第69話 カトリーヌVS呪縛、白巫女①
カトリーヌの間抜けな絶叫が、緊張感に満ちた異界に響き渡った。
「ちょっと何なのよこれえ!」
カトリーヌの眼前には凄まじい白と黒の陰の氣を持つ何者かがいた。その圧は厄介な強敵が放つ物であり、カトリーヌを全力で警戒させるに十分であった。
「なっ!?」
カトリーヌの体に鎖が巻き付いた。瞬きよりも速く一瞬で絡みついた鎖にカトリーヌは反応できなかった。ギリギリと鎖が彼女の体を締め上げると、カトリーヌの体は爆散した。
「カトリーヌ様!?」
バラバラになったカトリーヌの体に心臓が跳ね上がるほど驚愕したアリエであったが、カトリーヌの破片が煙となって宙に消えたのを見てそれが偽物であることに気がついた。
「なんちゃって。“カトリーヌ人形”。それはデコイよ」
アリエのすぐ横から声がした。腰に手を当てふんぞり返っている“伝説の聖女”がいた。彼女は口調こそ軽い調子であったが、その表情は引きつっていて逃げるのがギリギリであったことを如実に語っていた。それでも聖女の無事な姿を確認してアリエはホッと胸を撫で下ろした。
「カトリーヌ様……なぜここに……」
「アリエ」
「はい」
「逃げるわよ」
「えっ?」
アリエはなぜカトリーヌがこの場に現れたか疑問があったが、それよりも自分が敬愛する“伝説の聖女”が援軍に来た事実に希望を抱いた。当然一緒に戦ってくれるものと期待していただけに、かの“伝説の聖女”がいきなり逃走しようとするとは夢にも思わなかった。
「か、カトリーヌ様、お言葉ですがアレを放置しては我々の世界に大きな災いとなって……」
「こんなのカミヒトに任せればいいのよ。ここはニホンなんだし。ちゃんと小娘達も連れて行くから安心なさい。行くわよ! “カトリーヌエスケープ”!」
アリエの進言も聞かずにカトリーヌは右手の拳を天に突き出して叫んだ。しかし何も起こらず聖女の逃亡用の魔法は発動しなかった。
「あ、あれ? おかしいわね……」
「カトリーヌ様?」
「も、もう一度。“カトリーーヌエスケーープ”!!」
再び魔法を発動させる聖女であったが、先ほどと同じように魔法は展開されず聖女の声が真っ黒な異界に響くだけであった。
「ね、ねえ……アリエさん、この人だれ?」
「カトリーヌさんですよ。私達を助けに来てくれたみたいです!」
「こちらのお嬢さんは五八千子の知り合いかしら?」
「はい。一度お会いしたことがあります。この方は呪いに蝕まれた私の体を癒やして下さいました」
「えっ? この子、天女ちゃんとヤチコちゃんとも知り合いなの?」
破魔子は慌てふためく金髪の少女を訝しい目で見みつめた。この絶体絶命の状況で、調子外れな少女の乱入に戸惑うばかりだった。
「な、なんで発動しないのよ!?」
「カトリーヌ様、落ち着いて下さい」
聖女が魔法が発動しない不可思議な現象に混乱していると、彼女の頭の中に声が響いた。
(カトリーヌ、約束を忘れたわけじゃあるまいな?)
「まさか! あんたの仕業!?」
カトリーヌは左手に抱えた分厚い本に向けて声を放つ。
(私との契約を忘れたわけではあるまい。お前の下に帰る代わりにもう逃げないと私に誓ったはずだ)
「そ、それは向こうでの話でしょ!? ここは私達の世界じゃないから契約の範囲外よ!」
(いや、そうとも限らない)
「限るわよ!」
「カトリーヌ様、誰と話していらっしゃるのですか?」
「なんでもないわ!」
(よく見てみろカトリーヌ。この女から冥氣を感じる。見た目も白霊貴族にそっくりだ)
「えっ?」
聖女は本の言う通り感覚を研ぎ澄ませて目の前の魔のモノを観察すると、はっきりと冥氣が流れているのを感じた。左半身が真っ白で冷たい朱い目にきらびやかな衣装を纏っており、鎖を扱うのも白霊貴族の特徴である。
「……アリエ、アレは何なの?」
「はっ。アレは白霊貴族の娘とイヤチコの呪いが融合したモノです」
カトリーヌはアリエ達の背後にいる五八千子に視線を移した。カトリーヌが霊体で日本にいたころは五八千子の背後に得も言われぬ不気味な呪いが取り憑いていたが今はいない。
「イヤチコの呪いと融合ね。随分と厄介だわ。でもなぜ白霊貴族がここにいるの?」
「それは私にも分かりません。ただあの白霊貴族が言うには自分はこの地で生まれたとのことです。生まれる前に母を名乗る何かから魂に伝言を刻まれたそうです。“たくさん食べて強くなれ。強くなったら迎えに来る”と。そして母親はこの白霊貴族を悪氣の王にするつもりらしいのです」
「悪氣の王……。母親はまさか……」
(この話が本当ならば白霊貴族の王だろうな。悪氣の王の創造も私の過慮ではなかったな)
「そうね。アリエの言う通りなら悪氣の王なんて非常識な存在、あんたの与太話じゃないかもしれないわね」
(ああ、だがヤツもそれを企てているとは思わなかった)
カトリーヌは神妙な顔をして融合体をみつめ、深く息を吐いた。
「やるしかないか」
(当たり前だ。お前は“伝説の魔導書”である私と“伝説のおしゃぶり”2つの“伝説の何か”に選ばれたのだ。逃げるなどという選択肢はない)
聖女はふんと鼻を鳴らし自身の頬を思い切り叩き気合いをいれた。
「そこの化物! このパーフェクトカトリーヌの力を見せてやるわ! なめんなよ、こんちきしょう!!」
「「話は終わりか」」
「あら? もしかして待っててくれたの? 見かけによらず親切じゃない」
融合体は顔に歪んだ笑みを浮かべている。聖女が訝しく思っているとヒヤリと首筋に冷気が走った。辺りの冥氣の濃度が増す。空気が肌に張り付くように冷たくなりシンと時間が止まったような気がした。
「絶対零域ね……。私に気づかれないようにこれを仕込んでいたのね」
“呪縛”が創った呪界は冥氣を取り込み、より強力でおぞましい空間へと変貌した。その負荷は相当なもので、カトリーヌ以外の面々は立ち上がるのも不可能なほどであった。体力を消耗した光子の加護が弱まったこともあり、破魔子たちは陰の氣が渦巻く異界からの悪影響をまともに受けてしまった。
「全く、くだらない小細工ね。“カトリーヌサンクチュアリ”」
カトリーヌが“伝説の魔導書”を開き五人の周囲に白光のベールがやわらかく広がると、彼女達は体を蝕む陰の氣から解放された。
「助かったわ、お嬢さん」
「あんた人間じゃないわね? この世界の神かしら? ま、何でもいいけど邪魔だから下がってなさい」
「カトリーヌ様、戦ってくださるのですか……。頑張ってください!」
「ねえ、あの子に任せても大丈夫なの?」
「当たり前です。あの方は“伝説の聖女”なのですよ」
「伝説の聖女? なにそれ?」
「とにかく、カトリーヌ様に任せておけば万事うまくいきます。私達は邪魔にならないようにこの場から離れますよ」
「お嬢さん、申し訳ないわね」
アリエ達は消耗した体にムチを打ち走った。光子はふわりと浮かぶと4人を守るように殿を務める。“呪縛”と白巫女の興味はすでに彼女達にはなく、目の前に堂々と立つ聖なる力を持った少女に注がれていた。
「「お前のその力も気に食わぬ。死ね」」
融合体は再び掌にケガレと冥氣を合わせ、強大な陰の氣の波動を練った。
「ふん、くだらない。“カトリーヌサンクチュアリスペシャル”」
聖女は自身に多重結界を巡らせた。カトリーヌは手のひらを上に向け、挑発するように指先を二度ほどクイと折り曲げてみせる。聖女のかかって来いと言わんばかりの余裕の仕草に“伝説の魔導書”は警鐘を鳴らすように震えた。
(おい、カトリーヌ。油断するな)
融合体は真正面から受ける気でいる聖女にケガレと冥氣の波動を放った。轟々と全てを破壊せんとする陰の氣の濁流は結界ごと聖女を飲み込む。ケガレと冥氣はカトリーヌの結界を簡単に破壊すると彼女の無防備な体に激突した。
「ぎゃっ!?」
踏み潰された小動物のような鳴き声が聖女から発せられた。カトリーヌの体は吹っ飛び何度も地面にバウンドしてからやっとのことで止まった。うつ伏せに付した彼女はピクピクと全身を震わせ、生まれたての子鹿のようにゆっくりと起き上がった。
「ちょっと! なんで私の結界で防げないのよ!!」
(だから油断するなと言ったのだ。馬鹿め)
破魔子は遠くで喚くボロボロの聖女を何とも言えない感情で見つめていた。隣にいるアリエに呟く。
「ねえ、本当に大丈夫なの?」
「……」
アリエの顔は引きつっていた。




