第70話 カトリーヌVS呪縛、白巫女②
「くっ……なんで、こんな冥氣に毛が生えた程度のものに……!」
(馬鹿者。毛が生えた程度ではないからお前は今、無様な姿を晒しているのだろう。アレは半分は冥氣のようだが私達の知っている悪氣とは全く別物だ)
「全く、ケガレってやつと混ざった冥氣がこんなに厄介なんて反則だわ。全ての悪氣を防ぐ“カトリーヌサンクチュアリスペシャル”を簡単に破壊するなんて……。もう帰る!」
(未知の力を使う白霊貴族か……。長い間怠けていたお前にはちょうどいい。この女を相手に鈍った勘を取り戻せ)
「ああもう! 面倒くさいわね!“カトリーヌヒーリング”」
聖女が“伝説の魔導書”を開き唱えると細かい光の粒子が彼女の体を柔らかく包み込んだ。白い光の粒はカトリーヌに付いた擦り傷を癒やし、純白の破けた修道服を修復して汚れをきれいに清浄した。続けて聖女は消された結界を再び貼り直す。
(カトリーヌ、このケガレというモノは我々の世界に大きな災いをもたらすかもしれない。ここでできるだけケガレとやらの情報を手に入れ、私に反映させるのだ)
「ちっ……しゃーないわね」
“伝説の魔導書”はこの世のほぼ全ての魔法をその中に収めている。一般に流布する魔法から究極魔法、禁断魔法、古代魔法まで網羅しているだけでなく、既存の魔法をアップデートしたり、新しく創造することも可能である。
“伝説の魔導書”はケガレを分析し、冥氣とケガレが合わさったこの新たな悪氣に対抗する魔法を生み出そうとした。そのためにはサンプルを採取する必要がある。
「“カトリーヌアイアンボディ”! “カトリーヌイージスワード”! “カトリーヌディバイングレイス”!」
聖女は自身の体を硬くし最強の盾を展開して常に体が再生するように魔法を連続で行使した。過剰なまでに防御に徹するのは、カトリーヌが未知の力に遭遇したときの臆病な対処法である。
「これで完璧ね。よっしゃ! こ……いっ!?」
聖女の真下から地面を突き破って無数の太い鎖が伸びた。カトリーヌを四方八方から圧殺するように巻き付こうとする。
「“カトリーヌテレポート”!」
聖女はギリギリのところで融合体の背後に移動する。右手を上げ融合体に手刀を振り抜いた。
「“カトリーヌブラックカッター”!」
漆黒の斬撃が融合体を両断しようと迫る。しかし背中から伸びた鎖が聖女の魔法を横から叩き落とした。カトリーヌは苦々しく呟いた。
「黒聖魔法をものともしないなんて、やっぱりただの冥氣じゃないわね」
(全く効いている感じがしないな。カトリーヌ、冥氣に触れないように注意しろ。黒聖が効かないとなると、さすがのお前でも白霊貴族になる可能性がある)
「真っ白けっけになるなんてごめんだわ」
聖女は心底嫌そうな顔をすると、人差し指を融合体に向けて叫んだ。
「“カトリーヌスーパーノヴァ”!」
次の瞬間、“呪縛”と白巫女の融合体を中心に大爆発が起こった。凄まじい光量が真っ暗な異界を煌々《こうこう》と照らす。衝撃波が地震のように空間全体を震わせた。しかしそれほど激烈な攻撃を食らっても融合体は何もなかったかのように立っている。
「ちっ……。黒聖が駄目なら圧倒的な物理攻撃で攻めようと思ったけど、これも無意味だったわね」
(私が奴の力を解析するまで耐えろ)
地面から幾本も伸びた大木を思わせるほど太い鎖の尖端にはケガレが纏わりついており、それが獰猛な爬虫類のように変形した。その禍々しい怪物のような姿はさながらヤマタノオロチのようだった。まるで本当に生きているかのようにカトリーヌを鋭く睨む。蛇の怪物を模した鎖は一斉に聖女に襲いかかった。
「……っ!」
ムチのようにしなり、空気を切り裂きながら襲ってくるそれらをカトリーヌは飛行術とテレポートで避けた。鎖は目にも止まらぬ速さで猛烈に向かってきて、執拗にカトリーヌを追いかける。
「くっ……!」
苛烈な攻撃を聖女はギリギリのところで躱す。常人の目では到底捉えられない速さで乱舞する鎖の中を必死で駆け回る。逃げ足に定評のある聖女だったが、この猛攻から逃れるのは苦しそうだった。
鎖の一本が聖女を捉えて最強の盾を破壊した。続けて別の鎖が横薙ぎに聖女を叩き、最強の結界を打ち破った。
「この……!」
盾と結界を張り直す僅かな暇もなく、カトリーヌは執念深く自身を追い回す鎖を死に物狂いで避け続けた。
「まだ……なのっ!?」
(こんなすぐに解析などできるか。サンプルを取って私に送れ)
「そんなの……無理……!」
“伝説の魔導書”はケガレと冥氣が合わさった新たな悪氣を自身の内に取り込みたかったが、カトリーヌにそのような余裕はなかった。汗だくになりながら逃げ惑うだけで精一杯だ。
(どうしたカトリーヌ。お前の力はこんなものではないだろう。さっさと送れ)
「この……っ! 好き勝手言いやがって!」
カトリーヌが“伝説の魔導書”に意識を移したほんの一瞬を見逃さず、蛇のような鎖が聖女を地面に叩き落とした。
「ぎゃっ!?」
聖女は轢かれたカエルのように地面に張り付いた。身体硬化魔法によって致命傷こそ免れたが、咄嗟に動くことができない痺れが聖女の体中を駆け回っていた。
うつ伏せに地面に這いつくばっているカトリーヌの視界に白いハイヒールが移る。顔を上げると融合体がカトリーヌを見下ろしていた。冷たい手が聖女の首を掴む。
「ぐ……」
融合体は自身の視線の高さまでカトリーヌを持ち上げると、両腕で聖女の体を締め上げた。融合体の力は白霊貴族の怪力を上回り、その凄まじい膂力は身体硬化魔法で硬くした体でも痛みを感じるほどだった。
加えて融合体の体から直にケガレと冥氣がカトリーヌに流れ込んできた。聖女は魔の力に対して強い耐性をもっていたが、それでもこの未知の悪氣はカトリーヌを蝕もうと体内に侵入した。
(よし、いいぞ。どんどん取り込め。サンプルは多ければ多いほどいい)
聖女は声も出せないほど強く締め上げられ、体内にはおぞましい魔の力が入ってくる。カトリーヌはそんな危機的な状況の中でこちらの苦痛を全く素知らぬ顔で分析する“伝説の魔導書”にむかっ腹が立った。
「あ、と……どれくらい、よ……」
(まだ半分にも満たない。ここが踏ん張りどきだぞ、カトリーヌ)
「……」
カトリーヌはその言葉を聞いて早々に諦めた。絶対に体が持たないと分かっているからだ。何より一分一秒でも体に悪氣を入れたくない。カトリーヌは世界で一番悪氣が嫌いだ。これ以上耐えることはできない。サンプルを十分に取る前に奥義を使うと決めた。“伝説の魔導書”の都合など知ったことではなかった。
聖女は至近距離にある融合体の顔を見た。その表情は嗜虐に歪んでいて、遊びで獲物を嬲り殺す快楽主義者のようだった。カトリーヌはその忌々しい顔に唾を吐きかけた。
「へっ……調子に、乗んなよ!」
カトリーヌの体が五色に輝く。赤、青、黄、白、黒の強烈な光が異界全体を照らした。
「密着したのが仇となったわね。喰らえ!」
聖女の体から爆発的な魔力が湧き上がる。膨大な魔力に融合体は咄嗟に手を離そうとしたが遅かった。
「 五 聖 烈 光!!」
ジュっと高熱で灼かれたように融合体の体の表面が燃えた。聖なる五色の光を至近距離でまともに受けた“呪縛”と白巫女の体は燃え上がった。聖なる炎に灼かれた融合体は身悶える。聖女の本気の攻撃はそれまでの物とは全く違い、融合体に甚大なダメージを与えた。苦しそうに呻く敵にカトリーヌは追撃を加える。
(おい、カトリーヌ。まだ全然足りな……)
「これで終わりだと思うなよ!」
カトリーヌは両手を胸の前で合わせ足を大きく開き腰を下ろした。合わせた両手をぷるぷると震わせて精一杯力む。
「ふぬぬぬぬぬぬぬ!」
ピッタリと合わさった手が左右に動き、数ミリ程の隙間ができた。するとカトリーヌの手の動きに連動するかのように、白巫女の左半身と“呪縛”の右半身が僅かに離れた。
「「!!?」」
「ふんぎー!」
聖女が更に力を強めると両の掌が数センチ動いた。融合体の左右の体は見えない力に引っ張られて、2つの体は引き剥がされようとしていた。融合体はカトリーヌの意図に気づくと、互いの切断面から冥氣とケガレを絡ませ離れまいと必死に抵抗した。
「くっ……!」
カトリーヌはそれ以上手を開けなかった。聖女はもっと力を込めるが“呪縛”と白巫女も負けじと彼女の力に抗う。聖女の分離させようとする力と融合体の反発力が拮抗して膠着状態となった。
「こっ……のー!!」
顔を真赤にして全身を震わせて力むがそれ以上手は広がらなかった。出力を全開にして“呪縛”と白巫女を切り離そうとするが抵抗が強くピクリとも動かない。聖女の魔力は尽きかけていた。もうだめだと思ったとき、カトリーヌの鼻腔を柔らかな花の匂いがくすぐった。
「手伝うわ。お嬢さん」
聖女が振り向くと、普賢慈母光子が自身の身体を優しく包みこんでいた。カトリーヌの手に光子の手がそっと添えられた。
「あんたは……」
「せーので行くわよ」
優しく微笑む島田髷の神に聖女は頷く。光子はにっこり笑みを浮かべるとカトリーヌの手を力強く掴み、残りの全ての神気を体中に巡らせた。
「せーのっ!」
「そいやあ!!」
カトリーヌの両腕が勢いよく左右に開いた。“呪縛”と白巫女の半身は反発し合う磁石のように弾かれる。聖女と普賢慈母光子二人の力が合わさり、融合体が完全に“呪縛”と白巫女に分離された。
「!!?」「!!?」
弾かれた“呪縛”と白巫女は体に大ダメージを負いながらも再び合体しようと地を蹴って腕を伸ばす。しかし互いの手が触れたとき電気が流れたように激しく火花を散らせた。
「はあはあ……。残念、あんた達はもう二度と合体できないわ」
荒い息をしながらカトリーヌは腕を突き出し親指を下に向けた。“呪縛”と白巫女は再び融合を試みるが、触れようとすると再び火花を散らせお互いがお互いを跳ね返す。何度融合を試みようと結果は同じだった。
カトリーヌは五聖烈光とともに“呪縛”と白巫女に得意の封印術を仕込んだ。これは特定の能力や特性を封じるもので、冥氣とケガレの融合を妨げるものである。呪縛”と白巫女は鋭い視線でカトリーヌを睨むが、彼女を警戒してかその場に留まりじっと様子を見ていた。
(解析は半分も終わってないが仕方がない。カトリーヌ、このまま畳み掛けろ。2つに別れたとてコイツら力は強大だ。まずは白霊貴族の娘を殺せ)
「もう……無理……。魔力、切れた……」
(何を言っている。冗談を言っている場合ではない。早く奴らを始末するのだ)
「いや、ホントにだめなんだってば……」
ゼエゼエと今にも地面に倒れ込みそうな聖女は演技をしているとは思えなかった。“伝説の魔導書”は聖女の中を探り本当に魔力が枯渇していることを認めると、魔導書全体が赤く光り激しく明滅した。
(貴様……! なぜここまで衰えた! 鍛錬を怠っていたな!)
「しょうがないでしょ。2百年以上、体が封印されてたんだから。衰えて当然よ……」
(お前が自分で施したのだろう。呆れた。ここまで弱体化しているとは思わなかった)
“伝説の魔導書”は今度は弱々しく青く光った。それは嘆いているようにも幻滅しているようにも見えた。
(このバカが。帰ったら寝る間も惜しんで鍛錬だ。しごいてやるぞ。生きて帰れたらだがな)
“呪縛”と白巫女はカトリーヌを注意しつつもジリジリと距離を詰めていた。深手を負い聖女の力を脅威と認めつつも、殺気は消えておらず逃げるつもりは全く無いようだった。
「ねえ、どうしよう……」
(私はお前の魔力が無ければ何もできん)
「はあ!? 何言ってんの!? 私はあんたのご主人様よ! 何とかしなさい!」
(できんと言ったらできんのだ。お前の眷属も力を使い果たしているようだし、万事休すだな)
「じゃあどうするのよ!?」
(知らん)
「何だと!?」
(取り込み中すまない。少しいいだろうか)
聖女と“伝説の魔導書”が言い合いをしている中、彼女達のテレパシーに別の声が混じった。優しく落ち着きのある声の主は甲子椒林傘であった。
(君は?)
(私は甲子椒林傘という者だ。私も君たちの力になりたくってね)
(なるほど……。どうやら私に近い存在であるようだな)
「こんな傘に何ができるわけ?」
「お嬢さん、こんなじゃないわ。私の愛しい旦那様よ」
「えっ……」
笑顔であるが異様な圧を放つ光子にカトリーヌは一瞬たじろいだ。それは光子の迫力に怖気付いたのではなく、傘を夫にしている光子に引いたのだ。
「まあ、あんたの趣味とかどうでもいいわ。それより傘ちゃんは何ができるっていうの?」
(どうやら君は力をほとんど使い果たしてしまったようだから、私の力を分けて上げようと思ってね)
「言っちゃ悪いけどあんた程度の力だけじゃあ、あいつらを倒すなんて到底不可能よ」
(確かに私は君たちには敵わないし、すでに先程の戦闘で多くの力を使ってしまったから君に分けて上げられる分はない)
「はあ!? 何よ、思わせぶりなことを言って! 役立たずじゃないのよ!」
(だから私の存在全てを君に捧げたいと思う)
「……」
カトリーヌは癇癪した態度を改め、真剣な表情で傘を見た。確かにこの傘からは並々ならぬ覚悟を感じる。
「……ふーん。自分の命を私に捧げようだなんて殊勝なことね。でもあんたはいいの?」
カトリーヌは傘を大事そうに抱えている普賢慈母光子に視線を送った。
「……」
(妻も理解はしている。こうするしかないのだ。なあ、光子?)
「ええ、勿論よ。夫の覚悟を無下にするほど私は卑しい女ではないわ」
(光子、すまない)
「ふふ。覚悟を決めたあなたのその顔、とっても素敵だわ。惚れ直しちゃいそう。でもね、あなたのその覚悟、無駄になっちゃいそう」
(……どういう意味だい?)
光子は怪訝に思った甲子椒林傘とカトリーヌの顔を見て、満面の笑みで答えた。
「救世主様のご到着よ」
光子が手をかざすと楕円の鏡が出現する。鏡は波紋を描き、中からけたたましい音が聞こえてきた。皆が何事かと魔境門を注視していると、突然門から大型のバイクがすごいスピードで出てきて、急ブレーキをかけて旋回した。
「待ってたわ」
光子は後ろに乗っているカミヒトを認めると、ホッとした様子でそう言った。




