第26話 魔物討伐
突然の魔物を知らせる声にあたりが騒然とする。僕を含め周りの人々は身を強張らせ、イーオ様を護衛する騎士達は馬車を守るように臨戦態勢となった。すると街道を囲む森の方から辺り一帯を震わせる程の低い唸り声が響いた。その唸り声は街道からまだ距離はあるが、あまりの迫力に人々に動揺が広がる。
ここで馬車を守っていた騎士の一人が森の中へ駆けていった。その騎士は女性のように見えたが、彼女が一人で討伐するのだろうか。
しばらくすると森の中から、魔物の唸り声、木を叩く激しい打撃音、刃物同士がぶつかり合う鋭い響き等の戦闘音が断続的に聞こえてきた。我々非力な一般市民は固唾を飲んで見守っている。すると。突然、大きな音と共に地面が揺れた。どうやら大木が折れたらしい。どれほど激しく戦っているんだ。それでも女性の騎士が押しているのか、戦闘音が段々と遠ざかっているように思える。
2、3分ほど経っただろうか、女騎士が魔物を森の奥へとどんどんと追いやって、我々の警戒を解くほど戦闘の音が小さくなった。とりあえすは大丈夫そうだと、安堵の息を漏らす。気がつけば固く拳を握っていて汗でビチョビチョだ。他の人も僕と同じ様にホッとしつつも疲れたような表情をしている。
僕は魔物と女性騎士が戦っている方向をじっと見ていたが、ふと気配を感じたので、何の気なしにすぐ横の森の方を向いた。
すると大きなくまさんと目が合いました。
…………。
熊だ、熊が出た!
血の気がサーっと引いていく。その熊らしき生き物は二足で立っていて、明らかに敵意に満ちた目は、その眼差しだけで射殺さんとしているようだ。恐怖で固まった僕は動くこともできず熊を観察するしかできない。体長は3メートルは超えているだろうか、地球の熊よりも筋肉ムキムキで、手足には鋭い鉤爪がついており、体全体から黒い湯気のようなものがでている。見た目は煤子様を蝕んでいたあのモヤのようだが、異なった性質のように感じる。どちらも嫌な感じがする事に変わりはないけれど。
シュウ君の方をちらりと見れば、すでに熊に気づいていたようで、尻餅をつき口をパクパクとさせていた。僕も立っているのがやっとで何もすることができない。といっても熊に出会ったら迂闊に動いてはいけないのでこれが正解なのだが。
「音が止んだな。倒したのか、なあ坊主?」
それまで魔物と女騎士の戦いの方を見ていたイーオ様のファンのおじさんがこちら方に振り向いた。熊が視界に入り、ヒッと小さな悲鳴を上げた。
「魔物だあ! クマデターだ!!」
ちょっと! それ、熊に遭遇した時、一番やっちゃいけないやつ!
おじさんは叫びながら、背を向けてダッシュで逃げた。
クマデターと呼ばれた魔物はおじさんの叫び声をかき消すように大きく吠えた。至近距離で聞くその咆哮はさながら怪獣のようだ。オシッコちびりそうになるのを骨盤底筋に力を入れ、なんとか堪える。
クマデターさんは筋肉モリモリの前足を大きく振りかぶり、殺意マシマシの鉤爪で僕たち二人をまとめて切り裂こうと、その逞しい前足を振り下ろした。
僕は瞬時に結界を張る。
ガキィンと硬質な音が響いた。結界は傷一つ付かずびくともしない。助かった……。魔物はもう一度同じ攻撃を繰り出したが、やはり結界を傷つけることはできなかった。その後何度も何度も攻撃をしたが結界を破ること能わず、僕は熊が結界に夢中になっている隙きに騎士の人たちに助けてくださいとアイコンタクトをした。
しかし悲しいかな、誰も助けてくれなかった。護衛の人たちは武器を構えるだけでこちらに加勢しようとはしない。手のひらに火の玉っぽい魔法を出している人もいるが、出しているだけで熊を攻撃しようとはしない。どうやら騎士の人たちはイーオ様の安全が最優先で善良な市民の安全は二の次のようだ。なんだよちくしょう。
熊は攻撃しても無駄だと悟ったのか、攻撃をやめて結界から距離を取っている。しかし相変わらず殺意のこもった目で見ていて、まだ諦めていないらしく、結界の周りをウロチョロしている。僕たちのことを獲物としてロックオンしたようだ。僕たち以外の市民は皆、騎士団の後ろに避難していた。
もう一度騎士団にチラチラとアイコンタクト。助けてください。
しかしやはり馬車の前から動かない。やんごとなきお方の命が大事らしい。ああ、世知辛い世の中だ。
こうなったら自前の攻撃用の神術で撃退するしかない。粗事は苦手なのでできれば使いたくなかったが、義理人情の薄い異世界人ですから、自分で何とかするしかないのです。
異世界に来る前に習得した攻撃用の光球は2種類、痺れ玉と破壊玉だ。今回は躊躇なく破壊玉を使わせてもらう。痺れ玉は傷つけることなく、相手の自由を奪う時に使うもので、まあ言ってみれば麻酔弾みたいなものだ。だがこの熊さん、殺意の塊みたいなので、人間とは到底相容れないだろう。そういうわけで可哀想だが命を奪わせていただく。
熊に向かって手をかざし光球をイメージすると、結界と熊の間にバスケットボール大の黄金色の球が現れた。それを熊の頭部に目掛けて飛ばすように念じる。
それいけ! 破壊玉。クマデターを倒せ!
ジュッという水が一瞬で蒸発したような音と共に熊の頭部が消滅した。頭が飛び散ったわけではない。そこだけが抉り取られたように綺麗さっぱり消滅した。一片の欠片ともない。想定外の威力に理解が追いつかず、手をかざしたポーズのままフリーズする僕。頭を失った熊は前のめりに倒れ、大量の血が結界に飛び散る。その様はグロいの一言に尽きる。
ちなみに破壊玉は僕が指定した対象だけを破壊するようにできている。なので物や生物が巻き込まれて傷つくような事はない。人混みの中でも遠慮なくぶっ放せるというわけだ。なかなか使い勝手がいいのではなかろうか。
「すげえ! 兄ちゃんすげえ! マジすげえ!!」
今まで尻もちついてビビっていたシュウ君は立ち上がってすげえすげえと連呼していた。この様子だと彼は大丈夫そうだ。とりあえず難は去ったようで一安心。ふうっと息をつくと、結界の横にザッと何かが着地したような音がした。二人で一緒にビクッとなった。
「これはあなたがやったのですか?」
先程の魔物を倒しに行った女性の騎士だった。驚いた表情で僕にそう聞いた。女性はまだ若く10代後半のように見える。セミロングの青い髪にキリリとした美しい顔、凛とした佇まいが印象的な美人さんだ。素早さを活かすためか、ガッチリした鎧ではなく、青を基調とした軽装備だ。
「ええ、まあ」
気のない返事をする僕。青髪の美人さんは首から上がなくなった熊の魔物に近づき検分を始めた。
「魔氣が完全に浄化されている……」
「アリエ殿、いかがですかな?」
後ろから神官っぽい服を着た壮年の男性が青髪の女騎士に話しかけた。がっしりした体躯に強面で、きれいに整えられた髭がいかにも悪役って感じだ。この偉そうな悪おじの両脇には騎士が控えているのでやっぱり偉い人なのだろう。
「はい、向こうのクマデターはすでに討伐完了しております。こちらも魔氣の浄化まで完了しているようです」
青髪の女騎士から報告を受けると、偉そうな神官服のおじさんは僕に視線を向けた。
「素晴らしいお手前ですね。見たところ異教の高位の神官殿とお見受けしますが?」
いい方こそ丁寧だが、ギロリと鋭い目つきで僕を射抜くような眼差しは到底好意的とは言えない。やっぱり異教徒は歓迎されないのだろうか。
「はい、旅の途中でございます」
恭しくお辞儀をする。カトリーヌ教での礼儀作法はわからないが、こちらに敬意を払う意思があることは伝わっているはずだ。
「見たことのない意匠の神官服だがどちらの教徒でしょう?」
「ええと……」
「ん? 国はどこだね?」
まずい、尋問されてる。これは明らかによく思われてないぞ。対応を間違えたら異端審問にかけられるかもしれない。もしかすると間違えなくても異端審問にかけられるかもしれない。結構まずい状況かも。
「おやめなさい、ブオーサ。失礼ですよ」
何と答えたらいいか迷っていたら、悪おじを窘める美しい声が聞こえてきた。
「申し訳ありません、異国の方。非礼をお詫びします」
深々と腰を折り頭を下げた、その典雅な所作に目を奪われる。顔を上げ、申し訳なさそうに微笑む美しい少女がそこにいた。




