第14話 呪いの藁人形
「クソ! あのジジイ!」
山田翔也は今日何度目かの悪態をついた。夕暮れの街中を途方に暮れながら歩く。胸には後悔と絶望と怒りが渦巻いていた。
山田は先日、四宮の持ち物である呪いの藁人形を取材をしたとき、四宮の勧めにより藁人形を持ち帰ることになった。心霊現象を体験したことのない山田にと、四宮が気を利かせて貸してくれたのである。
一度は断ろうかと思ったが、四宮が中国の俑を使ったお守りをくれたせいか、恐怖が薄れなぜか持って帰りたい気になり、借りることとなった。異変は当日から起きた。
取材をしたその日、床につくと四宮の言う通り夢に呪いの人形がでてきた。真っ暗闇の中、自身は椅子に座っており、離れた場所にポツンと藁人形が立っている。自分は座ったまま動くことができず、しばらく見つめ合っていると、気がつけば目が覚め朝になっていた。
初めて体験する不思議な現象にしばらく動悸が止まらなかったが、実害は全くなくお守りの俑もあるので、徐々に気分が高揚し興奮できるほどこの日は余裕があった。
何かがおかしいと思ったのは2日目からである。
2日目も眠りにつけば初日と同様に呪いの人形が現れた。自身はまた椅子に座っており、藁人形は四宮の言う通り、昨日よりすこし近づいていた。ここまでは予想通りだ。だが、昨日と違ったのはその夢は、まるで現実であるかのような臨場感があったことだ。
意識や思考、五感に至るまではっきと冴え、ありありとした現実感があった。しかし椅子から動けず視線は人形に固定されていた。藁人形に目はないが、確かに視線を感じた。暗闇の中、意識がはっきりとある空間で、呪いの人形と見つめ合う。それが体感で一時間ほど続いた。
目が覚めると汗をびっしょりかいていて、どうもあれが夢とは思われなかった。脱力感が全身を襲ったが、しかし自身の身体に変わったところはなく、呪いの人形もまた異変はない。俑も無事だ。気味の悪さを感じつつも、この日は普通に出社した。
会社では編集長が、しばらく戻らないかも知れないという趣旨の謎の手紙を残していなくなった。今までなかった事態に不安が募ったが、書き置きには心配しなくていい、もし長い間自分が戻らなかったら初稿から校了までの進行を時雨に任せる旨も書いてあった。
自分や岩代、堂上よりも後輩の時雨に頼むとは複雑な心胸であったが、この3人より時雨のほうが優秀であるため、あまり好きになれない後輩だがまあ仕方ないかと納得した。この日は自分とマガツマさん担当の堂上以外は誰も会社に来なかった。
そして3日目の夜も2日目と同じ夢を見た。起きている時と同様の感覚。闇にポツンと自分と藁人形。藁人形は昨日より近づいている。距離にすれば3メートルほど。この日もまたこんな状態が一時間は続いた。
朝目覚めると、枕元に置いてあるお守りの俑が真っ二つに割れていた。流石に怖くなった山田は、急いで四宮に連絡をしたが全く返答がない。電話、メール、LINE、SNS……。ありとあらゆる方法で連絡を取ろうと試みたが、梨の礫であった。山田は焦りと恐怖でどうにかなりそうだったが、四宮はこの日用事があり、たまたま連絡がつかなかっただけだと無理矢理心を落ち着かせた。
俑が割れたということは、自身に降りかかる藁人形の呪いの身代わりになってくれたということであり、これでもう安全なはずなので慌てる必要はない。ネタはもう十分なので、明日にでも呪いの藁人形を返却すれば大丈夫だと何度も自分に言い聞かせた。
しかし念の為、4日目は寝ずに夜通しずっと起きていることにした。徹夜など何年もしていなかったが、一日くらいは大丈夫だろう。そう思って朝まで原稿を書くことにした。机に向かいノートパソコンでカタカタと打ち込む。何度か休憩をはさみ、最後にみた時計は2時を指していた。山田は机に突っ伏し、いつの間にか寝てしまった。
気がついたときは椅子に座っていた。辺りは真っ暗。
ああ、あの夢だ……。
山田は意識がはっきりするにつれ、またこの場所に来てしまったと恐怖がこみ上げてきた。しかし、辺りを見回してもあの呪いの藁人形はいない。眼前には闇が広がるばかりだ。
良かった……人形はいない……。
ホッとしたのもの束の間、いきなり後ろから強い力で首をしめられた。
「……ッカ!」
息ができない。自身の首を締める手はチクチクと藁でできているかのよう。指が食い込み、首の骨が折れるのではないかというほど、強い力だった。もがいて振りほどきたいが体が動かない。
「ア……ッガ……!」
息ができず、脳への血流が止められ、首の骨がミシミシと音を立てるほどの圧痛。今まで感じたことのない苦痛に気が狂いそうになった。
苦痛の最中、すぐ後ろで何かがささやいた。
「ノ………え……呪……エ」
ああ、あの人形だ……。山田はこの人形に殺されるのだろうと、安易に四宮から借り受けてしまったことを後悔した。意識が遠のき次第に苦痛が和らいでいった。
ブーブーと頬に伝う振動とスマホの着信音で目が覚めた。体が鉛のように重い。何とか上半身を起き上がらせると、椅子の背もたれに力なく寄り掛かった。ひどく喉が渇き、ズキズキと頭痛がする。最悪の目覚めだった。
同僚の堂上からの着信であったが、電話にでる気がおきない。時計を見ればすでに正午を回っていた。しばらく椅子でぐったりしていると、あの悪夢の記憶がまざまざと蘇ってきた。全身を駆ける悪寒と共に吐き気がこみ上げてきた。
急いでトイレに駆け込むと、ありったけ吐き出した。胃の中が空っぽになると、ようやく吐き気は収まった。口を洗浄するため洗面所へと向かう。コップで口をすすぎ、水を一杯飲み込んだ。
やっと一息ついたと思い顔を上げ鏡を見れば、山田は絶叫し腰を抜かした。鏡に映った自身の首に手形の痣があった。指の形までくっきりと見える痣は、後ろから締めているように見える。
山田は四つん這いで机まで行くと、スマホを手に取り震える手で四宮に電話した。
――おかけになった電話番号は現在使われておりません――
流れてきた無機質なガイダンスは山田にとって絶望的であった。それからメールやSNSなどを確認してみたが、いずれも送信できなかったりアカウントが削除されていて、連絡が取れなかった。
「四宮さんに何かあったのか? それとも……騙された?」
山田はすぐに着替え、四宮のアパートへ向かった。仕事のことなど考える余裕はなかった。
電車を乗り継ぎ、数日前、訪れた道を早足で歩く。15分ほど歩き、四宮のアパートについた。急いで呼び鈴を鳴らすが返事はない。何度も何度も呼び鈴を押し、ドアを強く叩いたが物音一つせず静まり返っている。
逃げられたか? いや、誰にも気づかれず中で倒れているのかもしれない。
警察か賃貸アパートの管理会社に連絡しようかと思ったが、その前にベランダ越しに中の様子を見てみようと思った。四宮の部屋は1階で、南に面している窓側は駐車場になっているので中の様子が見れるかも知れない。
山田は急いで南側の駐車場へと向かった。駐車場は車が半分ほど埋まっていたが、四宮の部屋の前は空いていたので部屋をよく見ることができた。車止めのブロックに乗りつま先立ちで中を覗けば、山田は愕然とした。
四宮の部屋はもぬけの殻だった。呪物を隠しすためか、窓には厚いカーテンを掛けていたがそれがなく、部屋の奥までよく見通せた。所狭しと棚に並んでいた呪物はもちろんのこと、家具類まで一切なくなっていた。
山田は膝から崩れた。四宮は自分を騙して、呪いの藁人形を押し付けたのだ。それが確定したとわかり、恐怖と怒りとがないまぜになった感情がぐるぐると全身を満たし、頭がどうにかなりそうだった。山田はしばらくその場から動けなかった。
「……あの、どうされました?」
どれくらいそうしていたのか、中年女性に声を掛けられてハッと立ち上がる。女性はこの駐車場を借りている人だろうか、心配よりも警戒心が強い顔で山田に尋ねた。
「……いえ、なんでもありません」
山田はそこから立ち去ろうとしたが、この声を掛けた女性に四宮のことを知っているか、引っ越したのか聞いてみることにした。
「ええ、四宮さんなら3日前に引っ越して行きましたけど……。挨拶に来られた時は、ずいぶんと焦って急いでいるようでした……」
女性は山田が借金取りで、四宮が夜逃げでもしたんじゃないかと思っているような節があったが、山田は特に何も言わず女性にお礼を言って、急いで帰路についた。
「クソ! あのジジイ!」
やり場のない怒りが口をついてでる。人目を気にする余裕もない。
四宮がいなくなったとすれば、頼みになるのは編集長だけだ。しかし、その編集長もいなくなり連絡もつかない。山田は途方に暮れ、あの呪いの藁人形がいる自宅に帰りたくなかった。距離を置けばどうにかなるとも思えなかったが、あそこには居たくない。
山田は今夜は適当なネットカフェのオープン席で夜を明かすことにした。何となく個室に入るのが嫌だった。
パソコンでお祓いをしてくれる神社を探し、時折編集長から連絡がないかスマホをチェックしながら、しばらく過ごしていた。日付が変わろうとした時間になって、何となくメールをチェックしたら差出人に四宮の名前がある。山田は急いで内容を確認するため、逸る気持ちを抑えられず画面を連打した。
山田くんへ
このような連絡で申し訳ない。本来なら顔を合わせて説明するのが筋というものだが、俺にはその勇気も資格もない。
今の君は混乱しているかと思うが、まずは謝らせてほしい。本当に君には申し訳ないことをした。
謝って許されることではないのは承知している。君の怒りも最もだろう。すべては俺の責任であり、自分の弱さのせいで君を巻き込んでしまった。自分の愚かさをここまで恨んだことはない。
しかし君を当事者にしてしまった以上、あの藁人形について説明しなければならない。
俺がアレをとある伝手で手に入れてから、すぐにこれはただならぬ呪物ではないと感じた。実際その通りで、今まで手に入れたどんな呪物よりも強力で恐ろしいものだった。手放そうとしてもすでに手遅れで、相談した知り合いの霊媒師やお祓いの得意な神社の神主や寺の住職にも打つ手なしと断られた。俑も全く効果がなかった。
追い込まれた俺は藁人形の呪いから逃れる正規の手段を実行することにした。つまり誰かを呪うということだ。呪う相手はすでに指定されていた。
呪いに必要な物を集めた俺は、いよいよ最後に呪うだけだという段になって臆してしまった。見ず知らずの罪なき人を呪い殺すことができなかった。本当は俺1人の手で最後までやるべきだったのだが、良心に苛まれ悩んだ末に君を利用する道を選んでしまった。
もう一度謝りたいと思う。本当に本当に申し訳なかった。俺の軽率さや弱さのせいで、君に嫌な仕事をさせてしまうこととなった。許されることではない。
しかしもうやるしかないのだ。そうしなければ君はあの藁人形に殺されてしまう。呪いの藁人形を使って対象を呪い殺すしかないのだ。
君はその対象を知らなくていい。何も考えず実行するだけだ。一つ注意してほしいのだが、絶対に藁人形の顔を開けてはならない。あの藁人形は顔の部分が開く細工があって、そこには僅かなスペースがある。そこに呪いの条件である対象の顔写真と名前を書いた紙を入れておくのだ。
呪う対象を見てしまえば、恐らく君も俺と同じように苦しむだろう。もしかしたら呪えなくなって、君があの人形に殺されてしまうかもしれない。だから見てはいけない。何も知らずに呪わなければならない。
呪っていない相手を呪うだなんて不可能だと思うかもしれないが、そこは心配はいらない。
京都の〇〇市☓☓神社の裏の山には『蛇腹杉』という木がある。呪いの知識や力がなくても、この木に打ち込めば必ず呪いを成就させるという怪異だ。蛇腹杉に藁人形を五寸釘で打ち付ければそれだけでいい。
以下に蛇腹杉までの道順を記す。
「何だよこれ……」
山田は蛇腹杉までの道のりを読みながらそう呟いた。なぜ自分が選ばれたのか、誰かを呪わなくてはならないのか。理不尽な今の状況にどうすればいいのか分からなかった。
最後にこう書いてあった。
見ての通り蛇腹杉までの道は山の中だから、十分な装備をしていってくれ。もし罪悪感を感じているのであればその必要はない。すべての責任は俺にあるのだから、君には何の罪もないのだ。それからもう一度謝らせてほしい。本当にすまなかった。
最後にこれだけは忠告させてほしい。
rindo_hasimotoには関わるな。
山田は今の状況を整理しようと、混乱する頭を抱えトイレの個室へと入った。これからどうすればいいのか。いや、死にたくなければやるしかないのだ。しかし、自分にできるのか。
クソ! いっそ四宮のジジイでも呪ってやろうか。でも、呪いに必要な写真が用意できない。誰かに相談するか。堂上でも岩代でも紫雨でもいい。とにかく誰かに聞いてほしかった。
悶々と悩んでいると、ふと視線を感じた。頭を上げればすぐ前にあの呪いの藁人形がいた。
「……ヒッ」
声にならない悲鳴が喉から漏れた。おかしい。コイツは自宅のクローゼットにしまってあるはずだ。なぜここに……。
藁人形は怒っているように見えた。まるで今にも自分を殺さんとしているように思える。
「わ、わかった……。呪う……呪うから……」
山田には選択肢がなかった。