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第16話 蛇女②

 紫雨章介しぐれしょうすけは早足で指定された場所へと急いでいた。GWが始まったばかりの街中は浮かれたように賑やかだった。だが、紫雨の心は世間とは全く逆の陰鬱さが支配していた。


 何かに追われているかのように、辺りを異常なほど警戒して怯えながら進む紫雨の様子は、まるで警察から逃げる指名手配犯のようだ。特に角を曲がるときや物陰の多い場所を通る場合など、病的なまでに慎重だった。


 神経を減らしながらやっと着いた所はある喫茶店だった。都内の繁華街の裏路地にひっそりと営業しているそこは、個人が経営しているような、こじんまりとしているレトロな雰囲気の店だった。


 紫雨は恐る恐る喫茶店へと入ると、一番奥まった席に目的の少女を見つけた。店内には彼女以外誰もいない。少女の姿を見ると恐ろしいようなホッとしたような複雑な感情がこみ上げてくる。少女は優雅に本を読みながら時折、ティーカップに口を付けていた。


 紫雨が少女の席へ歩み寄ると、美しい少女は本から顔を上げ紫雨を一瞥すると嘲笑った。


「あらあら。ずいぶんと醜いモノに取り憑かれたようで。私の思ったとおり、やはりあなたは()()()()()()のね。ふふ、それにしても醜いですわ。下賤な者は下賤な怪異に好かれるのですね。お似合いですわよ」


「……分かるのか?」


 いきなりの侮蔑の言葉に、普段の紫雨なら突っかかって文句を言っていたが、今はそのような心の余裕も時間もない。淡々と必要なことだけを言うように努めた。


「ええ、もちろん。下半身が蛇の醜い女の化生でしょう? あなたのすぐ後ろに憑いていましたから」


 紫雨は心臓が止まったかと思うほど顔が真っ青になった。()()恐ろしい怪異が、ここ数日自分を恐怖におとしいれた()()()がもうそこまで近づいているのかと、生きた心地がしなかった。振り向いて確認したい衝動が沸き起こったが、体が痙攣して動いてくれない。それほどまでに紫雨は蛇女くるめを恐れていた。


 気の毒なほど怯える紫雨を見て、嶽冷華たけれいかは冷笑した。


「心配なさらなくても、ここには入ってこれませんわ。いつまでも突っ立っていないで座ったらいかが? 注文は何になさいます?」


 紫雨はぎこちなく嶽冷華の対面に座った。すぐにマスターと思われる老年の男性がおしぼりと水を持ってきた。


「……コーヒーで」


 マスターは恭しく一礼するとすぐにカウンターに戻った。紫雨はカラカラになった喉を潤すため一息に水をあおる。


「それでは、詳しく教えて下さいますか?」


「……ああ」


 紫雨は5日前の晩に、同じ編集部の先輩である岩代いわしろから呪いを移されたことから話し始めた。


 あの恐ろしい晩から一夜明けると、紫雨は近藤のことなどはすっかり忘れ、すぐ会社へ向かった。PCを立ち上げ、社内共有フォルダを開くと、岩代の担当している蛇女くるめのファイルを探し出し急いで目を通した。


 そのテキストデータによると、蛇女は東北のとある地方でひっそりと受け継がれる民間伝承で、蛇女を鎮めるためある儀式が今も行われているとのことだった。この伝承はどれほど前か分からないが、かなり昔の話であった。


 くるめは人間だった頃、愛した人がいたが、その人には許嫁がいて叶わぬ恋をしていた。ある日、その愛しい人が許嫁に薄紅梅を渡しているところをみて、妬む気持ちが抑えられなくなり、呪法に手を出してしまった。嫉妬に狂わされたくるめは相手の女を蛇の呪いで殺すことに成功した。


 許嫁の無惨な亡骸を見て男は嘆き苦しみ、許嫁を呪い殺した者がくるめだと知ると、刀でくるめの胴体を真っ二つにした。しかし、くるめの魂は死してなお男を思い、蛇の呪いで化け物となった。それからこの地方では夫婦や男女のカップルが標的とされる謎の怪事件が頻発した。


 女は殺され、男は山に連れて行かれそれきり帰ってこないという。蛇女くるめの祟りだと恐れた村人は、ある霊媒師に対策を講じてもらった。


 蛇女の魂はおぞましい怪異となっても、男が女に渡した薄紅梅に執着している。それを利用し呪術によって蛇女を引き付け、殺される前に次の者へと呪い(くるめ)を移すというものだ。


 その方法は、特別な和紙に呪わせる対象の名前を書き、対象の血判を名前の上にに押して、対象の髪と薄紅梅をその和紙で包むと蛇女の呪いを移せるというものだ。


 蛇女くるめに魅入られると7日で死ぬ。なので6日目で他の男に呪い(くるめ)を移し、近隣の集落を含めた共同体で、グルグルと呪いを巡らせていた。これがその地方では今も続いているということが、岩代のファイルに書いてあった。


 紫雨しぐれ岩代いわしろがここを訪れたとき、騙されたのか浅はかな好奇心のせいか、この地方の人達から呪いを移されたのだと推測した。ならば、呪いを移動させる方法はここへ行けば分かるはずだ。


 だが肝心な詳細な場所が記されていないので、紫雨はそこに行くことができない。紫雨は岩代が場所を故意に消したと考え、癇癪かんしゃくを起こした。


 ここまで少女は聞くと、面白そうにクスクスと笑った。


「なんて愚かなんでしょう! 死してなお、何百年も経っても男を追いかけ続けるとは。無様にも程がありますわ。これほど滑稽な話は、わたくし、知らなくてよ」


 何がおかしいのかと、紫雨はこの美しく冷徹な少女が自分と同じ人間とは思われなかった。感性が違うとかいう問題ではない。生きている世界が全く違うのだ。少女はアレが見えていても余裕だ。自分はこの怪異にここ数日間、嫌というほど苦しめられたのに。




 最初は電話口から蛇女くるめの声が聞こえるだけだった。自分のスマホは壊したが、会社の電話からもかかってきた時は、心臓が口から飛び出るかと思った。しかし、声だけならまだ正気を保てた。気が狂いそうになったのは呪いを移されて3日目からである。


 お祓いをしに神社仏閣を巡っても大した成果はなく、夜遅く帰って来てコンビニで買った弁当を食べていると、チャイムが鳴った。すでに疑心暗鬼になっていた紫雨は、居留守を決め込みじっと居間に佇んでいたが、チャイムは断続的に鳴り一向に止まない。


 このままでは拉致があかないので、意を決した紫雨は音を立てないように、モニター付きのインターホンを見た。しかし、そこには誰もいない。それでも鳴り続ける音に、紫雨はこれは蛇女くるめが来たと恐怖で固まった。


 するとドア越しにまたあの声が聞こえる。


「愛しい、ヒト、は、ドコジャロカ?」


 ドンドンと叩くドアの音。不気味な声。それがいつまでも続いた。紫雨しぐれは耳を塞ぎうずくまる。それでも止まない。なるべくこの声から遠ざかりたいと、紫雨はドアとは反対側の窓へ移動しようとした。その際、ちらとモニターを見てしまった。


 上半身が裸で下半身が蛇の異形の何かが映っていた。長いざんばら髪に土気色の肌醜い顔、そして爬虫類のような瞳孔をした目と視線があってしまった。ソレはニヤリと笑うとモニター越しに言った。


「愛しいヒト、ミツカッタ」


 紫雨はその場で気を失った。気がつくと窓から日が差し込んでおり朝を迎えていた。紫雨のそばにはオフィスに置きっぱなしにしてあったはずである、あの梅の枝が指してある和紙の封筒があった。


 夢ではなかったと絶望した。それでも確かめられずにはいられず、ビクビクしながらモニターをみるとそこには何もいなかった。ホッとしつつ一応ドアスコープから直接見てみようと、動悸のする胸を抑えながら慎重に穴を覗き込んだ。


 縦長の瞳孔がこちらを覗き込んでいた。


「イトシイ、ヒトは、ココジャッタ」


 ドアノブがガチャガチャと激しく上下に動いた。蛇女くるめはずっとそこにいたのだ。


 紫雨は心臓が止まるかと思い、慌てて財布とカバンを取ると、急いで窓に向かい3階から飛び降りた。幸いにも下は土であるので足がしびれただけで、怪我はなかった。全力で走って駅へと向かった。


 その後は寺という寺、神社という神社を巡り、お祓いをしてもらったが何の効果もなかった。場所によっては、うちでは無理だと追い返された。無駄であると分かっていても、家にいるよりはマシだと何社も渡り歩いた。


 しかし、移動している途中、蛇女くるめの影が紫雨に付きまとった。ちょっとした隙間に、鏡に、草葉の陰に、人混みの間に、蛇女の顔がニヤニヤと紫雨を見据えていた。


 紫雨は蛇女から逃げるように昼も夜も移動した。昼は神社をめぐり、夜は繁華街やファミレスなど人がいる場所を選んだ。それでも蛇女の気配が付きまとった。時間が経つごとに自分に近づいている。


 そんな逃亡劇のような生活を2日も続けると、睡眠不足もたたって心身ともに限界が近づきつつあった。この頃になると蛇女くるめは数メートルまで紫雨に近づいていた。


 もう無理だと、紫雨は財布の中に入っている名刺を取り出した。


 ――たけ 冷華れいか――


 二度と関わりたくない相手であったが、もうこの少女しか縋るものがない。紫雨は公衆電話を使って嶽冷華に連絡した。




 紫雨しぐれはこの場に来るまでの悲惨で恐ろしい体験を、夢中で一気に話した。せきを切ったように今の窮状を冷華に訴えた。誰でもいいから助けてほしい。そんな紫雨の必死な願いがこもった顔を、冷華は冷ややかに眺めていた。


「……それで、どうにかなるのか?」


「当然ですわ」


 あっさり言いのけた冷酷な少女を、紫雨はこのとき初めて女神の様に思えた。しかし、実際的な問題が紫雨の心を再び暗くさせた。


「……いくらだ」


 これほど力のある霊能力者であれば、その依頼金も多額になるだろう。払える金額でなければあの怪異に殺される。紫雨は暗澹たる気持ちで尋ねたが、返ってきた答えは意外なものであった。


「お金は要りません。無料で除霊して差し上げますわ」


「本当か!? ……いや、金以外に何か対価が必要なんだろう?」


 一瞬喜んだ紫雨だったが、タダより高いものはない。紫雨は金以外で何を要求されるのかと、恐る恐る尋ねた。


「あなたのような下賤な男から頂きたい物は何もありません。我が神は()()()()怪異を滅殺せよと仰せられました。下僕である身としてはこれを忠実にこなすのみです」


 時間がないからと、嶽冷華はこれから除霊を行うため、紫雨に今から自身の家に来るようにと命令した。紫雨はこれで助かると安堵すると、心に余裕ができたためか、後輩である近藤の顔を思い出した。


 近藤も恐らく、自分と同じ怪異絡みの大変な目にあっている。ついでとばかりに紫雨は少女に後輩についても相談することにした。


「実は俺の後輩に近藤という女がいるんだが……」


 少女は無表情で紫雨の話を聞いていた。興味があるのかないのか、面倒くさいのかそうでないのか、その顔からは全く読み取れない。


白星降はくせいふる村ですか……。聞いたことありませんわね。少し待ってください。今、親族から心当りがないか聞いてみますから」


 少女は席を立つと喫茶店の外へ出た。紫雨は窓越しにスマホで会話をする少女を眺めた。この少女を恐ろしいと思う気持ちはあるが、今はそれより頼もしさが勝っている。


 どうにかなりそうだと、ここ数日に自身の中を埋め尽くしていた恐怖や焦燥が薄れていく。同時に忘れていた怒りがこみ上げてきた。岩代いわしろの顔が紫雨の脳裏に浮かんだ。


 あのクソ野郎、絶対に許さねえ。


 紫雨は探偵でも何でも雇って、必ず岩代を見つけて気の済むまで殴ってやると決めた。こんな洒落にならない呪いを憑けたのだ、半殺しにされても文句は言えまい。


 そんなことを考えていると、話が終わったのか嶽冷華たけれいかが店内へ戻ってきた。


「今から京都へ行きますわよ」


 開口一番、有無を言わさぬ唐突な命令に紫雨は面食らった。


「ちょっと待ってくれ! まずは俺の呪いをどうにかしてくれよ!」


 近藤も心配だが、いちばん大事なのは自分の身だ。とにかく、この気持ちの悪い蛇の怨霊を早く除霊してほしかった。近藤のことはその後だ。


 少女は面倒くさそうに説明した。


「家人によると、元白星降(はくせいふる)村の住人達は除霊を生業にして生計を立てているようなのです。しかし被害者の弱みに付け込み、莫大な除霊料を取っていて、人のためというよりも金銭のために除霊を行っているような意地汚い人達らしいのです。ですが、その力は本物らしいので西の御三家や霊管も黙認している状態なのですわ」


「よく分からないが、それが俺の除霊を先送りにするのとどう関係があるんだ?」


「問題にしていないといっても、怪しい箇所はいくつもあるのですよ。例えばお祓いに人間にえを使用している疑いがあるとか。霊管も念の為、何度か接触を試みたらしいのですが、この守銭奴しゅせんど達は警戒心が強く、同業者と分かると全く話を聞かずに拒絶するらしいのです。だから普通に彼らに接触しても、のらりくらりと躱されてしまうでしょう。ですから()()()()()()()()()()近づく必要があるのです」


 紫雨はそこまで言われて少女が何をするつもりなのか理解できた。つまり、その白星降はくせいふる村の連中に蛇女くるめのお祓いを依頼して、潜入調査をしようというのだ。だが、猶予が後一日しかない紫雨としては冷華に一刻も早く除霊をしてほしかった。


「こっちはもう時間がないんだよ! とにかく俺の方をどうにかしてくれ! 近藤のことは後で考えればいいだろ!」


「あらあら。後輩に危険が迫っているかもしれないのに、ご自分のことしか考えていないのですか。全く、浅ましい男ですわ。心配なさらなくても、いざとなれば私がどうにかします。ですからあなたは私の言う通りに動けばいいのですよ」


「……本当だろうな?」


「ええ、もちろん。約束いたしますわ」


 少女の声色には如実に蔑視の色があった。だが、いくら蔑まれようとも紫雨は自分が第一なのだ。自分の安全を保証してくれるのであれば無礼は許してやろうと、紫雨は心の中で強がった。

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