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第8話 守り神

 破魔子はまこちゃんがクロイモちゃんをコシラキ様と呼んだのが気になったが、そんなに時間に余裕もないので先にレンタカーを借りる手続きをした。後部座席は天女ちゃんと破魔子ちゃんが座り、助手席にはクロイモちゃんが背もたれにへばり付いている。全員乗ったのを確認してから車を走らせた。


「野丸さん、その“コシラキ様”はいつからお宅に?」


「えーと、一週間くらい前かな? 聖子さんが家に来た時、彼女にくっついていたんだけど、そのまま家に居着いてちゃって」


「やっぱり、お姉ちゃんに付いていた“コシラキ様”だ……。でもどうして野丸さんに? それにいままで敷地内から出なかったのに……」


 一人で呟く破魔子ちゃんは合点がいかない様子だったが、それ以上に僕は何がなんだか分からない。


「それで“コシラキ様”っていうのは?」


「ああ、“コシラキ様”は『オシラキ様』の分霊の事ですよ」


 んん? 全然分からないぞ……。


「オシラキ様って?」


「……ご存知ないんですか? 菩薩院で祀っている家霊の事ですが、有名ですよ?」


「名前は知らなかったなあ。すごいものを祀っているのは聞いてたけど」


「『オシラキ様』は菩薩院を守護する神ですので、本来ならば“コシラキ様”は血族の者にしか懐かないはずなんですが……」


「あ゛っあ゛っあ゛っ」


「……クロイモちゃん、連れて帰っちゃうんですか?」


「“コシラキ様”は主人と認めた者の側は決して離れません。物理的に離そうとしても無駄です。ですからその子はそのまま野丸さんが育てて下さい」


「菩薩院家の人達に怒られないかな」


「初めてのことなので何ともいえませんが、どの道“コシラキ様”を離す事はできませんから。それに私は菩薩院の血ではない人に付いた“コシラキ様”がどう育つのか興味があります」


「……育てるってどうすればいいの?」


 こういう霊的な存在って何かを食べるんだろうか? 葉っぱとかでいいのかな。


「野丸さんの霊力を吸って勝手に育ちますよ」


 ……大丈夫かな。霊力って異世界でいう魔力のような未知のパワー的な何かだと思うのだが、僕に流れているのは神正氣だ。神正氣を吸ったクロイモちゃんは何だかとんでもないものに育ちそうな気がする。


「ああ~良かった。これからもクロイモちゃんと一緒に入られるんですね」


「ちなみになんですが“コシラキ様”って名前を考えたのは私なんですよ。大人たちは皆、分霊分霊って呼んで全然可愛くないから、定例親族会議で“コシラキ様”を正式名称にするように提案したんですよ。そしたらロクに審議もされないまま却下されたんです! 酷いと思いませんか?」


「……そうだね」








 一時間ほど車を走らせ、時刻は正午に差し掛かろうとしている。山間部に入って久しく細い道をゆっくり進んだ。周りにはポツンポツンと空き家があり、この辺りからもう廃村らしい。件の廃社は近くの川の向こう側の山にある。山の中にも集落があったようだ。


 集落跡地に続く橋まで来て、近くの少し広いスペースに車を止めた。ここは予めおじさんから聞いており、車を止めても問題がないと言っていた。もしかしたら霊管の所有地なのかも知れない。橋は車が通れないのでここから先は徒歩で行く。


「廃社まではどれくらい歩くんです?」


「橋から40分くらい歩くらしいよ。距離自体は大した事ないけど山道だから思ったより時間が掛かるって」


「そうですか。では行きましょう。地図は持っているんですよね?」


「うん、貰ってきたよ」


 なにせ廃村な上に山の中であるから、当然地図アプリなんか役に立たない。それに獣道が多く道に迷いやすいから、おじさんが詳細な写真つきの地図をくれたのだ。


「では参りましょうか。その前に……。キュウちゃん!」


「きゅう!」


 破魔子ちゃんが何かを呼ぶと、どこから現れたのか、真っ黒い小動物が彼女の肩に降り立った。


「わあ~! なんですかこれ? とっても可愛い!」


 天女ちゃんの言う通り、色こそ黒いがとても愛らしい姿をしていた。イタチとカワウソのハイブリットのような可愛らしさ。つぶらな瞳がたまらない。


「ふっふっふ。この子が私の霊力を吸った“コシラキ様”、名前はキュウちゃんです! どうです、可愛いでしょ?」


「可愛いです! キュウちゃんって言うんですか? こんにちわ!」


「きゅう!」


 天女ちゃんの言うことを理解しているのか、挨拶を返すように鳴いた。それから天女ちゃんの肩の上に乗り愛想を振り撒いている。こんなに可愛くなるなら“コシラキ様”を育ててもいいかもな。クロイモちゃん、どうかキュウちゃんのように可愛く育っておくれ。


「あ゛~~」


「危険はないでしょうが、一応キュウちゃんを出しておきます。この辺り熊も出るみたいですから」


「もしかしてその子が戦うの?」


「そうですよ。可愛くても“コシラキ様”ですから」


「へえ~。どんな風に戦うんだろう?」


「フッ……。それは秘密ですよ。もしその時が来れば見せて差し上げます」


「可愛いだけじゃなく強いんですね! さすがキュウちゃんです!」


「きゅう!」


「さあ、準備は万全です。サクッと終わらせてしまいましょう!」


「おー!」


 二人はまるで遠足のようなテンションで橋を渡った。にぎやかな二人を連れてきて良かったな。だって目の前の山は、真っ昼間だと言うのに曇天ということも相まって非常に暗い。陰気な雰囲気が漂っている。こんな所、一人で来たら絶対に怖い。


 彼女たちの後に続き歩を進める。橋の下は清流。晴れていたらさぞかしきれいだったろう。短い橋を渡りきり前には山がある。


「山ですね」


「山ですね」


「山だね」


 集落があった形跡が欠片もない。少なくとも外から見ればただの山だ。本当にここに廃社があるのだろうか? 30年という時を経て完全に自然に還ってしまったのではないだろうか。


 山に沿ったアスファルトの道を少し歩くと、石段が見えてきた。


「ここから山の中に入れるみたいですよ!」


 おじさんから貰った地図を見たら、どうやらここが入り口らしい。ここからは地図を持っている僕が先頭を歩くことにした。石段は人ひとりしか通れない程の幅しかなく、苔がびっしりと付着しており落ち葉が積もっていたが、石段自体は頑丈だったためか、思いの外歩きやすかった。


 登り切ると開けた場所に出て、山の斜面に沿って石垣が連なっているのが見えた。その石垣の上には植林したのか杉や檜が天高く伸びている。数は少ないが中には倒壊している家屋や原型を留めている家屋もあった。山の中は高い木々に囲まれている所為で下まで日光が届きにくい上に、曇ということもあってかなり薄暗い。


「廃社は上の方にあるね。この石垣を縫って山を登っていくようだね」


「あまりいい道ではありませんね」


「頑張って登りましょう!」


 僕たちは廃社へ向かって山を登り始めた。破魔子ちゃんの言う通り、道の状態は悪く、中にはこれ本当に道なの?と言いたくなるような怪しいものまであった。しかしおじさんに貰った地図と、所々に打ってある神社までの標識に加え、目印に木に結んである派手な蛍光色の布のお陰で迷うこと無く進むことが出来た。


 半分ほど進んだ辺りだろうか、遠くから妙な音が聞こえる気がした。それまで僕の耳に届く音は、枯れ葉や枝を踏む自分達の足音と、後ろにいる破魔子ちゃんと天女ちゃんの話し声、川の流れる音、それから時折森の中から聞こえてくる鳥の鳴き声だけだった。


「あ゛~」


 あとクロイモちゃんのうめき声。


 耳を澄まして、その妙な音に集中するとゾクリと背中に鳥肌が立った。


 誰かがすすり泣いている……。


 そんな風に僕には聞こえた。しかしこんな山奥で? 僕たち以外に誰か来ているのか? まさか遭難者?


「……ねえ、なにか聞こえない?」


「特におかしな音は聞こえませんが」


「私にも聞こえませんが。どんな音なんですか? カミヒトさん」


「誰かのすすり泣きのような……」


「ん~……。聞こえませんね。気の所為じゃないですか?」


「私にも聞こえません。今も聞こえているんですか?」


「……今は聞こえなくなったけど」


「私達以外に人の気配はしませんから、浮遊霊か悪霊じゃないですか? そんなことより先を急ぎましょう」


 いや、そんなことでは済まないよ。悪霊とか怖いから勘弁してほしいんだけど。


「……それは放っといて大丈夫なの?」


「できれば成仏させたほうがいいですけど。質の悪い悪霊ならなおさらですね。でも今は依頼の途中ですし、ばったり出会ったら対処すればいいですよ。野丸さんなら楽勝ですよね?」


「まあ、たぶん……」


「なら問題ありません」


 気持ち悪さを感じながらも彼女の言う通り依頼が最優先なので、このまま廃社へ向かうことにする。気持ち悪いけど。


 廃社は集落から離れた所にあったらしく、集落跡地を抜けると完全な山道だった。整備されていない道を黙々と歩く。廃社に近づくにつれ、断続的に聞こえるすすり泣きの声がよりハッキリとした。声の質は年端も行かない少女のように思える。


 ……やっぱり気の所為ではない。


 しかしどこから声がするのか判然としない。前か後ろか右か左か、はたまた上か。キョロキョロと不安そうにしている僕を見て、破魔子ちゃんが声をかけた。


「……まだ聞こえるんですか?」


「うん……。さっきよりはっきりしてる」


「おかしいですね。ただの浮遊霊や悪霊の類なら私にも聞こえるはずなんですが……」


「あ、あれじゃないですか?」


 天女ちゃんが指し示す先に石造りの鳥居が見えた。地図と照らし合わせてみても、あれで間違いなさそうだ。鳥居は苔や汚れで侘びしく見えるが、それでもどっしりと構えている。鳥居の先には小さな社殿が見えた。泣き声はものすごく気になるが、とにかく今は任務に集中しよう。僕達は鳥居を越え、社殿へと進んだ。


「神様はどのようなお姿をしているのでしょうか?」


「人形くらいの大きさのおじいさんって聞いたけど」


 そういえば神様はどこにいるんだろう? 詳細な姿形は聞いたがどこにいるかは聞いていなかったな。社殿の中にいるのだろうか? しかしそんな疑問はすぐに消えた。なぜなら社殿の段にそれらしきおじいさんが普通に座っていたからだ。


「人間か。また来たのかのう」


 神様と思しきおじいさんは大きさは30センチ程でヨレヨレのみすぼらしい和服を着ている。禿頭に立派な白ひげを蓄えていて、肌はしわくちゃのシミだらけ。ニコニコと微笑みを湛えている。おじさんから聞いた通りだった。言っちゃ悪いが見た目は浮浪者のようだ。


「あの、おじいさんがこの神社の御祭神ですか?」


「そうじゃそうじゃ」


「突然お訪ねして申し訳ありません。今、お時間よろしいですか?」


「よいぞよいぞ」


 僕はリュックからおじさんから持たされたお神酒を取り出した。


「こちらお神酒です。お渡ししてもよろしいでしょうか?」


「苦しゅうないぞ」


 お神酒は一升瓶であるから神様よりも大きいが、それをヒョイと持ち上げた。心なしか嬉しそうだ。


「本日はご相談があって参りました。何度も申し訳ありませんが、他の神社に移って頂きたく存じます」


「それは無理な相談じゃな」


「理由を伺っても?」


「儂はよ、この村の守り神じゃからよ」


「しかしもう村は……」


「村がないのは知っとるでよ。じゃがよ、人間は他にもおろう? 儂がおらんと()()()が人里に降りるのでな」


「奴等?」


「悪い()()()()()よ。奴等は人を食らうでな。ここで防いでいるのじゃ」


「……もしかして、その悪い猿から人間を守って下さっているのですか?」


「そうじゃそうじゃ」


 何という事だ。このおじいちゃんの神様、村が無くなり、祀る者が居なくなっても独り人間を守るためにこの地に留まっているとは……。もしかして、とんでもなくいい神様なんじゃないか? さっきは浮浪者みたいだなんて言ってごめんなさい。


「その悪い猿を僕たちに退治させてくれませんか?」


 神様だけに負担を強いるわけにはいかない。それに依頼を達成するには討伐は必須。怖いが、異世界で経験を積んだ今ならどうとでもなるだろう。


「……ふむ」


 おじいちゃんの神様は考えだした。


「お前さんなら強そうだからいいじゃろ。じゃが気をつけなされ。猿は群れじゃ」


 どうやら猿は複数いるらしい。


「分かりました。それで猿はどこに?」


「ついて来なされ」


 おじいちゃんの神様は社殿の裏に回った。裏には鳥居がもう一つあり、その先は石段が上に続いていた。


「この上に古いお堂があってな。そこは忌まわしき因習の名残じゃて。その中に居れば自然と猿たちがよってこよう」


「わかりました。天女ちゃん達はどうする? 勝手に決めちゃったのは僕だし、怖かったらここに残っててもいいけど」


「行きますよ。これでも菩薩院本家の娘ですから」


「私も行きます! お役に立ちますよ!」


「あ゛~」


 良かった。ついて来てくれるようだ。本音を言えば一人だと心細かったんだ。


「気をつけなされ。この鳥居が村の境じゃ。そこから先は儂の力は及ばんでな」


「はい。気をつけます。ああ、そうだ。神様、ここへ来る途中、すすり泣きのような声がどこからか聞こえてきたんですけど、何かご存知ではないですか? 鳥居を越えてからパッタリと止んだんですが」


 僕としては何気なく聞いたつもりだったが、神様の反応は大きなものだった。それまでずっと柔和な微笑だった表情が一変して、険しいものとなった。


「それはいかん! よいか! その声に話しかけられても絶対に答えてはならん!」


 余りの剣幕にちょっとマジでビビった。


「そ、その声は悪いモノなんですか?」


「お前さんは知らなくていいことじゃ。よいな? 絶対に答えてはならぬぞ。なに、安心なされ。無視をしていれば何という事もない」


「は、はい……」


「あ゛~あ゛~」


 不安を抱えながらも僕たちは猿討伐のため、鳥居の先のお堂へと向う事となった。

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