第10話 一つ目ましら
「か、カミヒトさん!? クロイモちゃん!?」
「分断されたようですね! 天女ちゃん、私から離れないで下さい! ここはもう奴等の領域です!」
突然の事に狼狽する天女とは対照的に、破魔子はカミヒトが突然消えたことは一つ目の猿達の仕業だと仮定し、カミヒトという戦力を除外して自身の力だけでこの局面を打開すべく直ぐ様行動に移した。
「いくよ、キュウちゃん! 霊威武装!」
「きゅう!」
破魔子が呼びかけると動物型の分霊が左手に乗り、まるで流体する金属のように形態を変え、一本の半月を描く黒色の和弓となった。
右手で作った霊力の矢を和弓に番え、近くの猿の大きな目を狙い矢を射った。矢は猿の目に命中し、猿は悶絶するように転げ回った。牽制のつもりで放った一矢だったが、他の猿達に動じた様子はなく、むしろ活きのいい獲物を見つけたようによだれを垂らす。
破魔子は内心で舌打ちをした。破魔子の武器は弓であり近接攻撃には向いていない。十分な距離を取れず30匹以上の一つ目の猿に囲まれ、さらに天女を庇いながら戦うことは不可能だ。破魔子は天女を連れて逃げることを選択した。カミヒトの安否にまで気を回す余裕はなかった。
幸い、猿達が塞いでいる神社へ続く石畳を下り鳥居を超えれば、そこは村の守り神の加護が届く場所だ。そこまでの距離は短い。
「……天女ちゃん、聞いて下さい。コイツら全部相手取ることはできません。私が神社までの道を切り開きますから逃げて下さい」
天女にそっと耳打ちをする。
「へ? 戦わないんですか? 私も戦えますよ!」
拳を突き出した天女はどうみても強そうには見えなかった。彼女は美少女であるだけの妖怪のはずだ。戦う力などあるわけがない。
「天女ちゃん、冗談を言っている場合ではないですよ?」
「キキキ!」
正面の5匹の猿達が同時に彼女たちに襲いかかる。大きさは普通の猿であるが腕力はかなり強く、普通の少女であれば一撃で瀕死となるだろう。破魔子は5本同時に矢を番え、目をめがけ射つ。命中したのは2匹だけで、3匹はすんでの所で躱した。
「キキキ!」
後ろからも猿達が5匹、天女を狙って跳躍した。破魔子は慌てて矢を作るが間に合わない。逃げて! と叫んだが天女は足を肩幅に開き両肘を引いて構え、悠然と佇んでいる。
「スキル! 剛力無双! えい!!」
「ギャッ!?」
天女の拳は猿の腹にめり込み彼方まで吹き飛ばした。
弾丸のごとく飛んでいった仲間を見た残りの猿達は慌てて引き返そうとしたが、空中では避けることも留まることもできず、安易に飛んで襲いかかった事を後悔しながら天女の拳の餌食となった。
一つ目の猿達は天女の拳が見えず、彼女が何かをしたという事しか理解出来なかった。舐めてかかった猿達はここで初めて警戒をし距離を取る。
天女の怪力を間近で見た破魔子はポカンとしていたが、口の端をあげ不敵な笑みをこぼした。
「天女ちゃん戦えたんですね。いいですね! 腰の入ったいいパンチでしたよ!」
「はい! 霊感の人達にパンチのやり方を教わりました!」
「後ろは任せてもいいですか?」
「了解です!」
破魔子は無数の矢を生成し、前方の猿達に向かって連射した。大量の矢を連射すれば威力、命中率は落ちるが、素早く複数いる猿達を後退させることは出来る。その隙に逃げる。天女が望外に戦える事は幸運ではあったが、それでも破魔子の撤退の意志は揺らがなかった。
破魔子の力は退魔師の中では可もなく不可もなくと言ったそこそこ強い程度であり、自身もその事を強く自覚していたのでいつも仕事は慎重であった。動ける猿がまだ20匹以上いて、山の中という猿どもにとって有利であり自分達には不利な地形である。天女が居ても過信はできない。
破魔子の矢の雨に猿達は大きく後退した。
「今です! 神社まで駆け抜けますよ!」
破魔子と天女は石段を一目散に駆け下りた。石段は落ち葉や苔で滑りやすく、何度も転びそうになりながらも鳥居を越えて境内に入った。
「ふぅ~。どうにか逃げ切れましたね」
「カミヒトさん、大丈夫でしょうか?」
「恐らく別の場所に飛ばされたのだと思います。野丸さんほどの力があれば無事だとは思いますが……」
カミヒトの安否を気にしながらも安全地帯に逃げ込めたことに、ほっと一息安堵のため息をつく。すると目の前に村の守り神が現れた。
「おやおや、どうなされた? 男の方は?」
「野丸さんはおそらく猿どもに拉致されました。申し訳ありません。討伐失敗しました」
「ふむ……。囚えたのは男だけか。使えぬ奴らよの」
「え……? 神様?」
「……どういうことですか?」
破魔子は咄嗟に和弓を構え、矢の照準を自称神に定めた。嫌な予感がする。
「まあよい。逃げる獲物を狩るのも一興であるからな」
境内の周りの木々がざわめき、一つ目の猿達が一斉に姿を現した。その数は優に百を超えている。
「……っ!」
破魔子と天女は思わず息を呑んだ。状況が思った以上に悪いことを理解し、バクバクと心臓の鼓動が早くなる。
「……騙したんですね!?」
「キキキ! 間抜けよなあ。儂を訪れる人間共も皆、騙されおったわ。それだけ儂の擬態が上手いということじゃな。愉快愉快!」
好々爺然とした神に擬態したモノは姿を変える。それは白き体毛の体の小さな一つ目の猿になった。
「儂は一つ目猿。古の物の怪よ。人間に追われ、力を失った。人目を忍び、ここまで群れが育つまで長き時を要した。じゃが、もう忍ぶ必要はない。お前たち、人間の肉は初めてじゃろう。乙女の肉は柔く旨いぞ」
猿達が一斉に騒ぎ出した。食欲を抑えられないといった様子で今にも二人に飛びかかろうとしている。破魔子は矢を射った。矢は群れのボスである白き猿を穿つ。猿は後ろにバタリと倒れ黒い霧となって消えた。
「無駄よ無駄よ。儂は群れそのものじゃて。群れの猿全てを殺さねば儂は死なぬ」
頭上の差し出た枝の上、一匹の猿が言った。
「一匹は儂が食らう。もう一匹は早いもの勝ちじゃ。さあ、お前たち喰らえ喰らえ、人の肉は旨いぞ。若い男の肉は引き締まって歯ごたえがある。稚児を丸呑みにするのも贅沢じゃ。病に侵された老人の臓腑もクセになる。じゃがどんな人間でも脳みそは至上の美味じゃ!」
樹上の猿達が破魔子と天女を喰らわんと一斉に襲いかかる。破魔子は懐から呪符を出し、結界を展開した。猿達は見えない壁にぶつかり、それ以上彼女たちに近づけなかった。
「結界の呪符を持ってきてよかった……」
「必殺! ダイナミックパーンチ!!」
天女は結界ごと正面の猿達に正拳突きを打つと、爆撃音のような轟音が空気を震わせ、十数体の猿の体がバラバラに千切れ吹き飛んだ。
「わーお……。結界が壊れちゃった。まあ、長持ちしないからいいんですけど。天女ちゃん、次は一声かけてからパンチして下さいね」
「あ、ごめんなさい……」
「正面から攻めるのは厳しいかのう。お前たちよ、頭を使え」
群れの長の号令を受け、猿達は二人の前から姿を消した。破魔子は弓を構えながら、ここからどうやって逃げるか思考をフル回転させる。
しばらくしてから一匹の猿は片手に石を持ち、破魔子の背後の茂みに潜んだ。弓を構えている彼女めがけて石を投げた。
「あぶない!」
天女が破魔子に覆いかぶさると、鈍く重い音がした。天女の背中に直撃した石は、成人男性がやっとのことで持てるほどの大きさと重さで、猿はそれを片手で難なく投擲したのである。
最初の一石を皮切りに、四方八方から石の弾丸が二人をめがけ放たれる。破魔子は慌てて次の結界の呪符を展開した。
「天女ちゃん! 大丈夫ですか!?」
「はい。私、スキルを使っているときは体も頑丈になるんです。あれくらい何ともありません」
天女の言葉に安堵のため息を漏らす。しかし、状況は最悪だ。結界に間断なく打ち付けられる石の雨は止まる様子はない。
「天女ちゃん、結界はもうすぐ切れます。そして結界の呪符はあと一枚しかありません……」
生身でアレに当たれば致命傷は免れない。絶望に近い状況に破魔子は焦りを隠せなくなっていた。
「逃げましょう! きっとカミヒトさんが助けに来てくれます! それまで逃げ続けるんです! ほらこっちからは石が飛んで来ないですよ!」
天女が指し示した先からは確かに石は飛んでこない。しかしそちらは山の奥深くへと続く方角であり、猿達が誘導しようとしているのは明らかだった。
破魔子は思案した。恐らくカミヒトに万が一の事が起きた時のために、近くに霊管の職員がいるはずだ。彼らが来るまでここに留まるか、それとも罠と分かっている方向に逃げるか。どちらを選べば生存率が上がるか。結界の効力はもうすぐ切れる。天女の顔にも疲労が浮かんでおり、行動に移すなら早い方がいい。しかし、結論が出ない。
「破魔子ちゃん、逃げましょう! 大丈夫、きっとカミヒトさんが助けに来てくれます! 水晶さんもいますから、出来るだけ時間を稼ぎましょう!」
破魔子は今日あったばかりの、弱そうだが気の良さそうな青年を思い浮かべた。彼の実力はまだわからない。しかし先程見た結界と猿を一撃で葬った攻撃は見事だった。それに五八千子も太鼓判を押している。破魔子は決断した。
「分かりました。天女ちゃんの信じる野丸さんを信じましょう。いいですか、いっせーのせで結界を解除しますから、石が飛んでこない方向に逃げますよ!」
「はい!」
破魔子は作れるだけ霊気の矢を作った。
「行きますよ! いっせーの、せ!」
結界を解除したと同時に破魔子は矢をデタラメに射った。命中率は考えず量を重視して乱射した。更に一本、空に高く狼煙の矢を放つ。矢はパンパンと大きな音を出し黙々と煙を上げた。
破魔子と天女は脇目も振らず走った。慣れない山の中を木の間を縫いながら、根に突っかかって何度も転びながらも必死に逃げた。後ろの猿達はキーキーと愉悦の声をあげながら追いかけてくる。時折、破魔子の矢で牽制するがほとんど効果はない。それでも素早い猿達に捕まらないのは、彼らが狩りごっこを楽しんでいるためだろう。猿達の嗜虐性が高い事は、時間を稼ぎたい今の彼女たちにとっては不幸中の幸いであった。
どれくらい走っただろうか。足がガクガクしてそろそろ限界に近い頃、一際拓けた場所に出た。木が乱雑に引っこ抜かれた跡があり、土がデコボコとしている。破魔子と天女は足を止めゼイゼイと息をつく。後ろに猿達は居なかった。
「……お猿さん達、居なくなりましたね。ここって人の土地なんでしょうか?」
畑にしては荒れ過ぎているが、かといって自然に出来たという訳でもなさそうだった。明らかに何モノかの手が加わっている。
「野丸さんはまだでしょうか? もう限界だよお……」
いつまで経ってもカミヒトも霊管も助けに来てくれず、体力も限界で破魔子は泣き出したかった。
「キキ!」
二人はハッとして鳴き声のする方を見れば、大勢の猿達が山の中からこちらを見ていた。その数は2百か3百か。群れはまだ居たのだ。破魔子と天女は絶望に顔をゆがめる。
破魔子はふと違和感を覚えた。大勢の猿達に気を取られ、更に雲の厚い曇天ということもあって、大きな影が差していた事に気が付かなかったのだ。影は後ろから差している。破魔子は振り向きたく無かった。より状況が悪化している事は明白だが、自身の目で見てハッキリ確認することはしたくなかった。それでも確認しないという選択はない。破魔子と天女はゆっくりと振り向いた。
「……ヒッ!」
どちらからか悲鳴が漏れた。振り向いた二人の前にいたのは巨大な一つ目猿だった。片手で簡単に人間を握り潰せてしまいそうな巨大な猿。破魔子と天女は恐怖のあまり力が抜けペタンと地面に座った。
恐怖に慄く彼女たちを見て巨大な猿の大きな一つ目は三日月のように歪んだ。猿は手を伸ばし破魔子を掴もうとする。
「……っ!」
破魔子は咄嗟に最後の結界の呪符を展開したが、猿はそれを難なく握り潰し破魔子を捕まえた。
「キキキ! どうじゃ儂の最高傑作は。ここまで育てるのに苦労した」
巨大な猿が喋った。破魔子は巨大な猿の目の高さまで持ち上げられ、舐め回すように見られる。猿の口から大量の涎が溢れ出た。
「ああ~、久しぶりの人間じゃあ。旨そうじゃのう、旨そうじゃのう」
「きゅうきゅうきゅう!」
破魔子の動物型の分霊は主人を守ろうと巨大な手に噛み付いたが、猿は全く意に介さない。ここで一匹の猿が巨大猿の肩に乗り、耳元でキキキと囁いた。
「……何? 男が突然消えた? あの社の近くで? まさかあの小娘が……。いや、しかしそんな力はもう残っていないはず。ふむ、一応確認しておこうかのう。だがその前に……」
一人呟いていた猿の目が破魔子を捉えた。口からは更に涎が垂れた。破魔子はガチガチと震え、目には大粒の涙を湛えている。
破魔子は退魔師として13の頃から活動していたが、今まで危険な目にあったことはない。悪霊や物の怪を退治するときは、必ず自分より強い親族の者が付き添っていたからだ。本家の娘であり、まだ年若い少女に過ぎないので常に安全地帯にいたのだ。今日も自身に危険が及ぶなどとは考えていなかった。だが今は化け物に食べられようとしている。
「馳走を前に我慢などできん。さあ、どう喰らうてやろうか。久方の人間の肉じゃ。ゆっくり楽しむとするかのう」
破魔子は声を出せず、イヤイヤと首を振る事しか出来ない。そんな破魔子を見て猿は食欲を抑えることが出来なくなった。
「あっ、あっ、ダメじゃダメじゃ……。ゆっくり味わいたいのに、足からボリボリ喰ろうて悲鳴を聞きながら味わいたいのに、我慢できん……」
巨大な猿は大きな口を開けて、破魔子を一口で貪ろうとした。




