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第40話 神楽舞

 時刻は午後二時。もうすぐ神楽殿かくらでん天女あまめちゃんの神楽舞が上演される。今日と明日の二日間上演する予定だ。社務所を空けることは出来ないので、僕と菩薩院ぼさついんさんは交代で観ることにした。今日は僕の番だ。


 神楽殿には、すでに天女ちゃんと楽器を演奏する伶人れいじんが数人スタンバイしている。事前告知はしていなかったが、天女ちゃんが登場するとすぐに神楽殿の周りには人だかりができた。


 神楽かぐらの起源は古事記や日本書紀の岩戸隠れの段のだとされる。この神話を要約すれば以下のようになる。


 須佐之男命すさのおのみことのいたずらに怒った天照大御神あまてらすおおみかみが天の岩戸という岩屋に隠れた。その為、世の中が真っ暗になり困り果てた神々は天安の河原(あめのやすのかわら)に集まり、どうしようかと相談をした。そこで思兼神おもいかねのかみという賢い神が一計を案じ、鶏を鳴かせた。そして天宇受賣命あめのうずめのみことという芸能の神が、天照大御神あまてらすおおみかみを岩戸から出すために桶の上で踊りだした。この時の天宇受賣命あめのうずめのみことの神がかりの舞が神楽の起源と言われている。


 神楽は本来は巫女による神がかり、つまり神霊などの霊的存在が憑依する為の儀式だった。それが時を経て、様々な意味を持つようになった。神楽にも色々種類があり、今天女ちゃんが舞っているのは巫女神楽と呼ばれるものだ。現在では神がかりの要素はなく、祈祷や奉納のための舞だと言える。


 なぜ今まで神社に大して縁のない僕がこんなに詳しいかと言うと、隣りにいる親方が説明してくれたからである。親方から聞くまでは神楽の意味なんて全く知らなかった。


 天女ちゃんが手に持っている神楽鈴をシャンと鳴らした。もう始まるみたいだ。


 笛が鳴った。厳かな音色とともに天女ちゃんが舞う。笛はしょう篳篥ひちりき龍笛りゅうてきの3種類あって、この管楽器は三管と呼ばれている。雅楽では広く使われているようだ。三管の独特な音と旋律がこの場を重々しく、より神聖な空気に変える。三管の音はお正月に聞くくらいで、そこまで馴染みのある音ではないが、なぜだか懐かしさを覚える。


 笛の音に合わせ舞い踊る天女ちゃんは美しく、儚く、そして神々しい。神である僕よりも神々しい。もう本当に天女てんにょっていわれても納得してしまう。


 みんな見惚れている。僕はもちろん、参拝客や親方、霊管の方々、それから妖かしの皆さんまで天女ちゃんの舞に釘付けだ。三管の織りなす音色に聞き惚れ、天女ちゃんの舞に陶酔し、しばしこの神秘的な畏怖すら感じる空間に浸っていたが、周りの人たちに異変が起こっているのに気がついた。


 皆さんの体から光の粒子のようなものが出ている。そしてそれが天女ちゃんに流れていく。一体これは何だ? この光の粒子、僕にしか見えていないようだ。


『畏怖の念ですね』


 畏怖?


『観衆が天女様に抱いた気持ちが、舞を通して天女様に流れているようです』


 なるほど、神正氣の素となる感謝パワーとか信仰心に似た力か。ということは天女ちゃんはもしかして、神術を使えたりするのかな?


 と、そんな事を考えていたら神楽が終わった。場には静寂が流れる。しばらくしてから、溢れんばかりの拍手が沸き起こる。神事に対して拍手をしてもいいのか、もっと厳かにするべきでは無いかと一瞬思ったが、まあそんな細かいことはいいだろう。ここの祭神、僕だし。本当に素晴らしかったし。正直に言えば、ブラボーと叫びたい程良かった。流石にそれはやらないけど。


 天女ちゃんは皆さんから集めた畏怖のエネルギーが充満していて、とんでもなくとんでもない事になっていた。仏のごとく後光が差している。この光は僕にしか見えないようだが、ずっとこのままなのかな? だったらちょっと眩しいかも。


 神々しく輝く天女ちゃんを見ていたら、後光が彼女からすっと抜け僕の方にやって来た。そして光は僕の中に入り、神正氣となった。……一体なぜ?


『天女様はカミヒト様の眷属ですから』


 眷属だからって、天女ちゃんの集めたエネルギーを勝手にもらったらダメだと思うんだけど……。


『神楽とは神に奉納する儀式なのですから、カミヒト様がその恩恵を受けることは当然です』


 そうは言っても、なんだか天女ちゃんのものを掠め取ったみたいで気が引ける。


『慣れてください』


 慣れられるかな……。まあ、今はとにかく見事な舞を見せてくれた天女ちゃんを労うとしよう。僕は社務所の休憩室として使ってある控室に向かった。引き戸越しに声をかけ、了解を得てから中へ入る。控室は天女ちゃん1人だけで狐のお面は外していた。仕事をやりきった充実感からかご満悦の様子。


「お疲れ様。天女ちゃんの舞、すごく良かったよ」


「ありがとうございます! うまく踊れていたか不安でしたけど、良かったです」


「初めてとは思えないくらい上手だったよ。みんな感動していたし。勿論僕もね」


「はい。緊張したけどとても楽しかったです!」


 とてもいい笑顔だ。その表情からは不満などは微塵も感じない。僕が天女ちゃんが集めた畏怖のパワーを貰ってしまった訳だけど、その事は自覚しているのだろうか。ちょっと聞いてみよう。


「天女ちゃん、神楽を舞っている時に天女ちゃんに神正氣の素になるパワーが集まっていたんだけど、それは感じていた?」


「シンセイキって神様の力でしたっけ? それの素が? いいえ、踊るのに精一杯で気づきませんでした。私に集まっていたんですか?」


「うん。それでね、それが僕の中に勝手に入ってきちゃったんだ」


「そうなんですか」


 おぅ、リアクションが軽いな。


「勝手に取っちゃったわけなんだけど……」


「でも神正氣って神様しか使えないんですよね? 水晶さんから聞きました。それに神楽とは神様に奉納する為の儀式です。日頃からお世話になっているカミヒトさんに恩返し出来たようで良かったです」


「……湿原しめはらさんの方がよほどの事お世話してると思うんだけどね」


「はい、確かに湿原さんをはじめとして、霊管の方々にはすごくお世話になっています。でもカミヒトさんにもたくさん感謝していますよ。カミヒトさんが授けてくれたスキルのお陰で困っている人を助ける事ができたので!」


 今朝、菩薩院さんから聞いた怪力おばさんの件だな。横転したトラックと女の子を助けたとか。


「トラックと女の子の事だよね?」


「はい! トラックの運転手さんは軽傷みたいなので良かったです。女の子にもお礼を言われちゃいました」


 得意げな顔はいい仕事をしたと言わんばかりでとても誇らしげだ。僕としては目立って欲しくないから、手放しでは褒められないんだけど。片手で横転したトラックを戻すとかやり過ぎだ。目撃者もそれなりにいるようだし。警察はこの事故をどのように処理したのかちょっと気になる。


 やり過ぎた感は否めないがしかし、それで助かった人がいるのも事実なので天女ちゃんを咎めることなど出来るわけがない。


「うん、天女ちゃんの行いはとてもいい事だし、僕も誇らしく思うよ。でも今度からスキルを使ったら僕か湿原さんに一言教えてね?」


「はい、わかりました!」


 元気があって非常によろしい。天女ちゃんは生まれたばかりだし、加減とかわからないのは仕方がないよなあ。僕も彼女の後見人としてもっと確りしなくては。さて、僕は仕事に戻るか。


「僕はもう行くから、天女ちゃんはゆっくり休憩してね」













 日もだいぶ傾き、参拝客も少なくなってきたので、僕と菩薩院さんは雑談する余裕が出てきた。話題はお互いの事である。


「へえ~、コンサルティング会社ですか」


 菩薩院さんは4月から外資系のコンサルティング会社に入社するらしい。僕は知らなかったんだけど、有名な会社みたいだ。おしゃれな横文字で、年収の高そうな名前だった。


「野丸さんはずっと神職なのですか?」


「最近なったばかりなんだ。もうすぐ辞めるけど、大学を卒業してからずっと会社で働いていたよ」


「なぜ神主になろうと思ったんですか? ご実家の関係でしょうか」


「いや、親も普通に会社員だよ。神主になったのは、まあ、成り行きで……」


 このへんはあまり突っ込んでほしくないな。女神様に頼まれました、とは言えない。


「ご兄弟はいらっしゃるんですか?」


「僕は一人っ子だよ。菩薩院さんは?」


「私は妹が一人います」


 その後もお客さんがいない間は菩薩院さんとおしゃベリをしていたのだが、僕のプライベートなことをよく聞いてきた。住んでいる場所とか、どこの大学を出たのだとか、今までどんな仕事をしてきたのだとか、実家の場所とかエトセトラ。


 もしかしたら、彼女、僕に興味があるのかも。いやいやそんなわけないか。でもこんな美人で礼儀正しい子が彼女だったらいいなあ。


 そんなことを思っていたわけだが、菩薩院さんを見ていて一つ気になったことがあった。最近、彼女を何処かで見たことがある気がするんだよな。う~ん、いつだろ?


「私の顔に何かついていますか?」


 おっと、いかんいかん。顔をじっと見すぎてしまった。


「いえ、巫女装束が様になっているなと思って」


「ふふ、ありがとうございます。私もお仕事楽しかったです。このままここで働きたいくらいです」


 リップサービスだとわかっていても、そう言われると嬉しいものですね。久しぶりにときめいてしまった。


「いつでも歓迎しますよ。もう五時になりましたね。片付けをして上がりましょうか」


 僕たちは簡単にお片付けをした。菩薩院さんは社務所で着替えるので、僕は外に出る。この後は巫女様と会う予定だ。何か茶菓子でも用意したほうがいいかな。


「おまたせしました」


 僕は菩薩院さんを見送るため、入り口の白い鳥居のところまで一緒に行った。


「それでは、明日もよろしくお願いしますね。では、お気をつけて」


「はい、明日もよろしくお願いします。それと野丸さん、就職の件、本気で考えてくださいね。それでは失礼します」


 丁寧にお辞儀をして菩薩院さんは帰っていった。


 就職の件ってここで巫女さんとして働きたいってこと? あれ本気だったの?


 年収の高そうな会社を蹴って、ここに就職したいとか。しかも僕の個人情報も色々聞かれたし。まさか……僕に気がある?  ……え、マジで? これはもしかすると、もしかするかもしれない。本格的にときめいちゃってもいいのかな?


 僕の物語のヒロイン、見つけちゃったかも。

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