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第17話 里芋と呪いとあの人

 巫女様とおじさんは香り立つホカホカの見事な里芋の煮っころがしに困惑している様子だ。それもそうだろう。おじさんには電話で巫女様の呪いの影響をしばらく弱められるかもしれないとしか言っていない。具体的な方法を伝えていないので、そのための手段がまさか里芋とは夢にも思わなかっただろう。


「信じられないかもしれませんが、こちらの里芋はただの里芋ではないのです。熱いので気をつけてお召し上がり下さい」


「……本気で言ってるのか?」


「こんな事で冗談なんかいいませんよ。何の変化も無い可能性もありますが、ものは試しです。不味くは無いと思うので食べてみて下さい」


「いや、しかしだな……」


「ああもう、うるさいわね。毒なんか入ってないわよ。ちゃっちゃと食べさせなさい」


「いや、違うんだ。疑っている訳ではないんだが……五八千子いやちこちゃんは里芋アレルギーでな……」


 おじさんによると巫女様は呪いのせいか生まれながらに多くの食物アレルギーがあるらしい。里芋アレルギー自体はかゆみや湿疹程度の軽いものだが、それでも体の弱い巫女様なのでおじさんとしてはできる限り負担をかけたくないようだ。


 たしかに困ったな。しかしアレルギーが出ても僕の薬師的な如来で症状を抑えることはできると思うのだが……。


「叔父様、野丸様が私のためにせっかく用意してくださったんですもの、私食べます」


「だがな五八千子ちゃん、万が一ということもあるし、里芋だしな……」


 やっぱり疑っているじゃないか。その気持よくわかるけども。


「私はこの呪いを天命として受け入れていました。いえ、諦めていたと言ったほうが正しいでしょう。でも破魔子ちゃんから野丸さんのお話を聞いて、野丸様のお力は奇跡であると確信しました。私もその奇跡にあやかりたいと強く思います。諦めていた生への執着が、ここにきて私のうちより湧き上がるのを感じました。ですからリスクを承知で食べます」


「五八千子ちゃん……」


 巫女さまはおじさんをまっすぐ見据えて甚く真剣な面持ちだった。


「うだうだ言ってないで本人の意志を尊重しなさいよ。アレルギーってのが何だかよくわからないけど、私とカミヒトがいるんだから大丈夫よ」


「そうですよ。アレルギーの症状くらいどうにかできますよ」


 できるよね、水晶さん?


『勿論です』


 テーブルの中央に据えてある水晶さんが答えた。


「それでは……いただきます」


「熱いから気をつけなさいよ!」


 巫女様はお箸で“伝説のさといも”の煮っころがしを2つに割ると、フーフーと息をかけてから一口で食べた。おじさんは心配そうに見守っている。


「うっ……!」


五八千子いやちこちゃん!?」


 里芋が巫女様の喉を通り過ぎてからすぐに彼女は苦しみだした。顔や腕にに蕁麻疹ができヒューヒューと喘鳴ぜんめいし呼吸困難になっている。


「野丸!」


 おじさんにうながされ、僕はすぐさま薬師如来を召喚しようとした。


「待ちなさい! よく見るのよ!」


 聖女様に止められて巫女様をよく見れば、薄い光の膜が彼女を包んでいた。それは巫女様を優しく包み込むようにして徐々に膨らんでいく。それに合わせて体中の蕁麻疹は引いていき、呼吸も落ち着いてきた。


 驚いたことに、巫女様に張り付いていた呪いは光の膜に押しやられ、彼女から遠ざかっていく。光の膜はどんどん膨らみ呪い達を巫女様から離していき、3メートルほどまで膨張したら光はパッと輝き消えた。呪い達は再び巫女様に纏わり付こうとするが、光が消えてからも3メートル以内には近づけないようだった。


「う……そ……」


 巫女様は自身に起こった変化に戸惑いが隠せない様子だ。


「五八千子ちゃん! 大丈夫か!?」


 おじさんの問いかけも聞こえておらず、自身の体をペタペタと触り入念に調べている。


「体が軽い……痛まない……」


 巫女様の瞳には大粒の涙が溜まっていた。それはみるみる増えていくと、留めておく事ができず弾けてポロポロと頬を伝った。次から次へと溢れ出す涙は止まる様子はない。天女ちゃんがそっと寄り添い、ハンカチで涙を拭う。


「良かったですねえ……五八千子ちゃん」


 天女ちゃんは貰い泣きをしていて、おじさんは目頭を押さえ天を向いていた。聖女様は腕を組みウンウンと唸っている。僕はというと眉間に力を入れ涙を流すまいと踏ん張っている。だってそうしないとドバドバ涙が出てしまいそうだったから。







 巫女様が落ち着いたところで、僕たちは普通の煮っころがしを突いていた。巫女様はもう里芋アレルギーは無くなったようだ。スゴイぞ“伝説のさといも”。


「呪いがない体とはこんなにも軽いものだとは思いませんでした。それに心も今までにないくらい晴れやかです」


 巫女様が呪われたのは巫女の力が顕現した5歳からで、その時から徐々に体が弱っていったようだ。普通の状態を忘れて久しく、不調であることが普通であるのが当たり前になっていたのだ。


「ま、弱っちい体はすぐに治らないから、ゆっくり体力をつけるのよ」


「はい、たくさん食べてたくさん運動します」


「よろしい。私の手伝いをできるくらい健康になるのよ」


「カトリーヌさん、あまり無茶を言わないで下さい。巫女様は学校があるんですから」


 巫女様は中学はほとんど通えなかったみたいなので、高校では存分に青春を楽しんでほしい。異世界の聖女様のお手伝いなどやる必要ないのだ。


「なあ、呪いが効かなくなったのは一時的なんだろう? どれくらい持つんだ?」


「そう言えばどれくらいなんでしょう?」


「そうねえ……。ん~、わからないわ!」


「まさか数日、数時間しか持たない何てことはないだろうな……」


「さすがにそれは無いでしょ。数年から十年は持つと思うわ」


「では里芋の効力が消える前に呪いを完全に解呪しないといけませんね」


「……協力してくれるのか?」


「ええ、そのつもりです」


 怖い事や痛い事は勘弁だけど、困っている人がいれば出来るだけ助けて上げたいと強く思うようになったのは、異世界でシュウ君とお別れしてからだろう。どうしようもない事だけど彼やロゼットさんには生きて幸せになって欲しかった。聖女様が見送ってくれたみたいだが、未だに心にわだかまりがある。こういうモヤモヤした切ない気持ちになるのは、今後は御免被りたいものだ。


「野丸様……私などのために……」


「巫女様が元気ですと喜ぶ人が多いですから。龍彦たつひこさんや破魔子はまこちゃん、それから天女あまめちゃんも。勿論僕もですよ」


「はい! 破魔子ちゃんと一緒に学校でたくさん遊びましょう!」


「ありがとうございます。ありがとうございます」


 巫女様はまたさめざめと泣き出した。悲しい時の涙はノーサンキューだけど、嬉し涙ならいくらでも流したっていいんですよ。


「カミヒト!!」


 巫女様を暖かく見守っていたら聖女様が突然叫んだ。警告を発するかのような声に、視界の端に何か黒いものが接近して来るのに気がつく。それは巫女様から少し離れた距離でうずくまっていた人形ひとがたの呪いで、四つん這いで僕に迫ってきていた。


 驚いて反射的に結界を展開すると、人形の呪いは結界に顔を押し付け呪い殺さんばかりの形相で僕を睨んだ。長い髪から露わになった顔は老若男女の区別がつかない曖昧なもので不気味だった。目からは血を流し、一際気色悪いのは瞳孔で、爬虫類のように細長い瞳孔が縦と横にクロスしていた。なぜだかその十字架の瞳から目が離せない。



 ――ジャマすルナ殺スゾ邪マスルナコロスゾ邪魔スルナジャ魔スルナ殺スゾコロすぞじゃまスルナコロすゾ邪まスルなジャマスルナコロスぞ邪魔すルなコロすぞジャマスるな殺すゾコロす殺スコロス殺スこロす殺ス殺す――



 僕の体は硬直し動けなくなった。耳から入ってくる呪詛が僕の体の自由を奪う。すると人形の呪いから僕の目と耳を通して何かが入ってきた。


 僕の中に流れてきたのは負の感情。騙された怒り、飢餓の不安、子を亡くした悲しみ、親に捨てられた絶望、肥大する権力者の欲、嫉妬、怨嗟えんさ猜疑さいぎ衒気げんき、虚飾、ありとあらゆる負の感情が現実的な感触を伴って僕の脳に渦巻く。


 情報の多さとまるで僕自身が追体験したかのような現実感で頭がおかしくなりそうだった。手足が痺れ動悸がする。吐き気が込み上げてきて地面に膝をつく。意識を失いたくなるような不快感で満たされていた。


 ああ、何だこれは……



 さむい、ひもじい、つらい、悲しい、痛い、殺したい、うらやましい、苦しい、死にたい――――








「お前が呪っていいのは零源だけや。浮気はあかんで」


 パンッと音がなり人形ひとがたの呪いは結果から弾かれたように飛んでいった。体は自由になり、僕の中から濁流のような負の感情はきれいサッパリ無くなっていた。ハアハアと息をつく。


「危ないところやったね。大丈夫?」


 声の主はフワフワと浮いている霊体だった。狩衣かりぎぬ姿だが茶髪のツンツンヘアーに色眼鏡というアンバランスな出で立ちで、どことなく軽薄そうな雰囲気だ。


灼然しゃくねん様!?」


「こんにちは、五八千子いやちこちゃん。具合が良さそうで何よりや。でも彼はアレに呪われるところやったで」


「そんな!? まさか……」


「まあ、平気みたいやけどな。アレの呪術を受けても、今はもうケロっとしとるで。信じられへんなあ」


「あの、あなたは……?」


「おっと、自己紹介がまだやったな。はじめまして、僕は零源れいげん灼然しゃくねん。零源の始祖です。今日はカミヒト君に挨拶に来ました。勝手にお邪魔してごめんなあ」


 灼然と名乗った霊は手を合わせ舌をちょろっと出しておちゃめなポーズをしていた。……この人が光の女神様から託宣を受けたという零源家の始祖様なのか。


「……あんた、只者じゃないわね?」


「そちらさんもなあ。どえらいエネルギーを感じるで」


 いきなり現れた零源家の祖先の霊体に警戒感を露わにする聖女様。というか若干ライバル心のようなものが見える。


「ふん、これが私の本来の力だと思われたら困るわ。で、あんた何者なのよ」


「そこの五八千子ちゃんの祖先です。君は?」


「聞いて驚きなさい! 私こそが“伝説の聖女”カトリーヌ様よ! 敬うがいいわ!」


「ようわからんけど、大層な女の子なんやね。まあ、霊体同士仲良うしてな」


「残念でした。私にはちゃんと肉体があるんですぅ~」


「ええー? ええな、僕の体は千年前に無くなってもうたわ」


「ちょ、ちょっと待って下さい! もしかしてあなたは灼然様なのですか!?」


 おじさんは聖女様と始祖様に割って入り、酷く驚いた様子で尋ねた。


「あれぇー? 龍彦君、僕の姿が見えるん?」


「は、はい……。やはり本物の灼然様なのですか?」


「そやで」


「どういうことでしょうか? 灼然様は野丸様とカトリーヌ様は別としても私と桂花けいか様にしか見えないはずなのですが……」


「ん~~? この神社の境内に居るからなのか、それともカミヒト君の影響か……。どっちも特殊だからわからへんな」


「ちょっと! 私が喋ってるのよ! 何勝手に割り込んできてんのよ!」


「まあ、皆さん。少し落ち着きましょう」


 自分にも言い聞かせるように僕は皆に言った。目を合わせないようにチラリと人形の呪いに視線を向けると元の位置、巫女様から3メートル程空けた場所に立っていた。僕を睨んでおり、これ以上近づく気配はしなかったがめちゃくちゃ怖い。それでも始祖様のおかげでなんとか平静を保っていられる。


「私、お茶入れてきます」


 そう言うと天女ちゃんはキッチンに向かった。僕は割れた写身の宝鏡の事を思い出し、始祖様に返すために自室へと取りに行った。大広間へ戻ると皆で小さいテーブルを囲む。僕の対面には始祖様が居る。


「改めまして、野丸のまる嘉彌仁かみひとです。始祖様、先程はありがとうございました。それから宝鏡のおかげで難を逃れることが出来ました。こちら返却したいと思います」


「灼然でええよ。宝鏡はちゃんとお役目を果たしたみたいやなあ」


「零源家の大事な家宝ですのに申し訳ありません。一応、それに僕の力を込めてみたのですが……」


 水晶さによると神正氣と灼然さんの力があれば元に戻るかもしれないという話だった。


「ふむ?」


 灼然さんは桐の箱から宝鏡を取り出し、しげしげ眺め感嘆の声を漏らした。


「はあ~、神性な気が充満しとるわ。これなら直せるかもしれへんな」


「へえ~、それ神器でしょ。すごいわねえ。直ったら私が貰ってあげるわ」


「堪忍してや、聖女のお嬢ちゃん。これ作るのに苦労したんや。昔、とある神さんの力を借りて奇跡的にできた産物なんや」


「直るかもしれないなら良かったです。あの、灼然さん、この後お時間ありますか? 色々とお伺いしたいことがあるのですが……」


「……僕もカミヒト君とは二人っきりで話したいと思ってたんよ。ただこの場だと差し障りのある話やし、僕はこの後用があるしなあ」


「……そうですか。ではまた後日お願いします」


「せやね。じゃあ僕はそろそろお暇させてもらうわ」


「もう帰るんですか?」


「これでも僕忙しいねん。日本中飛び回ってるんやで」


「そうでしたか」


「あの、灼然様……」


「五八千子ちゃん」


 灼然さんは巫女様の頭にポンと手を置き、まるで親が子供を慈しむように撫でる。灼然さんの顔は慈愛で満ちていた。


「ほんま良かった……。これなら成人まで生きられそうやな。もしかしたら五八千子ちゃんの子供の顔も見られるかもしれへんな。カミヒト君、ありがとなあ……」


「成人までとは言わず、巫女様が天寿を全うできるように頑張るつもりですよ」


「くっくっく。それは心強いわ」


「ちょっと! 私だってイヤチコの呪いに一役買ってるのよ! だから感謝しなさい、そして神器よこしなさい!」


「ホンマなん?」


「はい、カトリーヌ様には体を癒やしていただきました」


「そっかあ……。でもコレはやれへんな。だから借り一つってことでお願いするわ」


「仕方ないわね。私の貸しは大きいわよ?」


「あの、灼然さん、安易に約束しないほうが……」


「もしかして聖女のお嬢ちゃん、エグいん? まあでも、しょうがないわ。じゃあ僕はそろそろこの辺で…………」


「どうかしました?」


 灼然さんがテーブルの水晶さんをジッと見ていた。


「いや、なんだか懐かしい気配がしてなあ。でも気のせいやね。じゃあ皆さん、さいなら」


 灼然さんはスゥーッと上昇し天井を抜けていった。すごく人間臭かったけど、やっぱり幽霊なんだな。でも悪い人ではなかった。神正氣の素をたくさんくれたし。


「いけ好かない男だったわね!」


 灼然さんが帰ってからしばらくは雑談、というかカトリーヌさんが一人で喋りまくって、僕たちはそれに相槌を打っていた。おじさんはカトリーヌさんの事を聞きたがっているような雰囲気だったが何も聞かれなかった。


「じゃあ、俺たちもそろそろ」


 おじさん達も帰るようなので、僕たちは見送りのため黒い高級車の前まで来た。


「ああ、しまった。サエ様に挨拶するのを忘れた」


「サエ様は御神木の上で昼寝していると思うので挨拶は不要ですよ」


 多分クロイモちゃんも一緒にいるはずだ。サエ様は御神木が気に入って、大抵はそこにいる。


「そうか。なら今度でいいか。野丸、カトリーヌさん、五八千子ちゃんの事、本当にありがとう。感謝してもしきれない」


 おじさんは深く頭を下げた。最近おじさんには感謝されまくってる気がする。


「野丸様、カトリーヌ様、本当にありがとうございます。私の命がある内に、このご恩はきっとどんな事があってもお返しします」


「そこまで大げさに考えなくてもいいですよ。それにあの里芋を得られたのは偶然といいご縁の賜物ですから」


「じゃあ、カミヒトの分の恩も私が受け取っておくわ」


「ちょっと、空気読んでくださいよ……」


「ふふふ。野丸様、一つ、お願いしてもよろしいでしょうか?」


 モジモジと少し照れているような表情で巫女様は尋ねた。


「ええ、何でしょうか?」


「私のことは巫女様ではなく、五八千子とお呼び下さい。それからもう少しくだけた感じで対応してくださると……」


「わかりました。五八千子ちゃん、でいいですか?」


「はい!」


 控えめに喜ぶ姿がいじらしい。天女ちゃんや破魔子ちゃんのように表情豊かな女の子もいいが、巫女様のように可憐で控えめな感じもいいものですよ。

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