第41話 鬼神①
冷華が放り投げた人形は業火となり、紫黒の炎は煌々《こうこう》と燃え、岩を溶かし木々を炭にし辺りの冷気を吹き飛ばした。凄まじい熱気の中に人型の影が見える。影は膝を立て座っていたが、ゆっくりと面倒くさそうに立った。
強烈なプレッシャーに天女と白巫女は炎に立つ何者かを固唾を飲んで凝視した。天女はおぞましさと神々しさが同居する気配に戸惑い、白巫女は何者かの力に警戒しつつも目を輝かせている。
やがて紫黒の炎が小さくなると中に立っていた何者かの姿がはっきりと見えた。
額には紫がかった黒の角が2本生えおり、美しく整った顔にはぞっとするほど冷酷な瞳が宿っている。2メートルを超える長躯に黒い着物を雑に着流し、鋭利な爪が生えている手には、石柱のような身の丈を超えるほどの金棒を持っていた。
冷華が召喚したのは嶽一族が祀る鬼の神であった。
鬼神は眠たげな眼で大きく口を開けあくびをすると、面倒くさそうに振り返る。冷華は鬼の王と目が合うと、拳を握りしめ体が小刻みに震えた。鬼神は大股で一歩踏み出し、己を呼んだ冷華を見下ろすと、左手で冷華の首を掴み持ち上げた。
「儂は今、寝てたところだ」
「も、申し訳、ありません、艶鬼様……。し、しかし、目の前の魔は強大ゆえ、艶鬼様でないと、太刀打ち、できないの、です……」
「口答えをするな。小娘が」
「……っ!」
艶鬼と呼ばれた鬼は自身の眷属である冷華を地面に叩きつけた。無様に横たわる冷華の頭を踏みつけると、ゴミを見るような目で冷華を見下ろした。
「うっ……あ……」
艶鬼は足に徐々に体重をかけ冷華が痛みに悶える様をつまらなそうに見る。
「ぬっ?」
「「「 ホ ホ ホ ホ ホ ホ! 」」」
「「「 ハ ハ ハ ハ ハ ハ! 」」」
艶鬼が自身の眷属を甚振っていると鎖が巻き付いて体を強く締め上げた。白い人間だったモノに囲まれ体を束縛されたが、艶鬼はそれでも悠然としている。白霊貴族となった住民達をまるで蝿でも見るかのような目つきで一瞥した。
「ふふ、あなたも美味しそう!」
白巫女が鎖で雁字搦めにされた鬼神を見て嬉しそうに呟く。舌なめずりをして目は完全に捕食者のそれだった。艶鬼は目を細めると異彩を放つ白い少女をマジマジと観察する。
「なるほど、確かに此奴は冷華では荷が重いのう」
「いただきます」
白巫女は艶鬼に飛びかかった。大きく開けた口からは鋭い牙が2本見える。艶鬼は腕に力を入れ事も無げに鎖を引きちぎると、右手に持っている金棒で迫りくる白巫女を横薙ぎにふっ飛ばした。続けて向かってくる十数もの白霊貴族を一蹴する。
白巫女は空中で優雅に一回りすると柔らかく地面に着地した。
「そんなの痛くないもん」
平然とした様子で白巫女は言った。彼女の眷属達にもまるで攻撃が効いていなかった。白霊貴族たちに囲まれた艶鬼は気だるそうに頭を掻いた。
「ふむ? 力が足らんかったか」
再び白巫女達が鬼神に向かっていく。その速度は凄まじいものがあったが、艶鬼からすれば素人丸出しの動きを捉えることは簡単だった。今度は強めに金棒を振ると、白巫女達は木の葉のように宙を舞った。鬼神の怪力は白巫女のテリトリーのマイナス効果があっても、なんら影響がないようだった。
「あなた強いのね」
白巫女はごはんの強さに狂喜した。これだけ強ければさぞかし美味しいだろうと、口の中は唾液でいっぱいだった。
艶鬼は自身の攻撃が効いた様子がない白巫女達を見て思案顔になる。
「貴様の陰の氣は少し特殊なようじゃの。儂の力が全く通じていない。仕方ない、陽の氣はあまり得意ではないんだが」
艶鬼は武器に纏う氣を変質させた。静かに重い力が軽やかで輝きに満ちた氣に変わる。白巫女は正反対に変容した艶鬼の陽の氣を見て、跳躍しようとした体を抑えその場に留まった。不快な表情をして警戒感を露わにする。
「エルフィ、それ嫌い」
白巫女は腕を振ると、白霊貴族となった町の住民達を突進させた。四方から鬼神を襲わせ死角から攻めるつもりであったが、鬼神の一振りで自身の眷属達はあっけなくやられてしまった。次々に地面に落ちると眷属達はそのまま動かなくなった。
白巫女は指先に冥氣と魔力を集中させる。破魔子を射抜いた光線で今度は遠距離から攻撃するつもりだった。
「どうした? 来ぬのか? ならば今度はこちらからゆくぞ」
艶鬼は足に力を入れ一歩踏み出す。そのたった一歩だけで白巫女の目前まで迫った。驚愕する白巫女を金棒で激しく突く。白巫女はとっさに両手でガードしたが、鬼神の攻撃は腕を貫通し体の芯まで届くほど強烈なものだった。白巫女の体は後方へ飛んでいき、大木にぶつかると止まった。大木は後ろへ大きく折れると激しい音を立てて倒れた。
「いた……く、ないもん!」
やせ我慢する白巫女の瞳から一粒涙がこぼれる。
「そうか。ではこれはどうだ?」
一瞬にして白巫女の背後に回った鬼神が金棒を振るう。白巫女は体を捻り避けようとしたが間に合わず横っ腹に衝撃が走った。
「……っ!」
艶鬼は白巫女が泣き叫ぶ暇を与えず追撃に入った。白巫女は必死の思いでそれを躱す。しかし避けたのもつかの間、足に激痛が走り地面に倒れた。仰向けになった白巫女の網膜には大きく跳躍した艶鬼の姿が入った。自分の体に突き刺そうとする武器をすんでのところで交わすと、爆発音のような音が轟き地面に大きなクレーターができた。
驚く間も痛みに悶える間も与えず艶鬼は追い打ちをかけた。鬼神の苛烈な攻撃に白巫女は痛みを堪え全神経を集中させた。
生まれてから一度も体験したことのない危機。死力を尽くし鬼の王の猛攻を防ぐ。一瞬も気の抜けない刹那の中で白巫女はアリエとの戦いを思い出した。アリエの体捌きを脳内に思い描きトレースする。
艶鬼の金棒の軌道を見定め躱し、攻撃を受けてもすぐに体勢を立て直す。
「ぬっ?」
艶鬼は急激に良くなる白巫女の動きに気がついた。自身の攻撃をいなす回数が多くなっている。身のこなし、先を読む視線の動かし方、体幹の安定性、そして心構え。全てがこの短時間で劇的に成長していた。恐ろしいスピードで強くなる白巫女であったが、それでも艶鬼はこの白き少女を脅威だとは思わなかった。
「これならどうじゃ?」
白巫女の背後から艶鬼の鬼火が襲う。紫黒の炎は白き少女の背中を焼き全身に広がろうとしていた。
「……あ、つい!」
「そおれ」
痛みを克服しつつあった白巫女だが、打撃とは違う焼かれる痛みに動きが止まった。艶鬼はその隙を逃さず思いきりスイングすると白巫女の体を吹き飛ばす。弾丸となった体は幾本も木々をなぎ倒し、異界と現実世界を隔てる壁にぶつかってからやっと止まった。
豪奢で美しかった白い着物は、所々破れ血と汚れに塗れてボロボロになっていた。体中が傷つき骨が幾つも折れている。しかし白巫女は冷静であった。この極上のごはんをどう攻略しようかと、それだけに集中していた。
「エルフィも武器がほしいな」
両手に冥氣と魔力を集中させ欲しい武器を念じる。白霊貴族の本能か、具現化したのは鎖でできた鞭だった。
「うふ」
満足そうに笑うと右手に持った鎖の鞭を打った。魔力と冥氣でできた鞭は伸縮自在であり、遠く離れた鬼神にも届く。白巫女の力が伝播した鎖は大きくしならせ速度を上げて、先端に届くと爆発音のような音を上げた。鬼神から離れた地面が大きく削れていた。
「むずかしい」
左手の鞭を振るう。今度は艶鬼の頭上数メートル程の高さの空気を叩き激しい破裂音がした。音速を遥かに超える先端は空気を強く押し出し衝撃波が広がる。
鞭は人類が作り出した武器で初めて音速を超えたものである。ただの人間が使っても音速を上回るのであれば、人間とは比較にならない膂力を持つ白巫女が使えばその速さは数倍、十数倍にもなる。
艶鬼はその威力にほんの少しだけ警戒心が起こった。万全ならまだしも冷華の力不足故に、本来の力の半分も出せない今の状態なら油断はできない。現世に留まっていられる時間も僅かだ。
艶鬼は早く決着をつけようと縮地で再び白巫女との距離を縮めようとした。だが艶鬼の接近を嫌ってか鎖の鞭が乱雑に舞う。めちゃくちゃな軌道で木々をなぎ倒し地面を抉り、空気を押しのける音はまるで機関銃のようであった。
これでは容易に近づけない。しかも最初は適当に振るっていると思われたが、一振する事に精度が増し、ものすごい速さで鞭の扱いが上達している。
鎖の先端が艶鬼の顔を正確に狙った。鬼神はそれを金棒で弾く。金属を叩く硬質な音が耳をつんざき、強い衝撃が手に伝わった。
艶鬼の怪力でも痺れるほどの打撃。そして白巫女の異常な成長速度。鬼神はお遊びは終わりだと本気で殺しにかかることにした。思い切り息を吸うと口から広範囲の鬼火を吐いた。
「があ!」
紫黒の業火は白き少女を焼き払わんと轟々と迫ったが、鎖が雨あられのように高速で波打ち鬼火をかき消した。
「小癪な!」
鬼神の追撃を許さず鎖の鞭が艶鬼を強襲した。2つの鎖は艶鬼を精密に捉えていた。白巫女は完全に鞭を意のままに操れるようになっていた。
艶鬼は思わず後ろに飛び退いた。それでも迫ってくる鎖を自身の身の丈以上の金棒で防いだが、あまりに強い衝撃に武器を落としそうになった。腕に力が入らない。力が抜けていく。鬼神のタイムリミットが近づいていた。
「小娘が!」
不甲斐ない冷華と白巫女に激昂したが、防戦一方で攻撃に転じることはできなかった。
白巫女は渾身の力で鞭を振るった。今までで一番強い力が艶鬼の武器を打つ。黒い金属でできた金棒にヒビが入った。
僅かに艶鬼に隙ができると、ここだと言わんばかりに白巫女はその姿を消す。鬼神の背後に一瞬で移動すると左の角を乱暴に掴み、根本からへし折った。
「ぐ……っ!?」
顔を歪める鬼神をよそに白巫女は紫がかった黒い角を口に頬張り、ボリボリと貪った。
「ふああ……」
全てを飲み込むと恍惚とした表情になり、白巫女の全身から冷気が迸った。鬼神の力を取り込んだことで更に力を増したようだった。
内から漲る力にうっとりとしていた白巫女とは正反対に、艶鬼は角を折られた屈辱で怒りが臨界点を超えた。