第18話 蛇腹杉②
蛇腹杉への道は山道であった。登山道のようにある程度整備された道ではなく、本当に山の中を草木を分け入って進む感じである。獣道のようなところも歩くのだが、それすらない草が生い茂る未踏の地がほとんどだった。
なんでも、蛇腹杉へ行かせないために、あえて道を整えていないのだそうだ。宮司さん達関係者にしか分からない目印があるそうで、何も知らない人が蛇腹杉を目指したら遭難必至である。
険しい山道を探検隊よろしく突き進み、30分くらいは歩いただろうか、視界の先に注連縄が張ってあるのが見えた。等間隔で木々と木々の間を垂れている縄は、どこまでも続いていて相当な範囲を囲っているようだった。
「この先にあります」
宮司さんは注連縄を片手で上げるとその下を潜った。僕達もその後に続く。注連縄の先はジメッとしていて、湿度が急激に増したような不快感がある。僕達はまた数分ほど歩くと、今度は少し開けた場所に出た。その中央に根本までパックリと割れて、左右に倒れている太く大きな木があった。
「アレが蛇腹杉です」
宮司さんも割れた蛇腹杉を見るのは初めてらしく、顔が青ざめていた。割れた杉には横の線がいくつも均等に刻まれており、確かに蛇の腹っぽく見える。
「落雷でもあったんでしょうか?」
「いえ、そんなことありまへん。前回の巡回のときは、蛇腹杉はいつも通りでしたし、それから今日まで、雷が鳴るような荒天はありませんでしたわ」
ということはやはりこれは自然現象ではなく、何かしらの超常的な問題が起こったということか。それが蛇腹杉自身によるものなのか、外部からの力によるものなのか……。
今更ながら気がついたが、僕は浄化は得意だけど怪異の知識は素人同然だから、こういった調査には向かないよな。ここまで来て適当に済ませるわけにはいかないし、ここは鷹司君頼みだな。
僕は調査の主導権を鷹司君に譲ることに決めた。そんな僕の思惑を知ってか知らずか、鷹司君は勝手にスタスタと割れた蛇腹杉の下へ歩いていった。やる気満々だ。その調子で事の真相を解明しておくれ。
僕は僕で彼にだけ任せて何もしないのはきまりが悪いので、とりあえず蛇腹杉の写真を取っておくことにした。こんな気持ち悪いモノの写真をスマホに保存して置きたくないが、仕方がないだろう。御園小路なり霊管なりにデータを渡したらすぐに消去だ。
「これを見てみろ」
まずは一枚、全体像を撮るためスマホを横向きにしたら、鷹司君から声が掛かった。彼は何かを持っている。
「……もしかして藁人形?」
「恐らくな」
鷹司君が手に持っているのは、焼け焦げたような黒ずんだ藁人形と思しき物だった。サイズは普通の藁人形よりも大きく、片手でなんとか持てるほどだ。形は頭部と胴体が太く、手足は短い。普通の藁人形ではないことは明らかだった。
「こないなもんがあるなんて、知らんかったわ。誰か蛇腹杉に呼ばれたんか……」
「まさかこれが原因?」
「さあな。これだけでは何とも言えない。それほど強い呪物には見えないが……」
「そもそも、蛇腹杉と藁人形は相性がええさかい、こんなことにはならんはずやが……」
「……これって誰かが打ち付けたってことだよね?」
「周りにそれらしき死体はなかったな。人間がやったとすれば運良く生き延びたんだろう。もう少し詳しく調べてみる必要があるな」
「私は誰か倒れてたら大変ですから。この辺りをもう少し調べてみますわ」
鷹司君は黒焦げの藁人形を丹念に調べ始めた。よくこんな気味悪いものを素手で持てるな。人形の方は鷹司君に任せて僕は撮影を再開することにした。
2つに割れて左右に倒れた蛇腹杉を様々な角度から撮っていく。切り口は刃物で一刀されたというよりも、無理矢理裂かれたかのような荒々しさで、こちらも藁人形と同じく黒く焦げていた。やっぱり雷でも落ちたんじゃないだろうか。
数十枚ほど写真を撮り、もう十分だろうというところで鷹司君が小さい声で呟いた。
「……そういうことか」
「どうしたの?」
「原因が分かった」
僕と宮司さんは顔を見合わせ、鷹司君の下まで寄った。本当に真相を究明できたのだろうか。だとしたらすごいぞ鷹司君。
彼は神妙な面持ちで手に持っていた藁人形を僕に見せた。人形は顔の真ん中辺りを四角く切り取ったみたいに空洞になっている。
「中にこれが入っていた」
そう言って人形とは反対の手に持っていたものを僕に見せた。彼の手には顔写真が数枚、そして折り目のついた細長い紙が一枚あった。それを見て僕は絶句した。
「どうやらこの藁人形の持ち主は、蛇腹杉を使って零源五八千子を呪い殺したかったようだな」
「…………」
顔写真は証明写真サイズの大きさで、様々な角度から写している。いずれも望遠レンズで遠くから盗撮したみたいだ。何回かに折られた御札のような紙には、零源五八千子と書いてある。
これは一体どういうことだ……? なぜ五八千子ちゃんが誰かに呪われねばならないのか……。
「つまり、藁人形も蛇腹杉も零源五八千子の呪いに返り討ちにされたというわけだ」
「……どういうこと?」
五八千子ちゃんが標的になったことはさておき、蛇腹杉がああなった理屈がよく分からない。
「分からないのか?」
「説明してもらえる?」
鷹司君はヤレヤレといいたげに大げさにため息を付いた。しかし少し前までみたいに心底バカにしたような雰囲気は感じられなかった。
「まず、呪いというのは強力な負の感情が根幹にあり、極めて強い執着と怨念がなければ成り立たない。正当な理由があるにしろ利己的な理由であるにしろ、対象を憎いと思い、死ぬまで恨むことを止めない場合が多い」
僕は素直に頷いた。
「絶対に自らの手で殺すという強い意志がある。では、1人の人間に別々の呪いが掛けられた場合、どうなると思う?」
「……2つの呪いに同時に侵されるとか? もしくは合体してより強力な呪いになるとかかな?」
一つだけでも嫌なのに2つ以上の呪いに侵されるなんて、想像しただけでも嫌だ。
「違う。先ほど説明したとおり、呪う側は自分の手で殺すことにひどくこだわる。獲物を横取りしようとする相手がいれば、そいつは排除の対象となる。つまり呪い同士が衝突しどちらかが消えるまで、お互い潰し合うことになる。この場合、当然強い方の呪いが勝つ」
彼の説明を聞いて思い起こすのは、五八千子ちゃんに憑いた人形の呪いだ。堕ちた神が零源の巫女を呪ってできたおぞましい代物だ。
「零源家にかけられた呪いはこの世で最も強いと聞く。ならば蛇腹杉やこの藁人形は零源五八千子を呪おうとして反撃に合い、こうなってしまったというわけだ」
鷹司君が顎で無惨に2つに割れた蛇腹杉を指した。
「零源家の呪いというのは厄介なものだな。逆に言えば世界で一番強い故、他の呪いからは守ってくれるというわけだ。呪われた本人にとっては、なんの慰めにもならんがな」
事の真相は分かったが、事態は深刻だ。彼の説明が事実なら五八千子ちゃん自身にはなんの影響もないはずだが、彼女を呪おうとした人間がいるということだ。いや、人間でないかもしれない。どちらにせよ、彼女に害を為さんとする何かがいるという可能性が高い。
「五八千子ちゃんに呪いをかけようとした人は何で無事なんだろう。この藁人形がひとりでに動いて呪おうとしたのかな?」
もしくは遠隔操作で離れた場所から藁人形を操っていたとか。
「そこまでは分からん。だがすぐに霊管に報告したほうがいいだろう。失敗したが何者かが零源五八千子を殺そうとしたのだからな。その前に零源五八千子の安否の確認だな」
僕は鷹司君の言う通り、天女ちゃんへと電話をかけた。心配させないようにそれとなく聞けば、何も問題はなく楽しくやっていると元気な返事がきた。五八千子ちゃんの方は大丈夫そうだ。
電話を切ると、すぐにおじさんへ連絡した。一部始終を話し終えた後、おじさんは深刻な事態だと捉え、すぐに対応すると言っていた。藁人形の写真も撮り、蛇腹杉のデータと一緒にまとめて送った。
念の為、蛇腹杉と藁人形に浄化玉を打ち込む。これでこれらはもう安全といっていいだろう。急を要するので藁人形とその中に入っていた五八千子ちゃんの写真は宅配便で送るように要請された。
山を降りると僕達はすぐにタクシーで帰路に着く。藁人形の配送は宮司さんにすべてお願いした。
何かが起こりそうだと、このときすでに確信に近い予感がした。
御園小路家に着いたのはもうほとんど日が落ちかけた頃で、ちょうど観光に行っていた破魔子ちゃん達女子高生組と邸宅前でばったりと鉢合わせた。
「あ! カミヒトさん!」
天女ちゃんが元気よく僕の下へやってきて、お腹のビールっ腹もといクロイモちゃんをさすった。天女ちゃんは無事を確かめるかのように優しくなでる。
「ふふふ、お疲れ様です。今日もお仕事ですか?」
白いワンピースを清楚に着こなしていた五八千子ちゃんが機嫌よく挨拶した。上品でたおやかな雰囲気はお嬢様というにふさわしい。直に元気そうな彼女を見ると心の不安がいくらか和らいだ。
彼女の背後、数メートルほど離れた場所に佇んでいる人形の呪いをみやる。白装束に長い縮れ毛を垂らし俯いている。堕ちた神の呪いであるというコレには、現在進行系で悩まされているが、蛇腹杉の呪いを跳ね返したのは悔しいがグッジョブと言わざるを得ない。それでもやっぱり、コレがいない方がずっと良いに決まってる。呪いを見ていると、ふと違和感を覚えた。
距離が縮まっていないか……。
今朝方見たときより、少し五八千子ちゃんに近づいている気がする。僕はそんなはずない、気のせいだと、自分に言い聞かせるように心の中で否定した。呪いは急に僕の方に顔を向けると、頭を上げ前髪で見えなかった顔が露わになった。
あの特徴的な瞳、爬虫類のような細長い瞳孔がクロスして十字架を作っているおぞましい瞳と目があった。人形の呪いは口の端を大きく広げ僕を嘲笑った。まるで挑発されているかのように感じた。ここで堕ちた神の呪いの負のオーラが増していることに気がつく。認めたくないが、恐らく距離が縮まっているのも気のせいではないだろう。“伝説のさといも”の効力を少し打ち消している。
この状況から僕はある仮説を思いついて戦慄した。真っ二つに裂けた蛇腹杉と黒焦げになった特殊な藁人形……。
堕ちた神の呪いは、この2つの怪異を喰らったのではないかと。五八千子ちゃんを呪うように仕向けたのも堕ちた神ではないかと……。
「大丈夫ですか?」
五八千子ちゃんがいつの間にか僕の顔を覗き込み、心配そうにしていた。
「顔色が悪いぞ」
鷹司君からも気遣われた。
「……大丈夫」
口の中が渇いていた。手には汗が滲んでいる。ハクダ様は堕ちた神は復活を目論んでいると言っていたが、僕はまだ先のことだろうと多少楽観していた。しかし、事態は思ったよりも悪い方向に進行しているのだと、認識せざるを得なかった。
「ごめん、ちょっと龍彦さんに用事があるから僕は先に部屋に行ってるね」
僕はおじさんに伝えるべく、自分の部屋へと向かった。