第15話 蛇女①
「ああ、クソ!」
紫雨は苛立っていた。先日の地鎮祭で起こった出来事を記事にしようと頑張ってみたが、どうにもうまくまとまらない。何度も何度も書き直してみたものの、一向に満足のいく記事が書けなかった。それというのも、先日のあの冷徹な少女が行った除霊は、あまりにも現実離れしていたからだ。
刀の刃で作った結界の中に閉じ込められた幾百という亡者がワラワラとひしめき合い、それを女子高生と思しき美少女が不思議な炎で冷酷に焼き払った。どう考えても創作でありこれを実話怪談として載せるには無理がある。
ボツにするしかない……。
しかし紫雨はあの胸糞悪い体験を誰かに吐き出したかった。現幽には載せられないが、どこかに創作として応募してみようか、それともいっそヒトコワとしてネットに書き込んでみようか。そんなことを考えていたが、頭を振り、やはりあの出来事は世に出すべきでないと諦めた。
さて、そうなると次のネタを探さなければならない。それに加えて、柏崎が急にいなくなり、本来なら編集長がやるべきことを丸投げされたのだかたまったものではない。何度も連絡を試みたのだが、まるっきり返事がなかった。
また意識不明になり、今度こそくたばったんじゃないか。心の中で無責任な編集長を詰った。
「チッ……!」
紫雨は屋外に出るとタバコを吸いはじめた。スマホを確認する。近藤から連絡はなかった。昨日、取材の進捗状況をメッセージングアプリで尋ねたのだが、ずっと返答がない。近藤はずさんな自分とは違い几帳面で、上司や先輩から連絡があればすぐに返事をする。
他の連中のことなどどうでもいいが、近藤は後輩であるし一応女であるので紫雨も彼女の安否は気に掛かった。自身があのようなおぞましい体験した後とあっては、何か嫌な想像をしてしまう。
タバコを床に落とし雑に靴で踏むと、紫雨は編集室へと戻った。自席につくとPCで社内共有フォルダを開く。編集部6人分のサブフォルダがそれぞれあり、紫雨は近藤うるりというフォルダを開いた。
そこには近藤が今まで担当した記事に関するファイルやデータがきっちり整理されていた。紫雨はさらに白巫女伝説というファイルを開いた。そのテキストデータには白巫女伝説のあらましが書いてある。紫雨は一通り読むとひとり呟いた。
「白星降村か……」
白星降村は合併により消滅して地図にその名前は載っていないようだが、幸いにも近藤が取材に訪れる場所の住所は詳しく書いてあった。紫雨はしばし思案して、この白星降村へと行ってみようと決めた。やるべきことは山程あるが、さすがに近藤が心配だ。このままでは仕事に集中できないだろう。他の連中だったら全く気にしないのだが。
早速明日行こうと経路を調べていると、オフィスのドアが開いた。入ってきたのは先輩である岩代だった。
「…………うーっす」
「あれ? 紫雨だけ? 山田は?」
「今日は見てないっすね。今は俺だけっすよ」
紫雨は目線を画面に向けたまま適当に返事をした。岩代はそんな後輩の無礼を気にもとめずに山田に電話をかけた。
それから二人しかいないオフィスでお互い会話せず黙々と自分の仕事をした。定時間際になって紫雨が帰りの準備をしていると、岩代がデスクの前にやってきて、紫雨と目を合わせず遠慮がちに言った。
「なあ、紫雨。これからちょっと飲みに行かないか?」
「いや、ほんとに、流石の俺でも肝が冷えましたよ」
現幽編集部近くの居酒屋で、紫雨と岩代は飲んでいた。岩代に飲み誘われるのは初めてで、それまで2人でサシで飲んだことはなかった。
紫雨は山田や岩代とは折り合いが悪く、仕事中でも必要最低限のやり取りしかしない。陰キャのような2人を紫雨は言葉にこそ出さないが見下していたし、山田や岩代もそんな紫雨の態度を敏感に察して互いに嫌厭していた。
そういうわけだから、岩代から誘われたとき紫雨はどういう腹づもりだと訝しんだ。しかし、紫雨も例の地鎮祭で起きたことを誰かに話したくて、この心のわだかまりを吐き出す相手には岩代はちょうどよかったので了承した。
最初はお互いぎこちなかったが、酒を飲んで話してみると、岩代は思いのほか聞き上手であったので紫雨は饒舌になっていった。あのとき感じたことをペラペラとしゃべる。岩代は相槌を打ちながら真剣に聞いてくれた。
「大変だったんだな。運が悪かったとしか言えないな。まあ、そういうこともあるさ」
岩代は紫雨のグラスにビールを注いだ。
「あざっす」
「それにしても近藤のことが心配だな。編集長も急にいなくなったし、山田も無断欠席するし……」
「そうっすね。明日、ちょっと京都まで近藤を探しに行くつもりなんですけど」
「そっか。じゃあ雑誌の方は俺達に任せなよ。俺と堂上と山田でどうにかするからさ。山田はたぶん、編集長がいないからサボったんだろう」
「いいんすか?」
まさかこの男が編集長に無理矢理押し付けられた自分の業務を、率先して引き受けてくれるとは思わなかった。紫雨はこの痩せぎすの暗い男の評価を上げた。陰気臭くて好きになれなかったが、案外いい先輩なのかもと思い直した。
「それにしても編集長はどこいっちまったんですかね?」
「さあ? こればかりは何とも……。もしかしたら、また霊管にちょっかいをだして今度は拉致されたのかも」
「なんすか、その話?」
「あれ? 知らなかった?」
「知らないっすね」
「実は編集長がまだ若かった頃の話なんだけど……」
その後も紫雨は岩代と世間話や愚痴や怪談話などに花を咲かせ、夜遅くまで飲んだ。紫雨は珍しく、へべれけになってろくに歩けなくなるまで、しこたま酒をあおった。岩代の肩を借り、店をでるところまでは記憶があったが、そのあとはぷっつりと途切れた。
「……つッ!」
親指に感じた鋭い痛みで目が覚めた。頭がガンガンする。アルコールはまだ体を巡っているようで、体はろくに動かせなかった。どこかに寝転んでいるようで、柔らかく体が沈み込んでいるのを感じる。室内にいるようだが、薄暗いのでどこかは分からなかった。
ボーっとする頭で天井を見ていると、そこが見慣れた場所で、少ししてから現幽のオフィスだと理解できた。上半身を起こそうとしたが、手足が動かない。すぐに何かで縛られていると気がついた。
「クソ! なんだこれは!」
頭が完全に冴えると親指の痛みがはっきりと感じられた。何かで切りつけられたような痛みだ。紫雨はジタバタともがいたが、両手両足の拘束は解けず、酔った体はうまくバランスが取れなくてソファから転げ落ちた。
「痛え!」
勢いよく頭をぶつけた紫雨は悶えた。ウンウンと唸っていると視界の先に誰かの靴が見える。頭を動かし視線を上へ向けると、岩代が背を向けて立っていた。ゴソゴソと何かをしているようであり、メモを取っているかのように背中を丸めていた。
「岩代さん……?」
声をかけても岩代は何かの作業をしているようだった。紫雨の脳裏に、まさかとは思うがこれは岩代がやったのではないかという疑惑が浮かび上がった。
「岩代さん、これ取ってくださいよ」
岩代は紫雨の声など聞こえないかのように何かに没頭している。その異様な雰囲気に、はじめ紫雨は怖気づいたが、すぐ気を取り直すと再び声をかけた。
「岩代さん、何してるんすか? これ、取ってくださいよ」
岩代はチラッとだけ紫雨をみたが、すぐに顔を反らし何かの作業を継続する。その様子から紫雨はこの拘束は岩代の仕業だと確信し、声を荒げた。
「おい! 聞こえてんだろ! てめえ、どういうつもりだ! なんか言えよ! コラァ!」
ここでやっと岩代は振り向き紫雨を見つめた。その顔は紅潮しているようにも青ざめているようにも見えた。
「早くこれをはずせ! ぶっ殺すぞ!」
凄む紫雨に怯えた表情をしていたが、岩代は拘束を解くことなく近づくと、紫雨の髪をはさみで一束切った。それを名刺サイズの封筒のようなものに入れた。
「何しやがる!」
紫雨は体をくねって暴れた。とにかくこの陰キャに蹴りでも食らわせてやらないと気がすまなかった。しかし、岩代はイモムシのようにしか動けない紫雨から距離を取ると、封筒のようなものを天に掲げ大声で叫ぶ。
「愛しい人は今ここに! 梅の花をもって待っています!」
岩代は震える手で封筒を紫雨へ叩きつけた。
「わ、悪く思うなよ!」
それだけ言うと岩代は急いで現幽オフィスから出ていった。
「あの、野郎……!」
紫雨は岩代のやっていた事が呪いの類であると感づいた。腕をよじり何とか拘束を解こうとする。長い手ぬぐいのような布で縛ってあったが、絶対解けない縛り方をしていなかったため、長い時間をかけてようやく解く事ができた。
足の布も急いで取ると、床に落ちている封筒を拾った。封筒は名刺くらいの大きさで、中には先程切られた自分の髪と梅の枝が入っている。紫雨は髪と梅の枝を乱暴に引っこ抜くと、スマホのライトを点け封筒を調べた。
封筒は厚手の和紙のような白い紙でできていた。他にも何か入っていないかと中を調べてみると、内側にびっしりと何か模様のようなものと文字が書いてあった。文字を見てみれば鳥肌が立った。紫雨章介と、自分の名前が書いてある。
どうやらこれは一枚の紙を折り紙のように折って、フタのない封筒にしていたようだ。紫雨は急いで封筒を戻して元の一枚の紙にすると、中に書いてあることを確認した。
和紙には一面に黒いインクで草書体のような文字が隙間なく書かれており、中央に紫雨章介と自身の名前が書いてあった。名前の中央には鮮やかな赤の拇印が付けてある。紫雨は痛む親指を見た。恐らくこれは自身の血判であろう。
自分が岩代に呪いをかけられたと確信した紫雨は、怒りが抑えられずソファを乱暴に蹴った。
「クソォ!!」
一瞬でも岩代を良い奴だと思った自分がバカだった。何の恨みがあってこんな真似をしたのか。理由はともかく半殺しにしてやらないと気が済まない。
しかしまだ体からアルコールは抜けておらず、追いかけるのは不可能だ。そもそも岩代の家の住所を知らない。このふざけた和紙も梅の枝もバラバラにしてから燃やしてやりたかったが、さすがに戸惑われた。
いつもの紫雨であれば何の躊躇もせず実行しただろうが、あんなことがつい先日あったばかりでは、縁起の悪さを感じずにはいられない。
紫雨は煮え返る腸を無理矢理抑え込み、気味の悪い和紙と梅の枝と、岩代に切られた一束の自分の髪をオフィスに置いて、今日はとにかく自宅へ帰る事にした。千鳥足でオフィスをでるとエレベーターで1階まで降りる。フラフラと大通りまで歩き、タクシーを止めて自宅まで戻った。
自宅へ到着すると、水を一杯飲み着の身着のままベッドに横たわる。未だに怒りが収まらないが、アルコールのせいか、すぐにでも眠れそうだった。まどろむ意識の中、突然鳴り出したスマホに驚き一気に目が覚めた。
ディスプレイをみれば編集長からのようだ。時間は午前三時を回っており、なぜこんな時間にと紫雨は怪しんだ。しかし、連絡を取りたくても取れなかった編集長からだ。紫雨は嫌な予感がしつつも電話に出た。
「編集長、今どこにいるんすか?」
返事はなく、木の葉が風に揺られこすれ合うような音だけが聞こえた。編集長は森の中にでもいるのだろうか。
「編集長?」
呼びかけても木の葉の音しか聞こえない。紫雨は気味が悪くなり電話を切ろうとした。
「……愛、しいヒ、トは、どこじゃ、ろか?」
かすかに聞こえた嗄れた女の声に紫雨はぎょっとする。こんなときに編集長のイタズラか? それにしては悪質だ。
「……編集長っすか?」
「いと、しいヒト、はど、こじゃろ、か? 愛しい、ヒトは、どこ、じゃろか? イトシイヒト、は、ドコジャロカ?」
紫雨はすぐに電話を切った。繋がった先の声がこの世のモノでないと直感的に分かってしまった。
蛇女――
頭に岩代が担当していた怪異の名前がよぎる。震える手でスマホを見ていると再び編集長から着信があった。
「ッ……!」
スマホをベッドに投げ出だす。着信音が鳴り続けるそれを硬直しながらただ見ていた。しばらくしてから鳴り止むと紫雨はホッとした。しかし、すぐにまた鳴り出した。ディスプレイには近藤と表示してある。
体が固まり動けないでいると、勝手にガチャっと何かが繋がった音がし、抑揚のない無機質な声がスマホのスピーカーから流れてきた。
「イトシイヒトはどこジャロか? 愛しいヒトハドコジャろかイトシイヒトハドコジャロカイト、シイヒトハ……」
紫雨はスマホを思い切り投げると、布団をかぶりそのまま朝まで震えていた。