第36話 講義
未知との遭遇から数時間後、空は夕焼け模様だ。
僕はシュウ君のお姉さんのロゼットさんと会うべく、中央教会に来ていた。ロゼットさんは北区の教会に勤めているらしいのだが、モンレさんが僕のためにわざわざ中央教会へ呼び寄せてくれた。なんだか申し訳ないです。
教会の中には顔パスで入れる。昨日の瘴氣の浄化で成果を出したことにより、局員の人たちの僕の評価は上々だ。すでに仲間として受け入れてもらっている。案内された場所は応接室のような所で、中にはモンレさんと僕より少し年上っぽい女性の神官がいる。僕はモンレさんと挨拶を交わした。
「こちらがロゼットです」
おや? この人がロゼットさん? 随分とシュウ君と歳が離れているんだな。彼は見た感じ中学1、2年生くらいだから、10歳以上は優に離れてる。
「野丸嘉彌仁と申します。突然お呼びして申し訳ありません」
「ロゼットと申します。カミヒト様は素晴らしい力をお持ちになっていると聞き及んでいます。お会いできて光栄です」
「こちらの部屋は自由にお使いください。私はお茶と菓子でも持ってきましょう」
そう言って、モンレさんは部屋から出ていった。残された僕たち二人はソファーに対面で座った。
「弟の知り合いと伺っています。あの子は迷惑をかけてないでしょうか?」
「ここへ来る途中に知り合ったんです。道案内をしてもらいました。彼のお陰で道中、退屈しないで済みました」
「そうですか。ご迷惑をおかけしていないならば、何よりです。あの子は少し抜けているところがありますから」
「元気でいいと思いますよ。しかし、僕と出会った時は、街道で倒れていたので少し心配です。本人は大丈夫だと言っていましたが……」
「まあ! 本当ですか? あの子はあまり体が丈夫ではないから……。心配だわ」
シュウ君は痩せ気味なものの、元気ハツラツとしていたから、体が弱いというのは意外だ。
「昨日会った時はそんな事一言も言ってなかったのに……」
ん? 昨日会った? 確かシュウ君は自分の村に向かったはずなんだけど……。
「彼もセルクルイスに来ているのですか?」
「ええ。近隣の村を行き来することはありますが、ずっとセルクスイスに住んでいますよ? ここまで一緒にいらしたのではないのですか?」
おかしい。彼はセルクルイスではなく、近くの村に住んでいるはずだ。確かイルマ村とか言ったはず……。
なんだか齟齬がある。ロゼットさんもそれを感じているのか、やや訝しんでいるような顔だ。
「あの、弟さんの名前はシュウ君ですよね?」
「……いいえ、弟の名前はジスランです」
なんてこった。間違えてしまった。シュウ君のお姉さんではなかった。人違いだ。ロゼット違いだった。
その時、コンコンとドアが叩かれた。モンレさんがお茶を持って現れた。
「失礼します。おや?どうしたのですか、カミヒトさん?」
「……どうやら人違いだったようです」
僕はわざわざご足労いただいたのに、人違いであったことをロゼットさんに詫びた。ロゼットさんはお気になさらずにと言ってくれたが、それでも申し訳なく思う。
念の為、ロゼットさんに弟さんの詳細を伺ったが、シュウ君とは全く違っていた。ロゼットさんとは7つ違いで、すでに成人しており、子供が出来たばかりだという。生まれも育ちもセルクルイスだそうだ。
人違いだったので、ロゼットさんにはお帰りいただいた。何かお詫びの品でも渡せばよかったな。まあ、何も渡せる物は持ってないんだけど。
「モンレさん、他にロゼットという方はいないのですか?」
「ええ。私は黄光衛生局セルクルイス支部を任されていますから、局員はすべて把握しております。ロゼットとい名前はよくありますが、セルクルイス支部では一人しかおりませんね。ここ数年で辞めた者の中にも、他支部へ移動になった者にもいません
」
という事はシュウ君のお姉さんはここで働いていないと言う事だ。どういうことだ? シュウ君が間違っていたのか、嘘をついているのか……。
「失礼ですが、名前を聞き違えたという可能性は? 名前以外に何か情報はないですか?」
「そういえば、近々第五階に昇格すると言っていましたね」
「第五階に昇格? それはありません。ここに第五階に昇格予定の者などいませんよ。そのシュウという少年にからかわれているのではないでしょうか?」
「……そうかもしれません」
それならそれでいいが、彼が嘘をついているようには見えなかった。別にそこまでロゼットさんにこだわっているわけでは無いので、居ないなら居ないでいい。しかし、何かが引っかかる。
「……ロゼットといえば、2百年前にセルクルイスを災いから救った聖女様の名前もロゼットというのですよ」
唐突な話題の転換になんだろうと顔を上げると、穏やかな笑顔で僕のことを見つめていた。
「アリエ殿からカミヒトさんに色々と教えてあげるように頼まれたのですよ。カミヒトさんの国では言い方が異なるようなので、捉え方が違ったり、知らないこともあるかもしれません。ですので五大悪氣やセルクルイスの歴史について少し講義したいのですがよろしいですかな?」
なるほど、気を使ってくれているようだ。考え込んでいる僕の顔を見て、騙されて落ち込んでいると思ったのだろう。モンレさんはこういうさりげない気遣いがうまいよな。穏やかで、部下の信頼も厚い。理想の上司と言ってもいい。僕もこういう歳の取り方をしたいものだ。
「お願いできますか?」
講義をしてくれるのなら願ったりだ。水晶さんが異世界のこと知らないから、自分で情報を集めないといけないからね。
「それではまず五大悪氣のことから始めましょう。カミヒトさんの国ではどのように言うのかはわかりませんが、ズッケーア大陸では一般に次のように言われています。すなわち魔氣、瘴氣、邪氣、禍氣、冥氣です」
New悪氣は禍氣と冥氣だ。メモ帳が無いから必死で覚えないと。
「カミヒトさんもご存知のように、悪氣は我々人間を含め、あらゆる生物や霊物にとって脅威以外の何物でもありません」
もちろん、ご存知ではなかったです。
「しかし我々は、これらに対抗する術を持っています。魔力を信仰と祈りにより精錬させ、色聖という聖なる力に進化させる事ができます。色聖は全部で五属性あり、それぞれが悪氣を祓う力を持っています」
これは昨日、アリエさんにも聞いたな。そしておそらくだが、神正氣は五属性すべてに対応してるっぽい。
「ここまでよろしいですか?」
僕はうなずいた。
「それでは、五大悪氣を個別に説明します。魔氣は人以外のあらゆる生物を侵し、凶悪な魔物へと変えます。一説によると精霊ですら魔氣に侵されることがあるのだとか」
昨日、遭ったな。クマデターとか言う魔物に。めっちゃ怖かった。
「これを浄化できる属性は青聖です。カトリーヌ教では、青聖持ちの教徒で組織された魔物討伐専門の集団を青炎討伐部隊と呼びます」
これはアリエさんの所属している所だ。
「瘴氣は生物の体を蝕み、機能不全に陥らせます。症状は様々で、長く瘴氣に曝されていたり瘴氣の量が多かったりすると、例え浄化させても身体に表れた症状が治らない事があります。その場合は治癒魔法が必要となります。昨日の患者様のような場合ですね。カミヒトさんには見事な治癒魔法を見せていただきました」
神正氣の消費、半端なかったですけどね。
「これを浄化出来るのは黄聖で、専門組織は我々黄光衛生局です」
黄光衛生局、今まさにお世話になっている所だ。大変助かっております。
「続いて禍氣ですが、これは空間に作用し、その場を災いで満たします。そこにいると、とてつもない不運に見舞われるという事です。禍氣は他の悪氣と違い、その存在がわかりにくいという特徴があります。これを打ち消すのは白聖で、白琴聖歌隊の領分となります」
空間に影響を与えるものもあるんだ。そこにいるだけで不幸になるとは……。しかもわかりにくいなんて。こいつも厄介だ、お目にかかりたくない。
「以上三つが自然発生すると考えられている悪氣です」
「邪氣については昨日少し聞きましたが、冥氣も人為的に発生させることが出来るのですか?」
「いいえ。順を追って説明しましょう。邪氣は昨日も説明した通り、人が唯一生み出せる悪氣です。外法で魔力を邪氣へと変えた人間は呪術を使えるようになります。呪術は人を害するためだけに生み出された禁忌の魔法です。これは邪神を崇拝する邪教が好んで使いますね。邪氣を滅することが出来るのは赤聖で、邪教に対抗する組織が赤刀武刃衆となります」
「昨日の赤い神官服を着た女性もその赤刀武刃衆の人なのでしょうか?」
「トトマですね。ええ、その通りです。その節は大変ご迷惑をおかけしました」
不意打ちで赤聖魔法を撃たれたときのことだ。
「いえ、気にしていないので」
そう何度も頭を下げられると困ってしまうな。
「ありがとうございます。最後に冥氣ですが、これは五大悪氣の中で最も厄介といわれております」
他の4つも十分厄介なんですけど。これ以上があるのですか……。




