが呼んだドラゴンは当初僕が魔氣を浄化する予定だった大災害獣だ。別の国で青炎討伐部隊の隊長達が討伐に当たっていたはずだがなぜここへ……。
一難が去る前にまた一難がやって来た……。




