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第19話 ドラゴンババア①

 T駅で天女あまめちゃんの発作が起こってから一週間、僕は自宅のアパートで引っ越しのための荷造りをしていた。水晶さんから何度も神様に専念するようにいわれたので、仕事をやめる決心をして、ついでに住居兼本殿に引っ越そうという訳だ。


 昨日、部長に退職願を提出した。部長には引き止められたが、どうしても辞めざるを得ない事情があると言って了承してもらった。ただ引き継ぎがあるので退職は一月以上先になる。そこは水晶さんも理解してくれた。


 先週、天女ちゃんがT駅で起こした騒動については、とんでもないことになっていた。当初僕は、あの時ギャラリーからスマホでがんがん写真を撮られていたので、画像や映像が多くインターネット上に出回るのではないかと危惧していたのだが、そんな事は全然なかった。


 そうだ全く無かったのだ。なぜなら全ての人のスマホの中に天女ちゃんを写した画像及び映像データが無かったからだ。


 あれ程大勢の人から写真を撮られたのに、天女ちゃんが写っている画像が全く存在していないらしい。そんな訳でこの怪現象はSNSを中心に大騒ぎになっている。T駅にとんでもない美少女が降臨したと。しかし、撮影したはずのデータが無いと。SNS上でそんな事を投稿するユーザーが大勢いるものだから、結構な騒ぎになっている。


 何故に天女ちゃんの姿が写っていないのかといえば、眷属特典だそうだ。僕の力で天女ちゃんを災難から守ったとは水晶さんの言である。僕には守った自覚はないけれど。


 この怪現象は僕の仕業だとおじさんには言ってある。おじさんは「そうか」とただ一言だけだった。


 騒動に関しては、おじさんや湿原しめはらさんと相談した結果、放置することにした。時間が経てば直に収まるだろうという結論に至った。というか対策らしい対策は取れず放置するしか無いと言うのが正確か。


 天女ちゃんの顔はデジタルデータとして残ることはなかったが、念の為、天女ちゃんには東京を離れて、霊管支部のある地方都市にしばらく滞在してもらうことになった。同行者は湿原さんだ。


 天女ちゃんの人に見られたい欲求は、湿原さんが一応解決策を用意してくれた。なんことはない、ただウィッグを付けて髪を変えるだけである。しかし思ってた以上に効果があるようだ。髪型と色が変わるだけで、雰囲気も結構変わるものだから同じ人物と特定されにくくなる。


 なので何種類もウィッグを用意して、色んな場所に行けば、天女ちゃんの身元が特定される可能性はごく小さいはずである。


 湿原さんは天女ちゃんの人に見られたい欲求を理由に疎開先の観光地を回りまくっているようだ。かかった費用はすべて経費で落ちるので役得だとよろこんでいた。天女ちゃんには湿原さん以外に霊管の人が護衛についてくれているらしい。破格の待遇だ。

 

 霊管には大きな借りができてしまったな。また厄介な何かの浄化を頼まれそう。


 それにしても、荷造りは大変だ。引越し業者も探さないといけない。結構忙しくしているこの時に水晶さんはとんでもないことを言い出した。


『そろそろ異世界にいきましょう。明日がいいですね』


「明日ですか?ずいぶんと急じゃない?」


『今日はそのための準備をしましょう』


「せめて仕事をやめてからにできない?今は引っ越しの準備で忙しいし」


『明日でないとダメです』


「どうして?」


『どうしてもです』


「明後日仕事なんだけど……」


『下見ですのでそんなに時間はかかりません』


 こうなったらもう言うことを聞くしか無い。仕方がない、水晶さんの指示に従おう。


「準備って何するの?」


『異世界は危険な事もありますから、攻撃に特化した神術を覚えましょう。後は水や携帯食も用意しましょう』


「……ねえ、異世界ってどういうところなの?」


 危険なこともあるんじゃ事前情報は大事だよね。そこんとこ入念に聞いておかないと。


『行ってみてからのお楽しみです』


「あの、最低限のことは教えてほしいんだけど……」


『魔法があって、精霊とか幻獣とかいる所ですね』


「魔物とかは?」


『いますね』


 やっぱりいるのか。いくらファンタジーな世界でも魔物は嫌だな。悪霊と同じくらい嫌だな。


「言葉とかって通じるの?」


『問題ありません』


「なんだか不安だなあ……」


『向こうの世界では聖職者が尊ばれます。カミヒト様のような聖なる力の塊のような人はきっと重宝されるでしょう』


 だといいんだけど。とりあえず会話はこれくらいにして、買い出しにでも行こうか。


 近所のホームセンターに行き、水や携帯食以外でも必要だと思われるものを買った。もしかしたら野宿なんかもする羽目になるかもしれないから、それらに必要なものを一式取り揃えた。お陰で結構な時間がかかってしまった。これから攻撃の神術の練習をしなければならないため、僕はアパートではなく、神社の方に向かった。








「……水晶さん、なにあれ?」


『……わかりません』


 超越神社の鳥居の前に大きな何かがいた。超越神社の中を覗くように見ているその何かは、この世界のものとは思えない異形の姿をしていた。


 金色の鱗に覆われた体躯、背中に生えた羽、鋭い爪に長い首。ドラゴンだ。体は完全に西洋ドラゴンだ。ただ一つ顔だけがドラゴンではなかった。人間の顔だった。老婆だった。大きなギョロッとした目に鉤鼻で、白髪の髪は頭の上でお団子を乗せているようなヘアースタイルだ。お団子の部分には赤いかんざしを挿している。


 その異質すぎる姿はこちらを最大限警戒させるには十分過ぎた。というか水晶さんでもわからないのか。


「どうしよう。あれじゃ神社の中に入れない」


『悪いものでは無いと思うのですが……』


「アレの横を通って神社に入るのは無理だよ。とりあえずアパートに移動してアレがいなくなるのを待とう」


 触らぬ神に何とやらだ。得体の知れない物には関わらないのが一番。水晶さんでもわからないものとなれば尚更だ。ということですぐさまアパートへ向かうことにした。


 神社からアパートの距離は普通に歩いて20分ほどが、ドラゴンババアからなるべく離れたくて早足で歩いたので15分くらいでアパート前まで着いた。ずっと緊張していたので自宅を見るとホッとした。


「もし、そこの坊や」


 真後ろから声をかけられたので咄嗟に後ろを振り向いてしまった。目の前には老婆の顔があった。ドラゴンババアだ。


「ヒッ!」


 心臓が止まるかと思った。


「わたしのことがみえるねぇ~?」


 ドラゴンババアはニタァっといやらしい笑みを浮かべた。見えないふりをしないといけないやつだったか。しくった。しかし時すでに遅し。


「あんた妙な気配がするからねぇ~?後をつけてきて正解だったよぉ~」


 いつの間に尾行なんかされたんだろう。全く気が付かなかった。


「何のご用でしょうか?」


 恐る恐る尋ねてみる。


「ちょお~っと聞きたいことがあってねえ~?」


 間延びした口調が不安を煽る。こんな得体の知れないモノが満足する答えを返せるとは思えない。


「迷子になっちゃってねぇ~。わたしの故郷への入り口知らないかい~?」


 知るわけがない。故郷ってどこだ。ヨーロッパの方かな?そっち方面の妖怪っぽい気がする。


「少し調べてみますね……」


 困ったときの水晶さんだ。僕はドラゴンババアから見えないように、こっそりポケットから水晶さんを出した。


『申し訳ありません』


 水晶さんも知らないらしい。ドラゴンババア自体もわからないみたいだから当然っちゃ当然か……。


「あの、すいません。ちょっとわからないです」


 すごく申し訳無さそうに言う。刺激しないようにできるだけ低姿勢でいこう。


「そうなのかい~?じゃあちょっと、ついてきておくれよぉ~」


 絶対について行きたくない。ニタァッと顔を歪ませたその様は、昔話に出てくる山姥のようだ。


「お巡りさんのところまで案内しましょうか?」


 ダメ元で言ってみる。どうしてもこの流れに逆らいたい。


「他の人間はわたしのことが見えなくってねぇ~?」


 ドラゴンババアは軽く飛んだかと思うと片足でガシッとリュックごと僕を掴んだ。そしてそのまま空高く羽ばたいた。


 ヒュウっ…!


 口から変な声が漏れた。どんどんと遠ざかっていく地表に僕は為す術がない。気分は鷹に捕まったネズミだ。今までの人生で一番タマがヒュンってなってる。


 この高さから落とされたら死んでしまうので、ジタバタすることもできず、ただ体を硬直させて眼下に流れ行く街並みを眺めるしかなかった。下の人達がなにやら僕を指して騒いでいる。スマホを構えている人達もいる。そうか、僕の姿は見えるんだ。ドラゴンババアは見えないから人間が直立不動のまま飛んでいる様に見えるんだ。この距離だから顔はわからないと思うが、いやそれでも最近のスマホの性能は良いからな。僕の顔がインターネット上にアップされたらどうしよう。


 なんてことを心配する余裕は今の僕には無い。死に直結してるこの状況をどうにかしなければ。このままドラゴンババアの巣に持ち帰られて、食べられてしまう気がした。


 と、前方に山が見えた。超越神社がある山だ。超越神社に逃げ込めばなんとかなるかもしれない。このまま進めば神社の真上にくる。真上まで来たら一か八かで結界を張ってみることにした。結界がドラゴンババアを弾けば僕はそのまま落下する。結界が落下の衝撃を吸収するように念じるしか無い。神術は大抵のことはできるようなので、結界をアップデートすることも可能なはずだ。


 ドラゴンババアが超越神社の前で止まった。


「あそこから坊やと同じ妙な気配を感じてねぇ~?どういうことだい~?」


「ちょっとあそこの上まで行ってもらえますか?」


 恐る恐るお願いしてみる。


「んん~?あそこかい~?」


 ドラゴンババアは素直に超越神社の上まで行ってくれた。丁度御神木の真上だ。よし、今だ!結界発動!


「!!?」


 ブオンという音と共にサイバーチックな結界が展開する。それと同時に僕の体からドラゴンババアの足を弾いてくれた。ドラゴンババアから離された僕は落下していく。


「おおおおお!!」


 下に向かってどんどん加速していく。結界よ頼む! 地面に激突したら死んでじゃう。落下の衝撃を吸収してくれ。僕を守ってくれ!


 ……ポヨン。


 ポヨンポヨンポヨン。


 初めに御神木にぶつかった。その後、何度かバウンドして静止した。体は痛くない。どうやら成功したようだ。


 無事であることに安堵したのもつかの間、空からドラゴンババアが勢いよく突っ込んできた。


「よくも騙したなあ~!?」


 ものすごい形相で叫ぶ。半端なく怖い。食われると思った。しかし御神木の少し上辺りで閃光が走り、ピシャッという雷のような音が轟いた。


「~~~!!?」


 超越神社の結界が働いたようだ。攻撃性があるらしく、これにはドラゴンババアも効いたようで空でよろめいていた。


「こしゃくなあ~!」


 憤怒の顔で上空を旋回している。しかしよほど効いたのか攻撃してくる気配はない。僕はその間、御神木にしがみついていた。温かい神正氣が流れてくる。なぜしがみついているかというと、神正氣を補充してドラゴンババアに攻撃するためではない。単純に怖いからだ。しがみついていると御神木に守られているようで心が落ち着く。


 しばらく空からこちらを窺っていたドラゴンババアは、無駄だと悟ったのか、南の方へ飛んでいった。


 ふい~。とりあえず難は去った。しかしあの様子だと諦めていないかも知れない。神社から出た瞬間にパクっといかれるかも。食べ物も多めに携帯食を買ったとはいえ、何日も持つ量ではない。


 あれ?もしかして神社に閉じ込められた?


 そう考えると、じわじわと不安になってくる。……これは気合を入れて攻撃用の神術を練習するしか無いな。

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