第59話 帰還
シュウ君とロゼットさんから流れてきた大量の神正氣の素に、今さっき消えてしまった彼らの温もりを感じていた。やりきった達成感と同じくらい切ない気持ちがある。神正氣の素はアリエさんからも流れてきた。
胸に哀愁を漂わせながら物思いに耽っていると、ふと身代わりになってくれた宝鏡の事を思い出した。懐に入れた白い和紙に包まれた宝鏡をを取り出し、丁寧に和紙を開いていく。中から現れた宝鏡は初めてみた時と同様で何も変わっていなかった。鏡の部分が曇っていて、何の異常もない。
これがなかったら僕は死んでいたな。腹を貫かれる経験なんて金輪際絶対したくない。宝鏡には感謝しないと。
『あの傷はカミヒト様自身の力で治しました。宝鏡の力は使っておりません』
えっ……そうなの? ということは一回身代わりになってくれるレアアイテムを温存できたということか。ラッキー。それにしても、あんな傷をすぐさま治してしまうなんて、神様の体、ヤバイな……。ちょっとこれ、人間離れし過ぎじゃないか?
「お疲れ様でした。カミヒト殿」
「アリエさん」
僕が物思いに耽っている間、アリエさんは後ろでずっと黙って待っててくれた。僕に気持ちの整理をつける時間をくれたんだろう。
彼女の傷は完治していた。おきよめ波に傷を治す効能も付与していたのだ。浄化、攻撃、治癒まで同時に行えてしまうEX神術はさすがという他ない。しかも必要に応じて色々と効果を付与できるみたいで、カスタマイズ性にも優れている。その分神正氣の必要量がすごく多いが。
「まさかあなたが“伝説の何か”の使者だとは思いませんでした」
柔らかく微笑んでそう言ったアリエさんは胸に手を当て片膝をつき頭を垂れた。
「此度はカミヒト殿のお力添えを賜り難を逃れることが出来ました。カトリーヌ教を代表して深くお礼を申し上げます」
「頭を上げてください。僕だけの力だけではありません。アリエさんが居なかったらあの難局を乗り切ることは出来ませんでした」
「……恐縮です。しかし私は自分の力の無さを痛感しました」
なんだか落ち込んでいる様子だ。アリエさんは若いんだし、伸びしろはいくらでもあると思うんだけどな。僕は光の女神様に力をもらっただけで、単純な強さならアリエさんの方が上だろう。
アリエさんを励ますために何か声をかけようかとしたが、突然後ろから声がした。
「白霊貴族の公爵を倒しちゃうだなんて、あなた強いのね?」
その声を聞いた瞬間、全身に悪寒が走り、体が硬直した。
「それに“伝説の何か”の眷属なのね? すごいわ」
いつの間に背後に居たのか。気づかなかった……。この何者かの声を聞くと、氷の手で心臓を撫でられるような錯覚を起こす。命を握られているような不快な感覚がする……。
「フゥ……。一から鍛え直しですね。それはそうと、カミヒト殿、折り入ってお願いがあります。……カミヒト殿?」
僕の前にはアリエさんがいる。とすると僕の背後のこの何者かが見えているはずだが、アリエさんには特段変わった様子はない。もしかして見えていないのか。声も聞こえていないようだ。
「……いえ、何でも無いです」
これは見えないふりをした方がいいやつだ……。
「ねえ、あなた、私の声が聞こえているわよね?」
「どこかお体が悪いのですか? 先程の戦いで怪我でも? いけない! すぐに治療をしないと!」
「あら? 怪我してるの? 痛いの痛いの飛んでけ~、する?」
「いえ、疲れてしまって。体は大丈夫です。それよりお願いとは?」
僕は後ろの何者かを完全に無視することにした。アリエさんとの会話に集中する。というか場所変えたい……。
「もう、無視しないでよ!」
声の主は歩き出し、アリエさんの横に並んだ。僕は息を呑み、なるべくアリエさんから視線を離さないようにした。しかし、どうしても視界の端にその何者かは映ってしまう。周辺視野で確認した限りだと10歳くらいの女の子の様に思える。詳しい顔の造形は分からないが、髪は長く黒い。
「ね。私のこと見えるでしょ?」
「“伝説の何か”の使者であるカミヒト殿に『聖都ホシガタ』へ来て頂きたいのです」
「聖都ですか……」
「まあ、あなたカミヒトっていうのね。素敵な名前だわ!」
「ああ! その前にカトリーヌ様の御霊を見つけなくては! カトリーヌ様は“伝説の何か”を探して行方不明になっています。カミヒト殿は本当に何も知りませんか?」
「え~っと……。心当たりありませんね」
もしかしたら超越神社にいる可能性もある。今すぐ探してこようか。だってアリエさんの横の何かが怖くて仕方ないから……。
「カトリーヌね。私も探してるの。結構前から居なくなってね。もう! 本当にどこに行っちゃったのかしら?」
「そうですか……。まずはカトリーヌ様を探さないと……。ふむ、カミヒト殿に力を与えた“伝説の何か”はどういったものでしょう?」
「酷いのよ? カトリーヌったら、私のことを放ったらかして、いつも逃げるの。見つけたらお仕置きしないとダメね」
もう本当にヤバい。声の質は幼気な少女なのだが、声を発する度に氷の手で心臓をやさしく弄ばれているようなイメージが湧く。僕の命はこの少女の手の中にある気がしてならない。これ、もしかしてゼクターフォクターより遥かに強いんじゃ……
「……カミヒト殿? やはり具合が悪いんじゃ……」
「……いえ、大丈夫です。それより彼らをどうしましょう?」
「あなた気に入ったわ。ねえ、カミヒト。私とお友達になりましょう?」
今すぐ鳥居を召喚して逃げたいが、アリエさんや気を失ったモンレさん達、まだ目が覚めないセルクルイスの住民が大量にこの場にいる。僕一人だけ逃げて、後ろの何者かをここに置き去りにする訳にはいかない。だからといって後ろの何者かをどうにか出来るとも思わない。神正氣もシュウ君やロゼットさん、アリエさんから貰ったものだけしか無いし……。八方塞がりだ。
ああ、何だって次から次に強り奴が出てくるんだ。少しは休ませてくれよ……。ねえ、水晶さん、どうにかならない……?
すると水晶さんはいろんな色を次々と出し明滅する。赤、青、黃、白、黒といった色たちが不規則に入り乱れる様はまるでバグってしまったかのよう。水晶さんも混乱しているの? ……もしかして相当やばい?
少女の形をした何かが僕の手首を掴んだ。人肌の温かさだったが、腕を掴まれた瞬間、心臓をギュッと握られたような気がした。まるで存在そのものが厄災であるかのような、言いようもないほどの不気味さを感じた。思わず少女の方を見てしまい、視線が合う。
「ほら! やっぱり見えてるじゃない!」
屈託のない満面の笑みを浮かべている少女は、見た目は本当にただの少女だ。きれいに切り揃えられた艷やかな黒髪に白いワンピースを着て、クリリとした大きな目に小さな鼻と口はきれいなお人形さんのよう。しかし、なぜこうも恐怖を感じるのだろう。到底人間とは思われない。不吉が少女の形を成していると言われたほうがしっくり来る。
「もう私達お友達よね? お友達なんだから一緒にお茶しましょう。そうだ! カトリーヌを探して三人一緒がいいわ。きっとすごく楽しいわ。あ、でも、カトリーヌは先にお仕置きしなくちゃね。長い間、私から逃げてたんだから」
少女の形をした何かは手をかざすと、少し先の空間に黒く濁った渦のような物が現れた。大人一人がギリギリ入れるくらいの大きさだ。少女は僕の手を掴んだままこの黒い渦の中に飛び込んだ。
「カミヒト殿!?」
僕は声を出す間もなく引き込まれた。
黒い渦の中は真っ暗で、僕の手を掴んでいる少女の形をした何か以外は何も見えなかった。何処かに向かって流れているようで、ねっとりと肌に纏わり付く空気は、言いようもなく不快で不吉だった。離岸流に流されているような恐怖と心細さを感じる。
行き着く先はどこだろうか。黄泉か地獄か、きっと碌な所ではない。僕は手を振りほどこうとしたが、小さな手とは思えないほど力強く掴まれていて、どうすることも出来ない。神術をぶっ放したとしても、今僕の中にある神正氣の量では、この得体のしれない少女には焼け石に水だろう。
それでもこのまま連れて行かれる訳にはいかないので、一か八かぶっ放してみようかと逡巡する。仮に攻撃が少女に効いたとしても、この黒い空間に投げ出されて独り彷徨って出られないのではないか。そう考えると行動に移すことが出来ない。
……誰か助けて。
心の中で叫んだ時、バチッと電気のようなものが流れ、僕の手首を掴んでいた手が離されてた。どこからか、ガラスが割れた音がした。
「あら?」
先程まであった浮遊感はなくなって、僕はそのまま落下した。落下感があったのは数秒ほどだろうか、背中にドシンと衝撃を感じた。落ちた先は鬱蒼と茂る暗闇の森だった。かすかに月光に照らされているだけで薄暗く気味が悪い。僕はすぐに転移の鳥居を召喚し、中をくぐって超越神社に帰還した。
ここまでくれば安心だ……。ドット汗が吹き出す。乱れた呼吸を整える。
「鬼ごっこがしたいの? あら? ここあなたのお家?」
鳥居の先の異世界側に少女の形をした何かがいた。僕は声にならない息を漏らし、尻餅をつきながら後ずさる。転移用の鳥居と異世界の接続を切ろうとするが出来なかった。
「ふふ。お友達のお家に招かれるなんて初めてだわ」
少女が鳥居を越えてこちら側に入ってこようとした時、超越神社が激しくざわめいた。
「あらら?」
境内全体が激しく揺れ、周りの木は荒々しく撓っている。いつもは静寂で穏やかな超越神社が、外敵を排除しようと激しく荒れている。
「ねえ、入れて」
少女は無理やり入ろうと何かしらの力を使った。宙に浮き赤黒いオーラを纏って、テレキネシスのような能力で超越神社の結界を破ろうとしている。超越神社は更に激しく揺れる。超越神社全体からピシピシッと罅が入る音が聞こえた。境内全てを守っている結界が傷ついたが、それでも中に入れまいと必死に抵抗している。僕はただ超越神社を応援することしか出来ない。
頑張れ超越神社! 負けるな超越神社!
しばらく攻防を続けていたが、やがて少女は諦めたのかふわりと地面に着地し、攻撃をやめた。
「そう、あなたもお友達になってくれないのね……」
鳥居と異世界の接続が切れ、入り口から少女の姿が消える。鳥居の入り口は元に戻り煌々と光を放っていた。最後に見た少女はとても寂しそうな表情だった。
僕は恐怖と緊張から開放され、一気に疲労が押し寄せて来る。そのまま地面に寝転び、強い眠気に襲われまぶたを閉じた。
後頭部に柔らかい感触を感じる。目を開ければ天女ちゃんの顔があった。いつの間に寝てしまったんだろう。前にもこんな事があったな。体にはタオルケットが掛かっていた。僕はゆっくりと上半身を上げる。
「大丈夫ですか? 無理はいけませんよ。だいぶお疲れのようですから」
一体どれほど寝ていたのか、天女ちゃんに時刻を確認すれば既に日を跨いでいた。どれくらい膝枕をしてくれたのだろう。彼女の足が痺れてないといいが。
どうやってこちらに来たのか尋ねたら、天女ちゃんのスマホに水晶さんのアプリから連絡があり、急いで異世界側の超越神社に来てくれたようだ。
「寝たおかげか疲労はそこまででもないよ。ありがとう」
「お疲れ様でした、カミヒトさん。水晶さんからカミヒトさんは大変頑張ったと伺いました。いっぱい頑張ったんですから、お腹空いていませんか? 余り物ですけど私が作った料理があるんです」
そういえばお腹ペコペコだ。異世界に行ってから何も食べていない。自身が空腹であることを自覚したら、途端に激しい飢えを感じた。
「それじゃあ、頂こうかな。あ、僕がいない間、何か変わったことなかった?」
何の気なしに聞いたことだったが、天女ちゃんは眉をひそめて少し困った表情をした。
「どうしたの?」
「え~っと……。少し気になることはあったんですが……。でも、カミヒトさんはお疲れですから明日にしましょう」
天女ちゃんは気を使ってくれているようだが、そんなふうに言われたら気になるぞ。体はともかく心は疲労困憊だ。お腹いっぱい食べてぐっすり眠りたいが、先送りにしてはいけない問題かもしれない。後々のことを考えたらここで確認するべきだよなあ。
「もしかしたら火急の事態かもしれないし、今教えてくれる?」
「……そうですか、分かりました。え~っと、境内の木にまた呪いの人形が刺さってました……」
……なんということだ。呪い女もとい菩薩院聖子さんがまた丑の刻参りをしたのか……。僕はげんなりして、深い溜め息をつく。すぐさま天女ちゃんに呪いの藁人形のある所へ案内してもらった。
呪いの人形が刺さっている木は、今度は御神木ではなく社務所の横に生えているそこそこ大きな木だそうだ。彼女が猫を被っていた、というのは表現が正しくないかもしれないが、彼女が普通の巫女さんをしていた時しきりに御神木に感心していたので、さすがに遠慮したみたいだ。
件の場所まで来たら確かに呪いの人形が刺さっている。しかし前回と違うのは刺さっている場所だけでは無かった。呪い人形の顔に貼られてある写真はいつ撮ったのか、僕の顔写真であり、人形と木の間にはA4サイズくらいの茶封筒が一緒に刺さってあった。
僕は五寸釘を引っこ抜き、茶封筒を見つめる。茶封筒には『超越神社 野丸嘉彌仁様怨中』と書いてあった。
……さすがにもうこの程度の事では何も思わないな。異世界であれだけ大変な目にあったんだもんな……さすがにそれなりの度胸はついた。
茶封筒を開き、中を確認すると一枚紙が入っているだけだった。さて、何が書いてあるんだろう。呪いの手紙か、不幸の手紙か……。
僕は無感情に中から紙を取り出した。封筒の中から出てきたそれは履歴書だった。




