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閑話 灼然と五八千子

 零源灼然れいげんしゃくねんは霊体である。生まれは平安時代まで遡り、肉体を捨ててから千年以上経つ。

 

 零源家の祖であり、霊体になってからは子孫たちに託宣を下し、零源家の繁栄とお役目のために尽力してきた。神やそれらに近い神聖な存在と交流することができ、彼らの言葉を零源家の巫女たちに伝えることもあった。カミヒトの事を五八千子いやちこに伝えたのは彼である。


 灼然はほんの三月ほど前の、自身の長い生涯の中でも一二を争うほどの衝撃的な事件を思い浮かべた。


(まさかあないな()()がおるなんて思わへんかったで)


 女神との邂逅――


縁雅えんがの白蛇、たけの鬼神、菩薩院ぼさついんの家霊、御園小路みそのこうじのおみっちゃん、他にも悪神、凶神を含めて色んな神さんに会うたけどあれは別次元やで)


 あの時を思い出せば、未だに身震いがする。女神が現れたのは僅かな時で一方的に用件を言われただけだが、灼然はその姿を見ただけでかの神が全てを超越した存在であると直感した。


(恐怖を感じたのはいつ以来やろうなあ……。この姿になってから初めてかもしれへんな)


 女神には全く負の力を感じなかった。しかしその大き過ぎる力には、ただただ恐れる事しか出来なかった。


 灼然しゃくねんは女神の言う通り野丸嘉彌仁のまるかみひとの援助に全力を尽くすように、五八千子いやちこに託宣を下した。その後は零源家の者たちが集めたカミヒトに関する情報を五八千子を通して聞いていた。


(女神さんの言う通りほんまに救世主かもしれん。呪いを突破して五八千子ちゃんの体を癒やすとは……)


 灼然は千年前に()()()()から呪いを受け、肉体を捨てた。呪いは灼然の肉体に留まらず、彼の魂そして力を強く受け継ぐ子孫にまで及んだ。それ故、灼然の力を色濃く受け継ぐ巫女達は呪いの力を直に受け、例外なく短命である。


 灼然はふわふわと宙を漂いながら、今代の零源の巫女である五八千子の下へ向かった。


 五八千子もまた呪いを受け、生まれながらにして体が弱く、医者からは二十歳までは生きられないと宣告されていた。灼然から視ても彼女の運命は、歴代の巫女達同様短いものであり、彼の見立てでは後3年も持たない。現在15である五八千子の命は18歳前後でその生涯を終えることになる。


 灼然しゃくねんは未来を見通す力がある。しかしある時から五八千子いやちこの運命が全く見えなくなっていた。完全な真っ黒。幾多もある運命の分岐点すら見えない。こんな事は初めてだった。今までにない事象に動揺したが、しかし今は前向きに考えている。


「灼然様」


「こんにちは、五八千子ちゃん。今日は天気がええね」


 パジャマ姿の五八千子は、自室に面する縁側に座り中庭をボーっと眺めていた。最近はずっと床に臥しており家の中でも車椅子で移動していたが、それもカミヒトに(実際はカトリーヌだが)癒やされてからは家の中ならば誰の援助もなく歩けるようになっていた。


「ええ、本当に。最近は暖かくなってきましたね」


「もうすぐ桜の季節やね。今年はみんなで花見に行けるんやないか」


「……でしたらいいのですけれど。お花見なんて子供の時以来していませんから」


「カミヒト君がどうにかしてくれるかもしれんで。もしかしたら学校にも通えるかもしれんよ?」


「私は零源に生まれた者としてこの天命を受け入れています。なので余り過剰な期待はさせないで下さい……。それに野丸様のご負担にもなるでしょう」


 五八千子は顔を伏せた。カミヒトのお陰で多少寿命は伸びたとはいえ、自身にかかっている呪いが絶対に解かれることが無いのは知っている。それは灼然の方が良く理解しているだろう。彼は普段、呪いについて希望を持たせるような嘘は言わないのだが、何故今になって言うのか五八千子は疑問に思った。それ程までにカミヒトの力は凄いのだろうか。


 五八千子は灼然を見た。狩衣かりぎぬを着ているが茶髪でワックスで整えたようにツンツンとした髪型。霊体なのである程度外見は変えられるらしく、「今風にしてみた」と得意顔だったがどう見ても不釣り合いだ。


 風のように飄々として何を考えているか分からないが、いつでも優しく気遣ってくれ、落ち込んでいるときはそっと寄り添ってくれる。五八千子の物心付く前から身近にいて親しい間柄である。そんな灼然が初めて呪いについて前向きな発言をしたのだから、少しは期待をしていいのだろうか?


 五八千子は頭を振った。希望を抱いても、それが裏切られた時の絶望が恐ろしかった。ならば最初から期待などしないほうが良い。五八千子の心は諦念で満たされていた。


(ごめんなあ……)


 灼然は五八千子を不憫に思い、自身の発言を少し後悔した。頭の中をよぎるのは歴代の巫女達だ。彼女たちも自分の天命を嘆き、恐れ、怒り、それでも最後は受け入れた。


 灼然が霊体となってからは自身の存在を認知できるのは、人間では巫女達と極一部の霊力の強いものだけである。そういう呪いを受けた。それ故、彼女たちは灼然にとって守るべき子孫であるが、それ以上に愛しい子どもたちである。


 灼然の能力を色濃く受け継いだ巫女達は類まれなる才を持ち、彼と親和性が高く、その為彼の存在を五感で感知できる。そしてその所為で、恐らくこの世界で最も強い呪いまで共有する事となった。自身を縛る呪い、巫女達を蝕む呪い、零源に受け継がれる呪い……。    


 灼然は半ば諦めていた。それほどに強い呪いである。それでも微かな、本当に微かだが、五八千子が天寿を全うする予感が己の内に湧き上がるのを自覚していた。その予感は日が経つにつれ少しずつ強くなっているように思える。しかしそれ以上五八千子に希望を語ることはしなかった。


「そういえば、最近面白い夢をよく見るんです」


「ほぉ~ん。どんな夢なん?」


 五八千子が唐突に話題を変え、灼然もそれに乗ることにした。


「ふふふ、それが自分でもおかしいんです。私と破魔子はまこちゃんと、あと知らない女の子が3人居て、5人で怪異に苦しんでいる人達を助けて上げるんです。怪奇現象の謎を解いたり、憐れな霊を成仏させたり、街中を元気よく飛び回って妖魔を退治したり。着ている服は派手でちょっと恥ずかしいんですけど……。そういえば女の子向けのアニメに出てくるような正義の戦士みたいでした」


 灼然は目を見開く。


(それは夢やないで……)


 楽しそうに語る五八千子を見て、微かな予感だったものが確信に変わった。震える心を顔に出さない様に努める。


「写身の宝鏡もお役目を果たしたようやし、僕もそろそろ彼に挨拶しに行こうかなあ」


「野丸様ならきっと灼然様のお姿も見えるでしょう」


 奥から家内の者が五八千子を呼ぶ声が聞こえた。


「はい。ただいま」


「誰か来るん?」


「今日は破魔子ちゃんが久しぶりに遊びに来るんです」


 灼然は目を細める。こんなに楽しそうな五八千子はいつ以来であろうか。


「そっか。それじゃ僕はこのあたりでお暇させてもらうわ」


 灼然はふわふわと空に浮かび上がる。このまま風任せにフラフラと漂いたい気分だった。


「ええ天気やな」


 空は雲ひとつない晴天だった。まるで今の自分の心の中を写しているようだと灼然は思った。

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