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第25話 呪須津家④

 今にも吐き出しそうな僕は和室を出ると、言われた通り右に真っ直ぐ進んだ。長い廊下を駆け抜け、突き当りを左に曲がると、少し先にドアがあった。あそこがトイレだろう。視界に例の背中おじさんが映ったが気にしている暇はない。僕はトイレまで一直線に向かい、ドアを勢いよく開けた。


 やっと解放される……。


 粗相をしでかさなくてすんだと安堵したのも束の間、トイレの中を見れば一瞬吐き気が引っ込んだ。なぜならとても汚いから。


 トイレの中は薄暗く和式の便器の周囲には、管理が行き届いていない山奥のトイレのように汚物が散乱していた。すごくうんこ臭い。s


 これだけでもげんなりするのだが、問題は視線の先にだらりと力の抜けた足が浮いていることだ。ローファーを履いており華奢な足は女の子のようだ。ゆっくり顔を上に向ければ、予想した通り、後ろ姿のセーラー服を着た女の子が首を吊っていた。


 これも呪須津じゅずつ家の人だろうか。それとも浮遊霊であろうか。僕にはその区別がつかなかった。宙ぶらりんの女の子は風もないのに左右に揺れている。そしてゆっくりと回転し始めた。このままいくと、ご尊顔を拝することになってしまう。


 僕は急いでトイレから出てドアを閉めた。もう吐き気は限界だ。もういっそのこと廊下にぶちかましてしまおうか。どうせ廃屋のように荒みきっているのだから構わないだろう。


 それでもやっぱり人様の家の廊下にぶちかますという粗相は僕のプライドが許さなかった。たとえこんな家であってもだ。


 洋室の客間はトイレと洗面所が併設してあったが、あそこなら綺麗だろう。たぶん首を吊ってる人もいない。しかし呪須津じゅずつ家は広く迷路のようで、そこまでの道順がわからない。どうする、限界が近いぞ。エチケット袋を携帯しなかったことを後悔する。


 客間の場所を尋ねようにも、近くに誰もいない。困った。


 あ……いたわ。


 僕の近くに壁に額を付けうつむいて背中を向けている浮遊霊のおじさんがいた。ここへ来てから何度も見ている背中おじさんだ。普段ならば絶対に声を掛けないが今の僕は余裕がない。浮遊霊でも何でも頼りたいほど状況は逼迫している。


 僕は一か八か背中おじさんに声を掛けることにした。


「あの、すみませんが洋室の客間ってどちらにあるか分かりますか?」


「……」


 背中おじさんはゆっくりと右手を上げ、トイレとは反対方向を示した。僕は疑ったり逡巡する余裕もなく、素直に背中おじさんが指し示す方へ走り出した。


 突き当りを曲がり、更に奥に進むと丁字路に分かれ道になっていた。そしてまたもや背中おじさんが先回りしていた。


「よ、洋室は……」


「……」


 今度は左手を上げた。僕はそちらに向かい走った。その後、分かれ道に差し掛かる度に背中おじさんがいて、僕は彼の導きを仰いだ。何度か繰り返す内にやっとあの洋風のドアにたどり着いた。


 ドアを開け一目散にトイレへ駆け込む。トイレは部屋と同じように様式で綺麗に掃除が行き届いており、首吊り死体もない。


 ……間に合った。


 僕は胃の中にあるすべてをぶちまけた。







 背中おじさんのおかげで事なきを得た僕はソファに力なく座り込んだ。胃の中がすっからかんになるまで吐いたから、疲労で強い脱力感を感じる。今日は僕たちの命運を決める重大な何かがあるというので、力をつけるため朝ご飯をいっぱい食べてきたことが裏目に出た。


 客間には他に誰もいなかった。鷹司たかし君も千代ちよさんもおもてなしのため、どこかへ連れて行かれたのだろう。


 僕はもう戻る気にはなれず、ここで待っていることにした。ソファに深く身を沈ませ、ぐったりとする。しばらくそうしていると、ドアが開き外から千代さんが入ってきた。いつも以上にユラユラとしていて、覚束ない足取りで僕のとなりに座り込んだ。


 顔色は青く生気がない。彼女の身に何があったのだろうか。気になるが、それを聞く余裕は今の僕にはなかった。


 ややあってから再びドアが開くと、今度は鷹司君が現れた。酷く疲れた様子で、彼のいつもの傲然な態度は鳴りを潜め、今はただ終電に乗っているサラリーマンのようだった。彼もソファにドカッと座ると、目をつむり何も言わず黙っていた。


「……」

「……」

「……」


 ゴーッと空気清浄機の音だけがやたら大きく響いた。誰かの深い溜め息が聞こえた。千代さんのものか鷹司君かそれとも僕か……。僕は自分の状態がわからないほど疲れ切っていた。


「イッヒッヒ。その様子ですと、我々の歓待は喜んでいただけたようですな」


 突然後ろから声を掛けられ、僕たち3人は飛び上がるほど驚いた。ギョロ目の老人がいつの間にか僕の背後に忍び寄っていた。軽く殺意が湧いたぞ。


「いやはや、我が家も皆様におもてなしができて嬉しいですぞ。なんせ、久しぶりのお客様ですからな」


 ギョロ目の老人は心底満足そうに笑うと、僕たちの対面のソファに座った。


 いや、もう何なんだよ、呪須津じゅずつ家。光子さんは彼らが敵になることはないと言っていたが、むしろ敵の方がありがたい気がしてきた。ここにあるすべてのモノを浄化してしまいたい。


 そんな思いをぐっと飲み込んで、僕は目の前の当主に語りかけた。


「それでは、そろそろ本題に……」


「おやおや。まだお若いのに生き急いでどうなさる。まだまだ我が家の接待を楽しんでくだされ。家人共々、皆様のために張り切って準備しましたからな」


 茶化すような物言いに堪忍袋の尾が切れたのか、鷹司君が机を拳で叩いた。射殺しそうな目でギョロ目の老人を見やる。そして意外にも千代さんも鋭い目つきで睨んでいる。怖い。


「イッヒッヒ。我が家の家人たちはどうでしたかな? もし気に入った者がいれば嫁にでも婿にでも持っていってください。もしくはあなた方が我が家の婿や嫁に来てくださってもいいのですぞ。なにせ呪須津じゅずつ家は他家との婚姻がほとんどありませんからな」


 ギョロ目の老人は鷹司君と千代さんの殺気をどこ吹く風でかわし、全く関係ないことを言った。鷹司君の顔が憎々しげにゆがむ。僕もさすがにもう彼らの茶番には付き合っていられない。



「すみませんが、僕たちもそれなりの覚悟を決めてここへ来たんです。僕を呼んだ本当の理由を聞かせてくれませんか?」


那蛾なぎはどうですかな? 田舎娘ではありますが、どこに出しても恥ずかしくないように教育してありますので」


「当主さん。話して下さい」


 僕が真面目にそう言うと、ギョロ目の老人はすっと真顔になりしばらく押し黙ってしまった。


「どうした、呪須津じゅずつの当主よ。早く言わんか」


 痺れを切らした鷹司君が当主に詰問する。いつになく苛立っていた。やがてギョロ目の老人は観念したのか静かに口を開いた。


「我らが神、ジンカイ様が野丸様に大事な話があるとのことです……」


 そう言った当主はどこか寂しそうな様子だった。




 ――――――――――――――――――――




 紫雨章介しぐれしょうすけ白聖降はくせいふる村のホームページから除霊の問い合わせをすると、すぐに返信があり指定した場所まで来るようにと指示があった。そこは京都北部にある小さな町のとある個人邸だった。


 紫雨と嶽冷華たけれいかは新幹線とタクシーを乗り継いで行くと、目的地には名家を思わせる立派な屋敷があった。この地域一帯の有力者と思しき屋敷の大門をくぐると、田中と名乗る中年女性が二人を出迎える。


 紫雨はこの中年女をひと目見て、成金であり趣味が悪いと思った。身につけているものはブランド品ばかりで、おそらく本物であろうが着こなしはセンスがなく、言動も品にかける。隣の恐ろしい少女は本物のお嬢様であり、彼女と比べれば育ちがまるで違うことは明らかだ。


 紫雨は田中のネットリとした視線を受けると、心の中で舌打ちをした。まるで金になるかならないか値踏みされているように感じた。


 ひとしきり紫雨を観察した田中は口を開いた。


「えらいもんに憑かれてはりますなあ。もう一日も後がないんとちゃいますか?」


「……わかるんすか?」


「上半身が女で下半身が蛇の醜い化け物やろ? ずいぶんとお兄さんにご執心なようで」


 紫雨は成金趣味の中年女が自身に取り憑いている蛇女くるめが見えていることに驚いた。それから自分が置かれている状況にも。連絡を入れたときは、ただ厄介なモノに取り憑かれたからお祓いをしてほしいとしか書かなかった。事前に蛇女くるめの容貌をこの女が知る由もない。


 見えているということは、中年女は少なくとも霊的な存在を感知する力はあるということだ。


「それじゃあ、詳しい話は中で聞きましょか」


 紫雨と冷華は田中の後に続き、豪奢な日本家屋の中へと入っていった。


 二人が案内されたのは屋敷の奥にある座敷であった。数寄屋造すきやづくりとでもいうのか、高級旅館や政治家の書斎のような多額の金額をかけて作ったような部屋だった。高級木材を使っているであろう机の前に座らされ、対面には田中が座る。話を聞くにどうやら彼女が白聖降はくせいふる村の代表らしい。


「早速ですけど、代金は全て現金前払いでお支払いいただきます」


 紫雨は何の前置きもせずいきなりお祓い料の話を始める田中が、冷華に聞いた通りの銭ゲバであると確信した。紫雨としては話が早い方が助かるが、下心を隠そうともしない中年女に内心毒づいた。


「いくらでしょうか?」


 田中は紫雨しぐれの問いにニンマリとして、懐から折りたたんだ一枚の見積書を開くと、それを紫雨の前へ差し出した。紫雨はつまみ上げ目を通すと、あまりの金額の多さに驚いた。


「三千万だと!?  いくら何でも高すぎる!」


 紫雨は冷華からこの白聖降はくせいふる村の住人達は、弱みに付け込み暴利を貪る輩達と聞いており、どのような大金を要求されてもたけ一族が全て払うと言われていたのだが、実際提示された金額に反射的に声がでてしまった。


「そういわれましても、それくらいもらわんとこちらとしても割に合いませんから。それにそれくらいで命が買えるなら安いもんとちゃいますか?」


「しかし、現金で一括など無理だろ! しかも除霊が成功するとは限らない!」


「その点でしたらご心配なく。我々のお祓いが失敗したことやらないさかい。それから、お祓い料が払えない言うんでしたら、貸付も行ってます」


 田中は封筒を取り出すと中から1枚の紙を出した。紫雨は苦々しい気持ちで受け取ると紙面を確認する。それは借用書だった。


 元本は毎月末日払いの10年分割、利息は法定利率上限の15%、遅延損害金も同じく上限の21、9%。


 必要な事項は全て書いてあり、後は借り主の名前と住所、収入印紙を添付するだけである。


 高すぎる金利は並程度の収入の者ならば金利を払うだけで精一杯だ。本来ならこういった契約は借主貸主双方の同意のもと決めるものだが、除霊という極めて特殊で数の少ない事業を生業としている貸主側の力が強く、除霊を受ける側は彼らの条件を飲むしかないのだろう。


 アコギな商売しやがってと、紫雨は借用書を破ってやりたかった。


「もし10年が厳しゅうおましたら、もう少し伸ばしたってもええですよ」


「いいえ、その必要はございませんわ」


 今まで黙っていた冷華れいかが抑揚のない声でそう言った。


「そちらさんは確か……」


「いとこでございますわ」


 事前に取り決めていた紫雨と冷華の嘘の関係を淡々と答え、冷華は横に置いてあるアタッシュケースを開くと、中から札束をいくつも取り出し机に並べていった。


「お確かめ下さい」


「……」


 田中は驚いた様子で冷華を見たが、すぐに使いの者達を呼ぶと札束をその場で数えさせた。紫雨はすました顔で虚空を見つめる少女が更に恐ろしくなった。


 彼女の実家が金持ちであることは用意に推測できたが、それでも三千万円という大金を何の裏もなく、赤の他人である自分のためにポンと出すとは思えなかった。

 彼女は見返りを求めないといったが、果たして本当にそうだろうか? すべてが終わったあと、何かとんでもない要求をされそうで、紫雨は自身が元の生活に戻れるかと不安になった。


 鬱屈とした自分とは対照的に、ニヤけた面で万札を数える中年女が忌々しかった。さっさと除霊しろと急かし唾を吐きかけてやりたがったが我慢した。イライラしながら金の亡者共が数え終わるのを待つ。


「確かに。三千万、きっちり受け取りました」


 田中は札束をそそくさとケースに詰め込むと、使いの者に持たせ、すぐに部屋から退出させた。


「ええ親戚を持って、お兄さん幸せやね」


「……さっさとしてくれ」


「分かってます。ほんなら早速行きましょか」


「どこへだ」


「ここからそう遠くないとこに、白巫女しろみこ様のお堂があります。車はこちらで用意しますんで」


 田中は立ち上がって紫雨達を外に誘導しようとしたが、白巫女という言葉を聞いて紫雨は近藤のことを思い出す。


「……その前に一ついいか? 一週間ほど前に近藤うるりという20代の女がここへ取材に来なかったか?」


「はて? そのようなお嬢さんは知りまへんなあ。そのお嬢さんがどないしたんですか?」


「連絡が取れなくなっている。家にもいない。現幽きょうかい編集部として白巫女伝説の取材をするためここに訪れている。それから行方不明だ」


 紫雨は凄むように田中を見つめた。まるでお前が犯人だと言わんばかりだ。しかし、田中は心底心配そうな顔をして、親切さを全面に出し紫雨に同情の意を表した。


「それは心配やねえ。私はそないなお嬢さん見たことないけど、知り合いが知ってるかもしれへん。お祓いが終わったら近所の人達に聞いたるさかい。駐在さんとこにも行きましょか。何か事件に巻き込まれてたら、大変やからね。とりあえず、今はお祓いに集中しましょか」


 紫雨と冷華は立ち上がり、田中の後を追った。田中に不自然な箇所はなく、それどころか協力的であったが、それが逆に紫雨の疑心を強くさせた。詐欺師特有の人の良さだ。


「クロ、ですわね」


 隣の少女が興味がなさそうに呟いた。 

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