第32話 白巫女③
アリエは常人では網膜に残像すら映らないほどのスピードで白巫女に迫ると、その腹部を思い切り殴った。白巫女の体はふわりと浮かび、後方に数メートルほど飛んで優雅に着地した。
アリエの攻撃は大災害獣リュノグラデウスの巨体に有効打を与えるほど強力な一撃であるが、やはり黒聖なしでは白巫女に全くと言っていいほど効かない。続けて殴打や蹴りを幾打も浴びせたが、白巫女はなんら堪えた様子も見せなかった。
ならばと今度は青い刀身の剣で白巫女を斬りつけた。胴体めがけ横薙ぎに真っ二つにしようと剣を振るったが、まるで水を斬ったかのように白巫女の体をすり抜けほとんど手応えがない。さらに連撃を加えあらゆる方向から斬りつけたが、白巫女は無傷であった。アリエはまるで実体のない幻影を相手にしているように感じた。
泰然と佇む白巫女にアリエは闘志を燃やす。もとより、無謀な戦いであることは承知していた。幾千でも幾万でも倒れるまで攻撃を叩き込んでやると、殺気を全開にして白巫女に向かった。
「じゃま」
白巫女がアリエの顔面めがけ拳を突き出した。アリエはバックステップで躱す。攻撃は避けたがアリエの体に凄まじい風圧がかかる。素人丸出しの適当な正拳突きでこの威力だ。アリエは肝を冷やす。まともに食らったら一撃で致命傷になりそうだと、気を引き締めた。
アリエが後方に飛び退くと、白巫女は五八千子がいる方に手をかざす。五八千子と天女はアリエ達の邪魔にならないようにと、少し離れた木の裏に隠れて様子を窺っていたが、白巫女は彼女達を補足していた。突風が吹き荒れる。
「……動かない」
五八千子の呪いを自身に引きつけようとしたが、呪いの力が強いためか微動だにしない。
「すごい」
白巫女は舌なめずりをすると、ゆっくり五八千子に近づく。隙だらけの白巫女の背後にアリエは猛然と迫ると、そのまま首を一刀両断した。しかし今度も白巫女の首は繋がったままで全く効いている様子はない。
アリエの強化された動体視力で斬撃の瞬間を捕らえたところによると、白巫女の首は斬った直後から瞬時に繋がっていた。傷はついた。だがそれを認識する間もなく癒える。この超回復が白霊貴族の厄介な能力の一つである。無尽蔵の回復能力を止める術は、彼らにとって猛毒である黒聖で攻撃することだけだ。物理的な衝撃や魔法、他の色聖による攻撃ではほとんど意味がない。
それでもアリエには多くの攻撃を加える方法しかなかった。たとえ一撃一撃が蚊の刺すようなダメージしかなかったとしても、諦めるわけにはいかない。
アリエは白巫女の背中に無数の斬撃を浴びせた。白巫女はそんなアリエの努力を嘲笑うかのように悠然と歩を進める。アリエのことは全く眼中になかった。興味があるのは五八千子の呪いのみ。
止まらない白巫女にアリエは焦る。やはり五八千子を遠くに逃がすべきだったと早くも後悔の念が起こった。
「フッ……」
五八千子を連れて白巫女から逃げるべきかと迷っていると、五八千子と天女の前に真紅の和弓を構えた破魔子が立っていた。
「ハマコ! 今すぐ五八千子と天女を連れて逃げなさい!」
すかさずアリエは叫ぶ。
「こんな強力な魔を前にして逃げるなどありえません。私が成敗してみせます!」
破魔子は矢を番え、照準を白巫女に合わせる。白巫女は意に介した様子もなくまっすぐ歩いて来る。
「ハマコ! 無駄です! 今すぐ逃げなさい!」
「よく見ててくださいよ、アリエさん。私のリーダーとしての資質を! 一矢必中! はーまや~!!」
破魔子から神速の矢が放たれる。まるでレーザーのような矢は白巫女の胸に刺さった。
「……えっ?」
白巫女が驚いたように自身の胸を見る。純白の衣装が血で赤く染まる。
「ふむ、結構頑丈なようですね。強めに射ったのですが。それにしても魔のモノでも血は流れてるんですね」
「は、ハマコ!」
「うわあ!?」
白巫女の後ろにいたアリエが突然前に現れて、破魔子は仰け反る。
「お、驚かさないでくださいよう。びっくりした」
「い、今のは黒聖ですか!?」
「コクセイ? 違いますよ。あれは陽の氣の矢です」
「よ、陽の氣? なんですかそれは! なぜ白霊貴族に効くのですか!?」
「フッ……。アリエさんは何も知らないんですね。よろしい、私が教えて差し上げます」
「もったいぶってないで早く教えなさい!」
アリエは自分の胸を見て呆然と立っている白巫女を見た。再び彼女が動く前に陽の氣について知らねばならない。破魔子の芝居がかったやり取りに付き合う暇はなかった。
「陽の氣とは陰の氣の対になる力のことです。この世界には陰と陽、相対する2つの力があります。この2つの関係は複雑ですが、お互いがバランスを取り合い、またお互い同士が弱点でもあるのです。白巫女は陰の氣の塊ですから、陽の氣で攻撃すればいいわけです」
アリエはカトリーヌからこの世界には魔法とは違った別の力があるということを聞いていた。しかし全く別の世界の生活に慣れるのに精一杯で、そちらの知識を得ることはなおざりにしていた。
「……その陽の氣とやらは私も使えるのでしょうか?」
カトリーヌは機会があれば学んでみるのもいいだろうと言っていた。それは自分にも習得できる可能性があるということだ。
「ええ、勿論。アリエさんは筋が良さそうですから、すぐに覚えられると思いますよ」
白霊貴族に有効であれば他の悪氣を浄化することもできるかもしれない。アリエはなぜいの一番にこの世界の特別な力を知ろうと思わなかったのか、ここに来てからの自身の行動を悔いた。しかし、今はそんな事を考えている場合ではない。
「ハマコ、この難局を乗り越えたら私に教えてくれませんか?」
「いいですとも。私が師事して差し上げましょう。同じ退魔絢爛乙女団のメンバーを導くのはリーダーとして当然の責務ですから」
したり顔で言う破魔子を鬱陶しく思ったが、先程まで彼女の能天気さに感じていた苦々しさはなかった。これも白霊貴族に対する黒聖以外の新たな武器を得たために余裕ができたせいだろう。
「ハマコ、陽の氣を使えない私では白巫女を倒せません。ですからあなたが主力となって攻撃してください。私がサポートします」
「任せてください! 私の必殺の矢で白巫女を射ぬいて見せましょう」
アリエに頼られたことが嬉しかったのか、破魔子は満面の笑みで答えた。打開策が見つかったところで、意気揚々と二人は白巫女に臨む。白巫女は胸に刺さった矢を握り、立ち尽くし、わなわなと震えていた。そんな様子に二人は訝しく思っていると、白巫女が呟く。
「苦しい……。なにこれ? なんでこんなに苦しいの? もしかして、これが痛い……? 痛い? 痛い? やだ……エルフィ、痛いのやだ……」
白巫女の顔は苦悶に満ちており、今にも泣き出しそうだった。
「ど、どうしたんでしょう?」
「大方、初めて感じる痛みに戸惑っているのでしょう。しかしあの程度で折れるとは思えません。気を引き締めていきましょう」
「やだ、やだ……痛いのやだ……。エルフィ嫌い、痛いの嫌い」
白巫女は胸に刺さった矢を強引に引っこ抜くと、激しく咳き込む。荒々しい息をしながら顔を上げると、破魔子を睨んだ。殺意の籠もった視線をまともに受けて、破魔子はたじろぐ。
「あなた嫌い。痛いの嫌い。どうして……どうして、こんなに酷いことをするの?」
白巫女の陰の氣が膨れ上がった。より強い冷気が辺りに充満する。白巫女の異様なプレッシャーに4人は体を強張らせた。
「エルフィをいじめる人間なんて、大っ嫌い!!」
白巫女の禍々しい力が爆発したかと思うと、その姿が消え一瞬にして破魔子の前にいた。
「っ!?」
「死んじゃえ」
白巫女は大きく腕を振り上げる。破魔子は突然現れた白巫女に驚き、その気迫に気圧され思わず目をつぶった。
「ハマコ!」
アリエが白巫女の横腹を思い切り蹴り上げた。白巫女の体は僅かにズレて拳は空を切る。拳から放たれた衝撃波は地面を抉り木々をなぎ倒した。白巫女は追撃を加えようと破魔子を睨む。破魔子はすぐに体勢を整え矢を構えた。
「一矢必中!」
「うっ!?」
真紅の矢は白巫女の肩に刺さる。白巫女が悶えている間に、アリエは破魔子を抱え距離を取った。
「し、死ぬかと思った……」
「なかなか見事な返しでしたよ。その調子でお願いします」
破魔子は胸を抑え青ざめている。体は僅かに震えていた。アリエはそれでもしっかり反撃をして命中させた破魔子の評価を上げた。