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第24話 呪須津家③

「こちらでお待ち下さい。すぐに姪っ子が参りますので。それではごゆっくり」


「……ありがとうございます」


 ろくろ首に案内されてやってきた場所は10畳ほどの一間であった。例のごとく、ここへ来るまであちらこちらへ無駄に邸内を歩かされ、道中やたらろくろ首から好意を掛けられて辟易とした。婿養子がどうのこうのと話しだしたときは、さすがに身の危険を感じた。これが嫌がらせの一環であるか分からないが、全ての事が片付いたら呪須津じゅずつ家とは距離を置きたく思う。


 さて、通された和室であるが、これまた足を踏み入れたくないほど陰湿な部屋であった。中は薄暗く、四方にろうそくが立てているだけであって妖しさ満天だ。畳は湿気が多いためかグジュグジュと腐っており、壁や天井はシミだらけカビだらけで体に悪そう。


 この場に長居したら病気になりそうだ。疫病神を祀っているだけあって呪須津じゅずつ邸全体がこんな感じだが、ここは殊更酷いように思える。


 さすがに土足で入るのは抵抗があったが、腐って異臭を放っている畳に靴下のみで触れるのは嫌であった。そういうわけだから、申し訳ないがここも靴を履いたまま上がらせてもらうことにする。


 障子はほどんど破れ蜘蛛の巣だらけの和室の中央には新品の座布団があった。ここに座れということだろうか。僕はこの場に似つかわしくない新品の座布団までソロリソロリと歩くと、靴を履いたまま正座で座った。


 正面の床の間にある掛け軸は、水墨画で描かれた足のない横を向いた女の全身像であった。幽霊画であろうか。床板にはヒビだらけのツボがぽつんと置いてある。僕が座っている斜め前には釜がありその上に鉄瓶が置いてある。多分、茶道で使う道具だと思うんだけど。


 この部屋に置いてあるのはこれらだけである。おもてなしをする客間というにはちょっと殺風景だ。


 しばらくキョロキョロと落ち着きがなく部屋を見渡す。ジメジメと湿った空気がやっぱり体に悪そうだ。


 ふと、幽霊画の掛け軸を見れば違和感を覚えた。さっきまでは真横を向いていたと思ったのに、少しだけ首の角度が変わり横顔が少し斜めになった気がする。


 ……まさかそんなわけないよな。


 僕は幽霊画から顔を横にそらすと、すぐにまた視線を掛け軸に戻した。すると掛け軸の女と目が合った。


 さっきは斜めに目が向いていたのだが、今は彼女の虚ろなお目々が僕を捕らえていた。ああ、やっぱりこれ動く幽霊画だ。


 もう一度視線を逸らし、1拍おいてから戻せば体も顔も完全に真正面を向き僕を睨みつけていた。


 …………。


 掛け軸の幽霊とにらめっこをする。視線を固定し瞬きもできるだけ素早く行う。そのまま1分ほど見つめ合っていたが幽霊は動かなかった。


 なるほど、これは視線を外した隙に動くタイプの心霊現象か。ならば呪須津じゅずつ家の人が来るまでずっと見ていればいいわけだ。掛け軸の女は長く乱れた髪をしていて、細長い目で僕を恨めしそうに睨んでいた。僕は目をあわせないように鼻のあたりを見ることにする。


「……」


「……」


 ああ、僕はなぜこんなことをしなければならないのだろう。リアルお化け屋敷で恨めしそうに睨む幽霊画の女とにらめっこなど、今朝までは想像だにしていなかった。


 5分か10分か、ずっと幽霊画と見つめ合ったままだが、呪須津家の人は来ない。まさか、これも嫌がらせであろうか。


 緊張して体をずっと強張らせていたので疲れてきた。正座をしているので足も痺れてきたし、ちょっと姿勢を変えようと腰を浮かせる。視線は掛け軸に固定したままだ。


 すると突然、掛け軸の左にあるツボがガタガタと揺れ始めた。何事かと思い、そちらを見るとツボの口から手がでていた。縁に手首を乗せて止まっている。ツボのサイズは、難なく両手で持ち上げられる程度で、到底人が入れるような大きさではない。


 ……何だこれは。


 僕はツボの手に意識を取られていたが、すぐにハッとして掛け軸に視線を戻した。女はすごい形相で左手を伸ばしさっきよりもずっとこちらに近づいていた。


 最初見たときは全身が写っていたが、今は上半身で掛け軸がいっぱいである。遠くにいた人がカメラに近寄って体がだんだんアップになるような感じだ。このままだと掛け軸からでてきそう。


 そうはさせるかと、掛け軸に視線を固定すればまたガタガタと左隣のツボが音を立てた。まさかと思いそちらを見ると、今度は肘辺りまで手がでていた。僕が見るとピタッと止まる。


 ……まずいぞこれは。ツボも目を離したら動くタイプの奴だ。掛け軸とツボは離れているので同時に視界に入れておくことはできない。


 すぐに掛け軸を見ればまたちょっと女は近づいていた。そしてツボから目を離すとまたひとりでに動いて、視線をそちらに向ければ先程より更に手が伸びていた。あちらを見ればこちらが動き、こちらを見ればあちらが動く。なんて巧妙な嫌がらせなんだ。


 僕はうんざりしながら勢いよく左右に首を振った。高速で首を動かすことで、掛け軸もツボも同時に視界に入れる作戦だ。横フリのヘッドバンドよろしく激しく首を動かす。普段しない動作にもう首が痛くなったし酔ってきた。それでも止まるわけにはいかないのだ。


 僕はロックバンドのノリのいい観客のように無心に首を左右に動かし続けた。しかしそんな僕の努力も虚しく、幽霊画の女もツボの手も少しずつ近づいている。女はもうほとんど顔だけですぐにでも掛け軸からでてきそう。ツボの手は関節がいくつも連なっていて長く、それが僕の方にじりじりと這い寄っている。


 このままでは時間の問題だ。浄化してしまいたいが、それをすれば呪須津じゅずつ家が敵になると、さっきギョロ目の老人から言われたばかりだ。


 くっ……ろくろ首の姪っ子とやらはまだ来ないのか。


 掛け軸からはすでに女の後頭部がでており、長い手は僕からあと50センチのところまで来ている。もうだめだ。ここは結界でやり過ごすしかない。結界ならば文句は言われないだろう。


 僕が六角形のサイバーチックな結界を展開しようとすると、襖から光が漏れゆっくりと開いた。また新しい心霊現象かと思い、急いでそちらに顔を向ければ、包帯だらけの着物の女性が正座をしていた。今度はミイラ女か。


 包帯の女は三つ指を付くと僕に慇懃に頭を下げた。


「大変おまたせしました。当主屎泥処(しでいしょ)の孫娘、呪須津那蛾じゅずつなぎと申します。此度は私めがおもてなしさせていただきます」


「……っ! の、野丸嘉彌仁のまるかみひとです……」


 包帯だらけの女性から強烈な臭気が漂ってきて、思わず鼻をつまみそうになった。ドブの臭いというか生ゴミの腐敗臭というか、とにかく吐き気を催すほど不快である。どうやらミイラではなく人間のようだがこの臭いは……。


 女性は傍らに置いてある盆を抱えて立ち上がった。盆には茶碗、なつめ茶杓ちゃしゃくなど茶道具一式が乗せてある。彼女はソロソロと部屋に入ると僕の対面に座った。臭いはより強くなり、今朝方食べた朝ご飯が喉にせり上がってくるのを感じた。


 セツさんにもらったエチケット袋はカバンに入れたままだったと、このとき気がついた。


「救世主様には遠路はるばるこのような田舎までお越しいただきまして、誠にありがとうございます。気持ちを込めてお茶をてさせていただきます」


 臭いに気を取られて忘れていたが、掛け軸の女とツボの手はいつの間にか消えて、包帯の女性の背後で何事もなく元に戻っていた。やっぱり嫌がらせだろうか。彼女はずっと襖の近くで、僕の高速首振りをこっそり覗いて笑っていたのかもと邪推したくなる。


 呪須津那蛾じゅずつなぎと名乗った女性は、顔中包帯だらけなのでどのような容貌か不明だが、声を聞くに若いように思える。


「お菓子をどうぞ」


 包帯の女性は小さな皿を僕の前に出した。皿には最中もなかっぽいお菓子がある。今は何も口に入れたくないんだけど……。


「申し訳ありません。僕は茶道の作法を知らないもので……」


「ご心配ありませんよ。こういったものは作法よりも気持ちが大切でございますから、救世主様はお寛ぎくださいまして、私のてたお茶をご賞味下さい」


「そ、そうですか。それでは……」


 僕は口呼吸に切り替え嗅覚をシャットアウトした。そうしないと、とてもじゃないが口に食べ物を入れられない。


 僕は吐き気を無理やり抑え込み、最中をまるごと口に放り込む。鼻から空気を通さないようにしているので、味はよく分からないが多分普通の最中だ。


 包帯だらけの女性は僕が菓子を食べ終わったのを確認すると、今度は茶碗になつめから抹茶を入れ、鉄瓶からお湯をかけてシャカシャカと茶筅ちゃせんでお茶を点てた。茶筅を置き茶碗を持って、時計回りに2回ほど回してから僕の前に差し出した。


 作法のわからない僕は頭にあるイメージだけで何となくやるしかない。茶碗を右手で取りじっと抹茶を見つめる。


 これも普通の抹茶であろうが、この場の雰囲気もあってか抹茶の緑が毒々しくみえる。さすがに変な物は入ってないと思うが……。


 飲むことに躊躇を覚えたが、この場から一刻も早く立ち去りたいので覚悟を決める。ええい! ままよ! 僕は一気に飲み干した。


 …………。


 普通だ。普通の抹茶だった。よかった。


「結構です」


 確か挨拶はこんな感じだったと思う。そういえば飲む前に何回か茶碗を回さなければならない気がしたが今更だろう。兎にも角にも早くさっきの洋室に戻りたい。おもてなしはもう十分だ。


「おかわりはいかがですか?」


「……えっ」


 嫌だ、もう戻りたい。がんばって口呼吸しているが、それでも完全に嗅覚を遮断することはできず、腐ったような臭いが僕の神経を徐々にむしばむ。この場に長く留まれば本当に吐いてしまいそうだ。


「あの、お気持ちは嬉しいのですがこの後大事な用がありますので、このあたりで……」


「救世主様は東京からいらしたのですよね?」


「あ、はい……」


 包帯の女性は僕の言葉を遮り、せっせと新しいお茶の準備をしていた。おもてなしを強行する気である。もうこの場にいるのは限界なので、強引に断って終わりにしたかったが、そんなことをすればホストである彼女の面目を潰してしまうし、何より後が怖い。仕方がない、後一杯だけの我慢だ。


「私、東京に行ったことないんです。西の御三家は関西に散らばっていますが、東の御三家はすべて東京に集中しているのですよね?」


「ええ、そうみたいですね」


「救世主様、お会いしたばかりなのに不躾で申し訳ないのですが、私のお願いを聞いていただけないでしょうか?」


 えっ……突然なに? 嫌なんですけど。


「……何でしょうか」


 僕がそう答えると包帯の女性は少し照れたような雰囲気で言った。


「うふふ。私、東の御三家の方々と仲良くなりたいんです。こんな場所ですから、普段は家族や親戚としか関わりがなくて、もっと他家の方と交流を持ちたいのですが、御園小路みそのこうじ家と水無月みなつき家には何故か距離を置かれてしまって……。ですから常々東の御三家の方々と仲良くなりたいなって思っているんです。特に年の近い方とお友達になりたくって」


 これは一緒に来た鷹司たかし君と千代ちよさんを紹介してほしいということなのだろうか。ギョロ目の老人の孫娘と言っていたし、見た目こそ包帯だらけで分からないが、もしかしたら彼女も鷹司君達と同じくまだ学生なのかもしれない。


 しかし、彼女が鷹司君や千代さんと仲良くできるとは思えない。千代さんはポワポワとしていて何を考えているか分からないし、鷹司君はそもそも誰とも仲良くなる気がないだろうし。いや、それ以前に彼らも包帯の彼女には近づきたくないのでは。だって臭いが……。


「ですから救世主様に東京へ連れて行ってほしくって……」


 え……ちょっと待って。


「救世主様は連休はずっとこちらにいらっしゃるのですか? もし途中で帰るのでしたらそのとき一緒に連れて行って下さい。私、禄に県外に出たことがないので、観光もしてみたいと思いまして。よろしかったら救世主様のお家に泊めていただけたら、嬉しいです」


 シャカシャカとお茶をてながら包帯の彼女は事もなげにとんでもないお願いをした。これは何がなんでも断らなくてはいけない。


「あの、申し訳ないのですが僕は忙しいので……。それに僕たちは今日会ったばかりですので」


「まあ、ごめんなさい。私ったら出会ったばかりの殿方に大胆な申し出をしてしまって、はしたない。そうですよね、まずは連絡先の交換からですよね。手順はしっかり守らないと」


「いえ、そういう意味では……」


「大丈夫ですよ。このような森の中でもちゃんとWi-Fiは飛んでいますから。ああ、楽しみだわ! どこへ行こうかしら? スカイツリーに竹下通り、上野の美術館にも行ってみたいわ」


 まずい、付いてくる気だ。連絡交換からお泊りまでの間の色んなやり取りをすっ飛ばしているし。さっきのろくろ首といい、呪須津じゅずつ家の女性たちはなぜこうも積極的なのだろう。


 というよりも、そもそも彼女が街中で観光などできないだろう。だって臭いがすごいもん。包帯の下がどうなっているのか分からないが、恐らく彼女は皮膚病を患っているのではないか。それも重度の。


 こんな場所に住んでいるのだから、そりゃそうなるよなとしか言えないが、まず彼女は皮膚の治療に専念すべきではないか。東京の観光はそれからだ。


「すみません。本当に僕は忙しいので……」


「救世主様、新しいお茶ができましたよ。さあ、どうぞ、召し上がれ」


「あの本当に……」


「あら? 私ったらいけない。お茶菓子がもうないわ。救世主様、すみません。すぐ用意しますので」


「いえ、おかまいなく……」


 僕の言葉など全く聞かず包帯の女性はいそいそと着物の左袖を捲った。露わになった腕も包帯でぐるぐるに巻かれていた。


 お茶菓子を用意すると言ったのに一体何をしているのだろうと思えば、彼女はおもむろに腕に巻かれている包帯を解きだした。むき出しになった腕を見て、僕は思わずえずいてしまった。遅れてより強烈な臭気が僕の鼻腔を付く。


 呪須津那蛾じゅずつなぎさんの腕の皮膚は肉が見えるほど腐っていた。腕の肉は黄色く変色していて、その中をモゾモゾと白い幼虫のような物体がいくつも蠢いていた。背筋にこれ以上ない悪寒が走り抜ける。


「救世主様はおいくつ召し上がりますか? 大切に育てた子達なので美味しいですよお」


 僕は驚きおののいて鼻から思いっきり空気を吸ってしまった。至近距離で嗅ぐ彼女の腐敗臭は我慢できないほど耐え難かった。吐き気が臨界点に達する。


「どうなされましたあ?」


 彼女はズイと一歩僕に近づいた。僕は反射的に後ずさる。


「丹精込めて育てたのでおいしいですよお。さあ、遠慮なさらずに」


 彼女は腕の蛆虫を一匹つまみ上げると僕の前に差し出した。


「ほらほらあ~」


「む、無理……」


「毒なんか入ってないから大丈夫ですよお。ほら、見て下さい」


 彼女はつまみ上げた蛆虫を自分の口元へ寄せて、そのままパクリと口に放り込んだ。ゆっくりと美味しそうに咀嚼する。うっとりとした表情に過去最高に鳥肌が立つ。マジ吐きそう。もう限界だ。


「す、すいません……トイレは……」


 包帯の女性はにっこりと満足そうに微笑んだ。


「部屋を出て右に進み、突き当りを左です」


 僕は乱暴に襖を開け、急いでトイレへ向かった。

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