第49話 イルマ村
僕の顔を認めたシュウ君は石垣から降り、こちらまで急いで走ってきた。
「兄ちゃん、村が! 村がおかしい! 家が壊れてる! 誰もいないんだよ! みんないない!」
「お、落ち着いて!」
シュウ君はかなり取り乱して様子で、僕の腕を強く掴んだ。目にはいっぱい涙を浮かべている。だいぶ混乱しているようで、言っていることの要領が得ない。僕は彼を宥めて、何とか落ち着かせようとする。しばらくして彼が少し冷静になった所で、ゆっくり質問することにした。
「まずは先週、僕達と別れてからの事を教えてくれる?」
「……ああ、あの後まっすぐイルマ村に向かったんだ。そしたらいつもの道がデコボコとしてて、おかしいな、間違えたかなと不安になりながら進んでいったんだ。そしたら、村がめちゃくちゃで、探し回っても誰もいなくて、俺んちも壊れてて……。もう、本当にビックリして混乱して、間違えて廃村に来ちゃったのかなと思ったんだ。でも、良く見てもやっぱり俺の村で……」
「うん、大変だったね。ゆっくりでいいからね。それでその後どうしたの?」
「それで俺、姉ちゃんの所に行こうとセルクルイスに向かったんだ……」
彼の姉のロゼットさんがセルクルイスの黄光衛生局で働いているという事は聞いていた。しかし、実際はいなかったわけだが……。
「それで、セルクルイスの城門近くまで行ったんだけど、入れなかったんだ……」
「お金がなくて、通行税が払えなかったの?」
シュウ君は首を振って、僕の質問を否定した。
「見えない壁みたいなのがあって、入れなかったんだ……」
「見えない壁?」
ここでアリエさんが反応した。
「シュウ殿、それはどういったものでしょう? どの辺りにあったのですか?」
アリエさんの声が若干、険しさを帯びている。詰問をしているような雰囲気だ。どうしたんだろう。
「ええと、城門の100メートル手前辺りかな? 叩いても蹴ってもびくともしなくて。どこかで途切れるかなと思って、見えない壁にずっと沿って歩いたんだけど、それでも壁はずっと続いてて……」
シュウ君の話を聞くと、アリエさんが深く考え込んだ。眉間にシワが寄っている。壁ってなんだろう? そんなもの無かったぞ。
「その後はどうしたの?」
「それで、諦めて、一回この村に戻って、寝て……。次の日に近くの村に行ってみたんだ。そこに村はあったんだけど、俺の知ってる村とは違ってて、俺が知ってる人も、俺のことを知ってる人もいなくて……」
なんと言っていいか分からない。シュウ君はだいぶ参っている様子だ。アリエさんはまだ考え込んでいる。
「それで俺、兄ちゃんと会う前の記憶がないことに気がついたんだ。なんであそこで倒れていたのか。その前は何をしていたのか、ちっとも思い出せないんだ! クソ! 何なんだよ!」
彼は叫び、近くの木を思い切り蹴った。僕は再び彼をなだめる。
「……セルクルイスへ行って確かめてみましょう」
「そうですね。壁というのが何なのかよくわからないですけど、ここに居てもしょうがないですしね。シュウ君もそれでいい?」
彼はコクっと頷いた。
「アリエさん、壁ってなんでしょう? 心当たりはありますか?」
「……とにかく、行ってみましょう」
彼女は僕の質問に答えず、先頭を歩いた。僕は疑問に思いながらも後に続く。見えない壁とは何なのか。魔法的な事象か何かなのだろうか……。
道中は重苦しい雰囲気だった。アリエさんは無言でぐんぐん進むし、シュウ君は会った当初の元気ハツラツとした態度は鳴りを潜めて、今はしょんぼりと僕の横を歩いている。こういう時、本当はそっとしてあげたいのだが、どうしても確認したいことがあったので、僕は彼に話しかけた。
「ねえ、シュウ君ってもしかして里芋作ってる?」
「うん、俺ん家は里芋農家だよ。父ちゃんと母ちゃんが死んでからは姉ちゃんと二人で作ってたよ。でも、よくわかったな。まあ、この辺は里芋農家は珍しくないけど……」
モンレさんに聞いた所によると、2百年前の聖女ロゼット様は弟がいて里芋農家だった。そこで作っていた里芋が“伝説のさといも”となり、当時のセルクルイス近辺で起こった飢饉を救い、そして白霊貴族の魔の手からセルクルイスを救ったそうだ。
「……“伝説のさといも”って知ってる?」
「“伝説のさといも”? さあ? 聞いたこと無い……」
「ドラゴニックババアはどこで見たのかな?」
「ちょうどこの道を歩いていたときだよ……」
聞けば答えてくるがそれだけだ。かなり落ち込んでいる様子。まあ、無理もないか……。
それにしても、今の質問で彼が2百年前の聖女ロゼット様の弟である確信が高まった。お姉さんの名前がロゼットで、里芋農家で、“伝説の何か”を知らせるドラゴニックババアを目撃していて……。だが、彼が2百年前の人物だとすると生きているわけがない。どっからどう見ても生きている人間にしか見えない。普通に触れることが出来るし、彼の姿は誰でも視認できる。まあ、異世界の幽霊は触れて、誰でも見ることが出来るのかもしれないが。ただ、アリエさんの様子からして霊体でもなさそうだ。
会話は途絶え黙々と歩き、日がだいぶ傾いた頃、セルクルイスの城門付近まで来た。空はもうだいぶ暗くなった。西の空がほんのり明るいだけだ。異世界でも日は西に沈むんだな、なんてことを考えていたらアリエさんが立ち止まった。
「ここらに見えない壁があるはずです。さあ、シュウ殿。こちらまでどうぞ」
アリエさんに促され、シュウ君が少し先にいるアリエさんの方へ歩いていく。顔は若干、緊張しているような面持ちだ。
「痛っ!?」
数歩歩いた所で、シュウ君は何かにぶつかってよろけた。
「大丈夫!?」
僕は彼がぶつかった辺りの空間を手を伸ばしてみたが、そこには当然ながら何も無かった。歩けば、普通に通過することが出来た。
「何なんだよこれ!? どうなってるんだよ!?」
彼はバンバンと見えない壁を叩きながら、誰に言うともなく抗議している。壁を叩く姿は、はたから見ればパントマイムをしているようだ。
「アリエさん、これは一体……」
この不可思議な現象について、意見を聞こうと彼女の方を向けば、アリエさんは黒い刀身の剣を構え殺気立っていた。
「アリエさん?」
突然の変化に驚く。すると、彼女が僕の視界から消えた。
「うわっ!?」
後ろから叫び声が聞こえ振り向けば、何ということだ、アリエさんがシュウ君を斬り付けている姿が目に飛び込んできた。




