第54話 地下
「ぎゃっ!」
大鬼に頭を踏み潰された男が短い断末魔を上げて絶命した。頭部のない身体は薄くなりそのまま消えてしまった。今死んだ男を最後に教室にはもう亡者はいなかった。
「ちっ……あの野郎、何が敵は下にいるだ。弱え奴らばっかじゃねえか」
鷹司に5階から1階の救済室に行くよう命じられた鏖鬼は2階にいた。階を移動するごとに殺戮に興じていたが、どんどん弱くなる亡者に鏖鬼は悪態をついた。
どの階の亡者も最初は鏖鬼に向かっていったが、この鬼のあまりの強さに逃げ惑い蹂躙されていった。2階ももやは鏖鬼の近くに亡者の気配はない。殺されたか逃げたかして、教室内はしんと静まり返っていた。
鏖鬼はつばを吐いて教室を出た。大股で歩を進めると下へ続く階段が見えた。跳躍すると一足に踊り場に出る。そこからもう一飛して1階の廊下に乱暴に着地した。大きな地響きが静かで暗い廊下に響き渡った。
目の前は玄関、左右の廊下には立ち入り禁止のテープが張られている。鏖鬼は立ち止まり辺りを見回した。
「こっちだな」
左側の廊下の先を見る。何かの気配を感じ、鏖鬼はこの道を行くことに決めた。テープが張ってある空間には結界が張られていると直感的に理解できた。大鬼は右手に持った刀を大きく振り上げる。それを力任せに切り下げた。
金属が切れたかのような不快で硬質な音が耳朶を震わせる。テープは切れ見えない結界も破壊された。鏖鬼は廊下を真っすぐ進む。しばらく時が止まったかのような陰気で静かな廊下を乱暴に足音を立てながら歩いていると、とある部屋の前で止まった。
室名札には逆さ文字で「救済室」と書いてある。鏖鬼はドアを蹴り飛ばすと、窮屈そうにその巨体を入口に潜らせた。部屋の中央には白衣を着た女が後ろ向きで椅子に座っている。
「アラ? アナタスゴイ罪ノ数ジャナイ。ドウシテココヘ入ッテコレタノ?」
椅子を半回転させた女の顔は上下逆さまだった。首の上に額があり目、鼻、口、顎の順番でその上に髪が生えていた。
「デモ、スゴイケガレ。コレナラ十分ダワ。罪ヲ全テ注イダラ、マタココヘ来テ? ソウスレバ……」
「うるせえ」
鏖鬼は大刀で女の首を跳ね飛ばした。頭のなくなった体は椅子から崩れ落ちる。床に落ちると人形のように手足がバラバラになり下へズブズブと沈んでいった。
「……この下だな。でけえ気配を感じる」
鏖鬼が呟いた直後、教室全体が地震が起こったように大きく横揺れして空間にヒビが入った。ヒビは大きく伸びていくと蜘蛛の巣のように広がり、細かく分けられた空間がパラパラと落ちていった。
突如浮遊感が鏖鬼を襲う。床が崩れ下へと落下する。鬼の巨体は大穴に落ちたように漆黒の暗闇に落ちていった。五感が機能しなくなり、まるで無の世界へと向かいこのまま消えてしまいそうなほど深く深く堕ちていくが、鏖鬼は口の端を上げて嬉しそうに言った。
「とんでもねえのがいやがんな」
2本の大刀を構え下をじっと見据える。すると暗闇の中、鏖鬼の目の前に突如大きな顔が現れた。顔は骸骨のようにほぼ骨だけで薄い皮膚がかろうじてくっついているだけだ。骨がむき出しになった口が大きく開く。突然現れた何かは大鬼の巨体が豆粒のように見えるほど巨大な口で鏖鬼を飲み込んだ。
「ちっ……」
一瞬の出来事で鏖鬼はなすすべもなく何者かに取り込まれた。湿ったドロドロとした空気の中に落ちていく。少し先にかすかな光が見えた。光は徐々に強くなりやがて鏖鬼の眼前に広がった。視界が開けるとそこには一面肉色の空間があった。
鏖鬼はブヨブヨの地面に着地すると興味深げにこの不可解な空間を見回した。先が見えないほど肉紅が広がっていた。
「くっくっく。随分とでけえ胃袋だな? それに賑やかじゃねえか」
どこまでも続く広い体内には無数の亡者達が殺し合いをしていた。みな裸で血にまみれている。どの亡者も誰かと争っており殴る蹴る首を締めるなどの取っ組み合いが至るところで行われていた。
鏖鬼の近くに二人の女が争っていた。髪を三つ編みにした十代後半らしき女と今の基準で言えば少し古い髪型をした30前後の女。お互いの髪を掴み合い醜く争っていた。
三つ編みの女が首を締める。もう片方の女も負けじと腕を伸ばし相手の首を掴んだ。互いに渾身の力で締め合う。やがて三つ編みの女は口から泡を吐きぐったりと地に伏した。女の身体が肉色の地面にゆっくりと埋まっていった。
「ざまあみろ!」
生き残った女の亡者は獰猛な目つきで女が消えたあたりを見ながら言った。鏖鬼は横目につまらなそうにその女達の争いを見ていた。
「うぎっ……!」
女が突然苦しみだした。背中に手を伸ばし掻きむしる。女の背中に瘤のような塊が浮き出てきたかと思うと、それはどんどん大きくなり人の顔になった。恨めしそうな目をしているその顔は先ほど死んだ三つ編みの女のものであった。
「ああ、憎い!」
背中から顔が完全に出ると次は首、肩、上半身と女の体からもう一人の女が生えてきた。背中から出てきた女の重さでもう一方の女は体制を崩し倒れた。三つ編みの女の体が下半身まで達しやがて完全に分離した。苦しんでいる女に生えてきた女は飛びかかった。
この女たちだけでなく他の亡者も、殺した亡者の体から殺された亡者が生えてきて再び殺し合い行うという光景が繰り広げられていた。
「ひひひ。気味のわりぃ場所だ。腹ん中でケガレを作ってるのか? いい趣味してるねえ。こいつは大物だ」
鏖鬼は愉快そうに笑った。
「死ね!」
「お前が死ね!」
横で争う女たちを鏖鬼は一瞥すると大刀を横薙ぎに振う。
「うるせえ」
体を真っ二つに斬られた亡者は地面に落ちるとズブズブとまるで胃に吸収されるように飲み込まれていった。
「さて、どうするか。内側から食い破ってやるか」
鏖鬼が大刀を肉の地面に突き立てようとしたとき、両肩に激しい痛みを感じた。
「なんだあ?」
大鬼の肩に瘤ができた。それは大きくなると人の顔へと変わった。先程殺した二人の女が呪詛を吐きながら首、肩、上半身とどんどん伸びてきた。二人の女は腕を伸ばすと鏖鬼の首を強く掴む。
「死ね!」
「死ね!」
鏖鬼は肩の女達を乱暴に引っこ抜くと勢いよく地面に叩きつけた。ぐしゃりと潰れ血溜まりが広がる。女達の死体はまた肉の地面に取り込まれていった。するとまた鏖鬼の肩が痛みだした。瘤ができ人の顔となり上半身が伸び、二人の女はまた鏖鬼を殺そうと腕を首へと伸ばす。
「……めんどくせえなあ」
気づけば回りで殺し合っていた亡者達が鏖鬼を取り囲んでいた。殺意のこもった目は今にも飛びかからんばかりだ。
「雑魚が俺とやる気でいるのか! おもしれえ! やってみろよ!」
取るに足らない小物達から敵意を向けられた鏖鬼は怒りと喜びで大刀を構えた。
「全員ぶっ殺してやる!」
1人“絶望”に取り込まれた大鬼は亡者の群れに向かい突進した。
「ムッシュ! つながったよ! 長い間お待たせして申し訳ないね」
「本当!?」
漆黒の紳士が立ち上がり僕の方を向いた。クロイモちゃん改めオシラキマンは今の今まで奈落の入口の中央に手を当て、奈落に侵入するためにハッキングのようなものをしていた。かれこれ30分くらいだろうか。
その間僕は置き去りにしてしまった千代さんが心配でしょうがなかった。ミニハクダ様が付いているから大丈夫だとは思うんだけど……
「それじゃあ、早速頼むよ」
「任せ給えよ、ムッシュ。さあ、手を」
オシラキマンが手を差し出す。僕は彼の真っ黒な手を握った。人肌のような温かい手が握り返した。その直後、床がなくなったかと思えば浮遊感に襲われ落下する感覚を覚えた。視界が真っ暗になる。
初めに奈落へ落ちたときと同じ感じであったが、浮遊感はすぐに終わり足が地面を捉えた。視界に映ったのは薄暗くモヤが漂う奈落の5階であった。5階はどこも同じような外観であったが、ここはたぶん僕が死神に刺された場所だろう。もう一度1階からスタートじゃなくてよかった。
シンと時が止まったかのように静まり返った廊下には千代さんの姿はなかった。彼女は無事か? 先へ進んだのだろうか? 僕が千代さんの姿を探していると教室のドアがすぐに開かれた。
「オシラキマン、亡者が出てこない内に6階へ行くよ」
僕は千代さんがすでに6階へ向かったと仮定して彼女の後を追うことに決めた。
「オーケー。私はどこまでもムッシュについていくよ」
5階の亡者は警戒心が強く本能に流されるまま行動することはない。イレギュラーな事態には慎重に動くはずだ。
僕達は足音を立てないように早足で廊下を突き進んだ。下の階と同様、ほぼ一本道だから迷うことはない。僕とオシラキマンはモヤで視界不良な廊下を突き進む。
「……」
僕達の進む先に3人の亡者がいた。こちらを見て警戒している。じっと教室に閉じこもってくれればよかったんだけど、さすがにそう上手くはいかないか。
「ナンダ、オ前ハ?」
通せんぼするように3人の亡者は僕の前に立ちはだかる。
「すみません、僕達は6階に用があるので通してもらえませんか?」
ダメ元で言ってみる。そしていつでも浄化玉を発射できるようにスタンバっておく。
「6階……?」
「オカシナ奴ダ。死ニタイノカ?」
「コイツ、俺タチノ、仲間ジャナイゾ」
「デハ、殺シテモイイノカ?」
「アア、ソウダ。仲間ジャナイナラ殺シテモイイ」
「誰ガ殺ル? 二人シカイナイゾ?」
予想通りにバトルは避けられないようだ。ならば仕方がない。僕は右手に拳大の浄化玉を出すとそれを彼らに向けて放った。
「「「ッ!!?」」」
眩いばかりの金色の光が辺りを照らした。光はモヤをかき消し幾分か見通しが良くなった。さて、ちゃんと浄化されているかな?
光が収まるとそこには3人の亡者がいた。まさかの浄化失敗だ。こんなこと初めてだからちょっと動揺する。あの死神がやったように光の粒子となって成仏させることはできなかった。
「……あ、あれ?」
「……どうなってるんだ?」
「お、俺、何してたんだ?」
だがちょっと様子がおかしい。3人の亡者はキョロキョロとして自身に何が起こったか理解していないみたいだ。
浄化玉をぶっこんだ亡者は浄化こそされなかったものの、ガリガリに痩せこけた体は肉付きが良くなり狂気を孕んだ目は正気を取り戻しているように思える。2階の亡者よりも健康そうだ。
「あの」
僕が声を掛けると皆一様にビクッとなり怯えた表情で僕を見た。
「な、なんだ、あんた……」
こちらを相当警戒していらっしゃる。彼らからはこちらに対する敵意は感じられない。このまま素通りできそうだけど、廊下に横一列に並んで突っ立っているので邪魔だ。
「すみませんが、そこ通してもらえませんか?」
どうして彼らがこうなったのか検証してみたいが時間がない。とにかく先へ進もう。
「ナンダ、コイツラハ?」
そう思っていたらワラワラと他の亡者達が僕達を囲むように集まってきた。正気に戻った3人はヒッと短い悲鳴を上げてその場にへたり込む。
「コイツラ、仲間ジャナイ」
「マタカ……。今日ハ、オカシナ日ダ……」
「殺シテ、イイノカ?」
「仲間ジャナイナラ、殺シテイイ」
「誰ガヤル?」
「俺ダ」
「イヤ、俺ダ」
「私ガ、ヤル」
「仲間ドウシデ、争イハヨクナイ。公平ニ決メヨウ」
「ちょっと、すみませんね」
僕は両手を左右に広げ、僕達を誰が殺すか言い合っている亡者に向けてズドーンと浄化玉をぶっこんだ。先程と同様ピカーっと金色の光が廊下に満ちた。
「…………え?」
亡者の皆さんは最初の3人と同じように禍々しい雰囲気が消えて、普通の人間みたいになった。何が起こったか理解ができず混乱している。僕が歩き出すと怯えたように左右に別れて道を作ってくれた。
「お、おい……あんた何者なんだ?」
亡者の一人が僕に向かって言った。僕は彼の方を向きニコッと笑った。
「あなた達を救いに来た者ですよ」
僕の笑顔を見て彼らは悲鳴を上げた。なんて失礼な。助けて上げると言っているのに。確かにちょっと引きつってぎこちない笑顔になってしまったけども……。
僕は正気に戻った亡者達を背にして走り出した。途中で亡者が現れても浄化玉を一発お見舞いすれば簡単に無力になった。亡者を浄化しつつ走ること数分、やっと6階へ上がる階段を見つけた。屋上まで後ちょっとだ。僕は一段階段に足をかけたところで後ろを振り向いた。
僕が浄化した亡者がちょっと心配だ。彼らは5階にいる亡者のほんの一部だ。牙も爪も抜かれた彼らは5階の強力な亡者に対抗する力はない。きっとすぐに狩られてしまうだろう。なんとかしてあげたいが時間がない。早く“絶望”を見つけて奈落にいる全ての亡者を救ってあげなければ……。
僕とオシラキマンは階段を駆け足で登った。