第56話 “絶望”
不気味なアナウンスが終わると地震も収まった。僕達は何が起こっているのか確かめるべく体育館を出ることにした。僕が鷹司君を背負い、千代さんが死神に肩を貸して外の見える教室まで移動する。
近くの教室らしき部屋に入ると窓際まで寄った。外の光景を見て僕達は驚いた。
「あれが……」
「……“絶望”。ジンカイ様の敵……!」
窓の外には薄暗い灰色の校庭が広がっている。そして校庭の先にとてつもなくデカい化け物がいた。その大きさは異世界の大災害獣リュノグラデウスを彷彿とさせる。
化け物は蜘蛛のように八本の手足でゆっくり校舎に近づき、その姿は人間の骸骨のように思われた。骨にかろうじて薄い皮だけが付いており、頭部には一房の長い髪の毛しかない。四本の手と四本の足で虫のように這っている。
ほとんど骨だけの体であるが、その腹部は異様なまでに膨らんでいた。肌色の張っている腹には、ここからでもいくつものドクドクと波打つ血管が見える。この妊婦を思わせる腹部だけは妙に生々しかった。あの腹から凄まじいケガレを感じる。
階下からは悲鳴が上がる。亡者達が校庭のどでかい化け物を見て騒いでいた。喧々囂々《けんけんごうごう》たる騒乱は校舎全体から響き渡り、相当混乱していることが伺われる。あんなアナウンスの後にこんな化け物が現れたらそうなるのも無理はない。
僕達もそのおぞましい姿に絶句し誰もが圧倒されていた。今からアレと戦うことになるのか……。
「向こうから出てきてくれたんだから、探す手間が省けていいじゃないか。小僧、準備はいいかい?」
「……はい」
さて、どうやって戦うか。“絶望”があんなに大きいとは思わなかった。ただ大きいということはそれだけ攻撃が当てやすいってことだから、小さくて素早いよりはいいのかな? どっちかといえば僕は動きが早い相手のほうが苦手だからな。
「マテ……」
僕がどうやって“絶望”と戦おうかと思案していると、また死神さんから声をかけられた。
「なんでしょう?」
「奈落デ、アレト戦ウノハ、ブガワルイ……」
「そう言われましても……」
奈落からどうやって脱出すればいいのか分からないし、そもそもあんなモノを現実世界に連れていくなんてできっこない。もし“絶望”が現世に出てきたらただでさえボロっちい呪須津家が大破してしまうし、近隣もただでは済まないだろう。ドッカンドッカン激しくやり合ったらきっとニュースにもなるだろうし、もしかしたら自衛隊が出動する騒ぎになってしまうかもしれない。
「奈落デハ、モウジャハ、天ニカエレナイ……。“堕チタ神”ノ、カケラハ、モウジャノ絶望ヲクラウ……。モウジャガ、ココニ、囚ワレテイル、カギリ……アレガ消滅、スルコトハ、ナイ……」
「ではどうしろっていうんだい?」
「“天道”ヘノ、扉ヲ、ヒラケ……! 天ヘノ、道ガヒラケレバ、モウジャヲ……浄化、デキル……」
「……その、天道というのは一体何なんですか?」
「“天道”ハ……スベテノ、魂ガ、カエル、バショ……。安ラカ、ナル、救イノ……地……」
「お前は“天道”の扉の開け方を知っているのか?」
「アア……知ッテイル。ソモソモ、奈落ハ……罪深イモウジャヲ、“天道”ヘ、ミチビク、タメニ……創ッタ。決シテ、ココハ、罪人ヲ苦シメル、タメダケノ、バショデハ……ナイ! ケガレ、ニ……塗レタモウジャヲ、救ウトコロ……」
死神は千代さんの肩に寄りかかり今にも崩れてしまいそうなほど弱々しかったが、その口調は力強く彼の矜持というものが垣間見れた。きっと古の神は“絶望”に乗っ取られる前は奈落で罪人の魂を導く役目をしていたんだろう。
「では奈落は天道に繋がっているということですね?」
「ソウダ……。“天道”ヘト、ツヅク、道……“冥霊山”ハ、屋上ニアル……」
「冥霊山……」
つまり、その冥霊山という山を登った先に天道があるのかな? さっき死神が僕達が屋上に向かったのを正解だと言ったのはそのためか。
「しかし時間がない。アレはもう目前に迫っているよ」
「ソレデモ……“天道”ヘノ、扉ヲ、ヒラカネバ、ナラヌ。ソノタメニ……」
「俺が必要と言うわけだな?」
僕のすぐ後ろから鷹司君の声がした。どうやら意識を取り戻したようだ。僕は背中の彼を下ろす。鷹司君の足取りはおぼつかなく顔色が悪い。傷が癒えた今でも非常につらそうだ。それだけ亡者のケガレというのは体や心に負荷がかかるものなのだろう。
「ソウダ。オマエニ、纏ワリツク、奈落ノモウジャノ、ケガレヲ、“天道”ヘト導ケバ、奈落ト“天道”ガ、チョクセツ、ツナガル……」
「それはつまり、鷹司君が代わりに亡者のケガレを天道に持っていくことによって、ケガレの本来の持ち主である亡者が浄化されるということですか?」
「ソノ、トオリダ。ソシテ、連鎖的ニ、他ノモウジャモ、浄化サレル、ハズダ……」
「ならば俺が冥霊山とやらに行けばいいのだな? 死神、屋上はどこにあるのだ?」
「“冥霊山”ヘノ、イリグチハ、ワタシガ、ヒラク……。ダガ、オマエヒトリデハ、冥霊山ヲノボリキル、コトハ、不可能ダ……。“天道”ヘ辿リツクニハ、バツヲウケ、罪ヲツグナウ、ヒツヨウガ、アル。無数ノモウジャノ罪ヲモツ、オマエハ、ソノブンダケ、バツヲ、受ケネバ、ナラヌ。トウテイ、ヒトリデハ、ミガモタナイ……」
古の神はそう言うと僕の方を見た。
「人デアリ、カミデアル者ヨ……。オンミモ、一緒ニ、イクノダ」
「僕もですか? しかしそれでは……」
階下の亡者達の悲鳴がひときわ大きくなった。窓の外を見れば“絶望”がすぐ近くまで迫っていた。
「さっさと行ってきな。ここは私達がなんとかするから。千代」
「はい」
千代さんは刀を地面に突き刺した。すると彼女の真下の床に白い蛇が渦を巻いている文様が浮かび上がった。これは縁雅家の家紋だ。
「呼び覚ますは白蛇の肝、捧げるは縁雅の命脈。巫女の全てを奉り、八千代の約定ここに果たさん。縁雅一刀流、『真神降し』」
千代さんの持っている刀の刀身が白く輝く。同時に彼女の体も神聖で高貴さを感じる白いオーラに包まれた。首に巻き付いていたミニハクダ様は体が大きくなりアナコンダくらいになった。
神々しいオーラを纏った千代さんは刀で窓を袈裟斬りにすると、外に勢いよく飛んでいった。まっすぐ“絶望”に向かっていき、すぐ近くまで肉薄する。そして刀を上段に大きく構えた。
「縁雅一刀流、奥義! 『縁断ち』!」
彼女が叫ぶと刀身が強く輝いた。
「え~~~んが、ちょっ!!」
可愛らしい掛け声とともに刀を振り下ろすと、“絶望”と千代さんの間の空間に亀裂が入りピシリと音を立て地滑りするようにそこだけズレた。
“絶望”の頭部が何かにぶつかる音がする。この巨大な化け物は頭部を力ずくで押し付けているが、千代さんの前にできた何かに阻まれそれ以上進めないでいるようだった。
「すごい……」
「お見事ですねえ。さすが私のお友達」
「何をボーっと見ているんだい? 死神、さっさと冥霊山の入口とやらに小僧共を連れていきな」
小さく頷いた死神は僕と鷹司君の前までヨロヨロと来ると、体が真っ二つに割れた。僕は突然のことにぎょっとした。彼の割れた隙間から光が漏れる。なんとなく白い鳥居みたいな感じがした。
「ヨイカ、ニンゲン……。冥霊山ハ、厳シク、ソノ痛苦ハソウゾウヲ、ゼッスル。ココロシテ、ススメ」
死神は鷹司君の方を見るとそう言った。僕はその言葉にビビってしまったが、当の鷹司君は涼し気な顔をしていた。覚悟が決まった男の顔だ。
古の神は今度は僕を見た。
「御身ハ、コノ、ニンゲンノ、チカラニナリ、“天道”ヘ、トモニ達スルノダ……」
僕は黙って頷いた。
「サイゴニ、“天道”ノトビラヲ、ヒライテモ、“天道”ニ触レテハ、ナラヌ。モドッテコレナク、ナル故ニ……」
古の神の体が更に広がると隙間が大きくなり人が通れるくらいにまでなった。この先に厳しい試練が待っている。
「それじゃあ、行ってきます。オシラキマン、ここに残って彼女達の力になってほしい」
「了解だ、ムッシュ。健闘を祈るよ」
「お気をつけ下さい、野丸様。私もジンカイ様の敵を討つため、死力を尽くします。お二人共、ご武運を」
「言っておくけど長くは持たないよ。ちんたらしてないで、さっさと帰ってきな」
鷹司君は一礼すると死神の体にできた入口に入っていった。僕もすぐに彼の後を追った。