第16話 発作
本日は土曜日。天女ちゃんが家に訪ねてきてから一週間経った。早いものですね。
平日、僕が仕事に行っている間に天女ちゃんがどの様に暮らしていたかというと、湿原さんから人間の世界で生きていくために必要なことを教わって過ごしていた。湿原さんは霊管から天女ちゃんの教育係を任されたようで、毎日超越神社まで来て天女ちゃんに教育を施してくれた。
僕は今まで通り自宅のアパートに寝泊まりして、普通に出勤していた。超越神社の住居兼本殿に泊まったのは呪い女を撃退した日のみだ。水晶さんからは超越神社の祭神なんだから、早く住居兼本殿で暮らすように急かされているが、やっぱり妖怪とはいえ美少女と二人で暮らすのは背徳感に似た抵抗がある。まあ、水晶さんも居るんだけど。
ちなみにこの一週間で水晶さんから色々なことを聞いた。通勤時に満員電車の中でスマホ越しにコミュニケーションを取るのは思いのほか楽しかった。ストレスフルな通勤が楽しいと思えたのは初めてだ。水晶さんの事とか異世界の事は答えてくれなかったけど。異世界については近々行くことになるので、その時が来れば教えますとかなんとか。
さて、本日の予定はと言うと、天女ちゃん、霊管の湿原さんと共にデパートに買い物に行く事だ。教育の一環として人間の街を社会見学する事と、天女ちゃんに必要な日用品を買うために大きめの街に繰り出す事にした。日用品は先週に買うつもりだったんだけど、急に浄化をするハメになったので、結局買うことができなかったのだ。
買い物に行くのはいいが一つ懸念事項がある。天女ちゃんの調子が悪そうなのだ。2、3日前から少し体調が悪いと訴えていたのだが、まだ続いている。症状は少し熱っぽく、胸がムカムカとするようだ。
今日は出かけるのは辞めて後日にしようかと提案してみたのだが、どうしても今日行きたいみたいだ。予定を立ててから、すごく楽しみにしていたからな。
そういうわけで今現在、僕達は超越神社の入口に当たる白い鳥居の前にいる。湿原さんが車を出してくれるので、駐車場近くのここで待っているわけだ。
「天女ちゃん、無理しないでね。ちょっとでもダメそうだったらすぐに言うんだよ?」
「はい、心配かけて申し訳ありません。でも大丈夫です。……たぶん」
天女ちゃんの顔は少し上気している。もしかして風邪かな?
少ししてから、駐車場に軽自動車がやってきた。中から湿原さんが出てくる。
「おはようございまーす。天女ちゃん、まだ調子悪そうだね」
「おはようございます、湿原さん。今朝体温を計ったら熱はなかったんですけど……。妖怪も風邪に罹るんですか?」
「妖怪によりけりですねー。天女ちゃんは人間に近い妖怪だから、普通に風邪を引くと思いますよ。天女ちゃん、やっぱり今日はやめとくー?」
「おはようございます。大丈夫です。なんだか無性に行きたいので連れてってください」
どんだけ楽しみにしていたんだ、天女ちゃん。まあ、気持ちはわかるけどね。僕も小学校の遠足当日に熱が出たんだけど、どうしても行くと駄々をこねた記憶がある。
「……絶対無理したらダメだよー?」
「はい、わかりました」
心配だけど本人たっての希望だし、僕と湿原さんも居るから大事にはならないだろう。
向かった先は車で30分ほどの、ここらの地域で一番栄えている駅ビルだ。ここなら大抵の物なら手に入るし、ちょっとお高い服の有名ブランド店もたくさんある。湿原さんが天女ちゃんに服を買ってあげたいそうだ。この一週間でこの二人はだいぶ仲良くなったみたいで、湿原さんは妹ができたみたいで嬉しそう。
天女ちゃんは格好は前回と同様に、芸能人お忍びコーデにしてもらった。サングラス、マスク、帽子、髪を隠すためのフード付きコートを身につければいっちょ上がりである。
本当は素顔で好きな服を着させて連れていきたいんだけど、いかんせん、とてつもなく目立つものだから我慢してもらっている。スマホで写真を撮られてSNSに上げられても困るし、ストーキングする変な男もたくさん出てくるだろう。でもどうにかしてあげたいよなあ……。
車内で会話をしていれば、30分なんてあっという間だ。僕達はT駅北口の近くの駐車場に車を止め、駅ビルへと向かった。駅ビルの構内は単純な作りで、南口と北口をつなぐ通路が一本あり、その左右に商業施設の入り口がある。駅直結で、休日ということもあって、人はとんでもなく多い。
僕達は女性物を多く扱っている施設へと入った。湿原さんおすすめの小物を扱っている店や、服のブランドショップがあるらしい。そこに行って、二人はワイワイキャイキャイとショッピングを楽しんでいる。天女ちゃんは若干調子が悪そうだが、すごく楽しそう。僕は完全に娘の買い物に付き合うお父さんモードだ。とどのつまり、ただの荷物持ちである。女の子の買い物に付き合ったのっていつ以来だろうなあ。
服を試着する時はさすがにサングラスとマスクは外さないといけない。それを取り、真の姿を現した天女ちゃんは店内の注目の的。店員さんを始め、他のお客さんからも驚いた表情でガン見される。
その中にはカップルもいて、男なら当然見るわけだ。なんたって類を見ないほどの美少女だもん。それは仕方ないにしても、ずーっと凝視しているものだから彼女が彼氏を睨んでいる。ああ、この後彼氏は彼女のご機嫌取りに始終するんだな。合掌。
2時間ほどショッピングを楽しんだ後、お腹が空いたので昼食を取ることにした。湿原さんおすすめのお店があるので北口へと向かう。
「う、う~」
ちょうど構内を出た所で、突然天女ちゃんはしゃがみ、苦しそうにうめき出した。
「どうしたの!? 大丈夫!?」
湿原さんが天女ちゃんの背中をさする。もしかして、だいぶ無理をしていたのだろうか。
「車の中に移動しましょう。天女ちゃん、立てる?」
彼女に手を貸そうとした瞬間、天女ちゃんはいきなりガバっと立ち上がって。大声で叫んだ。
「ああ~~!!もう我慢できない!!!」
天女ちゃんは身につけていたサングラスやマスクや帽子を乱暴に取った。真の姿を解放である。
大きな声で叫んだものだから、周りの人たちは何だ何だとこちらを見る。視線の先には、どんなアイドルでも太刀打ちできないとんでもない美少女が居るもんだから、そらもうみんなびっくり仰天ですよ。
そんな仰天している団体がまた目立つもんだから、もっと広範な周囲の人達の注目を集める。その人達も天女ちゃんを見てびっくり仰天。仰天さんの団体の出来上がりだ。
――T駅北口にとんでもない美少女が降臨した――
後に誰かがそう言いそうだ。いや、そんな事はどうでもいい。とりあえずこの場から離れないと。
湿原さんとアイコンタクトして、天女ちゃんを連れて行こうとした時だった。彼女は今しがた来た駅ビル構内に向かってぐんぐん歩いていく。
圧倒的美少女かつカリスマオーラを放つ天女ちゃんは、少女というより畏怖を纏う神聖なる存在。今の天女ちゃん、覚醒してる……。それは普通の人にもわかるようで、彼女の歩む先、自然と道を空けてゆく。
人でごった返している構内に彼女が進入すると、人混みが天女ちゃんを中心に左右に分かれていく。皆、天女ちゃんの謎のカリスマオーラに当てられ、誰も頼んでないのに自然と道を譲る。
天女ちゃんの進行に合わせて人混みが左右に分かれていく様は、まさに旧約聖書、出エジプト記の海割りだ。天女ちゃんは現代のモーゼやでぇ。
僕と湿原さんは天女ちゃんの少し後ろから、ヘコヘコと付いて行く。あれだけ騒がしかった構内がシーンとしております。誰もが天女ちゃんに目を奪われている。遊びに来ている学生達や家族、カップル、スーツを着たサラリーマン、売店のおじちゃんおばちゃん、駅員に交番のお巡りさんまで……。
大勢のギャラリーを前に悠然と歩く天女ちゃん。北口から南口まで150メートルほどの構内をそのまま歩き通し、南口に着けばくるりと半回転した。天女ちゃんの顔は紅潮していて、なんだか興奮しているみたいだ。
「あ、天女ちゃん?」
「き、急にどうしたの?」
僕と湿原さんがおずおずと尋ねたが、彼女は僕達を無視して来た道を引き返した。もう一度構内を縦断するつもりだ。一体彼女の身に何が起こったんだ?
天女ちゃんが作った中央の空白地帯はそのまま残っていて、彼女は自らが作った道を突き進んで行く。僕達も後から付いて行く。
左右にいるギャラリーたちは往路の時は、天女ちゃんに圧倒されて黙っていたが今は落ち着いたのか、ガヤガヤと騒がしくなってきた。
「ええ~、何あの子……。すごい綺麗……」
「外人さん?」
「ふ、ふつくしい……」
「なんちゅう美少女だ……」
「とんでもねえ……、とんでもねえよ……」
「え? これ何かのイベント?」
「天女だ……。天女が降臨した……。」
「モデル? めちゃくちゃ美少女じゃん。俺、ファンになりそうなんだけど」
「俺なんかもうファンになったぜ!」
「どこの芸能事務所だろう?」
「おい、ついてこうぜ」
「ふ、ふつくしい……」
みんなスマホで写真や動画を撮っている。撮らないでくださいと言っても無理だろうなあ……。ちらっと湿原さんの方を見れば、すごく困った表情をしている。僕も同じような顔をしているだろう。
結構な騒ぎになってきた。それでも天女ちゃんはどこ吹く風で悠々と闊歩している。みんな天女ちゃんを囲んだりしないで、一定の距離を保っているのは、天女ちゃんの侵されざる神聖性を感じ取っといるからだろう。
復路も歩き終わり北口に着いた時、やっと天女ちゃんが言葉を発した。
「ああ~~、すっきりしましたあ!!」
良くわからないけど、すっきりしたようだ。良かったね。
「天女ちゃん……?大丈夫?」
「はい!とっても大丈夫です!!」
憑き物が落ちたような満面の笑みだ。先程までの体調の悪さは微塵も感じない。天女ちゃんはニコニコとしていたが、冷静になったのか、周囲がざわめいていることに気づき、その原因が自身にあることを理解して、途端に不安そうな顔になった。
「あの、もしかして……、私なにかやってしまいましたか?」