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第23話 呪須津家②

 呪須津じゅずつ家本邸を一言でいうならばお化け屋敷。そう、お化け屋敷だ。


 建物自体はすこぶる立派で、いくつもの平屋を渡り廊下でつなげており、それはまるで平安時代の貴族の住まいである寝殿造のようだった。


 しかしそんな立派な造りであっても、建物の半分は朽ちていて無惨な様相を呈しいる。柱は腐り障子はほとんど破れ屋根の瓦は半分以上ない。傾いている建物もあれば、完全に潰れてしまった渡り廊下もある。


 廃屋と言ってもなんら不思議ではない。むしろここに人が住んでいることが信じられない。ここらの空気のどんよりとした湿っぽさとあわせて、いかにもといった雰囲気である。


 そういえばこの辺一帯不自然に暗く湿度が高い。午前中は曇りで午後から雨の予報であったが、それにしてもここまで薄暗いのはなぜだろう。


「イッヒッヒ。狭いところではございますが、精一杯おもてなしさせていただきます。どうぞ中へ」


「う゛~、あ゛~~!」


 五寸釘の裸の大将が入口の建付けの悪い引き戸を無理にこじ開けた。金属をひっかくような嫌な音がした。


 ギョロ目の老人は僕達を邸内へと誘う。すでに嫌な気配がビンビンとしているが、入るしか選択肢はないのだろうな。


 僕が先頭に立ち、いざ未知なる領域へ足を踏みだそうとしたとき、左の足首を何かに掴まれた。前につんのめり転びそうになる。驚いて足元を見れば、なんと地面から腕が生えていて、それが僕の足首を掴んでいた。


「……っ!」


 声にならない悲鳴を上げる。ここはゾンビもいるのか。


「イッヒッヒ。家人が段差があるので気をつけてくださいと言っています」


 ……確かに玄関の敷居は結構高さがあるけどさあ。


 地面に生えている手はパッと僕の足首を離すと、シュルっと地面に消えていった。家人ということはあれも生きている人なんだろう。地面に潜ってて息できてるのかな。


 僕は呪須津じゅずつ家の嫌がらせにクレームを入れる気にもならず、足元に注意しながら敷居を越えた。また掴まれては嫌だからね。


 鷹司たかし君と千代ちよさんも必要以上に足元、というより地面を警戒しながら敷居をまたいだ。


「「「…………!!」」」


 玄関に入ると強い臭気が漂ってきた。思わず鼻をつまみそうになるが、すんでのところで堪えた。こんな所ではあるがさすがに人様の家でそれは失礼だろう。鷹司君や千代さんの顔が微妙な歪み方をしている。僕も彼らと似たような顔をしているのだろうな。


 臭いはかび臭さと酸っぱいようなすえた臭いと山奥の公衆便所の臭いが混ざったような、とにかく鼻呼吸したくない臭いだ。まあ、口呼吸だって嫌だけれど。こんな空気体内に入れたくない。


 臭いのインパクトのせいで、玄関の片隅にさっきの背中を向けたおじさんの浮遊霊がいることに気づくのが遅れた。いつの間に来たのだろうか。びっくりするから止めてほしい。


 玄関は広い土間でできており、朽ちかけた板の廊下がずっと奥まで続いていた。邸内は薄暗く、床やひび割れてカビだらけの壁には無数の蠢く物体がいた。


「…………!」


 千代さんがめっちゃ驚いてよろめいている。なぜなら嫌われ者の生き物たちがそこかしこにいるからだ。


 ヤモリはまだしも、ゴキブリやでかい蜘蛛、ムカデや走り回るネズミなど、忌避を催す生き物のオンパレードだ。鳥肌が立つのを抑えられない。ゾワゾワが背筋が走り抜ける。


 ふと、袖が軽く引っ張れる感覚がしたので横を見てみると、青い顔をした千代さんが僕の服を摘んでいた。


「あの……」


 いつもは心ここにあらずといった無表情な千代さんであったが、今は露骨に怯えた顔をしていた。


「服に掴まっててもいいよ。なんなら後ろに隠れてても」


 僕は彼女の言いたいことを察知し、先に了解の意思を伝えた。千代さんはコクコクと頷き僕の後ろに隠れた。女の子なんだから、殊更ああいう生き物は嫌いであろうな。男の僕もかんべん願いたいが。それでも千代さんが僕を頼ってくれたので、ここは気張って男らしく振る舞おうではないか。


 僕はチラッと鷹司君を見た。


「何だ?」


「いや、なんでも……」


「気に食わん顔をしているな」


 おっと、ちょっとした優越感が顔にでてしまったか。千代さんが鷹司君ではなく僕を頼ってくれたのが嬉しかったのだ。


「こちら見ての通りだいぶ朽ちております。見苦しく申し訳ないのですが、我が神は不浄を好みますので。まあ、慣れれば居心地のいいものですよ。あ、土足で上がって結構ですよ」


 よかった。こんなところで靴を脱ぎたくないと思っていたから。スリッパだとゴキブリやねずみが這いずり回る床では足元の不潔感をブロックしきれないもん。


「我が家に訪れた皆様はこう言うと揃って安堵した顔をするものです。イッヒッヒ。もちろん素足でも構いませんぞ」


 僕達は当然靴を履いたままお邪魔することにした。ギョロ目の老人を先頭におぞましい生き物たちが行き来する床板をソロソロと慎重に歩く。千代さんは僕の真後ろでシャツの裾を握ってピッタリくっついていた。


 呪須津じゅずつ邸は広く複雑であった。いくつもの廊下を右へ行ったり左へ行ったり、部屋や物置を横切ったり中庭を中継したりと、ギョロ目の老人は複雑怪奇に奥へ奥へと進んでいく。まるで容易に逃げられないように迷路の奥へと誘っているようだ。


 ちなみに角を曲がるたびに浮遊霊の背中おじさんがいるのにはいちいち驚いた。まあ、害はなさそうだからいいけど。そういう霊なのかな。


「あ……」


 千代さんがか細い声で悲鳴を上げた。彼女の視線の先、廊下の隅でとんでもなくでかいムカデがネズミを捕らえむしゃむしゃと食べている。ネズミはムカデに蛇のように絡め取られて下半身を食べられていた。ネズミはまだ生きているようで、ピクピクと痙攣している。


 ……あんな大きなムカデは映画の中でしか見たことないよ。


 体長は一メートル以上ありそうだ。噛まれたら大変なことになるぞ……こんな恐ろしいムカデが日本にいるなんてちょっと信じられない。


 千代さんが後ろからグイグイと僕の背中を押した。一刻も早くあれから遠ざかりたい意思を感じる。僕も同じ気持ちだよ。


 その後もギョロ目の老人の後を付いて行き、迷路のような屋敷を10分ほど彷徨った。さっき見たような場所も何度か通ったような気がするので、やっぱりわざと僕達を迷わせるように動いているんじゃないだろうか。もう方向感覚が全く分からなくなってしまった。


 吐き気のする臭いや虫などの気持ちの悪い生き物に苦しめられ、やっとのことで呪須津じゅずつ家の当主が止まった。そこは純和風のお化け屋敷に似つかわしくない小洒落た洋風のドアがある場所だった。


「お疲れ様でございました。こちらゲストルームとなっております」


 ギョロ目の老人がドアを開き僕達を中へと招いた。中はドアの意匠と同じような洋風の部屋であり、壁紙も床も調度品も何もかもきれいで新品のようにピカピカしている。空気清浄機が何台かあってシュゴーという音を立ててフル稼働しているので、この部屋は呪須津じゅずつ家の臭いがかなり薄まっていた。


「ふん、マシな部屋もあるのだな」


 鷹司たかし君が嫌味たっぷりにそう言った。彼の言う通りこの部屋だけはごく普通の客間だ。6畳ほどで広くはないが高級そうな革張りのソファにシックなガラスのテーブル、観葉植物に壁には印象派のような絵画が掛けられている。


 ドアの向こうとは全く別の空間であり、すごく落ち着く素敵な部屋だ。ああ、普通ってなんて素晴らしいんだろう。


 こんな部屋を用意しているとは、呪須津じゅずつ家も多少の常識は持ち合わせているようだ。ただ屋敷の奥まった場所ではなく、玄関の近くに配置してほしかったが。


「イッヒッヒ。気に入っていただけたようで何よりです。呪須津家一同、頑張ってリフォームした甲斐がありました」


「……ここってあなた方が一から改装したということですか?」


「ええ、ええ、その通りでございます。何分、業者に頼んでも皆屋敷に辿り着く前に逃げ出してしまうので。家の修繕も改装も家人でやるしかないのですよ。おかげさまで、呪須津の者はDIYが得意であります。イッヒッヒ」


 意外な特技だ。おばけのような人達がせっせと修繕作業をしている姿はちょっと想像できないけど。っていうかここ以外、荒れたままになっているけど、そちらは直さないのかな。ぜひとも直してほしい。


「そんなことより呪須津じゅずつの当主よ、俺達をここへ呼んだ理由を聞かせてもらおうか」


 イライラした口調で鷹司君が尋ねた。彼も呪須津家の領域は不快だったようで、いつにもまして不機嫌そうだった。まあ、呼ばれたのは僕だけだったけど。


「大した理由ではありません。御園小路みそのこうじにも伝えました通り、救世主であられます野丸のまる様にぜひともご挨拶をと思った次第であります。それから我が家のおもてなしを存分に味わっていただこうと……」


「そんなものは建前だろう。何か重大な用件があるはずだ」


「イッヒッヒ。鷹司様のそのせっかちなところ、お父様によく似ておられますな。しかしお父様はもっと泰然としておられましたぞ」


「親父のことは今は関係ない。こちらも忙しいのだ。俺達を呼んだ理由を聞かせていただこう」


 鷹司君は他家の当主であっても臆するところなく、ぐいぐいと急き立てた。彼も五八千子いやちこちゃんの予言を重く見ているので、焦っているのだろう。


 光子さんの言う通り呪須津じゅずつ家が敵でないのなら、僕達はこの家に何か面倒な事態が起こっており、それが五八千子ちゃんの言う凶事に関係しているのではないかと推測した。そんなわけだから、彼らが僕を呼んだ真の目的を早く知りたいと思うのは僕も同じだし、千代さんもそう思っているだろう。


 そしてやることをやって、さっさと呪須津家からおさらばしたい。


「イッヒッヒ。確かに野丸様には伝えなくてはならない大事なお話があります。しかし、皆様方を歓待したいという気持ちも本当です。せっかく遠方から来ていただいたのですから、まずは我が家でお寛ぎ下さい。急ぐお気持ちは分かりますが、急いては事を仕損じるというではありませんか」


 鷹司君は苦々しい顔をしていてはなはだ不本意そうだが、黙って老人の意に沿うようにしたようだ。僕もそれがいいと思う。


 碌でもないところではあるが、表立って歓迎してくれているのに無碍に断るわけにはいかないし、何よりそんなことをしたらとんでもない嫌がらせを受けそうだ。ここは耐えるしかない。


「イッヒッヒ。ありがとうございます。皆様方に喜んでもらえるように精一杯おもてなしさせていただきますぞ。今準備をしておりますから、しばらくお待ちくだされ」


 ギョロ目の老人はにっこりと純度100%の善意を湛えた笑顔でそう言った。本当に嬉しそうで悪意など微塵も感じられないが、とても不安になるのはなぜだろう。


 それから当主と雑談をして5分ほど経ったところでドアがノックされた。失礼しますという女性の声がすると、ドアが少し開かれた。そこからヌッと不気味な女性の顔がでてきた。


「伯父様、準備が整いました」


 ドアから顔をのぞかせた女性は何とも言えない雰囲気であった。年の頃は中年であろうか、おかめのような下膨れた輪郭に太い眉、白粉おしろいのように顔には真っ白な化粧と真っ赤な口紅がセンスがなく、何となく芋っぽい。


 例えるなら、昭和の場末のスナックのホステスといったところであろうか。実際に見たことないので完全なイメージであるが。


「ご苦労。野丸様、どうぞこちらへ」


 ギョロ目の老人は僕に外へ出るように促した。どうやら呪須津じゅずつ家のおもてなしとやらは別の場所で行われるらしい。嫌だな、ここから出たくない。


 僕達は嫌々立ち上がった。不気味な芋っぽい女性と目が合うと、彼女はニヤリと微笑んでみせた。何だかものすごく不安を掻き立てる笑顔だ。聖子さんの比ではないくらい怖い。


「おっと、鷹司様と千代様はもうしばらくお待ち下さい。皆様は一人一人丁重におもてなし致しますので、まずは野丸様だけこちらにどうぞ」


 ちょっと待って。聞いてないんだけど。


 まさかの分断工作に警戒心が一気に高まる。三人一緒がいいんですけど。


 千代さんは動揺が隠せないほど絶望的な表情をしているし、鷹司君も深く眉間にシワを寄せている。


「さあさあ、時間がもったいないのでどうぞこちらへ」


 ギョロ目の老人は僕の背中を押した。ちょっとだけ抵抗してその場で踏ん張ってみたが、この老人、見た目よりも力がありグイグイとドアの方へ押しやられた。女性の顔が至近距離にある。やっぱり不気味だ。


 ドアが完全に開かれると、抵抗虚しく僕は部屋の外へ押し出された。お化け屋敷に逆戻りである。そして、昭和の場末のホステスのような女性の全体像が露わになると僕は驚いた。


わたくしが案内致します。どうぞよろしくお願いしますね、救世主様」


 そう言った女性の首はめっちゃ長かった。最初見たとき、一瞬生首が浮かんでいるかと思った。廊下のはるか後方に胴体があり、そこから長い首がデロデロと伸びていた。これはろくろ首ってやつだ。


「ふふふ、救世主様は男前でいらっしゃいますのね。私、年甲斐もなくときめいてしまいました」


 ろくろ首は艶っぽい視線で僕の全身を舐め回すように見た。


「私、まだ未婚でしてよ」


 気のせいか、ろくろ首は恥じらっているように感じた。頬に朱が差しているのはきっと化粧に違いない。そう思いたい。

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