第40話 奈落⑥
1階に降りた鷹司と那蛾は階段のすぐ前に立っていた。正面は玄関で左右には廊下が伸びている。来た当初は立ち入り禁止のテープが貼られていたが、自分たちから見て右側のテープは剥がされていた。左側は依然としてテープがあり通れないようだった。
「こちらに来いということでしょうか?」
「それ以外あるまい」
二人は右の廊下を進んだ。廊下は薄暗くて先が見えずどこまでも真っすぐ伸びていた。鷹司の靴音が高く響く。部屋らしきものは見当たらず、ただ壁と等間隔の蛍光灯があるだけである。
しばらく無言で歩を進めると室名札が見えてきた。
「ありましたね、救済室。どうやら文字は逆さになっていないようで」
「何があるか分からん。恐らく碌でもない所であろう。油断するなよ」
「ええ、当然です」
鷹司はドアの引手に手をかけ横にスライドさせた。部屋の中はベッドが2台に戸棚があり、中央には机と椅子に座った後ろ向きの白衣を着た女がいた。整然とした室内は白く清潔でさえあった。
「保健室?」
「……」
鷹司と那蛾は女を警戒してその場に留まっていた。女から亡者とは違う気配を感じる。明らかに人の魂でないモノに二人は一層気を引き締めた。
「ソんなトコロにタってないでナカにハいったラ?」
女が後ろ向きのまま声を掛ける。鷹司が意を決して室内に入った。那蛾があとに続く。救済室に入ればドアが勝手に閉まった。
「お前は何なのだ? この部屋は何だ? 貴様が救済とやらをするのか?」
「あラアら、フタリともユウシュウなのネ。まダここへキたばカリじゃナい。タったイチドしか殺シテていナイなんて」
女が椅子を反転させるとその顔が露わになった。いや、顔はなかった。女の顔には目鼻口や顔の凹凸がない。のっぺらぼう呼ばれる妖怪のような異様な風貌であったが、鷹司と那蛾はそのようなモノを幾度となく見てきたのでさして驚きはなかった。
「お前がこの奈落の主か?」
「ザンねンだけどアなたタチはまだキュウさイできないワ」
「何?」
「ケガレがゼンぜんタりないノ」
「ケガレだと? どういうことだ?」
「アトひゃッカイは殺さレてキテ?」
顔のない女がそう言うとカタカタと室内が小さく揺れた。揺れは次第に大きくなっていき、立っていられないほど激しくなる。すると鷹司の目の前の空間に小さなヒビがはいった。ヒビは広がるとクモの巣状に空間全体へ伸びていった。
「なにが起きている!?」
「あらあら」
ガラスが割れるような音が聞こえると、室内全体がバラバラと細かく砕けた。鷹司と那蛾の視界は真っ白になり、体が浮遊感に襲われる。平衡感覚がなくなりグルグルと体が回っている感覚がした。しばらくすると不安定な感覚がなくなり、視界が戻った。鷹司と那蛾の前には校舎があった。
「はあ、また校門に逆戻りですか」
「だが少し様子が違うな」
校門の前は車が1台通れるほどの通路を挟んですぐ校舎があった。来たときのように広い校庭はない。校舎の窓は少なくむき出しの配管が走っていた。玄関も一人分通れるほどの大きさしかない。
「もしかしてここが裏門でしょうか?」
「恐らくな」
「救済室にいた何かはケガレが足りないと言っていました。100回は殺されて来いと。それはつまり100人殺してから救済室に来いということ。ふふ、それだけ殺したのならさぞかしケガレが溜まるでしょうね? これはいよいよ怪しくなってきましたね。ああ、裏門から来た亡者の罪がゼロというのはそういうことでしたか。確かに今の私達の罪はゼロですもんねえ。しかし、100回も先程のようなことを繰り返すのはさすがにキツイですね。時間もないですし。鷹司さんはどう思いますか? ……鷹司さん?」
那蛾が考察混じりに喋っているのを無視して鷹司は鏖鬼の召喚を試みた。地面に円形の文様が浮かび上がる。文様は嶽一族秘伝の術式で、円にびっしりと書き込まれていた。円陣が発光すると中に2メートルを超える巨躯の鬼が立っていた。浅黒い肌に白い着物を着流し刀を持っている。
威風堂々とした佇まいだが、その瞳には意志が宿っていないように虚ろであった。
「……やはりダメか」
「これが鬼を使役するという嶽一族の秘術ですね。まあ、とても強そう。しかし、なぜいま鬼を?」
「救済されるにはケガレが必要というのであれば、お前の言うように百も殺されるなど無理な話だ。だからケガレにまみれた鏖鬼で無理やり突破するつもりでいたが失敗した」
「失敗? 成功しているように思えますけど?」
「これでは全く不十分だ。鏖鬼の力のほんの一部しか呼び出せていない」
先日、鷹司は魔境門を通ってカミヒトとムクロガハラへ向かい、そこで鏖鬼と話をした。かの鬼は鷹司が本気で望めば鷹司の母親が施した封印が一時的に弱まることで鬼神の加護が復活し、自身を完全な状態で召喚できると言っていた。鷹司は鏖鬼の言を信じて完全な状態の鏖鬼の召喚を試みたが失敗した。
「救済室を調べるのは後回しにしたほうが良さそうだな」
「ではこれからどうするんですか?」
「俺達も屋上を目指す」
「まあ、それしかありませんよね」
鷹司と那蛾は校門をくぐると玄関に入った。二人が校舎に入れば校内放送が流れてきた。
――新入生は2階、え組へ向かってください。繰り返します。新入生は2階、え組へ向かってください――
「え組か……。時間は掛けてられんな。呪須津那蛾、強行突破で屋上まで行くぞ」
「ええ、私もそのつもりです。でもその前に……」
「ああ、裏門について聞かねばならんな」
鷹司と那蛾は「え」組に向かい歩き出した。
「お前はどこから来た?」
「う、裏門だ……」
鏖鬼に首を掴まれ高く持ち上げられた亡者は苦しそうに答えた。鷹司と那蛾は「え」組に着くとすぐに亡者に襲われたが、那蛾の呪術で亡者の動きを止めた。鷹司は近くの男の亡者を鏖鬼を使って尋問することにしたのである。
「ならばお前も裏門に戻される前に救済室へ行っただろう? そこには顔の無い女がいたか?」
「きゅ、救済室? お、俺は救済室に行ったことなど、ない。救済室に行けば……救われるんだ。こ、ここに戻るなんて、ありえない」
「ならば裏門に来る前はどこにいた?」
「せ、生前のことはあまり覚えていない……」
鷹司は鏖鬼に命じ男を解放した。続けて別の男を捕らえた。
「ひっ……!」
「お前はどこから来た?」
「お、俺も、裏門だ……」
「その前はどこにいた?」
「お、覚えてない……多分、罪を犯して死んだから、奈落に落とされたんだ……」
鷹司は教卓まで行くと亡者全員を見渡し、彼らに向かい声を張り上げた。
「裏門から来た者は手を挙げろ! 正直に答えなければ八つ裂きにするぞ!」
鷹司の脅迫に亡者達が一斉に手を挙げた。一人を除いて他の全ての亡者は裏門から来たようだった。
「裏門に来る前に救済室に行った者はいるか!」
手を挙げた亡者は皆手をおろした。彼らからすれば鷹司の言うことなど荒唐無稽な話であったが、鷹司と那蛾を恐れてビクビクと縮こまっているしかできなかった。
「……どういうことだ?」
「恐らく救済室から裏門に行くと、それまでの記憶も一緒に消えるのではないでしょうか? 生前罪を犯した記憶はあるみたいなので、無実の魂が奈落に来るということはないでしょう。私達は特殊なので完全に奈落には組み込まれず、記憶が消えなかったのではないですか?」
「……だとすればこいつらは裏門に来る前の殺し合いの記憶がないわけか。苦労して罪を押し付けてもケガレが足りなければ、記憶を消されまたこの地獄に戻される。そして長き苦しみの果てにケガレで満たされた後はどうなるのだろうな?」
「まあ、碌なことにはならないでしょうね」
「一体この奈落はケガレで満ちた亡者を使って何をしようというのだ?」
「…………とにかく、野丸様達と早く合流しましょう。」
鷹司は閉じた教室のドアを破壊し、二人は屋上を目指した。
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「オラァ! 出てこい!」
「…………」
僕達は数多の亡者達に囲まれていた。
奈落の校舎の階段は屋上までずっと続いているわけではなく、1階上に上がるとそこで途切れている。3階に来た僕達は次の4階に上がる階段を見つけるため廊下を通らなければならないのだが、3階の廊下を歩くとすぐに教室のドアが開き亡者達が出てきて僕達を取り囲んだ。360度グルっと囲まれている。廊下のずっと奥まで亡者がひしめいている。結界があるから彼らから攻撃される心配はないが、身動きが取れない。
亡者に浄化玉を打ち込んでもいいのだが、なるべくなら力を使いたくない。ジンカイさんによると僕や千代さんの力は神聖であるため、“絶望”に気づかれやすいというのだ。一応、ジンカイさんが加護をくれたので、多少は使ってもバレないようだが、念のために神術の使用は控えておきたい。
でも、そうなるとここから動けない。どうしたものか。やっぱり景気よくぶっ放すか……。そういえば奈落の亡者に浄化玉を打ち込んだらどうなるのだろう。ちゃんと成仏するのだろうか。
「私に任せてください」
僕が逡巡していると千代さんが言った。何か策があるらしい。
「大丈夫?」
「ええ、心配ありません」
千代さんは脇に差した刀を鞘から抜き取ると刀身が露わになった。美しく弧を描く刀身は灼たかさを感じる。ギラつく刃は切れ味が良さそうだ。千代さんは刀を地面に突き刺した。
「縁雅一刀流、葉隠!」
どこからともなく煙が出て視界が覆われたかと思うと、僕の体がひっくり返ったような感覚がした。突然床が無くなったみたいに下へと落下する。ドスンと尻に衝撃が走った。
「な、なんだ!?」
突然のことに亡者達が騒ぎ出した。僕も自身の身に何が起こっているのか分からない。ガヤガヤと亡者達の喧騒が廊下に響く。しかし何だか変だ。声が上から聞こえる気がする。煙が晴れると僕はあっと驚いた。
……なんか亡者が天井に立っている。いや、違う。僕達が天井に座っているのだ。僕の横っちょには蛍光灯があり、室名札が視線とほぼ変わらない高さにある。床の材質もさっきまでとは違う。いつの間にか僕は天井に尻餅をついて座っていた。臀部が天井にくっついているというよりは重力が逆さまになったみたいだ。なんだか不思議だ。
「彼らに私達の姿は見えません。このまま4階へ参りましょう」
姿を隠しつつ天井から移動か。便利な術があったものだ。真正面から争わないで隠密に移動することで力を温存する。省エネでいいじゃないか。
僕達は四つん這いになりながら天井を移動した。立って歩くと亡者の頭にぶつかってしまうからだ。
「……それにしてもここの亡者達はケガレは凄まじいものがありますね」
黙々とハイハイしながら上へ続く階段を探していると、千代さんがそんなことを呟いた。
「ケガレ?」
「はい。ここまでケガレに満ちた亡者は通常考えられません。一体どれほどの業を積み重ねてきたのか……」
「ちょっといいかな。陰の氣とケガレって何か違いがあるの?」
確かケガレという概念を知ったのは破魔子ちゃん、天女ちゃんと一緒に1つ目猿を討伐したときだったと思う。何となく陰の氣と同一のものだと思っていたのだが違うのだろうか?
「何だい? お前はそんなことも知らないのかい?」
「ええ、すみません。浅学なもので」
だってこちらの業界に関わってからまだ半年も経っていないんだからしょうがないじゃない。
「ケガレは陰の氣の一種ですが、最も厄介で忌むべき物なのです。自然からでる物でもありますが、人間の強い負の感情と陰の氣が結びつくとケガレとなります」
「なるほど……」
“堕ちた神”は陰の氣を集めて復活を目論んでいるという。恐らくだが陰の氣の中でもケガレは上質なのであろう。“絶望”が亡者達を使ってケガレを作り出している奈落のシステムがその証拠だ。
「陰の氣はそれ自体が負の力ですが、全てが悪というわけではありません。世界の均衡のために必要な物でもあります。ただ世界が陰の氣に傾くと悪い事が起きやすのは事実です」
「そうなんだ。必要悪ってやつかな?」
「必要悪とはちょっと違いますね。世界に必要な成分といいますか。妖かしは全部陰の氣から生まれるのですよ。天女さんも例外ではありません。彼女は陰属性ですよ」
これにはちょっと驚いた。天女ちゃんは見た目も性格も完全に“陽”って感じだが、陰の氣生まれの陰属性とは。
「まあ、人間も妖かしも得手不得手はあっても、陰陽どちらも使いこなすことはできますけどね」
話している内に上に続く階を見つけた。
「4階もこのままで行けるよね? 葉隠ってやつは維持するの大変じゃないかな?」
「問題ありません。ハクダ様もおりますし、葉隠はそこまで力は使いませんし。屋上まで苦労せずに行けるでしょう」
よかった。これなら安全に屋上まで行けそうだ。人間の亡者はともかく、6階にいるという化け物とは戦いたくないから。千代さんが一緒でよかったぜ。
「……それにしてもこの廊下、随分長いんだね」
結構長い時間をかけて廊下を進んだのだが、まだ先は見えなかった。薄暗い廊下はどこまでもどこまでも続いているようだった。外から見た校舎は普通の学校の大きさであったが、僕達が進んだ距離はそれより遥かに長い。
「見た目と実際の大きさが一致しないのは異界ではよくあることです。ここは相当な数の亡者が収容されていると考えられます」
「そういうものなんだね」
僕達は4階へと向かった。