第43話 不穏
西の空が赤く染まり、今は簡単な片付けをしている。お祭りは大盛況の内に終わった。
何事もなく終わり、ホッと一息。親方達はすでに帰った。屋台は明日分解する予定だ。
菩薩院さんは最後の最後まで残って、片付けの手伝いをしてくれた。もうすぐ暗くなるし、帰っていいよといったんだけど、最後までお手伝いしますと言ってくれた。本当にいい子ですよ。但し、菩薩院家のスパイ疑惑があるが。
当の菩薩院さんは少し前に、お手洗いに行ったのだが、まだ帰ってきていないのだろうか。
キョロキョロと探すと、街が一望できる所で佇んでいた。なにやら黄昏れている様子。
超越神社は小さい山のような丘のてっぺんにあるので、見晴らしの良いスポットがいくつかあるのだ。
僕は菩薩院さんの元へ歩いていった。二日間のお疲れ様でしたと労うためだ。よく働いてくれたし、とても気が利いて僕も大分助けられた。なんだったら晩ごはんを奢ったっていいだろう。お寿司が食べたいな。
ヒューッと風が吹いた。もう3月になったのだが、日が落ちるとまだまだ冷えるな。
彼女の後ろ姿をを眺めていると、なぜだかぶるりと鳥肌が立った。胸の中に不安ができるのを感じる。
黄昏時―――。
語源は誰そ彼れだという。あそこに居るのは誰だと、誰かがいるがわからないという薄暗くなった時刻だ。
菩薩院さんを見て、不安な気持ちになったのは、きっと黄昏時だからだ。逢魔ヶ時とも言うらしいし、この時間帯は元々、不気味な雰囲気なんだ。
不安を打ち消すように、努めて朗らかに菩薩院さんに話しかけた。
「お疲れ様、菩薩院さん。もう、片付けも終わったし、着替えてきてもいいよ」
直立不動。僕の声が聞こえていないかのように、不気味にただ立っている。
「菩薩院さん?」
異様な雰囲気に不安が募る。それでもこれは気の所為だと、自分に言い聞かせて彼女に近づく。
「聞こえてる?」
彼女との距離は1メートルほど。声が聞こえてないなんてはずはないが……。正直に言うと、僕はもう不安で胸がいっぱいだった。動悸もしている。ここから離れたかった。しかし、もしかしたら調子が悪いのかもしれない。そうだったら大変だ。
僕は意を決して、彼女の肩に手を軽く叩いてみることにした。
ソっと手を伸ばす。
すると菩薩院さんは、姿勢はそのままで右腕だけ後ろに伸ばし、ガッと僕の腕をつかんだ。
僕は驚き、よく後ろを向いたままで正確に腕をつかめるな、なんて呑気なことを思っていたのは一瞬。
腕が痛い……。指を立てて思いっきり握るもんだから、爪が皮膚に深く食い込んでいる。爪には真っ赤なネイルが塗ってあった。仕事中は何も塗ってなかったはずだが……。
「ぼ、菩薩院さん。痛いんだけど……」
ほんの少し抗議してみると、ようやく彼女は喋った。
「……どうして、邪魔をしたんですか?」
何のことだかよく分からない。僕の腕の痛みはどんどん増している。握る力が徐々に強くなっている気がする。
「邪魔って、何のこと……?」
「私、真剣だったのに……」
会話のキャッチボールが出来ていない。鋭い痛みが腕を襲う。これ、血が出てるんじゃないか……。
「痛っ……!」
思わすうめき声が出た。そこで彼女はようやく腕を離してくれた。ああ、やっぱり血が出てた。爪が刺さった五か所全部に。
菩薩院さんは髪を結い上げていたヘアゴムを無造作に外す。バラバラと解けた艶やかな髪は、不吉を孕んでいるように思われた。そして、彼女はゆっくりと振り返った。
その顔を見て、僕の胸には恐怖と驚愕が一気に湧き上がった。血色の悪い顔に痩けた頬、目の下の隈に真っ赤な口紅、恨めしそうに睨む目……。
呪い女だ……。あの時の呪い女だ!
驚きのあまり尻餅をついてしまった。僕を見下ろし睨む彼女に、僕は呼吸を忘れるほど緊張していた。
「ゆるさないから」
ニターっと笑い、それだけ言うと、彼女はそのまま帰って行った。
尻もちもついたまましばし呆然とする。まさか、菩薩院さんが丑の刻参りをしていた呪い女だったなんて……。あの不気味な顔は全部メイクか……。そんなの、気づけるわけないよ。
衝撃的な事実に頭が混乱する。そして、とんでもない事に気がついた。
どうしよう。個人情報、喋りまくっちゃったよ……。
夜、住居兼本殿で悶ている。
ああ、まずい、まずいぞ。絶対復讐に来る。どうすればいいんだ。どうしたらいいんだ。
『落ち着いてください』
これが落ち着いていられますか! ……ハッ! まさか、あの呪い女が巫女様が言っていた大きな災いか!
『そんなわけないでしょう』
水晶さんからヤレヤレといった雰囲気を感じる。どうしてそんな事がわかるのか。
『明日も早いのですし、もうお休みになられては』
こんな動揺していて眠れるとは思えない。それでも起きていて思い悩んでいてもしょうがないから、とにかく布団に入って体を休めることにした。
布団に入り目を瞑れば、寝不足だった所為か、思いの外すんなりと眠ることが出来た。
ジャラ……ジャラ……
何かの音で目が覚めた。まだ意識がはっきりせず、ぼやける頭で耳を澄ましていると、その音は金属が擦れ合う音のように思われた。
「……お……が……しま……す」
かすかに聞こえてくる声で、頭が一瞬で冴えた。この声、最近聞いたことがあるぞ。
恐る恐る声のする方を見れば、そこにいたのは異世界で見た幽霊だった。なんてことだ、連れ帰ってしまったようだ。成仏していなかったのか……。
しかし、女の幽霊は異世界の宿で見たときとはだいぶ様子が違う。体中には鎖が巻き付き、まるで捕らえられているようだ。顔も生気のない無表情ではなく、焦っているような切羽詰まった顔をしている。そして……その顔はシュウ君にどことなく似ているような気がした。
「あなたに……しか…お願い……できな……いん……です」
「おね……がい……?」
苦しそうにうめく女の霊。お願いとは一体……。尋ねてみようと思ったが、その異様な様子に混乱してうまく声が出なかった。
「わたしを……消滅……させて……たいへんな……ことに……」
「あの、それはどういう意味で」
「……うっ!」
やっとの事でまともに質問できたと思えば、彼女に巻き付いている鎖は締付けを強くし、鎖が伸びている方向へすごい勢いで引っ張っていった。一瞬の出来事だった。後には静寂だけが残った。
それはまるで地獄に引きずられていく人間を見る様で、僕は恐怖のあまり固まってしばらく何も考えることが出来なかった。
『カミヒト様、大丈夫ですか』
「……うん」
水晶さんの輝きで、ようやく動くことが出来た。寝間着は汗でびっしょりだ。深呼吸をして心を落ち着かせる。
これはすぐにでも異世界に行かないといけないかもしれない。
『まだ夜です。ひとまず明日になってから考えましょう』
「でも……」
『まずは体の疲れを取りましょう。体調を万全にすることが先決です』
「こんな状況じゃ眠れないよ……」
『わたしにお任せください』
水晶さんから放たれた優しい光が僕を包み、すぐに意識を失った。




