第43話 金剛の乙女
神々しく光る金色の輝きは、冷たく時が止まったかのような異界全体を照らした。艶鬼は光に弾かれ大きく後退させられる。煌々《こうこう》と力強く神聖さを湛える煌めきは幾分かカミヒトの神正氣に似ていた。
鬼の王を退けさせた黄金の輝きが徐々に弱まると、そこにはアイドル衣装を着た天女が立っていた。天女は自身の身につけている服に惑いつつも嬉しそうに確認する。
上衣は華やかな意匠で胸にはワンポイントのリボンがあり、短めのスカートは幾層にも重なったボリュームのあるフリルがふんわりと広がっている。上下ともに黄色と白を基調とした色合いで爽やかさと清楚さが際立っていた。
しかし両手には衣装に似つかわしくない堅強なナックルグローブが嵌められていた。せめてものオシャレのためか、手の甲の部分にハートマークがついているが、厳ついグローブとは不釣り合いだった。
天女は一通り衣装を確かめると満足そうに頷く。
「……なんだそれは?」
鬼神は突然服が変わったことよりも天女の纏っている氣に戸惑い不快感を露わにしていた。
「私は妖怪とんでもない美少女の蓬莱天女です! そして今、カミヒトさんのお力で絢爛乙女となりました! 人間さんをいじめる悪いヒトはこの退魔絢爛乙女団のアームストロング☆アマメがお仕置きしちゃいますよ!」
天女は口上を述べると、空手の構えのような名乗りポーズを決めた。その様子はどこか誇らしげであった。
「か、か、か……可愛くなーーい!!」
天女の後方から破魔子の叫び声が聞こえてきた。元気よく上半身を起こすと信じられないといった目をしている。
「破魔子ちゃん!」
天女は破魔子の無事な姿を見て顔をほころばす。
「気がついたんですね! お腹は大丈夫ですか?」
「うん……大丈夫。なんか知らないけど治ってる。さすがはオンミョウ☆ハマコ。お腹に穴が相手もへっちゃらみたい。……ってそうじゃなくて! 天女ちゃん、何その名前!」
「えへへ。どうですか? かっこいいでしょ?」
「全っ然可愛くなーい! 衣装はすごくいいけど、なにアームストロング☆アマメって……。なんでそんな女子プロレスラーみたいな名前にしたの?! 絢爛乙女の乙女名は可愛くないといけないの!」
「可愛い名前だと思いますよ!」
退魔絢爛乙女団の創始者でありリーダーでもある破魔子は一際乙女団のこだわりが強く、衣装も名前も可愛らしさを重視していた。団員の名前も自分で決めるつもりでいたが、天女が勝手に名乗った上にそのセンスも破魔子には理解しがたく、思わず大声が出た。
破魔子の元気そうな様子に天女は喜んだが、背後から強いプレッシャーを感じて咄嗟に身構える。烈火の如き怒りを露わにした鬼神が天女を睨みつけていた。
「おい……貴様の纏っているそれは神気だぞ。なんと身の程知らずな奴だ。たかが妖かし風情が、神の真似事をするな!」
振り上げた金棒に怒気を孕ませ、鬼神は天女に勢いよく叩きつけた。天女は拳を突き出すと真正面から迎え撃つ。拳と金棒が激突すると爆発したような音が轟いた。石柱のような大きな金棒は弾かれ、それを握っていた艶鬼も大きくのけぞった。
「小娘!」
押し負かされた艶鬼は怒り狂い再び攻撃に転じようとしたが、天女の方が速くすでに艶鬼の懐に潜り込んでいた。
「冷華さんは返してもらいますよ! 必殺! ダイナミックパーンチ!」
天女のグローブが鬼神の鳩尾に深くめり込むと、鬼神は血を吐き後方へ吹き飛んだ。鬼神の手から冷華はするりと抜けて高く宙に放り出される。天女は落下する冷華をキャッチした。
「大丈夫ですか、冷華さん?」
天女は心の底から心配そうに冷華を労る。冷華は放心していたが、天女の顔を認めると顔が険しくなり体をよじらせ彼女の腕から抜け出した。
「汚らわしい! 妖かし風情が私に触れるな!」
「痛いところはありませんか?」
「あなたに心配されるいわれはありません!」
「大丈夫そうですね。良かった」
冷華の邪険な態度にもどこ吹く風で、天女は彼女の無事を心から喜んでいる。冷華は憎々しげに睨んでいたが、言葉が出ないようで黙っていた。
天女に殴り飛ばされた鬼神が土塊から這い出てきた。ゼエゼエと荒い呼吸をして理性が吹き飛んだかのような獣じみた目で天女を睨む。
「はあはあ……。おのれ……おのれ! どいつもこいつも儂に盾突きおって! 許さんぞ! 粉々に打ち砕かれろ!」
艶鬼は長い髪を振り乱し鬼気迫る表情で、全身から膨大な陰の氣と神気を立ち上らせた。その爆発的な鬼神の力は、この異界を全て吹き飛ばせるのではないかと思わせる程、強力なものであった。
「下がってください!」
天女は冷華に言うと自身も全身に神正氣を漲らせる。黄金に輝くそれはカミヒトの浄化の力を想起させた。
「滅べ!」
艶鬼の力が頂点に達し天女や白巫女、この場にある全てを無に帰そうとした。鬼神が武器を構える。天女がそれを受け止めようと両手を突き出す。艶鬼が跳躍しようと膝を曲げた。天女に緊張が走る。
「あむ」
今にも飛び上がろうとした瞬間、艶鬼の動きが止まった。全身が小刻みに痙攣し体が動かせないようだった。鬼神の背後には白巫女が首筋に噛みついていた。
白巫女の体は右半身が消し飛んでおり、残りの左半身も腰から下がなく瀕死の状態であった。碌に動けないはずであるが、それでも美味しそうに鬼神をすすっていた。
「き、さま……」
鬼神の莫大な力を取り込むごとに、白巫女の体はどんどん再生している。対して艶鬼の方は体が薄くなりその存在自体が弱々しくなっていった。
艶鬼は視線だけで殺せそうな目つきで白巫女を睨んだが、動くことは叶わず殺意だけをその胸に湛えることしかできなかった。
「おぼ、えていろ……」
「あ……」
艶鬼の体が霧となったかのように消えた。鬼神は全ての力を吸収される前に自らこの場から去ったようだった。
「もっと食べたかったのに」
白巫女が名残惜しそうに呟く。彼女の体は完璧に戻り全身から冥氣が溢れ迸っていた。そしてその影響は白巫女のテリトリーにも及び、以前よりも濃く強力に異界には冥氣が満ちていた。
「まだ足りない……もっと食べたい……」
白巫女は五八千子を見た。その背後にある零源の呪いを今度こそ食べようと狙いをつける。我慢できないといった様子で五八千子の呪いに突進した。
「させません!」
天女が立ちはだかり白巫女の行く手を遮る。白巫女が右手の鎖の鞭で打ち付けたが、天女はそれを掴む。今度は左手の鞭で攻撃したがそれも捕まれた。
白巫女はムッと片方の頬を膨らませる。
音速を遥かに超える鞭の速度を完全に捕らえそれを掴んでも無傷である。しかも食べても美味しくないどころか、自身にとって猛毒であろう神聖な力がみなぎっている。白巫女は自分の邪魔をする目の前の少女が厄介な敵であると認識した。
この邪魔者を倒さなければご馳走にありつけない。ただ敵と呼べるのは金色の髪の少女のみで、先程戦った二人は眼中にない。白巫女は天女だけに集中した。
「あなた嫌い!」
白巫女は空気を思い切り吸い込むと鬼火を吐いた。
「っ!?」
天女は鎖を離し咄嗟に紫黒の炎を避ける。白巫女は大きく腕を振り上げると鞭を強く打ち付けた。天女は自分の顔面に向かってくる鞭の切っ先をすんでのところでグローブの甲で弾いた。
鬼神の力を取り込んだことで更に膂力を増した白巫女の本気の一撃は、絢爛乙女となった天女でも完全に見切る事ができずナックルグローブで受け流すのが精一杯だった。
白巫女は軽やかに舞い、鎖の鞭が乱舞する。天女は防戦一方になり攻撃に転じることができずにいた。
「一矢必中!」
赤い閃光が煌めくと、白巫女の腕に破魔子が放った矢が浅く刺さった。白巫女は無表情でそれを強引に引き抜く。痛みを克服した今の白巫女にはこの程度の攻撃は無傷に等しかった。それでも眼中になかったコバエ程度の人間に邪魔され、少し気分を害したようだった。
「こんなの痛くないもん。エルフィもうそれ怖くない」
指先に魔力と冥氣を集約させると、無邪気で嗜虐的な笑みを浮かべる。
「もう一度貫いてあげる」
白巫女はそれを破魔子に向ける。しかし破魔子が作ったその僅かな隙をついて、すでに天女は白巫女の懐に潜り込んでいた。
「破魔子ちゃんはいじめさせません! 必殺! ダイナミックパーンチ!」
天女は金色に光る拳を白き少女の腹部に叩き込んだ。白巫女の体は痺れたように硬直し、後方へふわりと浮かびそのまま背中から地面に落ちる。白巫女はすぐに起きて体制を立て直すと、大きく跳躍して天女から距離を取った。
「それ……なに? エルフィ、嫌。それ、いや……」
対したダメージはないようだが白巫女は天女に最大限の警戒感を露わにし、その顔には若干の怯えに似た色も見えた。
「どうしたんでしょう? なんだか様子が変ですね」
「恐らくですがカミヒト殿によく似た天女の力を危険視しているのでしょう。カミヒト殿の浄化の力は悪氣によく効きますから」
「破魔子ちゃん! アリエさん!」
天女の下に駆けつけた二人は白巫女を臨みすでに臨戦態勢に入っていた。
「お二人共、お怪我は大丈夫なんですか?」
「ええ、醜態をさらしたまま傍観しているわけにはいきませんから。それにアマメ一人では白巫女に勝つのは難しいでしょう」
「大丈夫、一人では敵わなくても3人力を合わせればきっと勝てるよ!」
「はい! お二人が一緒なら心強いです!」
天女は嬉しそうに言った。