第26話 ジンカイノカミ①
こちらがジンカイ様が御わす神域でございます」
呪須津家の当主に案内された場所は、お化け屋敷もとい呪須津邸の更に奥まった所にある切り立った崖であった。崖には洞窟と思しき高さ2メートルほどの穴が空いていた。穴の手前には古ぼけた鳥居がある。
この洞窟の先に呪須津家の祀っているジンカイという神がいるらしい。なんでもこの疫病神は僕に用があるというのだ。その用とやらが五八千子ちゃんのいう凶事につながっているのだろう。
「お気をつけくだされ、野丸様。ジンカイ様の神域瓦落多窟は我らでも通れぬほどの毒瘴に満ちてますので」
「はい……」
この体なら大抵の悪い気であれば無効にしそうであるが、神の出すそれは規格外かもしれない。念の為、結界を張っていこう。
「じゃあ、二人とも行ってくるね」
本当は鷹司君と千代さんにも付いて来てほしかったが、お呼ばれしたのは僕だけである。怖いけど、1人で行くほかない。
「……お気をつけて」
「死ぬなよ」
洞窟はここからでも分かるほど、禍々しい空気を放っている。鷹司君でさえ僕を心配するほどだ。ぽっかり開いた洞窟はまるで黄泉への入口を思わせた。
「これをどうぞ」
ギョロ目の老人からカンテラを渡された。妖しい炎が仄かに揺らめいている。
僕は鷹司君と千代さんに軽く頷くと、一歩前へ出て結界を展開させた。そのまままっすぐ歩き、鳥居をくぐって洞窟の中へと足を踏み出す。
一歩足を踏み入れた途端、全身に怖気が走った。洞窟の中は重く冷たく不吉な空気で満たされている。神域というだけあって、超越神社と同じく外とは隔絶された感覚がある。ただしこちらは、超越神社とは正反対のおぞましい空気だが。
僕はカンテラの光だけを頼りに歩き出す。地面はゴツゴツとした岩で水に濡れていた。足音が洞窟内に木霊す。とても静かで生き物の気配を全く感じない。ここが死の世界と言われても納得してしまいそうだ。
歩を進めるごとに嫌な空気がより強く濃密になる。なんとなく、異世界で邪神に攫われたときの禍氣の中の空気と似ているような気がする。
ゆっくり慎重に歩を進め10分ほど経ったところで、ふと違和感を覚える。今までは近くで反響していた足音が、急に遠くに響くようになった。どうやら広い空間にでたようだ。僕は立ち止まりカンテラを掲げてみたが、光量が弱く天井がどれほど高いか分からなかった。
音の反響からして相当大きな空間であると思うのだが……。
視線を前に戻せば、いつの間にかぼんやりと光る人のようなモノがいる。目を凝らしてみれば、それは老人のようでこじんまりと座ってた。あれがジンカイという疫病神であろうか。
僕は呼吸を整え、老人に向かい静かに歩き出した。一歩一歩進むごとに老人の出で立ちがはっきりとしてくる。疫病神は痩せぎすで襤褸を纏っており、ハゲ頭で長い白ひげが地に垂れていた。死んでいるようにピクリとも動かない。見た目は今にも死にそうな浮浪者のようだが、存在感がハクダ様や光子さんと同等のように思える。
疫病神から数メートルのところで立ち止まった。老人は俯いていた頭を上げると僕を見る。太く長い眉の下の虚ろな目が僕を捉えると、僕の体はわけもなく震えた。強い負の力が視線を通して僕に流れ込んでくるようだった。
「よう来なすった、お客人。ギリギリ間に合ったのう」
開いた口から腐ったような臭気が漂ってきた。歯はガタガタで半分以上抜けている。ニヤリと笑う醜い顔は悪役そのもの。放つオーラは邪神や五八千子ちゃんの呪いに近い。目の前の老人が本当に悪神であると、嫌でも理解できた。
「……野丸嘉彌仁です。本日はお招きいただきましてありがとうございます」
本当はありがたい気持ちなんて微塵もないけど、相手は神なのだから謙るしかない。
「知っとるよお」
意地の悪い笑みを浮かべてそれだけ言うと、後は無言でニタニタと僕を観察していた。ああ、なんだがすごく気持ちが悪い。早く用件を聞き出して帰りたい。
「あの……ジンカイ様、ですよね?」
「そうじゃよ。儂らがジンカイじゃ」
疫病神がそう言うと、辺りが急に明るくなる。いくつもの笑い声が方方から聞こえ、突然現れた鈍く光る何かが飛び回り洞窟内を照らしていた。
「ハッハッハ! ようこそ参られた! 神聖なる者よ!」
「この人間、いや、神はなんという神々しさだ。臭い、臭いぞ」
「久方ぶりの客人じゃあ! もてなそうかのう! 八つ裂きにしようかのう! 迷うのう!」
「いやはや不味そうじゃのう。食べがいのなさそうな御仁じゃあ」
「貴様ら徳の高い神に向かい無礼じゃぞ。まずは礼を尽くさんか。そのあと殺そうぞ」
「いやいや。これだけの力を持った神じゃ。我らの一員として引き込もうぞ」
賑やかに嘲笑するように僕の周りをおぞましい姿をした何モノか達が飛んでいた。皆各々痛々しい姿をしていたが、小柄で素っ裸なところは共通している。
あるモノはやせ細り骨と皮だけで、腹だけが餓鬼のように醜く膨らんでいる。あるモノは手も足も片方だけしかなく、顔も耳や鼻がない。火傷をしたように皮の下の肉がむき出しで欠損が目立つ。またあるモノは皮膚が黒ずみ全身にボツボツと大きな水ぶくれがあり、重度の感染病に罹っているようだった。
その他のモノもいずれも見るに耐えない容貌をしている。まるで地獄絵図に描いてある罪人のようだった。
「騒がしくてすまぬのう。我らは一つの人格を持たず種種雑多な神であるがゆえ。疫病、不浄、混沌、無秩序。それらを司るのが我らジンカイノカミじゃ」
こちらの疫病神はどうやら複数体で一柱の神様のようだ。そんな神もいるんだね。それはいいのだが、彼らが物騒なことを言っているのが気になる。殺すとか食うとか。
まさかこのままバトルに入るなんてことはないよな……。
「それであの……僕に伝えたい大事な用件とはなんでしょう?」
僕は恐る恐る聞いた。唯一襤褸を纏って地面に座っている老人は、臭気漂う口を開けて静かに言った。
「その前に一つ約束してほしいことがある」
「約束ですか?」
なんだろう。無理難題を言われそうで思わず身構える。
「氏子達の面倒をみてほしい」
「……どういうことですか?」
「儂に万が一のことがあったら、氏子達をそなたの庇護の下に置いてほしい」
氏子って呪須津家のことだよな……。万が一ってなんだ? なぜそんな事を依頼するのだろう。彼らの面倒をみるなんて絶対無理なんですけど。
「まさか断るつもりではないだろうな? 本当に食ってしまうぞ!」
「止めとけ止めとけ。腹を壊すぞ。それより八つ裂きにしてしまおう」
「待て待て。捕らえて縛って断食させようぞ。即身仏にして我らの仲間にするのだ」
「何が不満なのだ? かわいい氏子達であろう? 好きなだけ呪須津の女を持って行くがいい」
やいのやいのと周りを飛び回るジンカイさん達が怖鬱陶しい。彼らの言う事を聞かなければ本当にこのまま戦いになるのではないだろうか。それは避けたいけど、呪須津家と仲良くなんて絶対できない。
僕の煮えきらない態度に全身が黒く焦げたあるジンカイさんが僕の前にニュッと降り立った。肉の焦げた臭いが鼻を突く。焼死体が動いているようでマジでグロい。
「ええい! 煮えきらん奴だ! いいか、これから貴様に伝えるのは“堕ちた神”の事だ! 彼奴は……ぎゃああああ!!」
黒焦げのジンカイさんがいきなり縦に真っ二つに裂かれた。2つになった体は地面に着く前に煙となって消える。突然の出来事に僕は小さい悲鳴を漏らした。
これはもしかして堕ちた神の呪いか……。
以前にハクダ様が僕に堕ちた神のことを教えてくれたとき、ハクダ様の体が独りでに裂かれたことがある。まるで鋭利な刃物に斬りつけられたかのような傷口は、今でも記憶に新しい。
「ギャハハハ! ジンカイがやられおった!」
「何を言う! 貴様も儂もジンカイであろう! フハハハ!」
「強いのう……怖いのう……」
まさか、彼らが僕に堕ちた神の情報を教えてくれようとしているとは驚いた。しかし、それ以上にこの強力な呪いをまた目の当たりとして慄然とする。
「あれだけでやられたか……。本に厄介な奴じゃのう。お客人よ、見ての通り我らも相応の覚悟を持って望んでいる。文字通り命がけじゃ」
襤褸を纏ったジンカイさんがじっと僕を見据えた。僕の覚悟を窺うかのようだ。僕は生唾を飲み込むと腹をくくった。
「承知しました。ジンカイ様の要望を受け入れます」
「うむ。よく言ってくれた。これで神の約定は成った」
呪須津家の人達の後ろ盾になるのは抵抗があるけど、“堕ちた神”の情報と引き換えならば受ける他ないだろう。しかも悪神であるジンカイノカミが命がけであるというのならば、現状はよほど切羽詰まっているのかもしれない。
ハクダさまによれば“堕ちた神”の真に近づくほど呪いは強くなるとのことだった。恐らく“堕ちた神”に近づける重要な事柄を伝えてくれるのだろう。だからこその命がけだ。
「さて、時間が惜しい。早速始めるとするかの。よいか、一度しか言えぬゆえ、よく頭に刻むのじゃ。一言一句聞き漏らしてはならぬぞ」
「はい」
僕は深く頷いた。