第9話 オシラキ様とケガレ
一つ目の悪い猿たちを迎え撃つために向かったお堂は古臭かった。
お堂と言うよりはあばら家で、今にも崩れ落ちそうな外観だ。中の床はすでに朽ちていて土がむき出しだった。これならば土足で入っても構わないだろう。中は暗くいいようのない不気味さがあった。持ってきたライトを点ける。
お堂の中は居心地が悪かった。恐らく昔は村人をここに置いて、猿の供物にしたのだろう。つまり生贄だ。そんな場所だから気持ち悪くなるのは当然だ。
僕たち3人はお堂の真ん中に陣取り、一つ目の猿に備える。
「何なんでしょうね、泣き声の正体って。神様の様子は尋常ではありませんでしたから、きっと相当厄介なものなんでしょう」
「カミヒトさん、今も聞こえるんですか?」
「いや、今は聞こえないよ」
「神様の言う通り無視するのが一番でしょう。こういうのは考えるだけで縁が出来ることがありますから」
「そうだね。そうするよ」
「それにしてもよくすんなり理由を話してくれましたね? 今まで何度も霊管が訪ねても教えてくれなかったのに」
「それはカミヒトさんが、か、か……、カミヒトさんだからです!」
天女ちゃん、いま神様だからって言おうとしたな。彼女には僕が神であることは口止めしてある。誰にも信じてもらえないだろうし、変な奴だとは思われたくないからだ。
「? よくわかりませんけど、ヤチコちゃんが救世主だと言うんですから、野丸さんは特別なんでしょうね」
「は、はい! そうなんです!」
実際はどうなんだろう? おじいちゃんの神様が心を開いてくれたのは僕が同じ神であるからだろうか。
「あ゛あ゛あ゛あ゛」
「きゅう」
クロイモちゃんは天女ちゃんに抱きしめられていて、キュウちゃんは破魔子ちゃんの頭の上で寛いでいる。一つ目の猿がいつ来るかわからないし、クロイモちゃん達の本体の事を聞いてみようか。
「破魔子ちゃん、『オシラキ様』について、もうちょっと詳しく聞いてもいいかな?」
「一般に知られている事実なら構いませんよ」
「私もクロイモちゃんのお母さんの事聞きたいです」
「分かりました。では菩薩院家が祀るオシラキ様のすごさを教えて差し上げましょう。ええ、野丸さんも天女ちゃんも私の話を聞けばきっと、オシラキ様やそれを奉ずる菩薩院家に尊敬の念を抱くことでしょう」
「きゅきゅう!」
「太古より日本の歴史はケガレとの戦いの歴史でもありました。ケガレというのは自然から発生するものであり、また人間の負の感情から生ずるものでもあります。
ケガレは人間を害する魑魅魍魎を生んだり、不可解な現象を起こしたり、呪いの原動力となって私達に牙を剥くのです。
そのケガレを浄化し自然の巡りへと戻すのがオシラキ様です。それも村単位街単位なんてチャチな範囲ではありませんよ。ほぼ日本全土です。オシラキ様はずっと昔から日本中のケガレを浄化しているのです!」
「へぇ~」
「すごいんですね! クロイモちゃんのお母さんは!」
「あ゛っあ゛っあ゛っ」
「むっ! なんですか野丸さん、その反応は」
「いや、スケールが大きいから圧倒されちゃって」
「……まあいいでしょう。そういう訳ですのでオシラキ様は日本の歴史の裏の立役者なのですよ。そしてオシラキ様の手となり足となり、日本の安寧のために尽力してきた菩薩院家もまた然るべきなのです!」
「……菩薩院家ってすごいんだね」
「フッ……。まあ、それほどでもありますが」
破魔子ちゃんは得意顔でドヤっていたが、急に暗い顔をして俯いた。
「しかし、オシラキ様にも限界が近づいています……。最近ではケガレが多くなり、その性質も厄介になっています。オシラキ様の力を持ってしても浄化しきれずどんどん内に溜まり、その影響がコシラキ様にも及んでいるのです」
おじさんによるとこちらの業界の方々は怪異の対処にてんてこ舞いらしい。これもケガレが増えたせいだろうか?
「その影響というのは?」
「この色です」
破魔子ちゃんはキュウちゃんを指し示した。
「コシラキ様本来の色は黒では無いらしいのです。しかしケガレの影響で黒く変色しています。ケガレはオシラキ様本来の力を鈍らせるそうです。まあ、私のお父さんの代からコシラキ様は黒いので、私にとっては黒いコシラキ様が普通ですし、本来の力というのもよくわかりませんが」
「なるほど。でもなんでケガレが増えたんだろう?」
「主に人間の負の感情が増えたかららしいですよ。確かではありませんが、ひいお祖母様によると戦後の日本人の価値観や生活様式の変化が原因ではないかと言っています」
「というと?」
「野丸さんもご存知のように戦後日本人の生活はそれまでと大きく変わりました。高度経済成長を経て先進国の仲間入りを果たして豊かな国となりました。
それ自体は良い事なのですが、物があふれる様になると欲望の際限が無くなり、集団主義から個人主義に変わり自身の都合を優先させ過ぎるきらいがある人達が増えました。要は自分勝手な人達ですね。
さらに科学の発展や西洋文化の流入により神仏を信じる人がいなくなったのも原因ですね。ああ、それからゆとりのない生活でイライラしたりとか、鬱になったりとか、そんな事も関係しているみたいですね。まだ仮説ですけど」
ざっくりまとめると、国体が資本主義に移行して、西洋の価値観が融合して、忙しすぎる生活が原因でよくない感情が増えたってことかな。なんとなく納得はできるけど、僕たちが生まれた時からこのような時代だから、ケガレを減らす為ガラッと変えろと言われても無理だぞ。
「なかなか難しい問題だね」
「はい。この負の感情の量とバリエーションが増えたせいか、ケガレの性質自体も変わっているようですよ。なんだか粘っこくしつこくなっているみたいです」
「頑固な汚れになっちゃったんですね」
「そんな訳ですので、割と今の日本マズイんですよ。もしかしたら百鬼夜行が《《跋扈》》ばっこする混沌とした時代になってしまうかも」
……それは困るぞ。天女ちゃんとか無害な妖怪だったらいいけど、見た目が怖い悪霊とかが当たり前の世の中になったらめっちゃ困るぞ。
「そんな中でヤチコちゃんの予言の救世主様が現れたわけです」
「…………」
「……期待していいんですよね?」
「もちろんですとも!」
「あ゛~」
元気よく返事をしたのは天女ちゃんとクロイモちゃんでした。僕の方は期待されたくないんですけど……。
「……無理のない範囲で頑張ります」
「では野丸さんにお願いがあ……?」
破魔子ちゃんが何か言いかけた所で、突然例の泣き声がお堂の中に木霊した。今までよりもハッキリと聞こえ、そして嗚咽を漏らすような泣き方に変わっていた。破魔子ちゃんと天女ちゃんにも聞こえているようだ。
「……これは!?」
突然の事に僕たち3人は身構える。しかし異変はそれだけでなく、気づけばいつの間にか入り口に一つ目の猿がこちらを覗いていた。
「きっきっき」
大きな一つ目であること以外は普通の猿と変わらなかったが、僕たちを見る眼差しは獲物を前にした獣のようだ。
「きゅきゅきゅ!」
「え……? まずいです野丸さん! 囲まれています!」
破魔子ちゃんの言葉を受け、お堂全体に意識を向ければ、ゾクリと背中に悪寒が走った。僕は咄嗟に結界を張った。
それとほぼ同時にお堂が破壊され、全方位から無数の一つ目の猿達が僕たちを襲う。結界にベッタリと張り付いた猿達の目は血走っており、長い舌からはよだれがドロドロと流れていた。
「……っ!」
僕は腰が引けながらも、目の前の猿に向け破壊玉を放った。直撃した猿は上半身が蒸発し、地面に落ちた下半身は黒い霧となって霧散した。それを見た猿たちが結界から離れ、距離を取る。
「ふぅ……」
視界に収まるだけでも10匹はいるぞ。僕は猿達が全部で何匹いるのか把握するべく、360度見回した。全部で30匹以上はいそうだ。ふと視界の端に何かが映ったので、そちらに意識を割くと古びた社があった。場所は破壊されたお堂の裏側、幾重にもしめ縄のような物が巻かれ、乱雑に御札が貼られている。
するとその社に意識を奪われ視界が暗転した。咄嗟にしゃがみ地面に手をつくと、ひんやりと硬い感触がする。僕が立っていたのは土の上のはずだが……。
すぐに視界が戻り、前を見ると絶句した。辺りは闇に包まれ、視界に映るのは等間隔に並ぶ灯籠のぼんやりとした光と、それに照らされたデコボコの石畳、そしてその先の社殿らしき建物。
……これはあれだ、天女ちゃんや光の女神様に会った時と同じで、別空間に飛ばされてしまったようだ。まずいぞ……彼女たちと分断されてしまったか。
社殿らしき建物から例の泣き声が聞こえる。もしかして、一つ目の猿達と泣き声の主はグルなのだろうか?
懐の水晶さんがバイブった。
『ここは神域のようですね。しかし居るのは善い神とは限らないのでご注意下さい』
「あ゛あ゛あ゛」
クロイモちゃんはいつの間にか僕の背中にへばり付いていた。僕と一緒に飛ばされてしまったみたいだ。
この空間から出るには、社殿にいる泣き声の主と会わなければいけないのだろう。もしかしたら戦闘になるかも。だが破魔子ちゃん達がどれほど戦えるか分からないから、早く助けに行くために、すぐにでもこの空間から脱出しなければ。
僕は怖いが泣き声のする社殿へと早足で向かった。




