第52話 VS白霊貴族①
「カミヒト殿、結界を解いてください!」
なぜ結界を解くのかという疑問が頭をよぎったが、アリエさんの切羽詰まった様子に僕は反射的に彼女の言う通りにする。結界を解くとすぐさまアリエさんは、片腕をあげ手から打ち上げ花火のような光の玉を発射した。光の玉は空高く上がり、辺り一面を照らすほどの閃光となった。
「今、イーオ様の隊列に援護要請を出しました。イーオ様の従者には黒葬騎士団がいますから、私は彼らが着くまで時間稼ぎをします。カミヒト殿は中央教会に行き、この異常事態をモンレ殿に伝えてください。出来れば住民の避難を手伝って頂けるとありがたいです」
「1人で足止めするつもりですか!? 無茶ですよ!」
イーオ様の隊列は今日の昼頃に聖都へ向けて出発した。今どの辺りにいるかわからないが、応援が来るまで相当時間を要すると思われる。それまでにアレをたった1人で足止めするのは不可能だ。素人の僕でもアレが異常過ぎることは理解できる。アリエさんとは比べようがないくらいにデタラメに強い事も……。
「そんな事は言っていられません! アレを放っておけばどんな大惨事になることか……! ここは私の命に替えても止めます! ですからあなた達はここから早く逃げてください!」
本音を言えば今すぐ転移用の鳥居を召喚して、日本に逃げ出したいくらいだ。しかし、アリエさんを放って置く事はできないし、この街にはモンレさんやミモザさん等、僕がお世話になった黄光衛生局の人たちも居る。それにきっとこれが巫女様の言っていた大きな災いに違いない。恐らくだがコレは避けることが出来ず、立ち向かわなければならない。そんな気がする。それでもアレを見れば、恐怖のあまり立ちすくんでしまう。
「今のデカい音何だ!」
「ねえ、あの浮いてるの何?」
「おい、廃教会がねえぞ!」
「ママー! なにか浮いてるー!」
「おい、怪我人が居るぞ!」
ガヤガヤと中央広場に人が集まってきた。大きな爆発音を聞きつけ野次馬達が来たのだ。
「白霊貴族が出ました!! すぐに街の外へ避難してください!!」
アリエさんの声が拡声器を使ったように大きく響いた。何らかの魔法でも使ったのだろう。しかし、アリエさんの警告も虚しく、街の衆人達は事態が飲み込めず、その場でただ騒いているだけである。恐らくだが、一般人は白霊貴族など見たことがないのだろう。カトリーヌ教の騎士たちが人目に触れる前に対処しているのではないか。彼らにとって、白霊貴族は身近な脅威ではなく、それ故危機感を持たないのだ。
「白霊貴族? そんなもん街中に出るわけ無いだろう。結界が張ってあるんだぜ?」
「あの浮いてるやつ?」
「ねえ、逃げようよ……。何か怖いよ……」
「おい! 憲兵か教会の騎士を呼んでこい!」
「白霊貴族が出ました!! すぐに街の外へ避難してください!!」
今度は先程よりも大きくアリエさんの声が轟く。異常を察知しこの場から離れる人もいるが、それでも野次馬は増えるばかりで緊急事態であることを理解している人は少ない。
「ホ ホ ホ ホ ホ ホ ホ ホ ホ」
街中に不気味な声が響くと、それまでの騒ぎ声はピタッと収まる。すると宙にいる白霊貴族から霧のような何十という白い手が放たれた。冥氣だ。
「まずい! スキル『疾風』!」
アリエさんが目にも止まらぬ速さで、冥氣を斬っていく。高速で移動する彼女は空中すら駆けていく。冥氣をどんどん斬り裂いていくが、それでも数が多く、いくつかは漏らしてしまった。アリエさんの刃から逃れた冥氣は広場に集まってきた人達に襲いかかる。
「ぐううっ……う!」
冥氣に侵された人達は目が血のように赤くなり、体がどんどん白くなっていった。
……まさか彼らも白霊貴族になろうとしているのか! これはまずいぞ!
「うわあああ! 逃げろ!」
「きゃああああああ!」
「ちょっと、押さないでよ!」
「うえええん! おかあさーん! どこー!」
冥氣に襲われ、変異していく彼らを見て、パニックになった群衆は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
「くっ……!」
アリエさんは事もあろうに、白霊貴族になりかけている人に斬り掛かった。しかし、宙にいたロゼットさんだったモノがいつの間にかアリエさんに迫り、彼女の黒い刃を掴んだ。ガキィンという硬質な音が響き、その黒い刃が届くことはなかった。
「アリエさん!?」
僕は声に抗議の意を含ませた。
「冥氣に侵された者はもう手遅れです! 白霊貴族になる前に始末しないと……! この! 離せ!」
白霊貴族は冥氣を生み出し、同族を増やしていく。それはモンレさんから聞いたことだ。そして一度冥氣に侵された者を助ける術が無いとも。だから完全に変異する前に殺すのが正しいのだろう。
しかし、僕なら元に戻せる。そう直感した。
白霊貴族になりかけの人は全部で5人いる。アリエさんがロゼットさんだったモノと小競り合いをしている隙に、僕は5つの浄化玉を出した。太陽のようにメラメラと燃える黄金色の玉は、山の神に撃ったものより幾分か小ぶりだ。僕はそれを5人に向け撃った。
浄化玉が着弾すると、彼らは眩いばかりの金色の光に包まれ、みるみる内に元に戻っていく。
「あ、あれ? 俺……」
「わたし、一体……?」
「どうなってるんだ……!?」
皆、正気を取り戻している。よし、どうやら成功したようだ。
「みなさん、すぐに逃げてください!」
この場にいられても邪魔だ。速やかに逃げてくださいよ。
5人とも体に異常は無いようで、すぐに走り出した。
「カ、カミヒト殿!? 一体どうやって……! 一度冥氣に侵された者を浄化するなんてカトリーヌ様でも出来ませんよ!?」
「今はそんな事を言っている場合ではないですよ!」
僕はアリエさんと戦っている白霊貴族にも打ち込む為、浄化玉を出そうと手を構える。しかし危険を察知したのか、ものすごい勢いでこちらに突進してきた。ロゼットさんだったモノは腕を振り上げ、長い爪で僕を切り裂こうとする。僕は慌てて浄化玉をキャンセルして、結界を張った。金属同士が激しくぶつかるような鋭い音が響く。
結界は無傷だ。この安定感、とても頼りになる。
「ホ ホ ホ ホ ホ ホ ホ ホ ホ」
白霊貴族はものすごい形相で、何度も何度もその鋭い爪で斬りかかる。爪が結界に触れるたびにキィキィと不快な音が鳴る。髪を振り乱し悪意のこもった目で睨みながら攻撃する様は、もう本当にどうしようもないくらい怖い。せっかく仲間を増やそうとしたのに、僕がそれを阻止した事がそんなに腹に据えかねたのか……。
見た目が怖すぎるから硬直していると、気になるものが目に映った。白霊貴族のちょうど鎖骨と鎖骨の間に、幾何学模様が刻んであるサイコロのような物が半分ほど埋まってある。これを見ているとブワッと全身に悪寒が走った。とてつもなく嫌な感じがした。本能が拒否する。
「……っ!!」
僕は拒絶感から無意識に浄化玉を撃つ。直撃した白霊貴族は何十メートルも先に吹っ飛んでいった。
「ホ! ホ! ホ! ホ! ホ! ホ!」
ロゼットさんだったモノは黄金色の炎に包まれ、焼かれているように苦しんでいる。……おかしい、浄化されていない。こちらに攻撃の意図はなかったのだが……。しかしだいぶ効いている様子なので、それならばと浄化を諦めて追撃を加えようとした時だった。
「兄ちゃん! やめてくれよ! 姉ちゃん、苦しんでるよ!!」
僕の後ろに居たシュウ君が声を上げた。
「でも……」
「たった1人の家族なんだよ! お願いだよ! 姉ちゃんを助けてよ!!」
シュウ君は僕の腕を掴み、必死に懇願する。彼の気持ちを思うと哀切この上ないが、浄化ができない以上手の内ようがない。僕はどうしたらいいのか分からずにいると、懐に入れていた水晶さんが光った。いつもより光量多めだ。
『囚われの魂を解放せよ』
これは煤子様を浄化する時に出されたクエストだ。……そうか、まだ続いていたんだ。水晶さん、ロゼットさんを救うことが出来るんだね?
『はい。お救いしましょう』
でもどうすればいいんだろう? 僕の浄化玉は効かなかった。
『あの鎖を断ち切ってください』
鎖というのは背中についている赤黒く明滅している隷縛の鎖のことだ。そうか、アレを斬ればいいのか。状況は悪いが、それでも希望はある。怖くて不安だらけだけど、やるしかない。
「分かった。僕に任せて」
「ほ、本当?」
僕は力強く頷く。
「ホ ホ ホ 」
白霊貴族の体を包んでいた黄金の炎はいつの間にか消え、彼女はこちらの出方を窺うように睨んでいる。ザッと足音が聞こえたので、そちらに視線を移せばアリエさんがいた。
「カミヒト殿、白霊貴族には効いていましたが、あなたのアレは黒聖魔法ではありませんね? それよりももっと上の……。もう、驚き疲れてしまいましたよ。しかし、光明は見えてきました。先程のアレはもう一度出せますか?」
「ええ、可能ですがそれは彼女自身には使えません。鎖を狙います」
「……鎖?」
「はい、あの鎖を断ち切ればロゼット様を救える可能性があります」
「……ちょっと待ってください。鎖とは隷縛の鎖の事ですか? カミヒト殿はそれが見えるのですか?」
「……アリエさんは見えないんですか?」
「隷縛の鎖の見ることが出来るのは、カトリーヌ様を含めたほんの一握りの強大な力を持った人だけです。私には見えません」
「ホ ホ ホ ホ ホ!」
白霊貴族が突然、跳躍の構えをみせる。僕達はこちらに突進してくるのではないかと身構えたが、彼女は真上に高く飛んだ。その体はどんどん小さくなっていき、かろうじて人の形だと分かる高さにまで到達した。
すると、彼女に莫大な量のおぞましい冥氣が集まっていくのが感じられた。ドクドクとポンプのように鎖が冥氣を供給している。凍てつく冥氣の余波が肌を指すように僕達のもとまで届いた。
「これは……!? まずいですよ! あれ程の冥氣が放たれれば、セルクルイスの住民がすべて……!」
白霊貴族に集まる冥氣が益々膨れ上がり臨界点に達しようとしている。アリエさんの言う通りこのままだとまずい。もしセルクルイスの人達が全員白霊貴族となったら、今の僕の力ではすべての人を浄化することは不可能だ。結界を街全体にまで広げてみるか。しかし、そこまで拡大できるのか分からない。ならば、ロゼットさんに結界を張って隔離するか。だが、内側からの攻撃に対する強度は確かめたことがない。
……そうだ! ドラゴニックババアから貰った銀婆盾がある! 僕はここが銀婆盾の使いどころだと直感した。
「 銀 婆 盾!!」
僕が叫ぶと同時に白霊貴族が冥氣を放った。




