第51話 誕生
シュウ君に目配せをして、僕とアリエさんは彼に会話が聞こえない距離まで移動した。
「廃教会の中を調べましょう」
「今からですか?」
「カミヒト殿はモンレ殿から、2百年前にこの街が白霊貴族に襲われた事を聞いたと思います。その時、白霊貴族は当時の黒葬騎士団に討伐されたと聞かされませんでしたか?」
「ええ、そうですね。そのように聞きました」
「実を言いますと、白霊貴族は討伐されていません。ロゼット様を殺害して、逃げ出した後は行方が掴めなかったのです。セルクルイスの周辺を何度も捜索したのですが、見つかりませんでした。しかし、当時の住民の不安を消すために討伐できたと言う事にして、事実を隠蔽しています。その後100年は、周期的に白霊貴族の捜索を行っていたのですが、それでも見つからず、自然消滅したという結論になりました」
「……自然消滅するんですか?」
「はい。しかし本来ならたった100年で消えることは有り得ません。ですからロゼット様が白霊貴族に深手を追わせたか、“伝説のさといも”が白霊貴族を倒したというのがカトリーヌ教の見解です。後者の考えを支持する幹部が大多数ですね。ロゼット様自体は大した力を持っていなかったようですから。ですが私は今、白霊貴族がまだ存在している可能性があるのではないかと思っています。ええ、今はとても嫌な予感がします」
「僕としても早く中を確認したいのですが、許可がなければ入れないんじゃないですか?」
「事は一刻を争うかもしれません。私が全責任を負います」
どうやら無断で入る気のようだ。僕としては正しい手順を踏みたい所だが、彼女の言う通り、一刻を争う事態かもしれない。なのでここは彼女の提案に乗ろうと思う。もちろん、僕も勝手に入った責任を取るつもりだ。
「わかりました。すぐに廃教会を調べましょう。彼はどうしますか?」
「……そうですね。連れていきましょう」
「なあ、話しまだ終わらねえのか? 早く教会に行って、姉ちゃんに会いたいんだ」
そう言って彼が指さしたのは、今まさに僕達が調べようとしている廃教会だった。そこは2百年前の教会だが、今のセルクルイスの教会といえば、ここより西にある大きく立派な中央教会を指す。しかし彼は2百年前の中央教会だった廃教会を未だに現役の教会だと認識しているようだ。
「……そうだね。すぐに行こうか」
僕たちは歩き出した。廃教会は目の前の噴水を挟んだ向こう側にある。歩いてすぐの所だ。
「あれ? こんなボロっちかったかな……。この時間に灯りがついてないのもおかしいし……」
近づくにつれ、シュウ君は違和感を覚えたようだ。この廃教会は元々かなり古く、歴史的な建造物と言ってもいいが、2百年も経てば更に古くなっているだろう。
廃教会は誰も入れないように、入り口の門の少し手前にロープが張ってあった。ロープには『立ち入りを禁ずる』と札が貼ってある。
「……こんなものいつできたんだ」
「行きましょう」
アリエさんはロープを跨いだ。僕とシュウ君も後に続く。廃教会の門は鉄製で、入れないように大きな鍵がついている。アリエさんは懐から短刀を取り出し、スパッと鍵を斬った。二つに切れた鍵がガシャンと地面に落ちる。
「おい! そんな事していいのかよ!」
アリエさんはシュウ君を無視して、扉を開けようとハンドルに手をかけた。ハンドルを少し引いた所で、何かに気づいたのか、彼女は驚いた表情をした。
「どうしました?」
「……どうやら、嫌な予感が当たったようですね。カミヒト殿、覚悟をしてください」
彼女の言葉に思わず生唾を飲み込む。アリエさんはそのまま一気に扉を開けた。中から凍てついた空気が流れ込んでくる。それは唯冷たいだけでなく濃密な死の気配を漂わせていた。
アリエさんが中に入り、僕とシュウ君もそれに続いた。廃教会の中の空気は氷点下であるかと錯覚するほど寒く、時が止まっている様に静寂で、まるで黄泉の世界に来たようだ。中は真っ暗だ。しかし視線の先、お祈りしている女性と後ろの蠢く鎖だけはっきりと見えた。
あの時見た幽霊だ……。間違いない。膝を付き祈っている姿は最初見た時と同じだ。長い金髪が背中にたれている。あの時と違うのは背中に鎖がついていることだ。モンレさんが話してくれて事を思い出す。白霊貴族の体の何処かには、冥府と現世の歪から出る隷縛の鎖に繋がれていると。白霊貴族の特徴の一つが彼女に現れている……。
鎖は赤黒く明滅していて、何百何千という大蛇が絡みつくようにとぐろを巻いている。彼女はこの鎖に祈っているようにも見える。
「ねえちゃん!」
シュウ君が幽霊に向かって走り出そうとしたが、僕は彼の腕を強く掴み阻止した。
「兄ちゃん!? 離してくれよ!」
「カミヒト殿、いい判断です。そのまま離さないように……」
アリエさんは既に臨戦態勢に入っていて、黒い刀身の剣を出している。僕もいつでも結界を張れるようにする。すると、幽霊はおもむろに立ち上がった。
「シュ……ウ?」
「姉ちゃん!! 俺だよ!! おい、兄ちゃん、離せよ!!」
僕はそれでも彼を離さない。握る力を強くする。
彼女は振り返った。僕から逃れようとジタバタしていたシュウ君は、彼女の顔を見てヒッと悲鳴を漏らし硬直する。目が真っ赤だった。妖しく光るその赤い目は、無機質で生気がなく、到底生きている人のものとは思われない。
「シュ……ウ……う゛う゛……う゛……」
よろよろとこちらに近づいてくる。すると後ろの鎖は、ジャラジャラと激しく蠢いた。それに合わせて無数の手の形をした白い霧が現れ、ロゼットさんに纏わりついていく。
「あれは……冥氣!?」
「う゛う゛……う゛……う゛う!」
ロゼットさんは頭をかき乱して苦しみだし、白い手は彼女の中に入り込んでいく。鎖からも何か禍々しい力が彼女に流れていくのを感じる。ロゼットさんの中でおぞましい力が奔流している。
「!!!?」
異変を感じた僕は、咄嗟に結界を張る。それとほぼ同時に激しい爆発音がした。視界はホコリと瓦礫に満たされ、何が起こったのか理解が出来ない。結界の中にいるアリエさんとシュウ君も同じく呆然としている。
しばらくすると、視界がひらけ上から満月の光が差した。屋根が吹き飛んでいたのだ。屋根だけではない。廃教会はほぼ全壊していた。
「ホ ホ ホ ホ ホ ホ ホ ホ ホ」
上から気味の悪い笑い声がした。視線を向けると、宙に変わり果てたロゼットさんが浮かんでいた。いや、ロゼットさんだったモノだ。真っ白い髪に肌、純白のドレスを着ていて、赤い目は異様に際立っている。僕は背筋が凍るほど美しい目の前のモノから目が離せなかった。
「くっ! 遅かった……!」
「姉ちゃん……。嘘だろ……?」
考えうる最悪の事態が起こってしまった。街中で白霊貴族が誕生してしまったのだ。




