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第59話 冥霊山①

 眼前にそびえるは雲を突き抜ける高い山。眼下には一面に雲のような黒いモヤが広がっている。


 僕と鷹司たかし君は冥霊山めいりょうざんと呼ばれるケガレにまみれた亡者達が罪をそそぐ為の山の入口に立っている。この山の天辺が天道とやらに繋がっているらしい。冥霊山はすべての面が灰色の岩肌で荒涼としており全く生気を感じない。死後の世界っぽいから当たり前と言えば当たり前なのだが。


 僕達の数メートル先には古ぼけた鳥居がある。木材でできているのだろうか、ところどころひび割れていて半分ほど朽ちている。恐らくここを潜った先に試練とやらが待っているのだろう。


「鷹司君」


「ああ、準備はできている」


 鷹司君も心なしか少し緊張しているように思える。僕達は顔を見合わせると鳥居に足を踏み入れた。


「……えっ?」


 鳥居を越えた瞬間思わず声が出た。なぜなら景色が一変したから。灰色で無機質な世界が極彩色に変わった。あまりの変わりように足が立ち止まる。


 青々と茂った木々、抜けるように青い空、煌々と降り注ぐ太陽。ムワッとした湿った空気が肌にまとわりつく。夏だ。一瞬で夏になった。目の前の風景に呆然と立ち尽くしていると、どこからか声が響いてきた。



 ――罰を受けよ――



 誰が言ったか知らないが、何か恐ろしいことを言っている。僕はチラと鷹司君の方に視線を向けた。


「……どういうことだろうね?」


「さあな。そもそもここは俺達の常識が通用しない世界。考えるだけ無駄だ」


 鷹司君はあまり気にした様子もなく足早に先へ進んだ。僕もあとに続く。登山道は一本道でまっすぐ頂上まで伸びているようだった。幅は人2人分歩ける程度であまり広くはない。左右には丈の長い木々が所狭しと密生している。


 傾斜はそれなりにある。山の天辺は雲に隠れてみえない。どれくらい登らないといけないのだろうか? 道はゴツゴツと大小さまざまな石がたくさんありスニーカーだと心もとない。僕は前のめりになりながらひいこらと一生懸命に登った。 


 体感で30分ほど歩いただろうか。もうめっちゃ暑い。全身汗だくで喉がカラカラだ。両サイドの木々は高いのだが太陽が真上にあるものだから直射日光をもろに受ける。このままでは脱水症状と熱中症になったりはしないだろうか。


 そんな心配をしながら更に10分ほど経つ。やばい、マジで喉が渇く。そういえば奈落にきてからずっと飲まず食わずだったから、こんな高温の中山登りしてたらそりゃ喉だって渇くさ。どれ、水でも飲もうか。


 僕はリュックから水を出そうとショルダーストラップに手をかけようとした。そこでリュックがいつの間にかなくなっていることに気がついた。おかしい、さっきまで背負っていたのに。


 今朝、魔境神社を出たときからずっと肌身離さず持っていたリュック。中にはペットボトルに入った水と携行食を詰め込んでいた。ついさっきまで、少なくとも奈落にいたときはずっと背負っていた。ならば冥霊山ここに来たときになくなってしまったのか。


 僕は焦った。だって喉がヒリヒリするほど乾いてる。これはまずい。いくら神になったからとはいえ、水分補給をしなければ死んでしまうだろう。ではどうするか? 答えは簡単。水を創ってしまえばいいのだ。だって僕は神だから。


 新鮮な美味しい水を創ってしまう神術を新しく編み出そう。そんな素敵な神術があれば鷹司君だって喜ぶはずだ。そうと決まれば僕は早速新しい神術を創るため目をつむり心の中で念じ始めた。イメージとしては手のひらの上に水球が浮かんでいる感じだ。


 おいしい水、おいしい水、おいしい水。冷たくて新鮮でおいしい水を下さい。できればストローもつけてほしいです。



 …………。


 目を開ける。両手の掌の上には何もない。あれ、おかしいな? 僕はもう一度念じ始めた。



 おいしい水、おいしい水、おいしい水。冷たくて新鮮でおいしい水を下さい。できればストローもつけてほしいです。でも無理だったらいいです。



 …………。


 再び目を開ける。しかしそこには何もなかった。


 どういことだ? なぜできないのだ? 光の女神様によると神術を使えば大抵のことはできてしまうのだそうだ。初心者だったころならいざ知らず、場数を踏んでレベルアップした今の僕なら飲料水を創ることくらい簡単にできてしまいそうなものだが。それとも、水を創るって思った以上に大変なことなのか?


 そういえば念じているとき、体に全く神正氣が湧いてくるのを感じなかった。嫌な予感がよぎる。僕は試しに結界を出してみることにした。


 …………。


 出ない。マジか……。結界は僕が最も多く使ってきた神術だ。手足を動かすように自然に使えてしまえる神術だ。もはや体の一部と言ってもいい。これが使えないとなると……。


 僕は更に浄化玉や破壊玉、ドラゴニックババアの召喚を試みたが何の反応もない。まずいぞ……。どうやら冥霊山では神術が使えないみたいだ。


 僕が予想外の出来事に1人であたふたしていると、前を歩いていた鷹司君が片膝をついてしゃがみ込んだ。ひどく苦しそうにうめき声を上げている。僕は慌てて彼のそばに寄った。鷹司君の顔は真っ赤に火照っておりその苦悶の表情は尋常でない。僕は彼の背中をさすろうと手を当てたが、あまりの熱さに反射的に手を引っ込めてしまった。


 熱したフライパンに触れたような熱さだった。一体どうしたことだ? 人間が出していい熱さではない。僕が戸惑っていると鷹司君はさらに苦しそうな声を上げ、なんと発火したのだ。


「ああああああ!!」


「た、鷹司君!? 大丈夫!?」


 鷹司君は大声で叫び転げ回る。僕は慌ててもう一度水を創ろうと一生懸命念じる。しかし体から全く神正氣が湧いてこない。どうすればいいんだ……。


 鷹司君は火に焼かれのたうち回る。僕は周りを見て彼の身体をすっぽり覆える何かを探した。空気を遮断して酸素の供給を無くせば火は消えるはずだ。だが見渡す限り木々ばかりでそのような都合のいい物はない。


 こうなったら僕が彼に覆いかぶさろうか。でも僕まで燃えたらどうしよう。今の僕は神術が使えない。となれば体の頑強さもなくなっているかもしれないし、火傷も癒せない。僕が我が身可愛さに逡巡していると、転げ回っていた鷹司君がよろよろと立ち上がった。


「た、鷹司君……」


「だ、だい、丈夫、だ……」


「でも……」


 体メラメラ燃えてるんだけど。


「これが、罰、なのだろう……」


 弱々しい声で言うと鷹司君はノロノロと歩み始めた。僕は慌てて彼の後を追う。鷹司君は本当に大丈夫なのだろうか? 罪の重さによって罰が強くなるとすれば、彼は相当重い罪を背負っているはずだからその苦痛も想像を絶するものだろう。


 もちろん彼自身の罪ではない。彼の隷属鬼である鏖鬼おうきが奈落で亡者達を殺戮したためできた罪や、亡者達の罪深いケガレが鏖鬼おうきを通して鷹司君に流れ纏わりついている。彼は他人の罪を背負っているのだ。


 少し歩いたところで鷹司君は膝をつき絶叫した。やはり苦痛に耐えられないようだ。


「鷹司君!」


「だい……じょう、ぶ……だ……」


 恐らくこの炎は化学的な燃焼ではないから僕が覆いかぶさって酸素の結合を阻害したところで無意味だろう。神術の使えない僕はただ見守ることしかできない。なんて無力なんだ。


 鷹司君は何度も立ち止まって転げ回ったり叫んだ。それでも歩みは止めない。彼の強さに尊敬を抱かずにはいられない。彼は強く立派だ。対する僕は弱く年下の彼が苦しんでいるというのに何もできない。罪悪感でいっぱいだった。


 彼の痛ましい姿を後ろから見ていると胸がはち切れそうだった。頂上は見えずまだ道のりは続く。早く着いてくれと何度も思い、もう鷹司君を直視できないと顔をそむけそうになったとき、僕達の目の前には古い鳥居が立っていた。


 鷹司君は救いを求めるように急いで鳥居を潜った。僕もすぐ彼についていく。鳥居を超えるとまたもや景色が一変した。青々と生命力を感じさせる葉は見事な赤や黄色に染まっている。体を通り抜ける涼しい風が心地良い。鷹司君を包む炎は消えていた。彼は力尽きたように仰向けに倒れ動かなかった。



 ――罪を雪げ――



 またもやどこかから声がした。でも僕達はそれを気にするどころではない。


「み、水……」


 鷹司君がうなされるように言った。僕の喉もひりつくほど痛いけど、鷹司君はもっと渇いて辛いだろう。ここでなら神術が使えるかと思い神正氣を練りだそうとしたが、うんともすんとも言わなかった。


「ごめん、鷹司君。水はないや」


 体の熱さは消えたが喉の渇きは強くなるばかりだ。これも罰の一種なのだろう。まだ頂上は全く見えない。これ以上、彼に負担をかけるのも酷だ。僕は鷹司君を背負って登ろうと決めた。どこまで体力が持つかわからないけど、やれるとこまでやってみよう。


 ふとここで耳に何か流れるような音が聞こえた。耳を済ませてみれば山の中で聞く沢の音に似ていた。僕は急いで音の聞こえる方に走る。登山道から少し外れた所に3メートルほどの急な斜面があり、その下に清涼な水が流れていた。僕は歓喜して鷹司君の下へ戻る。


「鷹司君! 水があったよ! 近くに沢がある!」


 それを聞いた途端、鷹司君はむっくりと起き上がった。


「ど、どこだ!!」


 目が血走っている。よほど喉が渇いているようだ。僕は彼を連れて沢が見えるところまで案内した。鷹司君は水を確認すると一足飛びに崖下に降りた。僕は木につかまりながら慎重に、それでもなるべく急いで斜面を下る。


 鷹司君はすでに顔を水につけて直に飲んでいる。僕は彼の隣に並ぶと両手で水を掬った。透明で冷たい水は今まさに僕が望んでいたものだった。掌から一口すすったところで僕は水を吐き出した。


 舌が痺れ口の中が火でも含んだかのように熱い。まるで酸を飲み込んだみたいだ。僕は激しく咳き込み口内に纏わりつく何かを一生懸命吐き出そうとした。そこで今まできれいな水だと思っていた沢の流れが毒々しい紫色になっているのに気がついた。


 鷹司君の方を見れば彼はもう十分満足した様子で水だと思っていた物を飲み終わっていた。次の瞬間、彼は倒れ喉を押さえて苦しみだした。見る見るうちに体全体が赤黒く変色し体が痙攣し始めた。僕は急いで鷹司君の体を起こすと指を喉に突っ込み、今しがた飲んだ毒を吐かせようとした。


 鷹司君は嗚咽を初め吐瀉物を撒き散らした。ゲエゲエと何度も胃の中のものを吐き出し、その間僕は彼の背中をさすっていた。しばらくして嘔吐は止んだが目は虚ろで相変わらず痙攣している。この状態では歩くことすら困難であろう。


 僕は鷹司君に肩を貸して支えようとしたが、弱々しい力で押し返されてしまった。


「もん、だい……ない」


 彼はフラフラとしながら元の登山道に戻ろうとした。今にも倒れそうなほど足取りは覚束ない。

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