第28話 白星降村①
「じゃ、みんな手筈通りにね。気を引き締めて行きましょう」
破魔子はキョロキョロと辺りを警戒しながら縮こまり控えめに言った。その挙動はいつもの破魔子らしくなく不審者のようだった。
「なぜこんなまだるっこしいことをするのですか。あの神が強行突破の許可を出したではありませんか。正面から堂々と成敗すればいいのです」
「ギャアアア!」
顔が見えないほどフードを目深に被ったアリエが不満を言う。彼女の背後には低級な怨霊がいくつも憑いていた。
「何事も順序というものがあるんです。アリエさんは直情的すぎます」
カミヒト達から遅れて魔境神社を出発した破魔子達は白星降村へと来ていた。破魔子達の前には少し古い一般的な民家がある。昨日、白聖降村のHPからお祓いの依頼をすると、すぐに連絡がありこの民家に来るように指定された。
しかし指定された日時は明日であり、どうしても本日にしてほしいと願ったのだが先約があるためできないという返事があった。そのため、運命の日は今日であり何としてでも白巫女に合わなければならない破魔子達は、一計を案じることにした。
「大丈夫です。私が考えた策できっとすんなりと潜り込めますよ」
「……あれは策と呼べる代物ではないですよ。本当に大丈夫でしょうか?」
「むっ! アリエさんは失礼ですね!」
「ほらほら喧嘩はしないで。今日は私達の命運を決める日なんだから」
窘めつつもクスクスと笑う五八千子には余裕がある。破魔子もアリエも気負った様子はない。白いパーカーを着ている天女はアリエと同じく目立たないようにフードを深く被っていたが、意気揚々と全身から溌溂とした気が立ち上っていた。
「大丈夫です! きっと私達なら全部うまく行きますよ!」
「……天女ちゃん、元気だねえ。なんかいつもより張り切ってない?」
「私はいつだって元気いっぱいですよ!」
「元気というより浮かれているという気がしますが。それより、ハマコはなぜそんなにビクビクとしているのです?」
「……だってぇ。こんな大金持ったことないんだもん……」
アタッシュケースを胸に抱えている破魔子はギュッと両手に力を入れた。この中には御園小路に持たされた大金が入っている。破魔子は万が一にも亡くしてはいけないと、魔境神社を出てからずっとこの調子であった。
「何も強欲な連中にお金などやらなくてもいいでしょうに」
「クロだったら後でちゃんと回収するって宿星おじさんが言ってましたよ」
「ギャアア!」
「ああ、もう! 大人しくしていなさい」
アリエは逃げようとする怨霊達を無理やり掴むと強引に自分の背後に憑かせた。この怨霊達は魔境神社の魔境門から調達した低級霊である。アリエほどの力があると、この程度の低級霊ではいくら束に勝てないので、霊達は逃げようとする。しかしお祓いを受けるためには何かに憑かれていなければならないので、逃げようとする霊達を何度も自身に引き寄せていた。
御園小路によると、白星降村の白巫女がいる神社の本堂には除霊対象者しか入れないので、白巫女が強敵である場合を考えて機動力のあるアリエが呪われ役を引き受けたのである。
「それじゃあ、そろそろ行きましょうか。誰かいるといいのですが……」
天女は表札に園田と書いてある家のインターホンを押した。
「ごめんくださあーい!」
「天女ちゃん、一応私達は切羽詰まって困ってる設定なんですから……」
元気過ぎる天女に五八千子が困ったような顔をする。
「はいはいはい。どちらさん~?」
程なくしてからドアが開かれ、中から70代と思しき男が出てきた。短く刈り込んだ白髪頭に地味な色のベストとズボンを着たごく普通の老人だった。
「突然お邪魔して申し訳ありません。先日、連絡致しました野丸という者です」
五八千子は恭しく頭を下げた。
「本当に、本当に心配なんです! どうかすぐにでもお祓いをしてください!」
老人に案内された客間で、目尻に涙を溜めて懇願する五八千子は、本気で友人を案じているようにしか見えない。拙くも過剰でもない自然な演技に破魔子は驚いた。幼馴染の意外な才能に新しい発見をした気分だった。
「そう言われても、先約がおってな。今日はもうお祓いは無理やねん。明日ちゃんとお祓いしたるさかい」
「でも、彼女はもう限界なんです! ほら、こんなに苦しんで……」
五八千子はチラと隣のアリエにアイコンタクトを送った。しかしアリエはよく理解できていなかったようで微動だにしない。たまらず破魔子が後ろからアリエの足をつねった。
「……っ! も、もう苦しくて苦しくて限界なのです。ど、どうかお祓いをすぐにでも……」
園田という老人は顎に手を当て品定めをするようにフードで顔の見えないアリエを観察した。破魔子は五八千子とは対照的に棒読み過ぎるアリエのセリフに演技がバレやしないかとヒヤヒヤする。
「……たしかに、ぎょうさん怨霊が取り憑いておるな。しかも強い怨念を感じるで。早うお祓いせんと大変なことになるな。でも、さっきも言うた通り先約があんねん。お祓いは一日一回と決まっとるんや。まあ、一日二回できんこともないんやが、特別料金になるで? お嬢ちゃん達は友達か? まだ未成年やろ? 大人を連れてきたら相談に乗るで?」
いかにも深刻そうな顔をする園田だったが、アリエはこの老人が一瞬ニヤついたのを見逃さなかった。守銭奴特有の意地汚さは向こうでもこちらでも同じであるようだ。低級霊と知っているのか、はたまた視えるだけで強さを測ることができないのか分からないが、不安を煽って更に金をせしめようとするのも詐欺師のやり方である。
アリエはこのまま老人を縛って強引に白巫女のことを吐かせたかったがグッと我慢した。
「それでしたらご心配なく。どうぞこちらをご査収下さい」
破魔子は緊張した面持ちでアタッシュケースを園田の前に差し出した。園田は訝しみながらもケースを開く。中に入っている大金を見ると大層驚いた。
「五千万円入っています」
「ごせ……!? なんでお嬢ちゃんみたいな子がこないな大金を……。まさか、偽札とちゃうやろうな?」
疑いつつも園田は札束を一つ取るとそれが本物であるか入念に調べる。さらにいくつかの札束の中からランダムに万札を抜き取り確認する。
「ざっと見たところ本物やな。でもお嬢ちゃんら何でこんな大金持ってるん? お嬢ちゃん達はどないな関係や?」
園田は眼光鋭く疑いの眼差しを破魔子たちに向けた。御園小路に聞いていた通りここの住人は警戒心が強いようだ。彼らは霊管や御三家、他の霊能力者たちの存在に敏感で、頑なに自分たちの領域に踏み込ませない。過去に何度か霊管が彼らの調査をしようとしたのだが、門前払いを受け全く相手にされなかった。
そういうわけなので、五八千子や破魔子は本来の性を言うことができず、偽名としてカミヒトの性を名乗ることにしたのである。
「私はとある田舎の資産家の娘でございます。皆、幼馴染で物心付く前からずっと一緒の友達です」
五八千子の説明に納得したのかしていないのか、園田は思案顔で何か考えているようだった。その間も現金の入ったケースを横目に何度も見ていた。
五八千子も自分たちは怪しい4人組だと自覚していた。女子高生の集団が大人も連れず友人のために大金を持ってくる。ここの住人たちであれば当然怪しむだろう。しかし、園田という老人は訝しみながらも欲を抑えきれない様子だった。
そんな園田の葛藤を見て、破魔子はこのまま押し込めると思い、天女に合図を出した。天女はかすかに頷くと頭に被っていたフードを取る。長く艷やかなピンクブロンドの髪があらわになった。
アタッシュケースと五八千子を交互に見ていた園田は、突然現れたとんでもない美少女に驚き目を奪われた。場の空気が一瞬にして華やいだように感じた。目の前の少女はまるで満開の花のように美しく絢爛だ。園田はだらしなく口を開いて目が点になっている。この世のものとも思われぬ天女のような少女に思考が止まっているようだった。
天女は目を潤ませ祈るように手を組み、園田に懇願した。
「お願いします! 大切なお友達なんです! どうかお祓いをして下さい! 園田さんだけが頼りなんです!」
「え……あ……」
今まで見たこともないとんでもない美少女が自分の目を見て必死に訴えている。まっすぐ自身を見据える瞳に吸い込まれそうになった。ただただ美しい少女に魅了されそうになる。
こんな美少女が自分を頼るとは……。
思考を取り戻した園田はこの少女にいいところを見せたくなり、願いを叶えてあげたくなった。
「そこまで言うならしゃあないな。特別におっちゃんが話しつけたるで。まあ、任せとき。きっと友達を助けたげるで。でもな、これおっちゃんだからできるんやで?」
「はい! ありがとうございます!」
天女の満面の笑みに園田の顔はみっともなく緩んだ。
「でもまあ、ちゃんとお金の確認をしてからやで? 本当に五千万あるか調べなあかんからな」
そう言うと園田はアタッシュケースを抱えて客間を出た。4人だけになった部屋で破魔子は1人得意顔になりアリエに言葉をかける。
「ね! 言ったでしょう?」
「まさか本当にこのような稚拙な策が成功するとは……」
「稚拙だなんて失礼ですね。私の優秀な頭脳が導き出した策略ですよ」
「なぜあなたが偉そうにするのですか……。すごいのはアマメですよ。もしかして魅了でも使えるのですか?」
「えへへ?」
「とにかくこれで白巫女がいる本堂まで辿り着けそうですね。荒事にならなくてよかったです」
ホッとした様子で五八千子はそう言った。
五八千子達は金額の確認を終えた園田に従い、車でお祓いを行うという場所まで連れてこられた。駐車場に車が停まると外へ出る。そこには2階建てのコンクリート造りの建物があり、門の館名板には白星降村郷土資料館とあった。
「建物の後ろに山があるやろ? あれはオオキミ山と言うて白巫女様が降臨なされた場所や。山の中腹に拝殿があって、頂上近くに本殿がある。白巫女様が御わす本殿には怨霊に取り憑かれたお嬢ちゃんしか行かれへん。他のお嬢ちゃん達は拝殿で待っててもらうで」
陽気に建物へ歩く園田の後に五八千子達は続いた。建物はやや古びて地味であり、役所のような堅苦しさを感じる。園田は正面の一般来館者用の入口ではなく、少し離れたところにある職員用の入口から中へ入った。
館内は閑散としていてGWだというのに人気は感じない。園田は薄暗い照明に照らされた短い廊下をまっすぐ突き抜けると裏口のドアを開いた。裏口の先には広いスペースがあり、そこに2、30人の住民と思しき住民達が陽気に騒々しくおしゃべりをしていた。
住民は五八千子達に気がつくとピタリと会話を止め、一斉に彼女たちに目を向ける。よそ者を見るような品定めをするような冷たい視線は一瞬で、天女を認めると皆一様に形容しがたい驚きを見せた。特に男連中が顕著な反応をし、固まったように天女に視線が釘付けになった。
まるで時間が止まったかのように静まり返る。1人の中年の女がハッと我に返り、園田の方に小走りで近寄った。
「ちょっと園田さん。急に追加のお祓いだなんて、勝手に決めんといてよ。白巫女様はお代わりになってから初めてのお祓いやで」
「そやかて、こないな可憐なお嬢さん達が困ってるんやで? 友達のために大金まで用意して立派やないかい。これで力にならへんかったら男が廃るっちゅうもんや」
中年女に非難がましく文句を言われても園田は何の悪びれた様子もない。キメ顔で五八千子達の方に振り向いた園田に、天女は屈託のない笑顔で答えた。フードを被ったアリエから小さく舌打ちした音がした。
「園田さん、いつの間にこないな美少女達と仲良うなったんや。羨ましいわ~」
「ええ娘達やな。なあ、お嬢ちゃん達、お祓いが終わったら快気祝いでもどうや?」
「せやせや。皆で宴会やろ」
「アホ! 依頼人とは極力関わらん決まりやろが!」
「固いこと言うもんやないで。決まりっちゅうても禁止まではされとらんで」
「一括で払うたんやったら情が移ることもないやろ。問題あらへんで」
「派手にやろやないか。お嬢ちゃん達、美味いもん仰山用意するから、皆でワイワイ騒ごうや」
「全く男連中ときたらほんまに……」
「やかましいわ! お前ら! お嬢ちゃん達怖がっとるやないかい」
お祓いの後の予定を勝手に決める男達に園田は一喝した。まるで自分が天女達のナイトだと言わんばかりの振る舞いに五八千子は苦笑を漏らした。
「さ、早う拝殿まで行こうか」
園田は羨む男達とそれを冷ややかな目で見る女達を掻き分けて、山の麓の鳥居まで歩いた。好奇の視線にさらされてながらも、五八千子たちも後に続く。
山の麓には鳥居が建っており、階段が山の上までずっと続いている。鳥居の左右にはお供え物を乗せる三宝という台が列をなしていた。三宝の上には人形やお面、血糊の付いた本や髪の束など一目で呪物とわかるものが供えられている。
「この先は白巫女様が御わす神域やで。粗相のないようにな」
五八千子は深く息を吐くと、覚悟を決め鳥居をまたいだ。