第49話 5階②
コツコツと足音が響く。靄のかかった廊下を僕達は歩いていた。先頭は先程出会ったばかりの亡者。
5階の亡者は罪が7つ以上の者であり理性などぶっ飛んでいるものと思われたが、彼女は冷静で話の分かる人だった。それどころか屋上を目指していると言ったら、こちらを心配するような言葉を述べたのだ。
もちろんそれがフリである可能性の方が高いし、警戒は怠れない。結界は張ったままだし彼女から距離を取っている。しかしどうにもこの亡者からは人間味を感じるし、下の階の亡者よりよほどのこと理性的である。
彼女は僕達のことを殺したくならないのだろうか? うーん、気になる。
「あなたは私達を殺したくないのですか?」
そう思っていたら千代さんがドストレートに聞いた。女の亡者は止まるとゆっくりこちらに振り向いた。
「……本音ヲ言エバ殺シタイ」
咄嗟に身構える。やっぱり僕達を殺したいんだ。
「ではなぜそうしないのですか?」
「タガガ外レル……」
「タガ?」
「ソウ。本能ノママニ殺戮衝動ニ身ヲ任セタラ、冷静サヲ取リ戻スノハ困難。ダカラ我ヲ失ワナイ様ニ気力ヲ振リ絞ッテ耐エテイル」
「どうしてそこまでするのですか? 下の階の人達はあなたほど我慢強くはなかったですよ? 階下の者より更に理性の薄いあなたが必死に正気を保とうしている理由は?」
千代さんの追求に女の亡者は口を閉じた。沈黙が流れる。じっと千代さんを見ていた亡者であったが、やがておもむろに口を開いた。
「化ケ物ハ亡者ノ暴走ニ乗ジテ現レルコトガ多イ。教室内デ殺シアエバ化ケ物タチガヤッテ来ル。ダカラ皆ンナ強襲ノトキマデ、息ヲヒソメテ殺シタイ衝動ヲ一生懸命オサエテル。ワタシ達ニハモウ後ガナイ。ソレニ……」
「それに?」
ここで女の亡者が震えだした。一体どうしたというのだろう。なんだか尋常ではない様子だ。
「ワ、ワタシハ、見タコトガアル。5階ノ亡者ガ化ケ物ニナルノヲ……」
「……どういうことですか?」
「ワカラナイ……。タダソノ亡者ハ生前、10ニン殺シテココニ来タモノダッタ。来タ途端ニ、暴レダシタカト思エバ、急ニ苦シミダシテ、体中ガ折レ曲ガッテ、異形ニナッタカト思エバ、一人ヲ拐ッテ、窓ヲ壊シテ上ニ上ガッテイッタ……」
「まさか……化け物というのは亡者の成れの果てということですか?」
「恐ラク……」
また沈黙が流れる。驚いたことに化け物というのは元は全員亡者かもしれないらしい。罪を犯した人間の魂が死後、奈落に落ち殺し合いをさせられて、中には異形の化け物にまで成り下がる者もいるとは……。
罪人とはいえ哀れとしか言いようがない。
「もしかして、化け物になるには罪の数が関係しているのでしょうか?」
僕が尋ねると彼女は小さく首を振った。
「罪ノカズ、トイウヨリハ、理性ガアルカナイカ、ダト思ウ。自分ガ殺シタ10ニン分ノクルシミノ、記憶ガ一気ニナガレコンデ、理性ガ完全ニナクナッテ、シマッタンダト思ウ。ワタシモ、暴レテイルトキニ、何カニ侵食サレテイル感覚ヲカンジル、コトガアル……」
彼女はそういうと前を向き歩き出した。僕と千代さんはお互いに顔を見合わせた。彼女がなけなしの理性を必死に保とうとしてる訳はこういうことだったんだ。
しばらく無言で歩く。どれくらい経っただろうか。5分か10分か。不意に女の亡者は立ち止まった。
「着いたんですか?」
辺りはモヤが強く階段らしきものは見えない。
「囲まれているね」
「えっ?」
モヤが薄くなったかと思えば僕達を夥しい亡者が囲んでいた。全く気が付かなかった。一体いつの間に出てきたのだろう。みんな病的に痩せていて薄気味悪い。
「これは?」
もしかしたら皆で奈落の亡者を救おうとしている僕達を見送りに来てくれたのかもしれない。
「ヒッヒッヒ」
女の亡者が振り向くと悪意を湛えた笑みで僕達を見た。ああ、やっぱりな。
「バカガ、マンマト引ッカカッタ」
別に信じてなかったし。
「やはりあなたは敵だったんですね。残念です」
「アタリマエ。ノコノコ下ノ階カラ来タバカヲ、見逃スハズガナイ」
「「「バカダ……バカダ……」」」
周りの亡者たちが一斉に笑う。
「ワタシガ1人モラウ。後ハ公正ニ決メテ」
「ドウスル?」
「早イモノ勝チダ」
「イヤ、競争ハヨクナイ」
「争イゴトハダメダ」
「クジガイイ……」
亡者たちは殺る気満々である。もうこうなったらバトルは避けられないか。
「覚悟シテ?」
女の亡者はその痩躯には似合わない機敏な動きで結界の前まで距離を詰めると、拳を思い切り叩きつけた。まるで大型トラックのタイヤが破裂したかのような大きな音と、凄まじい衝撃が結界を揺らした。すごい力だ。
だが結界は当然のように無傷だ。この程度では全く歯が立たない。さすがだ。でもびっくりしたからお腹のクロイモちゃんを思わず庇ってしまったぜ。
「カタイ……」
女の亡者は拳を何度も叩きつけた。その度に大きな音が響き耳が痛い。必死に結界を殴る彼女の顔はもうやばい感じ。快楽殺人者のような愉悦と殺意がごちゃまぜになった表情をしている。理性はどこかへ行ってしまったようだ。
仕方ない。こうなったらもう景気よく浄化玉をぶっ放すしかない。
僕は手をかざし結界を殴りつけてる女の亡者に照準を定めた。よし、行くぞ! と思ったときまたあの非常ベルがけたたましく鳴り響いた。
――緊急警報! 緊急警報! ――
構内アナウンスから女の声が流れる。
――死神が現れました! 5階に死神が現れました! 至急避難してください!――
まただ。また死神だ。まさか4階から上がってきたのか。
獲物をどう嬲り殺そうかと殺気立っていた亡者たちは、今度はどよどよと不安げにざわめき始めた。
――死神に殺されれば未来永劫救われることはありません! 皆さん、逃げてください!――
慌てふためく亡者をよそに僕はしめたと思った。この混乱に乗じて上へ通じる階段を探し、戦うことなく6階へ逃げようと画策した。しかしそんな僕の浅薄な策を嘲笑うかのように、死神は僕達のすぐ近くに現れた。
「エッ……」
僕の目の前の女亡者の背後にソレはいた。真っ黒なケガレを纏った人形の何か。右手には剣のような物を持っている。それを亡者の背中から刺した。ちょうど心臓あたりだろうか。
刺された女の亡者は苦痛を感じる間もなく光の粒子となって消えてしまった。僕達と死神を隔てる障害がなくなり、このケガレだらけの何者かの姿がはっきり見えた。死神はバッチリ僕達を補足している。右手に持っている剣を振り上げた。まずいぞ……。
だけどこの結界はちょっとやそっとじゃ壊せない。そんなチンケな剣でどうにかできると思わないほしい。結界で死神の攻撃を防ぎつつ僕は安全圏から攻撃してやる。さあ、来るなら来い! 特大の浄化玉をお見舞いしてやるぞ!
「野丸さん!」
千代さんが僕を見て叫んだ。
「えっ……」
腹部に違和感を覚えた。そっと顔を下に向けると、いつの間にか僕の腹に死神の剣が刺さっていた。腹を貫通して背中まで剣の感触がある。まるで分からなかった。死神の剣は何の手応えもなく僕の結界を通過して僕の腹を刺したのだ。
「あ……」
何かを言う前に僕の意識は途絶えた。視界が真っ暗になりふわりと体が軽くなって体中が暖かくなる。最後に見た死神はなぜか戸惑っているような気がした。
意識が戻って目を開けると真っ暗だった。いや、かすかに岩肌が見える。背中は冷たく、どうやら固い地面に寝転がっているようだ。何となくだが、気を失ってから幾ばくも経っていないだろう。
僕はゆっくり上半身を起こすと小さな浄化玉を出し辺りを照らした。大きなドーム上の空間に全く光を反射しない暗黒の地面が広がっている。キョロキョロ首を動かしと確かめて見れば間違いない。ここは奈落の入口だ。まさか戻ってしまったのか……。しかしなぜ?
死神の攻撃によってこうなったことは間違いないが、“絶望”を倒すまで奈落からは出られないはずだ。アナウンスによれば死神に殺されると、未来永劫救われることはないとのことだったが、現状からすると全く違う状況になっている。
もしかして僕が生身の人間だから何かしらのエラーでもでたのだろうか? いや、違うな。死神に刺されたとき、アレの剣から僕と同じような力を感じた。刺されているというのに温かな力が流れ気持ちよくすらあった。どう考えても神聖な力であった。
このことから一見すると死神はケガレだらけだが、その本質は聖なる存在なのかもしれない。結界を死神の剣が透過したのも悪意がなく僕と似たような力だからじゃないか?
死神に殺された亡者は光の粒子となって消えたが、よくよく考えてみればあれは煤子様やシュウくん、案件で成仏させた悪霊達が浄化されたときと似たような反応だった。彼らも光の粒子となって宙に溶けていった。
ということは死神に殺された亡者は救われないのではなく、奈落から解放され成仏したのではないか? そう考えれば僕が奈落から現実世界に戻ったことも頷ける。
では死神とは何なのか? 奈落に住み神のごとき力をもって亡者たちを解放する者……。
「古の神……」
確かジンカイさんによれば奈落を創ったのは古の神だと言っていた。もしかしてあの死神は古の神なのだろうか?
お腹を擦りながら思案していると僕は自身の異変に気がついた。ハッとしてお腹を見る。
「ない……」
僕のビール腹のようにポッコリ膨らんだ腹部が元通りスッキリしていた。急いで服をめくる。そこには蛹になったクロイモちゃんの姿はなく、僕の貧相な腹筋しかなかった。
「ク、クロイモちゃん!」
僕は慌てて辺りを見回す。いくつも浄化玉を出して広々とした洞窟内を照らしたが、岩以外は何もなかった。まさか奈落に置き去りにしてしまったのか。それとも死神に刺されたときに死んでしまったのか。最悪な結末が僕の脳裏に浮かんだ。
「クロイモちゃん! クロイモちゃん!!」
叫びながら探す。どこへ行ってしまったんだ、クロイモちゃん……。
洞窟内を隈なく探したがクロイモちゃんの姿はどこにもなかった。ここにはいない。こうなったら早く奈落に戻ってクロイモちゃんを探さないと。きっと奈落で生きているはずだ。
僕がいない今、千代さんも1人だし“絶望”も倒さなくちゃならない。僕は奈落へ再び向かうことにした。しかしどうやって戻ったらいいのだろう。呪須津の宝剣もないのにどのように侵入すればいいんだ?
まずい、まずいぞ……。
僕は頭を抱えた。もう一か八かで奈落の入口におきよめ波を打ち込んでみようか。そう考えて神正氣を両手に溜めようとしたとき、誰もいるはずがないのに背後から声がした。
「そんなに慌ててどうしたのだね?」
僕以外の声が洞窟にこだまする。僕は反射的に振り向くと、声の主の姿に驚いた。