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第56話 北の公爵①

「ああ、ようやくか……。全く手間取らせおって」


「あ……あなたは……」


 北の公爵を名乗る白霊貴族はくりょうきぞくを見てロゼットは恐怖に震える。2百年前、弟の体を乗っ取り、自身を殺した張本人が目の前に居た。当時の記憶がまざまざと蘇り、この悪魔に睨まれただけで縮こまり息をする事もできなかった。


「役立たず一匹に雑魚が十数匹か……。他の人間共は……ああ、まだ近くにいるな」


 ゼクターフォクターは悪意を孕んだ赤い目で空中を見つめ、まるで屠殺場にいく家畜を数えるように人間の気配を探っていく。


「フフフ……。にえ共が大量にいるな」


 




 血溜まりに沈むカミヒトを見て、アリエはすぐに彼の下に駆けつけようとした。しかし体が動かない。圧倒的な強者を前に恐怖で竦み、呼吸をするのも忘れてしまうこの感覚は、以前に父とカトリーヌそれぞれから感じたことだ。この二人が頭をよぎる程、目の前の敵は強かった。北の公爵と名乗ったこの白霊貴族――


 カトリーヌから昔聞いた事があった。数百年前、とある大都市の住民すべてが冥氣に汚染され白霊貴族の軍勢となって、カトリーヌ教ほぼすべての戦力と激突したあの大事件。その時の首魁が東の公爵と名乗っていたと。ならば同じ公爵であるゼクターフォクターも同程度の力があると認識しなければならない。


 アリエは倒れ伏すカミヒトを見て、奥歯を強く噛みしめる。血溜まりはもうカミヒトが死んでいると判断できるほど大きく広がっていた。付き合いは浅いが彼が善良な人間である事は断言できる。さらに魔氣、瘴氣に冥氣まで浄化できる力を持っている。恐らくあの黄金の炎はすべての悪氣を浄化できるのだろう。カトリーヌの五色の光と同じだ。ならば死ぬべきは自分であってカミヒトは生きるべきであった。彼とイーオが二人力を合わせれば、この公爵を倒すことは不可能でも弱らせ冥府に退却させる事が出来たかもしれない。


 しかし今はもうそれは叶わない。イーオやお付きの騎士達だけでゼクターフォクターをどうにか出来るだろうか。アリエは実際の所、イーオの力がどれ程のものなのか分からなかった。望みは薄いかもしれないが彼女たちに賭けるしか無い。だがゼクターフォクターがセルクルイスの住民を白霊貴族に変えてしまえば、イーオ達でもどうする事も出来ないだろう。そうなればまた数百年前の悪夢が起きてしまう。それだけは絶対に避けなければならない。


 ならば自分のやる事は唯一つ。命を賭けて足止めをする事。しかし自分ひとりの命で足りるだろうか。体力もほとんど尽きた。それでもやるしか無い。アリエは恐怖と絶望を胸の奥に押し込め、ゼクターフォクターと対峙する。できるだけ時間を稼がなければならない。


「なぜ彼を殺したのですか? あなた達が人間を白霊貴族はくりょうきぞくに変えているのは何か理由があるのでしょう?」


「あんなモノを白霊貴族などと呼ぶな、人間よ。白霊貴族とは冥府にいる私のような高貴で完全な存在の事を言うのだよ。地上にいる()()は我々の眷属であり奴隷である」


「……そうですか。それでなぜ彼を殺したのですか? 奴隷がほしいのでしょう?」


「ババアの加護を受けた者は“伝説の何か”の眷属の次に厄介だからな。それにこのむくろからは妙な気配を感じたのでな」


 やはりカミヒトは公爵が警戒する程の力を持っていた。彼を失ったのはあまりに痛すぎる。


「冥府にいる白霊貴族は地上では存在できないと聞きましたが?」


「ん? 知りたいかね? 私の眷属になるのなら教えてやろう」


「お断りします」


 ゼクターフォクターに行動する気配はなく、アリエの質問に答えるだけである。余裕のある表情はこちらの目的が時間稼ぎであることを見抜いているかのようだ。それでもアリエは1分1秒でも多く時間を稼ぐように努める。


「その体はあなたの物ですか? 初めから私達を騙していたのですか?」


「侮辱するな。このような醜い体が私の物な訳がないだろう。この体と魂は私が奪ったのだ。ああ、だが元の人間の魂はまだある。今、出してやろう」


 ゼクターフォクターがそう言うと、顔の左半分が元のシュウの顔になった。その顔は苦痛に歪み泣いている。


「ううう……。兄ちゃんごめんなさい……」


「シュウ!」


 それまで自身を殺したゼクターフォクターに怯えていたロゼットは、弟が囚われている事も認めると毅然とした態度でこの悪魔と相対する。


「あなたはまたあの時のような……! シュウを解放しなさい!」


「あの時とは2百年前にお前の首をへし折ってやった時のことかな? この小僧がピーピーとみっともなく喚いておって愉快だったな。ハッハッハ」


 2百年前、シュウの体を乗っ取ったゼクターフォクターは、自身の眷属を増やすためセルクルイスを襲撃した。しかし“伝説のさといも”に阻まれ失敗したゼクターフォクターは、計画の変更を余儀なくされた。そしてその使者であるロゼットに目をつけ、眷属にしようとしたのである。だが、彼女の中にある“伝説のさといも”の力が抵抗し、支配するためにはこの力が弱まるのを待つ必要があった。


 運良く人間を乗っ取ることが出来たがその幸運を台無しにされ、次の計画まで長い時間を待たなければいけない事に憤ったゼクターフォクターは、腹いせにこの姉弟をなぶることにした。


 ゼクターフォクターはシュウの意識を出し五感を共有してロゼットを殺した。


「姉ちゃん、ごめんなさい……」


 シュウは思い出した。心で拒絶し叫んでも体を支配され、自身の手で大好きな姉を殺してしまった記憶を。姉の細い首に手を添えた感触ははっきりと思い出せる。自分を見る目は恐怖に染まっていた。苦しませるようにゆっくりと首を捻った時、耳に響く声にならない叫び声は、胸を抉られるほど辛かった。血を吐き力なく崩れ落ちた姉の虚ろな瞳を見た瞬間、心が壊れた。


 カミヒトの腹部を貫いた時に思いだした。肉と骨と臓腑を壊した感触は言いようもなく不快で、手に残る血の生暖かさは未だ手に残っている。


「あなたは悪くないのよ、シュウ。お姉ちゃん、全然怖くなかったんだから」


 この言葉が嘘だという事はシュウはよくわかっていた。恐怖で泣いていたロゼットの顔は脳裏に鮮明に焼き付いている。それでも気丈に自分を気遣ってくれる姉がシュウは大好きだ。幼い頃に両親を亡くしたシュウにとってロゼットは親代わりでもあった。

 美人で優しく働き者だった姉。村でも黄光衛生局でも人気者だった姉。どんな人からも頼りにされるロゼットはシュウの自慢の姉だった。しかし、シュウの中にいる白霊貴族は再びロゼットを殺そうとしている。それもより残忍な方法で。シュウは二度と姉の殺される所は見たくないと思った。


 もうあんな事はさせない。俺が姉ちゃんを守るんだ!


「おい! 白霊貴族! お前に姉ちゃんは殺させないぞ!!」


「んん? 一体どうやってだ?」


 ゼクターフォクターは指を突き出した。指から発射された魔法の弾丸はロゼット肩を撃ち抜く。


「……うっ!!」


「姉ちゃん!」


 次の弾丸は足に命中し、ロゼットは倒れた。


「どうした? 早く止めないと貴様の姉は死んでしまうぞ?」


「や、やめろ!」


「大……丈夫よ……。シュウ……。お姉ちゃん……平気……だから……」


「姉ちゃん!」


 アリエの我慢は限界だった。すぐにでも斬りかかりたいが、そうすればすぐに殺されるだろう。自分の役割は時間を稼ぐことだ。アリエは唇を強く噛む。ただ黙って事の成り行きを見ることしか出来ない自分に腹が立った。


「そうだ、小僧。勝負をしようじゃないか」


「……勝負?」


「ああ、私と貴様は五感を共有している。それはつまり痛みも共有しているという事だ。この体を傷付け、先に痛みで声を出した方が負けだ。貴様が私に勝つことが出来れば、私は大人しく冥府へ帰ろう」


「……本当だな? 俺が勝ったらお前は何もしないんだな?」


「ああ、約束しよう」


「上等だ!」


「ダメよ、シュウ! そんな話に乗ったらダメ!」


「大丈夫だよ、姉ちゃん。俺、姉ちゃんを守るんだ」


 アリエはシュウが勝つことはまず無いと思った。この白霊貴族はその佇まいから歴戦の猛者である事が窺われた。アリエの知っている本物の戦士たちは遥か超越した精神を持っている。ただの村人の少年が勝てる道理はない。そもそも白霊貴族に痛覚があるのかどうかすら不明だ。


「見事な心意気だ。では早速行くぞ」


 ゼクターフォクターはいやらしく笑うと左の小指の爪を剥ぎ取った。

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