第29話 “伝説の何か”
「ドラゴニックババア? それってどんな姿してるの?」
僕は若干食い気味に聞いた。だってもしかすると知り合いかもしれないから。
「兄ちゃん、ドラゴニックババアも知らないのかよ?」
「有名なのかな?」
「有名っていうか常識だぞ。ドラゴニックババアっていうのは顔はババアで体はドラゴンなんだ!」
やっぱりミラさんとエラさんのことっぽいな。たまに異世界に行くみたいなこと言っていたし。
「髪はお団子みたいにしていて、かんざしとか挿してなかった?」
「飛んでるのを下から見ただけだから分かんねえや」
「……よくご存知ですね。リッポウ連合伝説大合戦図でもご覧になったのですか?それともズッケーア大陸ババア大図鑑?いえ、どちらも聖都でしか見られないはず……」
彼女の口ぶりからして、僕が会った姉妹ドラゴンババアはドラゴニックババアでほぼ確定かな。彼女たち、ドラゴニックババアっていうのか……。呼び方は殆ど変わらないけど、これからは僕も正式名称で呼ぶことにしましょう。あとババア大図鑑が気になる。
「僕が見たのもドラゴニックババアのようです」
彼女たちはこの世界ではメジャーな存在のようなので、僕も見たと言っても大丈夫だろう。実際は迷子のミラさんに直で会って、エラさんに妹探しのクエストを発注されて、おまけにほっぺにチューまでされた程の間柄なのだが、そこまで言うのは憚られた。大図鑑に載り、シュウ君が見かけた事を話題に出すくらいなのだ、きっと身近な存在ではないのだろう。
「マジかよ、兄ちゃんも見たのか!」
「ドラゴニックババアはおとぎ話の世界のババアですよ。見間違いではないですか?」
やれやれといった様子でため息をつくアリエさん。まずったかもしれない。常識といっても物語の登場人物的なやつだったか。日本だと桃太郎とかかぐや姫のような。だが実際は存在していて、シュウ君が見たというのも本当だろうが、異世界一般では架空の存在として扱われているようだ。さて、どう取り繕うか……。
「本当に見たんだよ!あんなの見間違えるわけねえよ!その後良い事もあったし!」
「ドラゴニックババアを見ると良い事があるの?」
「ドラゴニックババアは吉兆のシンボルとして有名です。縁起の良いババアとして知られています。ドラゴニックババアを信仰する地域もあるそうですよ」
「それからドラゴニックババアは“伝説の何か”を呼び寄せるっていう話だぜ。もう“伝説の何か”が出現してるかもな」
アリエさん、なんかピクって反応した気がした。っていうか“伝説の何か”ってなんぞ?
「“伝説の何か”ってなんですか?」
僕が問いかけると、二人はギョッとして大層驚いていた。
「“伝説の何か”も知らないのかよ!?兄ちゃんどんな辺境から来たんだ……」
「東の大陸でも“伝説の何か”は広く知られていると聞きます。というよりも過去、東の大陸でも様々な“伝説の何か”が生まれましたよ。これはカトリーヌ教でも確認してある事実です。そのような事も知らないなんて、カミヒト殿、あなたは一体……」
本気で驚かれている。その驚かれように僕も驚いている。知らないことがとても非常識っぽい。その“伝説の何か”とかいう何かがそんなに重要だとは思えないのだが……。返答に困った。
「あの、僕の国は東の大陸でも端っこのまた端っこで。もっといえば、海を隔てた島国です」
「はあ~、思ったより遠くから来たんだな、兄ちゃん」
「“伝説の何か”も知らない辺境の地があったなんて……。カミヒト殿、あなたが突き抜けた常識知らずというわけでは?」
……異世界に今日初めて降り立った身としては、そんなあやふやな何かが常識オブ常識だなんて知る由もない。あまり質問しまくるのも控えたほうがいいかもしれない。でも、異世界なんだから知らない事ってたくさんあるだろう。どうすればいいんだ。
「あの、なんかごめんなさい」
僕は全然悪くないのだが、なぜだか謝ってしまう。この二人から責められているような気配を感じるからだろうか。
「本当に知らないのですね」
めちゃくちゃ呆れられている。だってしょうがないじゃないか、異世界から来たんだもん。こっちの常識なんか知らんがな。
「まあ、いいでしょう、簡単に説明しましょう。“伝説の何か”とは……、実はよくわかっていないのです。ですが極めて強い力を持った何かです。それは様々な形で現れ、時には人であったり、武器であったり、物であったり、無形物であったりします。その存在は人間に概ね良い影響を与えると言われていて、人間にとっての大厄を祓うために神が慈悲を齎したと主張する人々もいます。我々人類の歴史が始まってから今まで、様々な“伝説の何か”が顕現しており、天下にあまねく知られるものから、誰にも認知されずひっそりと役目を果たす“伝説の何か”まであるという話です。そして重要なのが、“伝説の何か”で一番有名なのは“伝説の聖女”カトリーヌ様です。カトリーヌ様は千年前に生まれた“伝説の何か”です。大厄から世界を救った素晴らしいお人なのです!」
最後、カトリーヌ様の下りの方になると、アリエさんのクールな態度は鳴りを潜めて、熱狂的なファンのように興奮していた。アリエさんもこういう表情をするんだな。それだけ信仰心が高いのだろう。
「ちょっと質問いいですか?何かがわからないのに、なんで既に伝説になっているんですか?」
そこがめちゃくちゃ気になっていた。伝説って昔から言い伝えられている話とかじゃないの。人物にしろ物にしろ、ちゃんと対象がはっきりしているものじゃないか。そこんとこどうなのよ。
「何故と言われても、そういうものだからですよ」
「そうだな。そういうもんだ」
「なるほど、そういうものなんですね」
全然納得出来ないけど、郷に入れば郷に従えだ。めちゃくちゃモヤモヤするが、深く考えるのはやめたほうがいいだろう。
そんな事を話しながら歩いているうちに、森の出口が見えてきた。
「森を抜けたらセルクルイスが見えるぜ」
森を抜けると彼の言う通り、遠方に大きな外壁が見えた。セルクルイスを囲む壁だ。その広大で堅牢な姿に暫し言葉を失う。
森を抜けた先はいくつもの丘が重なり合っていて、その一番上にセルクルイスがどっしりと構えている。遮るものがないので見晴らしが良く、素晴らしい景色だ。
「あと、一時間とちょっとで着くでしょう」
「もうすぐでお別れだな。後ちょっと進むと俺の村に続く枝道があるんだ」
「シュウ君の村は後どれ位で着くの?」
「一時間くらいかな」
「ここからセルクルイスと同じくらいか。ねえ、とりあえず一緒にセルクルイスに行かない? 体調も心配だし、さっき魔物も出たから危ないよ。とりあえずお姉さんのところに行って、後日誰かにシュウ君の村まで送ってもらおう」
「どこか悪いのですか?」
「彼は道で倒れていたんです。食べ物と飲み物をあげたら元気になったんだけど。それでも倒れる直前の記憶が無いようなので心配なんです」
「大丈夫だよ。体はこの通りピンピンしてるしさ。魔物だってめったにいないぜ」
「たしかにこの辺は魔物はめったに出ませんね。先程のクマデターのような例外もありますが」
「あんまり遠くないようだし、僕が送っていこうか?」
正直に言えば、魔物は怖い。もう会いたくないが、それでも彼のことが心配だ。身を守る方法も攻撃手段もあることだし、魔物が出ても彼のことを守れると思う。
「本当に大丈夫だよ。今まで魔物なんて出たことねえしさ。この辺見晴らしが良いから出てもすぐ気づくよ。でも心配してくれてありがとな」
「そっか。でも気をつけてね?」
「おう!」
それから他愛無い話をしながら歩くこと10分ほど、大街道の東側に枝道が見えてきた。
「それじゃあ、俺はここで。兄ちゃん本当にありがとう。騎士の姉ちゃんもじゃあな」
「僕の方こそありがとう。本当に気をつけてね」
「セルクルイスに着いたら、俺の姉ちゃんを尋ねてみなよ。俺の名前を出せば親切にしてくれるはずだぜ。姉ちゃんの名前はロゼット。黄光衛生局のセルクルイス支部で働いてるよ」
「うん、時間があったら尋ねてみるよ。それじゃあね」
「お気をつけて」
元気よく手を振りながら彼は彼の村へと帰っていった。僕はしばらく見送っていた。元気な少年だった。また会えると良いな。
「それではセルクルイスに参りましょうか」
「そうですね」
セルクルイスまでは後少しだ。僕たちは再び歩き出した。




