第39話 奈落⑤
「……本気? どうやって行くつもり?」
「殺されればここのルールに組み込まれるのだろう? ならば答えは簡単だ」
「……それは流石に危険じゃないかな?」
鷹司君も僕と同じ考えに至ったようで、彼らに一度殺され罪を得れば晴れてここの住人の仲間入りだ。その後亡者を殺して罪を押し付ければ救済室へと招かれるはずである。ただそれは大きな危険を伴う。
「僕達は生身の人間だ。ここで死ねば奈落で生き返ったとしても、現実世界では死んでしまうかもしれないんだよ? 目的を達成したとしても、君が犠牲になったんじゃ意味がない。みんなで一緒に戻ろう」
「犠牲を恐れていたんじゃ何も為すことはできない。元より覚悟の上だ」
「でも……」
「あらあら、お一人で行くつもりですか? 私も混ぜてくださいな」
「那蛾さん……」
「私、一度殺されるという経験をしてみたかったんです。それに一人より二人の方がいいでしょう? ちょうど四人いますし半々で別れましょう」
「那蛾さん、僕の話聞いてた? 死んでしまうかもしれないんだよ?」
「私だって命を捨てるつもりで、皆さんのお供をさせていただく覚悟で来ましたから」
「そういうわけだ。俺も呪須津那蛾も縁雅千代も貴様も命を賭けてこの場に臨んでいるはずだ。場合によっては仲間の死も乗り越えていかねばならない」
「…………」
二人とも覚悟がガン決まりだ。本当に命がけで来ている。僕も勿論そうだし、最悪の場合も想定しているけど、でもやっぱり誰も犠牲は出したくない。みんなで一緒に帰ってハッピーエンドを目指したい。千代さんはどう思っているのだろうか?
「行かせておやり」
僕が逡巡していると近くで声がした。鷹司君でも千代さんでも那蛾さんでもない、男か女か判別のつかない中性的な声だ。僕は声のする方を見ると、千代さんの首に白い蛇が巻き付いていた。
「……ハクダ様?」
「もう忘れたのかい? 見ての通りだよ」
やっぱりハクダ様だ。白い体に朱色のお目々が神々しい。縁雅神社で会ったときと同じだ。ただしサイズは大分小さくなっている。普通のヘビと変わらない。
「どうしてハクダ様が?」
「そりゃアレが相手かもしれなかったからね。千代だけじゃ力不足だから、こうして私の魂の一部を切り分けたのさ」
どうやらこのミニハクダ様は事前に何かを察知して千代さんと共に来てくれたらしい。戦力的に心細かったから同じ神様がいてくれると、とても嬉しい。しかし、ハクダ様は彼らを1階へ向かわせる派のようだ。
「お初にお目にかかります。嶽鷹司と申します」
「呪須津那蛾と申します。縁雅の守り神であるハクダ様にお会いできて光栄ですわ」
鷹司君と那蛾さんは千代さんの首に巻きついたハクダ様に恭しく頭を下げた。鷹司君って人間には横柄だけど神様にはちゃんと敬意を表すんだよな。
「鬼神の眷属にしては殊勝だね。そっちの娘は……。まさかジンカイがあそこまでするとは思わなかった。奴とは色々あったが礼を言うよ。お気の毒さまだったね」
「ありがとうございます」
那蛾さんは俯いたままそう言った。その顔はどこか悲しそうであった。きっとジンカイさんのことを思っているのだろう。
「ハクダ様……。彼らがここで殺されれば、戻ったときどうなるのでしょう?」
「それは分からないね。殺されたとしても体に傷が付くわけじゃないから、現実世界では生きたままである可能性もある。ただ魂が傷つけば体も引っ張られるからね。どうなるかは私には分からないよ」
「そうですか……」
「全く……お前は年長者なのに一番優柔不断だねえ。腹を括って気持ちよく送り出したらどうだい?」
「…………」
「心配はいらん。たとえ俺達が死んだとしても貴様のせいではない」
「そういう心配をしているわけじゃ……」
鷹司君は最初、僕の力を見るためにこの旅を計画したわけだが、どうしてここまでしてくれるのだろうか? 頼んだわけでも彼に義務があるわけでもないのに、自ら進んで危険に飛び込むのはなぜなんだろう。
「君はなぜ僕に付いてきてくれたのかな?」
「勘違いするなよ。貴様のためではない。嶽の務めを果たすためだ。俺達嶽一族のやり方は確かに褒められたものではないのかもしれない。しかし嶽は長い歴史の中でこの世ならざるモノから人々を守り世界に貢献してきた自負がある。俺も本家の人間としてそれを誇りに思い、そして務めを果たすよう教育された。嶽の人間としてここで逃げるわけにはいかんのだ」
真っ直ぐ僕を見つめてそう言った彼の目は澄み切っていた。どうやら僕は思い違いをしていたようだ。鷹司君は尊大で高慢な鼻持ちならない高校生だと思っていたが、その実、使命感と責任感に溢れた人間なのだ。少なくとも僕よりずっと立派だ。
「分かった。それじゃあ1階の救済室の調査は鷹司君と那蛾さんに頼むよ」
「うふふ。ええ、お任せください」
「話はまとまったな。おい、そこの女。来い」
鷹司君が呼んだのはおさげの女の子だった。どうやら彼は彼女に決めたらしい。呼ばれた女の子はビクッと体を震わせ恐れおののいていた。
「どうした。早く来い」
女の子はブルブル震えながらいやいやと顔を振っていた。そんな彼女の様子を見て鷹司君が舌打ちをした。
「今すぐ来ないとそこの彼と同じことをしますよ~?」
那蛾さんが右手に持った針でツンツンと刺すジェスチャーをした。女の子はヒッと短い悲鳴を上げて急いで僕達の前まで来た。見るからに顔が青ざめて体を震わせている。ちょっと可哀想だ。
「お前の罪は2つだったな? 今から俺達を殺せ。そうすればお前は救済室に行けるぞ」
「えっ……」
女の子は何を言われているのか分からない表情をしていた。そりゃそうだろうな。
「お前に俺達を殺させてやると言っているんだ。その手に持っている包丁で刺せ。お前がしなければ別の誰かにやらせるぞ」
鷹司君は自分の心臓を指でトントンと差した。女の子は困惑した表情だったが、それでも魅力的な提案に体が自然に動いた感じだった。鷹司君にゆらゆらと近づくと包丁で彼の胸を勢いよく刺した。彼の白いシャツが血に染まる。
「……っ!」
鷹司君は苦悶の表情を浮かべて地に伏した。床に彼の血が広がる。僕は仲間の死に思った以上の衝撃を受けた。これが一時であるとは言えそのショックは計り知れない。手が震え動悸がする。きっと僕の顔は真っ青であろう。軽くめまいを感じる。千代さんは顔を背けていた。おさげの女の子は僕らとは正反対に恍惚とした顔をしていた。
「次は私ですね」
那蛾さんが手を広げて刺すように促す。女の子は今度は躊躇なく那蛾さんに向かい、心臓めがけ一直線に包丁を突き刺した。
「この……焼かれるような、痛み。ふふ、ふ……。悪くない、です、ね……」
うっとりとしながら那蛾さんも仰向けに倒れた。白い着物が赤く染まっていく。彼女の痛ましい姿を僕は直視できなかった。
「やった……やった!」
喜ぶ女の子に光が差し込んだ。昭和のお姉さんと同様に光は女の子を神々しく照らす。すると教室のスピーカーからアナウンスが流れた。
――おめでとうございます。贖罪を果たした方は一階、救済室までお越しください。繰り返します……――
校内放送を聞くとおさげの女の子はすぐに教室を出ていった。他の亡者達は一連の流れが理解できないようで、嫉妬よりも困惑が強い雰囲気だ。
鷹司君と那蛾さんはピクリとも動かない。まさかこのまま蘇らないなんてことはないよね……。
僕は不安で胸が一杯になりながら、彼らの亡骸を見た。千代さんからも心配そうな雰囲気が伝わってくる。
しばらくしてから鷹司君がピクリと動いた。息をつきながら起き上がり壁にもたれかかって座った。起き上がる力もないようで辛そうである。彼のスーツに付いた夥しい量の血は少しずつ薄くなっていく。
「気分はどう?」
「……最悪だな」
今度は那蛾さんが動いた。上半身の包丁はおさげの女の子が光に包まれると消えたので、彼女の胸には何も刺さっていない。ただ着物に血痕が残っているだけだ。その血痕も鷹司君同様に少しず消えていく。那蛾さんはむっくり上半身を起こすと、呆けた表情をしていた。頭がぼんやりしているようだ。
何はともあれ蘇ってよかった。二人ともすごいな。僕なら殺されるなんて怖くてできっこないぞ。
「那蛾さん、大丈夫?」
「ええ、ご心配なく。しかし、被害者の記憶とは興味深いものですね」
「……ということは成功したんだね。どんな記憶?」
「いつの時代か分かりませんが、いじめにあった女子生徒の記憶のようですね。飛び降り自殺をしています。どうやら直接殺さなくても、間接的に相手を死に至らせても奈落へ落ちるようですね。うふふ、この方の激しい苦悶が我が事のように伝わってきますよ。死を決意するほどの痛みや苦しみ。両親への申し訳無さ。ついさっきの出来事かのように私の中にへばりついていますね」
那蛾さんは立ち上がった。その足取りはしっかりしている。たった今殺されたばかりで、いじめにあった被害者の記憶を押し付けられたのに飄々としている。すごい胆力だ。しかし鷹司君の方はまだ座っていて苦しそうだ。
「鷹司君、大丈夫?」
「なんとか、な……。俺の方は酷いものだ。放火魔に焼き殺された者の記憶だ。炎が全身の皮膚や神経を破壊する激しい痛みが長く続いていた。呼吸ができない苦しみもある。適切な治療を受けたおかげでショック期を凌いだが、結局何日か後に死んでいる。結果的に長く苦しんだだけだ」
鷹司君は長く息を吐くとよろよろと立ち上がった。大分辛そうだ。彼の方の記憶はそれだけキツイものなのだろう。
「全く最悪な気分だ。だがこれで俺達も奈落に完全に組み込まれた。後はこれを誰かに移すのみ」
「ええ、そうですね。では早速」
那蛾さんがそう言うと自衛隊風の亡者が口から泡を吹いて苦しみだした。顔を真赤に首を両手で掴み悶えている。他の亡者達は彼の周りから逃げ軽い錯乱状態になっている。少ししてから男の動きが止まると、体が透けて完全に消えた。3階へ逆戻りである。
鷹司君が前に出ると亡者達は彼からできるだけ遠くに離れた。どの亡者もみんな怯えている。鷹司君は左手を掲げるとメキメキと変形して、左手だけなんだかゴツい手になった。そこだけ浅黒い肌で長く鋭い爪を携えている。鬼の手だ。
鷹司君が鬼の手を振ると壁にへばりついているハゲ頭のヤクザっぽい男の首が飛んだ。ブシューっと勢いよく血が吹き出し、そのまま顔と胴体が消えていった。二人とも容赦がない。
彼らの上から後光が差したかと思うと、鷹司君達は光に包まれた。そして例のアナウンスが流れる。
――おめでとうございます。贖罪を果たした方は一階、救済室までお越しください。繰り返します……――
これで彼らは救済室へ行く権利を得た。
「そっちは頼んだぞ」
「では行って参ります。無事に再開できるといいですね」
「うん、気を付けて」
彼らはさっさと教室から出ていってしまった。随分と仕事が早いことだ。僕達ものんびりしていられない。屋上を目指そう。その前に上の階って普通に行けるのかな?
「すみません。ちょっとお尋ねしたいんですが」
僕は教室の隅に縮こまっているエンジニア風のリーダーに聞いた。彼は小さく悲鳴を漏らした。
「僕達は上に行こうと思うんですが、普通に歩いても上がれるんでしょうか? どうやら強襲の時間でないと上の人達は下の階へ降りられないようなので」
「……し、下から上に上がる分には問題ないよ。ただ上にしろ下にしろ侵入者があれば、普段は閉まっているこのドアは開く。き、君が3階に行けば袋叩きにされるよ。っていうかそのドア、君達じゃ開けられないよ?」
「ありがとうございます。では、僕らは失礼しますね」
僕と千代さんはドアの前まで歩いた。ドアをスライドさせようとすれば、彼の言う通り全く動かない。鷹司君達は普通に開けていたので、特定の条件を満たさないと開かない仕様なのだろう。
僕はドアに手をかざした。小さい破壊玉を出すとそれをドアに向けぶっ放す。激しい音が轟きドアの残骸が廊下に散らばった。
「失礼しますね」
「ま、待って! き、君達は一体……」
「僕達はこの地獄を終わらせに来た者です」
それだけ言うと僕達は「し」組を後にした。