第16話 煮っころがし
3月も終わりに近いが、今年の桜の開花は例年より遅くなるようで、満開は一週間後になる予定だ。ちょうど天女ちゃんの妖聖学園の入学式の日だ。
僕は先日、新卒から務めていた会社を辞めた。辞めるにあたって特に問題はなかったが、強いて言うなら聖女様がうるさかったことくらいか。水晶さんから解放され霊体であるが為、ある程度自由に飛び回れるのだが、それでも水晶さんから離れられる距離に制限があるようだった。そのせいか仕事中は社内に留まることも多く、こちらの事情などお構いなしに話しかけるもんだから邪魔でしょうがなかった。
一つ印象に残ったのが、自称霊感のある経理部の小林さんが聖女様が近くを通った時、「ハッ! 霊の存在を感じるわ……」と漏らしていた事だ。ただの変わり者だと思っていたが本物のようだった。疑ってすみません。
まあ、そんな訳でもう会社員ではなくなったので神主業に専念できる事となった。不安がないと言えば嘘になるが、毎朝早起きしなくてもいいし、満員電車に揺られる事も無くなったので嬉しさのほうが上か。神様としての自覚も少しづつ出てきたおかげか、こちらの業界のお仕事にやりがいも感じ始めている。おまけに報酬もいいときたもんだ。
先週の初めての依頼は当初の成功報酬は500万円だったが、一つ目猿というイレギュラーが本来の守り神であるサエ様と入れ替わって居たので、難易度や危険度が大幅に上がり、それに合わせて報酬も上がる事になった。この事を破魔子ちゃんに伝えたら、なんと、「私はいらないので二人で分けて下さい。その代わりパトロンとしての務めをしっかり果たして下さいね」と言う返答が来た。
一つ目猿を倒したのはほとんど破魔子ちゃんだし流石にそれは出来ないと言ったのだが、自分は大層な力をもらったのだからいらないの一点張りで、仕方がないから僕と天女ちゃんで分けることにした。
しかし、天女ちゃんもいらないと言い出した。自分は役に立たなかったのだからという理由だ。とはいえ丸々僕が貰う訳にはいかないので、いくらかは天女ちゃんが独り立ちする時のために貯金をすることにした。妖怪の口座はどうやって作ったらいいのか分からないので、こちらは湿原さんにお願いした。
サエ様はしばらく超越神社で預かる予定だ。オセ村の近くにいい候補の神社がないので、探さないといけないのだ。サエ様を祀っていた廃村になったオセ村の近くにいくつも村はある。だがどれも半分限界集落だ。その村の神社に移ったとしてもまたすぐ移動する羽目に成りそうなので、サエ様の意見も聞き、別の地域の神社を探す事となった。
それから旅館近くの心霊スポットについておじさんに聞いてみたら、こちらの怪異については霊管の方で把握していた。というか公衆電話とミイラの女は霊管が用意したギミックだという。なんでもあの顔のおっさんは聖女様に言う通り、あの地に縁の深い怪異であるから、倒しても一定期間経つと復活してしまうのだとか。そういうケガレは厄介で浄化できる人間は極端に少ないので、ああいったワザと人を怖がらせるギミックを用意して人よけをするのだという。
しかしミイラは流石にやり過ぎではないかとクレームを入れた。だって追いかけられた時、足が滑って階段から転げ落ちそうになったし。だがおじさんはアレくらいでないと意味がないのだと言った。それにアソコまで進んだのはお前が初めてだ、他の連中は公衆電話で皆引き返すとも言われた。まあ、そうりゃそうだろうなあ。
顔のおっさんを倒し、二度と復活できないように浄化した事を言ったら酷く喜んでいた。こちらも確認してから報酬が出るらしい。やったね。
旅館の男の霊が出る部屋も、やはり霊管がそこに泊まるように仕組んだことだった。事前に言わなかったのは大した霊じゃ無かったからだそうだ。でも次からは必ず伝えるように入念に言っておいた。そもそも曰く付きの部屋に案内してほしくないのだが。
水晶さんによるとあの部屋は悪いモノが溜まりやすい場所で、その所為で破魔子ちゃんと天女ちゃんに擬態した顔のおっさんの使者が訪れたのではないかと。そんな訳で破魔子ちゃんから御札をもらって、水晶さん監修の元、宿の女将さんに許可をもらい、悪いものが溜まりにくいようにお部屋に神正氣を込めた御札を貼り付けたのである。女将さんはとても喜んでくれた。
先週の出来事がこんな感じであり、今現在僕は何をしているかと言うと里芋の煮っころがしを作っている最中である。
なぜ里芋の煮っころがしを作っているのかと言えば、シュウ君からもらった“伝説のさといも”の株を庭の片隅に植えた所、短期間で美味しそうな里芋が育ったので、それを今朝掘り起こすとなんと、一つだけ光り輝く里芋があったのだ。そうだ、“伝説のさといも”が一つだけあったのだ。
聖女様は目ざとく、僕が“伝説のさといも”を掘るとすぐに来て「よこせ!」とのたまった。勿論断固として拒否した。これは僕がシュウくんから貰ったものだからだ。
しかし、“伝説のさといも”は生物であるからどれほど長期保存できるか分からない。せっかくレアアイテムを持っていても腐らせてしまっては勿体ない。どうにか使い道は無いものかと悩んでいたら、水晶さんから提案があった。
『五八千子様の呪いを遠ざけられるかもしれません』
白霊貴族の冥氣を弾くことが出来たのだから、他の呪いにも有効かもしれないというのだ。これにはカトリーヌさんも同じ意見だった。
「呪いそのものはどうにもならないけど、呪いの悪影響を遮断する事は出来るかも知れないわね。“伝説のさといも”の効力が効いている内はだけど」
プロフェッショナル二人が言うのだから可能性は高そうなので、早速おじさんに電話したら今日の予定全てキャンセルしてすぐに巫女様を連れて行くと返事があった。
そういう訳で巫女様に“伝説のさといも”をお出しする為、煮っころがしを作っている。熱を加えたら“伝説のさといも”の効力が無くなってしまうかもしれないと言う懸念があったが、それを聖女様に言ったら、「2百年前はちゃんと調理していたはずよ」と言う回答が得られたので、遠慮なく炒めて煮込めるのだ。
一緒に作った普通の里芋の煮っころがしを食べていると、チャイムが鳴った。ちょうど約束の時間通りだ。玄関まで行き、巫女様とおじさんを迎えた。巫女様の様子は前回会った時と比べると、幾分が血色がよく介助もなく自分の足で立っている。一通り挨拶を済ませ、大広間まで案内した。
巫女様には24畳の和室の中央にあるちっこいテーブルの前に座っていただいた。
「質素で申し訳ありません。家具はこれから揃える予定で」
「いいえ、お気になさらないで下さい。お招き頂いただけでもありがたい事でございますから。それにしても叔父様の言う通り、この神社はとても清らかな気が流れていますね」
「そう言えば、前回は境内には入らなかったんでしたっけ」
巫女様の周りには相変わらず呪いが纏わり付いている。墨絵のような立体感のない動物型の呪い達は、彼女の周りを楽しげに悪意を振り撒きながら踊っている。人形の黒い靄でできた呪いは彼女の肩に手を置き、ピタリと背後に憑いている。
これらの呪いは超越神社の結界で入ってくる事はできないが、今回はあえて呪いを通した。この呪いは極めて強力で、結界で弾いてしまうと怒り狂って周囲に多大な悪影響を及ぼす危険性がある。更に巫女様にもより攻撃的になる恐れもある。よってあまり刺激しないようにした方がいいと言う水晶さんの助言に従った。
「お茶をお持ちしました」
天女ちゃんが人数分のお茶を入れて持ってきてくれた。
「ありがとうございます。お噂通り、とても美しいお方ですね」
「ありがとうございます! 私は妖怪とんでもない美少女の蓬莱天女と申します。巫女様も儚げでとっても可愛いです! まさに大和撫子です!」
「まあ、ふふふ。私は零源五八千子と申します。破魔子ちゃんの言っていた通りですね」
「破魔子ちゃんを知っているんですか?」
「はい、幼馴染です」
巫女様と天女ちゃんは今日初対面であるがにこやかに会話をしている。この分だと仲良くなれそうだ。もし巫女様の呪いを遠ざける事ができれば、彼女は妖聖学園に通えるかもしれない。そうなれば彼女たちは同級生になるのだから、お互い友達になるのはいいことではないか。
「ふーん。見れば見るほど厄介な呪いねえ……」
僕が作った普通の煮っころがしを食べながら聖女様は言った。ちょっと聖女様、おじさんと巫女様の前には出ないように言ったじゃない……。
「野丸、何だこの霊は?」
おじさんが巫女様を守るように聖女様の前に出る。
「叔父様、この方はとても徳の高い方のように存じ上げます」
「ふふん、そっちの娘はよくわかっているじゃない」
「はあ……。カトリーヌさん、出てこないように言いましたよね?」
「別に約束してないけど?」
「野丸、説明を」
「よく聞きなさい野暮男! 私こそが“伝説の聖女”カトリーヌ様よ! さあ、敬うがいいわ!」
何いってんだコイツみたいな目をしておじさんは僕に視線を向けた。
「詳しくは今は聞かないで頂けると……。悪い人ではないので安心して下さい。それに実を言いますと、巫女様の体を癒やしたのは僕ではなくカトリーヌさんです」
「そうよ! 私が治したのよ!」
巫女様とおじさんは大層驚いた顔をして、聖女様を見た。
「そ、それは失礼を致しました! 先程のご無礼をお許しください」
「カトリーヌ様、その節は大変ありがとうございました。なんとお礼を申せばいいのか……」
「ま、わかればいいのよ」
二人共最大限の敬意を表して聖女様にお礼を述べた。対する聖女様は煮っころがしを食べている。この聖女様、驚いたことに霊体でも食べ物を食べる事ができるらしい。霊体だから栄養にはならないようだが、カロリーも摂取されない為、無限に食べられるみたいだ。おかげで僕はお菓子を大量に買わされた。
カトリーヌさんというか異世界のことはいずれおじさんには話すつもりだった。おじさんの事は信頼しているし、異世界の事情を話した方が僕が日本にいない時、何かと融通を効かせてくれるだろうから。信じられないようなら異世界に連れて行ってもいい。
「そういうわけだから、イヤチコには私の手伝いをして貰うわよ」
「お手伝いですか……? カトリーヌ様には一時とはいえ、体を癒やしていただきましたので、出来得る限りご恩に報いたいとは思っていますが、何分このような体ですので……」
「その原因の呪いをどうにかする為に今日あんた達は来たんでしょ。カミヒト、早くアレ持ってきなさいよ」
いつの間に仕切りだした聖女様にせっつかれ、僕はキッチンから“伝説のさといも”の煮っころがしを持ってきた。自分でも中々美味しく味付けできたと思う。巫女様が気に入ってくれるといいな。
「どうぞ」
「……これは?」
「里芋の煮っころがしです」
「なかなか美味しいわよ!」
巫女様とおじさんは目が点になっていた。




