第15話 招かれざる客②
「来た!」
只今の時刻はちょうど午前一時。僕はすでに幽体離脱をして霊体となっている。霊体の服はイメージするだけで好きなものに出来るので白装束を選択した。幽霊と言えば白装束姿が基本だと思ったからだ。
少し前から御神木の近くで、鳥居全体がよく見える高さまで浮いている。本体は布団の中で待機中だ。天女ちゃんは住居兼本殿でお留守番してもらっている。
やって来たのはスポーツバックのようなものを引っ提げた、白いコートを着た女だ。片手には懐中電灯を持っている。パッと見20代くらいに見える。鳥居の前に佇んでいて、一礼してから鳥居をくぐった。参道も左側を歩いている。真ん中は
神様の通り道だからね。
この呪い女、最低限の作法は守っているのでちょっと驚いた。こういう事するやつって無作法なイメージがあったからだ。もしかしたらただの参拝客かもしれない。いやでもこんな夜中に、しかも氷点下に近い寒さの中、参拝に来るのは普通ではない。
白いコートの女はまっすぐに御神木の下まで着た。この女を間近で見るべく、僕は地上に降りた。僕の姿は見えないようにしてあるので問題ない。女は血色の悪い顔色で、目には隈ができていて頬はこけている。青白い顔とは対照的に真っ赤な口紅が異様に際立って見える。髪は腰までの長さで無造作に散らかっていた。
一言でいえば不気味である。呪いとか日常的にやっていそうな外見だ。むしろ本人自身が怨霊といっても差し支えないかもしれない。
女はバックを地面に置き、中から金槌、五寸釘、LEDライトを出していた。コートを脱ぐと白装束の衣装が顕になった。僕とお揃いだ。僕は霊体だから寒さを感じないが、あんな薄着で寒くないんだろうか。見ているこっちが寒くなる。
女はコートをバックに入れ、LEDライトを首から下げた。たぶんろうそくの代わりだろう。頭につけた鉄輪にろうそくを突き立てるスタイルだと熱いんだろうと思う。溶けたロウが頭部につくのは容易に想像ができる。LEDライトを用いるのは現代風のスタイルと言える。
左手に五寸釘、右手に金槌を装備して、今まさに藁人形に打ち込もうとしている。これ以上御神木を傷つけられる訳にはいかない。よし、このタイミングで出るぞ!
「見ちゃった」
御神木を挟んで、呪い女の反対側からにゅっと顔だけだした。女はヒッと短い悲鳴を漏らして、尻餅をついた。よほど驚いたのだろう、口をパクパクさせ驚愕の表情をしている。
このままお帰り願えたら良かったのだが、女は驚いていたのもつかの間、憤怒の表情となり奇声を上げて、金槌を振り上げこちらに向かってきた。
「キエエエエエエエエエエエエエエ!」
霊体だから物理的な攻撃は効かないとはいえ、めちゃくちゃ怖い。すぐさま体を消して、御神木の後ろに隠れた。念のため宙に浮いて、呪い女から距離を置く。女はすぐこちらに来たが、僕の姿は見えないため、キョロキョロとしていた。
ここでプランBを発動する。
……カエレ。……カエレ。……カエレ。……カエレ。
辺り一面に呪いの帰れコールがこだまする。暗がりの中、ありとあらゆる方向から聞こえてくる不気味な声は、仕掛け人の僕でも非常に怖い。呪い女からしたら失神ものの恐怖に違いない。尻尾を巻いて逃げる5秒前くらいだろう。さあ、負け犬のように逃げ帰るがいい。
しかし女は一瞬ギョッとしたものの、逃げる様子はない。むしろ敵意むき出しの顔であたりを見回している。
……おかしい、こんなはずじゃなかった。ここまでしたら誰でも逃げるはずだ。僕だったら気を失うレベルだ。もしかしたら、女は霊的な現象と捉えていないのかもしれない。現代科学を以てすればこれくらいの事は出来るだろう。しかし、普通こんな手の込んだ事すると思うか?ドッキリにしたって今どき一般人にはしないだろう。どう考えたって心霊現象として受け入れるべきである。受け入れてすぐに逃げ出すべきである。
だが呪い女はこちらの思惑に反して拝殿の方に歩き出した。どうしようここから先は何も考えていない。お願い、もう帰って。
オネガイ、モウカエッテ
僕の情けない願いが呪いの声としてこだましてしまった。雰囲気は滑稽になりつつある。
呪い女はぐんぐんと進んでいった。何も考えはないが、慌てて拝殿の方に向かった。拝殿に先回りしたはいいが何もプランがない。アタフタとしているうちに女はどんどん近づいてくる。あまり乱暴なことはしたくないが、もう強制的に境内から弾き出そうか。
そんな事を考えていたら視界の端で何か動くのが見えた。何かと思い視線をそちらに向ければ、びっくり仰天、拝殿前の二匹の狛犬が動いているじゃないか。まるで本当に生きているようだ。狛犬達は呪い女に向かい吠えながら一直線に向かっていった。
これには女もビビったようで、一目散に逃げていく。僕も狛犬達の後を追った。狛犬達は本気で襲う気はないのか、女と一定の距離を保ちながら走り、呪い女が鳥居を出ると止まった。一匹の狛犬はいつの間にかスポーツバックを咥えていて、それを放り投げる。バックは宙を舞い女の頭に激突した。女はバックを拾いそのまま逃げていった。
仕事を終えた狛犬達はしっぽを振りながら僕の方へ来る。まるで褒めてといわんばかりだったので、恐る恐る頭をナデナデした。満足したのか狛犬達は元の台座に戻りそのまま動かなくなった。
本体に戻った僕はふぅ~っと長い息をつき、上半身を起こした。狛犬達のお陰でどうにか呪い女を追い返すことができたな。枕元には水晶さんを持った天女ちゃんが正座していた。
「お疲れ様でした、カミヒトさん。うまくいきましたか?」
「うん、どうにか追い返すことができたよ」
狛犬達のお陰でね。僕は天女ちゃんの持ってる水晶さんを見た。
「水晶さん、あの狛犬達、動いてたけど?」
『守護獣ですから』
「動いてたんだけど?」
『守護獣ですから』
これ以上の説明はなかった。そういうものなんだろうと納得するしかなかった。それにしても、結局自分の力だけじゃどうにもできなかったな。もっとスマートに追い払えるはずだったのに。
しかしこの週末は大変だった。人生で一番濃い時間だった。天女ちゃんが家を訪ねてきて、光の女神様に神にされて、自分の神社ができていて、煤子様を浄化して……。
疲れが体中を襲い、僕は上半身を起こしているのも辛くなって、ドカッと寝転んだ。そして、そのまま死んだように眠った。
次の日、僕は会社に遅刻した。