第29話 白星降村②
オオキミ山は標高300m未満の小さな山であり、中腹の拝殿は100メートルほどの高さにある。健常者ならば登り切ることはそれほど苦ではないが、まだ体力のない五八千子は半分しか登ることができず、途中で天女に背負ってもらい拝殿までたどり着いた。
拝殿は片田舎の神社には似つかわしくないほど豪華で立派であり、また美しかった。建物が2棟連結している八幡造で、社殿全体が楚々と純白である。五八千子達は思わず立ち止まり魅入ってしまった。
「どや。白巫女様の拝殿はきれいやろ? 特別に撮影してもええで? 天女ちゃん、おっちゃんと一緒に記念撮影しようや」
「それはすべて終わった後にして下さい」
破魔子はちゃっかりと天女と写真を撮ろうとする園田を牽制する。天女は比類なきほど美しく目立つので、万が一、天女の写真がネット上に流出して、彼女が住んでいる超越神社が特定されようものなら大変なことになる。なので破魔子はカミヒトから盗撮には気をつけてほしいと頼まれていた。
破魔子も十分それは理解できたし、何より守銭奴のジジイに天女と一緒に写真を撮る権利を与えるだなんて勿体ないと思った。自分を含めて美少女と簡単にお近づきになれると考えないでほしいと、心のなかでお高く止まった。
しかし、園田の下心はさておき、破魔子もこの白亜の拝殿をスマホに収めておきたいと思った。破魔子は家柄、様々な神社に赴くことが多いが、このような美しい社殿は中々お目にかかれない。すべて終わったらこの拝殿を背景に4人で記念撮影するのも悪くないかもと考えた。
「園田さん」
拝殿から1人の中年の女が出てきた。ブランド物をセンスなく身にまとい陰険な目つきをしており、破魔子達を一瞥すると、園田に向かい文句を言う。
「勝手に予定を入れられちゃ困るで。白巫女様はまだこなれてないんやから。しばらくは無理させず様子見させる言うたやろ」
「ま、ま、田中さん。落ち着きい。ほらこっちに」
園田は中年女を連れて破魔子達から声が聞こえない距離まで離れると、二人で何か話をしていた。怒った様子の田中に園田はヘコヘコと説明をしている。しばらく二人で言い合っていたが、やがて田中が折れたように深い溜め息をつくと、破魔子達の下へ戻ってきた。田中はフードを被ったアリエをまじまじと観察する。
「ほな、行こか。ああ、それから先客がおるけど、気にせんといて」
田中はぞんざいに言うと、1人さっさと拝殿の中へ入っていた。園田と破魔子達も後に続く。
拝殿の中は壁や天井、柱、梁、床、胡床と呼ばれる椅子まで全てが真っ白であった。物珍しさに破魔子達はキョロキョロと辺りを見渡す。
すると奥の方に数台並べてある胡床に1人の女性が座っているのが見えた。長い髪を背中に流し背筋を伸ばして凛と佇んでいた。
破魔子達の声に気づいたのか、その女性はゆっくりと振り向く。
「「え?」」
破魔子と五八千子が同時に声を上げた。
「冷華さん?」
少女は立ち上がると破魔子達の下へ歩いてきた。何の感情もこもっていない冷たい視線を破魔子にそそぐ。
「……破魔子さん、五八千子さん、なぜここへ?」
「えーっと……お祓いをしてもらいたくて……。冷華さんは?」
「私も似たようなものですわ」
二人とも知人であるがよそよそしい態度であった。破魔子の方は苦手なのか視線をあわせずに俯いた。その顔は嫌な人間に会ったときのように苦々しく歪んでいる。五八千子は一歩前へ出ると冷華に向かい腰を折り頭を下げた。
「ご無沙汰しております、冷華さん」
「……そのご様子ですと本当に体が治ったみたいですわね」
「はい。おかげさまで」
嶽冷華は興味がなさそうに五八千子をまじまじと見た。冷華の凍てつくような視線でも五八千子は平然としていたが、後ろで破魔子は大げさに体を震わせていた。
「お久しぶりです!」
天女は近寄りがたく冷然とした態度の冷華にも臆することなく声を掛けたが、冷華はまるで天女がそこにいないかのように完全に無視する。それでも全く怯まない天女は冷華に元気よく自己紹介をした。
「蓬莱天女と申します! よろしくお願いします!」
冷華は天女に一瞥もくれないで、かわりにアリエに視線を向けた。彼女と彼女の背後の低級霊を無表情に見つめる。
「なるほど。この厄介な怨霊の除霊に訪れたのですわね」
嶽一族である冷華はアリエの背後に憑いた霊が弱いモノであり、破魔子であれば訳もなく祓えることはわかっていた。それでも五八千子達が御三家の身分を隠して白星降村へ来たということは、自分と同じ目的で近藤うるりを探しにきたのだと冷華は推察した。
「失礼ではないですか?」
険のある声色でアリエが言い放つ。アリエは冷華が天女を軽視していることに対して抗議の声を上げたのだった。フードの中から冷華を見る目はすでに臨戦態勢に入っているようだ。
アリエは冷華をひと目見たときから、この少女から得体のしれない気配を感じていた。向こうの世界ではいないタイプの人間であったが、微かに覚える邪悪な気はアリエに警戒心を抱かせるには十分だった。
「……」
アリエの言わんとしていることを理解した冷華は、天女の方に体を向けるとロングスカートの端をつまみ上げ、慇懃無礼に頭を下げた。
「嶽冷華と申します。以後、お見知りおきを」
「はい! よろしくお願いします!」
天女は冷華の邪慳な態度など全く気にした様子もなく、笑顔で答えた。ここで成り行きを見守っていた園田が彼女たちの間に割って入った。
「何や、お嬢ちゃんら、知り合いやったのか」
「……ええ、まあ」
五八千子が曖昧に頷く。
「そらすごい偶然やな」
「ほんまに、ずいぶんな偶然ですこと」
能天気な園田とは反対に田中は猜疑に満ちた目をしていた。五八千子は田中の警戒心が湧き上がるのを感じ、緊張感が高まった。
冷華の目的は不明だが、ここにいる以上、白星降村の住民が御三家などを警戒しているのは承知のはずで、嶽という性は伏せて偽名を使ってここまで侵入したはずである。
冷華は頭がよく切れ者であるので、うっかり本名を言ってしまうミスをしたとは到底思えない。ならば彼女はもう嶽を名乗っても構わないと思っているのだ。それはつまり白星降村の住人達との衝突を意味する。
五八千子もここへ来てから住民達の様子や山の頂上のかすかな気配を感じて、そうなるのは避けられないだろうと覚悟していた。
「嶽ってもしかして東の御三家とちゃいますか?」
五八千子を手をギュッと握った。
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オオキミ山の頂上付近にある暗がりの中で、紫雨章介は震えながら待っていた。長い階段を登り一人で本堂まで来て、白巫女がいるという本堂の中に静かに待っているように指示をされ、中央の畳に正座をして縮こまっていた。
本堂は窓がなく明かりもないので中の様子はわからない。しかし暗闇に目がなれると、紫雨の目の前、一段上がった床には御簾のような物が垂れ下がっているのは何となく見えた。
この御簾の奥に白巫女がいるのだろうか。いるのであれば早く後ろの蛇女を祓ってほしいと紫雨は必死の思いで願った。
早く、早くしてくれ……。
「イトしい、ヒトはスグそコニ……」
もう何十センチも離れていないところから声がする。時間はほとんどない。紫雨は蛇女が自分に触れるまで近づいたときに呪い殺されるのだと直感した。恐らくあと数時間もないだろう。
「イトシイヒト、イトシイヒト、イトシイヒト……」
全身を舐め回すような蛇女の声はいくらか艶っぽさを含んでいるような気がした。紫雨は醜い化け物に執着されるなどどうして自分はこうも運が悪いのかと、怒りとうんざりする感情とがないまぜになっていた。
紫雨はブルリと体を震わせる。
全身に鳥肌が立ち寒気がした。気がつくと辺りの空気が冷たくなっていた。最初は蛇女の気配のせいで震えているのかと思ったが、どうやら実際に温度が下がっているようだ。本日は曇天で午後から雨が降る予定であるが、5月という事もあって気温は高い。こんな真冬のような冷気はさすがに自然のものではないだろう。
紫雨はこの冷気も蛇女の妖術ではないかと思った。ガタガタと身を抱きながら震えていると、ふと御簾の奥に2つの赤い光がぼんやりと灯っているのに気がついた。紫雨はよく目を凝らしてその赤い光を見る。
それが目であると理解した瞬間、紫雨の体に得体のしれない恐怖が沸き起こった。動悸が早まり体が硬直する。全身から冷や汗が流れ出て今にも気を失いそうになった。
御簾の先にいる何かが白巫女であると鈍くなった思考でも瞬時に理解できた。この冷気もどうやら御簾の奥から流れているらしかった。
目を逸らしたいが体が動かない。紫雨は目をつむることもできず、じっと2つの赤い光を見ているしかできなかった。
御簾は2つ垂れ下がっており、その境から白い手がすっと伸びる。それを見た瞬間、紫雨が今まで感じたこともないようなおぞましい力が自身を射抜いたように錯覚した。痛みすら感じるその力にあてられて紫雨は胸を抑えた。
御簾から伸びた白い手が開かれると、突風が吹き荒れているように辺りの空気が白い掌に吸い寄せられた。後ろから女の短い叫び声が聞こえた。
紫雨の横を大きな物体がすごい速さで横切る。下半身が蛇の醜い女が白巫女の方へ吸い込まれようとしていた。蛇女は畳に爪を立て引き込まれないように踏ん張っている。しかし白い手は蛇女の蛇の下半身の一番先を捕らえると、強引に引っ張った。
「タ……タスケ……テ」
千切れそうなほど強い力で下半身を引っ張られる蛇女の顔は恐怖で歪み、蛇のような瞳孔の目が紫雨に懇願していた。紫雨は腰を抜かしガタガタと震え、目の前で起こっていることが理解できず動けなかった。
「イ、ト……しい、ヒト……」
蛇女の踏ん張りも長くは続かず御簾の中へ吸い込まれていった。グシュリと肉を強引に引きちぎる音がした。同時に蛇女の絶叫が響いた。
ボリボリグシュグシュと咀嚼する音が断続的に聞こえる。紫雨はうずくまって強く耳を塞いだ。それでも不快な音は脳に響いた。恐怖で意識がだんだん遠のいていく。最後に蛇女の断末魔の叫びがすると辺りは静寂に包まれた。
「まずい」
御簾の奥から子どものような声がするのと同じくらいに紫雨は気を失った。