第19話 零源珠姫
頭の天辺が見えるほど深く腰を折り、僕に頭を下げている和服の女性は五八千子ちゃんのお母さんだ。
「野丸嘉彌仁です」
僕も軽く自己紹介をするが、零源珠姫さんは頭を下げたまま微動だにしない。
「えっと、零源家にはお世話になっています……」
珠姫さんはまったく動かずどうしたものかと戸惑っていると、ポタリポタリと地面に雫が落ちた。雫は乾いた土に染み入り黒い痕を残す。
「本当に……ありがとう……ございました……」
止めどなく涙があふれ地面に降りかかる。
「義姉さん……」
おじさんがそっと背中をさする。それでも涙はとどまることなく終いには肩を震わせしゃくり上げた。彼女は膝から崩れ落ちそうになり、おじさんと湿原さんが両脇から支え、近くのベンチまで連れていって座らせた。
「お見苦しいところをお見せしました」
しばらくしてから珠姫さんは深呼吸をして涙をハンカチで拭き、目は赤いが凛とした様子でそう言った。
彼女の見た目は高校生の娘がいるお母さんにしては若く見えた。おじさんのほうが年上に見える。よくよく見れば五八千子ちゃんにそっくりで、純日本美人で大和撫子といった雰囲気だ。
「改めまして、五八千子の母の零源珠姫と申します。この度は娘の事、誠にありがとうございます。娘の入学式に参加できるなんて夢にも思いませんでした」
「入学式に間に合って何よりです。僕も五八千子さんの予言で助かっているのでお互い様ですよ」
「ふふ、さすが救世主様。懐が広いのですね」
「ああ、それに腕も立つ。五八千子ちゃんの予言は当たっていたんだ」
「いえ、救世主かどうかは……」
「ご謙遜なさらずとも、私達にとっては立派な救世主様です」
きまり悪さを感じながらもそう言ってもらえることは嬉しい。珠姫さんが「お話しませんか」というので、僕もベンチに座った。天女ちゃん達を待っている間、僕たちはお互いのことを話題にした。
珠姫さんもこの学園の卒業生で今は霊管で働いているそうだ。零源本家の娘で旦那さんは菩薩院家出身、嶽一族から来たおじさんと同じ婿養子だ。
珠姫さんによると零源の巫女の素質は、零源の血が流れている女の子ならだれでも現れる可能性があるらしい。今回は本家の五八千子ちゃんに現れたが、他家に嫁いだり婿養子にいった零源家の者から巫女の素質を持った子が生まれる事もあるそうだ。そうなった場合は、養子として零源家で育てる取り決めだという。
「あ、カミヒトさん!」
話し込んでいたら校舎の方から天女ちゃん、破魔子ちゃん、五八千子ちゃんともう一人知らない女の子が校舎の方からやって来た。HRはもう終わったようだ。
「どうだった初めてのHRは?」
「はい! 皆で自己紹介しました! 担任の先生もとても優しそうな方でした!」
「ヤチコちゃんのお母さんも来ていたんですね」
「ええ、娘の晴れ舞台ですもの、来るに決まっているわ。皆と一緒に制服姿で居るところを見られるなんて嬉しいわ」
「はい。私もお母様に元気になった姿を見せられ嬉しいです。今までは心配ばかりかけていましたから」
「親が子を心配するのは当たり前のことよ。新しいお友達も出来たようで、お母さん安心したわ」
にこやかに会話をする母娘を見ていると白霊貴族から受けたトラウマが癒やされていくのを感じる。あの時の苦痛が報われるような心地がした。異世界で頑張って良かった。シュウ君、“伝説のさといも”ありがとう。
それはそうと気になる事がある。天女ちゃん達と一緒にいる女の子だ。身長は五八千子ちゃんと同じくらいで小さく、髪は艷やかなショートボブ 、真っ白な肌は病的に見える。破魔子ちゃんや五八千子ちゃんと同レベルの美少女であるが存在自体は薄く感じる。初めて見る女の子だが、しかし僕は彼女が何者かおおよそ検討はついている。さっきの入学式の生徒の点呼で聞いたことがある名字があったのだ。
「そっちの娘は?」
「彼女は縁雅家でヤチコちゃんと同じ私の幼馴染でもあります。本日はカミヒトさんに挨拶がしたいというので連れてきました」
天女ちゃん達から一歩後ろに控えていた女の子は前へ出るとゆったりとした動作でお辞儀をした。
「……縁雅家を代表してご挨拶に参りました縁雅千代と申します」
消え入りそうな声と芯が定まっていないユラユラとした体幹はすこし心配になる。少し前の五八千子ちゃんを思わせるが、この娘は表情が乏しく人形のようだ。
「野丸嘉彌仁です。御三家の縁雅家でいいんだよね? セツさんはお元気ですか?」
「……はい、大婆婆様から野丸様の事は伺っております」
「えっと、体調は大丈夫?」
「……? はい、問題ございませんが」
何でそんな事聞くんだみたいな顔をしているが、ユラユラと体が左右に揺れてるんだから心配になる。でも破魔子ちゃんはなんとも思っていないようなのでこれが彼女の普通なのだろう。
「千代ちゃんも同じクラスなんですよ! ミステリアスな美少女です!」
という事は天女ちゃんと同じクラスに御三家の娘が二人と零源の巫女様がいるわけだ。妖聖学園側がわざとそうしたのだろうか? 御三家といえば嶽一族にも一人高校生くらいの女の子が居たな。御堂邸であった慇懃無礼な娘。確か名前は嶽冷華って言ったっけか。
「嶽一族の娘はこの学園にいないの?」
「冷華さんですか? 居ますよ。特待校舎ではなく向こうの普通の校舎にですけど。それから冷華さんは私達よりいっこ上です」
「こっちじゃないんだね」
「嶽の人達で特待校舎に通う人はほとんど居ませんね。妖怪の面倒なんか見てられるかって事なんでしょう。私、正直嶽一族って苦手です」
「ああ、わかるかも」
僕も正直苦手だな。二人しか会ってないけど、妹の方は人を小馬鹿にした感じで兄は傲岸不遜で。
「鷹司さんも居ますよ。3年生です」
「ええ!? 彼、まだ高校生だったの!? あの顔で!?」
ビシッとスーツを着こなしていて大人っぽくできる男の雰囲気があったから、社会人一年生か二年生のエリート社員だと思っていた。まさか大学生どころか高校生だったとは……。
「老け顔ですからね。驚くのも無理ありません」
「……ッ!」
プッと吹いたのはおじさんだ。それにしても彼がまだ未成年だったとは驚きだ。
「……あの、よろしいでしょうか?」
縁雅千代さんが遠慮がちに僕に尋ねた。
「うん? なんでしょう?」
「……野丸様には一度縁雅神社へ来ていただきたいのです」
何の用だろう? 魔境神社へ行こうとセツさんからの催促だろうか。
「それは構わないけど、どのようなご用かな?」
「はい……えっと、ハクダ様がお話があるのでお連れするようにと……」
「ハクダ様?」
「縁雅神社で祀っている白蛇様ですよ。私もお会いしたことがあります」
そう言えば零源の巫女は神様と交流することができたんだっけ。
「その、白蛇様はどのようなご用なんでしょう?」
「……詳しい用件までは私にも。お連れするようにしか聞かされていないので。ただ……」
「ただ?」
「……少し怒っていらっしゃるご様子でした」
「え……なぜ?」
「……それが私にも分からないのです。野丸様は心当たりは?」
ある訳がない。そもそも会ったこともない神様なんて怒らせようがない。
「カミヒトさん、何かやらかしたんですか? 白蛇様はネチネチとした性格のようですから、怒らせたら怖いですよ~」
ちょっとやめてよ。破魔子ちゃんが冗談半分に僕を怖がらせてくる。
「全く身に覚えないんだけど……」
「……ネチネチとはしていませんが、怒らせたら厄介なのは事実ですね」
マジで……。勘弁してよ。神の怒りを買ってしまったなんて冗談では済まないぞ。
「セツ婆に相談してみたらどうだ? セツ婆も白蛇様を怒らせたことがあるが、余裕綽々だったみたいだからな」
「そうします……」
「なるべく早いうちに起こし下さい……」
「野丸さん、何かありましたら霊管を頼って下さい。霊管には縁雅の者も在籍しておりますので何かお力になれると思います」
「私も一緒に謝りますから。それに灼然様はハクダ様のお友達ですから、灼然様の口添えがあればきっと許してくださりますよ」
零源母娘の優しさが心に刺さる。しかし五八千子ちゃんは僕が何かやらかした前提なのはどうしたことだろう。
「それよりせっかくの入学式ですから、写真をいっぱい撮りましょう!」
珠姫さんの提案により、校内のいろんな箇所で撮影会となった。不安の種が一つできたが、今は天女ちゃん達の思い出を残すことに集中しよう。今日は彼女たちにとって人生で一度きりの入学式なのだから。この件は家に帰ってからセツさんに相談すればいいさ。
撮影会が終わると、天女ちゃん達新一年生は零源家にお呼ばれされ遊ぶようである。縁雅千代さんは一度断ったみたいだが、他の3人や珠姫さんに説得されしぶしぶ同行することにしたようだ。僕も誘われたが今回はお断りした。なぜならおじさんが呪いの人形がどうのこうのと言っていたからである。
僕は学園の敷地内の白い鳥居を通って自宅へ帰還した。玄関を開けると聖女様の声が聞こえた。彼女は映画を見ながら独り言をいうことが多いので、まだ僕のパソコンで見ているのだろう。
廊下を歩き大広間へ続く襖の前までくれば聖女様の声がはっきりと聞こえた。
「あはは。ホントよね~」
襖越しに聞こえる声は誰かと話しているようだ。水晶さんとおしゃべりしているのかな?
「カトリーヌさん? ただいま戻りました」
「お、噂をすればよ」
「開けますね」
襖を横にスライドし大広間の中に入れば、聖女様の他に予想だにしなかった人がそこに居た。
「お邪魔しているわ」
「…………」
聖子さんだ。怨霊系女子の聖子さんが居た。しかもテーブルを挟んで聖女様の対面に座っている。お茶とお茶菓子が二人分あり、さっきまで歓談していた雰囲気だ。
おかしい。聖子さんはどんな理由か分からないが菩薩院家によって怪異に関わらせないように、それらが見えないような処置を施されていると破魔子ちゃんが言っていた。なので霊体である聖女様は見えないはずなのだが……。
「聖子さん、どうやって家に入ったの?」
「私が招いたのよ!」
やっぱりカトリーヌさんが見えてるんだ……。
「……詳しく聞かせてもらっていいですか?」
「私明日からここで働くでしょ? でも今日暇だったから来たのよ。あんたが入学式でいないのは知っていたらから拝殿側の境内でボーっとしてたのよ。そしたら目の前を半透明な小娘がフワフワと飛んでいるじゃない」
「映画を見終わったから散歩してたら、じーっと私を見てる小娘がいたから試しに話しかけてみたのよ。そしたらここで働くミコっていう神官だっていうじゃない。“伝説の神社”の神官なら私の眷属ってことでしょ? だからここに招いたってわけよ」
「勝手に僕たちをカトリーヌさんの配下にしないで下さい……」
なぜ聖子さんが霊体であるカトリーヌさんを見れるのかわからないが、見えてしまったものは仕様がない。僕は全然問題ないのだが、わざわざ見えないようにした菩薩院家としてはどうなのだろう? 破魔子ちゃんに相談したほうがいいかな。
「私も異世界に行くわ」
「…………えっ? カトリーヌさん、喋っちゃったんですか?」
全然問題だった。
「え? ダメなの?」
……ああ、確かに口止めはしてなかった。だって聖女様が見える人ってほとんど居なかったから。五八千子ちゃんやおじさんには別に知られても構わないと思っていたからなあ。どうにか誤魔化してみるか……。
「聖子さん、この幽霊は虚言癖があるんですよ。だから異世界なんて存在しません」
「今さら誤魔化したって無駄よ。私、魔法見せちゃったし」
「見せてもらったわ。あれは本物ね」
「……僕にも見せてもらっていいですか?」
聖女様が人差し指をくるくると回すと、家具や聖子さん、そして僕がプカプカと浮かびだした。聖女様を中心にメリーゴーラウンドのように回りだす。3周くらいしてからゆっくりと地面に降りた。
これは言い訳ができない。どうしよう水晶さん。
僕はスマホを取り出し水晶さんのアプリを起動した。本体に話しかけないのは、これ以上聖子さんに超常現象を見せないためだ。
――いいのではないでしょうか――
そうだった、水晶さんもなぜか聖子さんを眷属にするよう猛プッシュしていたんだった。彼女には何か特別な力があるのだろうか。菩薩院家の彼女に対するスタンスも気になるし。
「連れていきなさい」
「…………」
「連れていきなさい」
「いいじゃない、連れていけば。セイコは魔法の才能があるし、きっと役に立つわ!」
「カトリーヌに聞けば異世界って危機的な状況なんでしょ? あんた、力がある割にヘタレだっていうし、私が代わりに異世界を救ってあげるわ。そう、呪いの力でね」
呪いって邪教が使う力だよ、聖子さん……。
「……考えておきます」
「連れて行かなかったら呪うから」
とりあえず本日は曖昧な返事をしてお帰りいただいた。聖子さんは帰り際にも「連れて行かなかったら呪うから」と怨めしそうに言っていた。だがどことなく楽しそうな雰囲気だったのは、彼女がオカルトとかそういう話が好きだからだろう。さて、どうしたものか。
「セイコを連れて行くのは決定としても、明日は止めたほうがいいわね」
「ええ、明日は聖子さんの超越神社の巫女さんデビューの日ですから」
「違うわよ。明日異世界行くのよ。あんたと私が」
「……いきなりですね。何でですか?」
「ピコーンときたのよ。ピコーンと」
「意味が分かりません……」
「もうすぐ厄介な魔物が復活しそうだから、あんたに浄化してほしいのよ」
うわあ……。なんだよ厄介な魔物って。っていうか急すぎませんかね?
「……どんな魔物なんですか?」
魔物によっては辞退することも吝かではない。積極的にお断り申し上げよう。
聖女様は腰に手を当て偉そうにふんぞり返って言った。
「“大災害獣”よ!」




