第11話 ムクロガハラ①
魔境門を潜れば、何の手応えも感じないまま、あっという間に景色が様変わりした。
眼前には骨の山。人間を含め多種多様な生き物や、明らかにこの世のモノでない形をした骸骨が積み重なり、山を作っている。その躯の丘の連なりが、見渡す限り果てまで続いている。
足元も骨だ。スニーカー越しに幾重にも重なった骨の硬い感触が伝わる。丘も地面もどこもかしこも骨だらけだ。
空は靄のような薄い煙のようなものに覆われていて、全天が仄かに赤黒い光を発していた。太陽や月のような光源はなく、空全体がどんより不吉な色に覆われている。
空気はじっとり肌に纏わり付き言いようもなく不快である。湿度が高いというよりも、異世界で触れた禍氣に近い感じがする。
魔境門をみれば、曇った鏡のように濁って向こう側は見えない。魔境神社と接続を切ると言っていたからな。僕達は今、ムクロガハラに孤立した状態なのだろう。
……ああ、嫌だな。早く帰りたい。
「君の隷属鬼はどこにいるんだろう? この異界はずいぶんと広そうなんだけど……」
「……すぐ近くにいるはずだ。鏖鬼の気配を感じる」
ギョッとした僕は慌てて辺りを確認する。キョロキョロと気味の悪い異界を隈なく探すが、鬼らしきモノはどこにもいない。
「どこにもいないけど?」
「だが確かに鏖鬼の気配がする」
御堂邸で鷹司君が召喚した鏖鬼は2メートルを超える巨躯であったから、近くにいればすぐわかると思うんだけど。再び異界を見回しても骨ばかりでそれ以外の物は何も無い。
もしかして、この骨の山の裏側に隠れているのだろうか。隙をついて僕達を襲う気ではないか。
そう考えると不安になり、結界でも張っておこうかなと考えていると、すぐ後ろから大きな音がした。
まるで重量物が高くから落ちたように、いくつもの骨が激しく折れる音がして、粉塵が舞い飛び散った骨の破片が僕に勢いよく当たった。
僕は咄嗟に結界を張り後ろを向けば、でっかい鬼が仁王立ちで立っていた。サラサラの長い赤髪に額に角が2本、白い和服を着流しているイケメンだ。あの時見た鬼がいた。これが鷹司君の隷属鬼である鏖鬼だ。
しかし、その大きさは全然違っていた。御堂邸の裏庭でみたときより大きく、5メートルはありそうだ。その迫力に思わずたじろぐ。大鬼は鷹司君を認めると、口の端を大きく釣り上げる。鋭く真っ黒な牙が見えた。
「侵入者かと思えば鷹司じゃねえか。おめえ、どうやってここに来た?」
「……鏖鬼」
「後ろのは魔境門か? まさか、あのクソ神がてめえに手を貸したのか?」
鏖鬼は面白そうにクックと喉をならした。大して鷹司君は難しそうな顔をしている。僕はきっと顔が引き攣っているだろう。
「そのとおりだ。普賢慈母光子様に助力いただいた」
「はっ! あのクソ神が鬼神《あの女》の眷属であるお前に力を貸すとはな。珍しいこともあったもんだ。で、何のようだ?」
大鬼は僕のことなどいないかのように目もくれず、鷹司君を射抜くように見つめた。僕としては空気のように扱ってくれて助かるけど。このまま帰るまで僕のことは無視してほしい。
「母について聞きたい」
「母? ああ、水無月のクソ女か……」
鏖鬼は吐き捨てるように言うと、袖をめくり忌ま忌まし気に自身の腕を見た。その腕には何か文字のようなものがビッシリと刻んである。よく見れば着物から覗く胸元や首筋にも、同様の文字があった。
大鬼はしゃがみ込むと、親しげにその大きな手を鷹司君の肩にかけた。友達と肩を組むような気安さで優しく包み込んでいるようにも見えるが、僕には鷹司君を逃さないようにがっしり拘束しているように思える。首元に鋭い爪を添えているのも気になる。
「クソ女のせいで知っての通り、俺もお前も困ってるわけだ。それで、このカス封印をしたクソ女の何が聞きたいんだ?」
「……母はなぜ俺の中の鬼神様の加護を封じたんだ?」
「そりゃあ、鬼神《あの女》の影響を排除するためだろう? お前はあの女と特に親和性が高いからな。鬼神の加護はお前ら軟弱な人間が俺達鬼を制御するのに必須だ。生身の人間が鬼の力をその身に宿せば、鬼に体を乗っ取られるか力に耐えきれずぶっ壊れちまう。そうさせないための鬼神の加護だ。まあ、その代償としてあの女の性格の影響をモロに受けちまうがな。それをお前のおっかさんは厭ったんだろう? 残忍な嶽一族といやあ、怪異の中でも有名らしいからなあ」
「それは母も重々承知してた上で嶽に嫁いだはずだ。親父は俺に乗り移ったお前が暴走したせいだと言ったが、それは嘘だろう? あの時のことはよく覚えている。お前が俺の中に違和感なく入ってきた感触。俺とお前が一つになり抑えられない破壊衝動を本能のままに解放した爽快感。だが、確かに自分というものが存在した。お前に飲み込まれたわけではない。そうだ、あれこそが人鬼一体の境地。嶽では喜ばれこそすれ、疎まれる理由はない!」
「まあ、そりゃそうだな。俺も鬼神《あの女》に首輪を繋がれてから久しい。嶽との関わり合いもそれだけ長えから、あの家のことは大体わかる。俺と一体になれる才能が現れれば、それは嶽にとって慶事だ。だが、お前の母親はそう考えなかった。愛しい息子が鬼のように残酷非道になるのが耐えられなかったんだろう。母の無償の愛ってやつさ。泣けるじゃねえか。俺は全然理解できねえがな! ハッハッハ!」
「だからそれは母も承知していたはずだといった!」
「さあな。心変わりでもしたんじゃねえの?」
「知っていることを言え!」
「お前、おっかさんを恨んでるのか? 薄情な息子だねえ」
「違う。ただ母の真意が知りたいだけだ」
どうやら鷹司君は鬼神の加護を彼のお母さんが封じたことに疑問を持っているようだ。
鬼神の加護を受けるとその副作用として、加護を受けた者自身に鬼神の性格が影響される。そのせいで鷹司君は自分と彼らの違いに悩んでいるのではないだろうか。
嶽一族の噂を聞けば、彼らが非道な一族であると簡単に想像がつくので、鬼神というのも残忍極まりない性格であるのだろうな。もしかしたら1番真っ当である鷹司君は嶽一族で浮いた存在であるのかも。加護の薄い鷹司君と他の一族との間に軋轢があったり、疎まれていたりするのではないだろうか。
おじさんやセツさんが嶽を離れて別の家に婿になったり嫁いだりしたのは、嶽一族の性質に辟易としたからかもしれない。彼らにも鬼神の加護が働いているはずだが、その影響はどうなのだろう?
鏖鬼は頭をポリポリかいて面倒くさそうに答えた。
「俺が知るわけねえだろ。つうか直接本人に聞けよ」
「母は死んだ。それはお前も知っているだろう!」
「生きてるぞ」
「……何だと? デタラメを言うな」
鷹司君は不快そうに顔をしかめた。たちの悪い冗談だと思ったんだろう。しかし鬼の顔をみれば、それまでの人を小馬鹿にしたような軽薄さはなく、いたって真面目である。
「デタラメじゃねえよ。クソ女は生きている。この封印が今でも効いてるのが何よりの証拠だ。術者が死ねば徐々に効力が消えていくものだが、忌々しいことに今でも封印の力が供給され続けている。ほんとクソだぜ」
鷹司君はいつもの仏頂面を取り繕えないほど驚愕していた。驚いたことにこの大鬼の話が本当であれば、鷹司君の母親は存命であるようだ。
「ではなぜ母は嶽で死んだことになっている! 母は今どこにいるんだ!」
「クソ一族の事情なんざ知ったこっちゃねえよ。だが居場所なら心当りあるぜ」
「どこだ! 教えろ!」
「教えてやってもいいが、俺ばかりが答えるのも公平じゃないよな? ちぃーっとばかり俺のお願いを聞いてくれてもいいんじゃないか?」
「……何が望みだ」
大鬼は顔を鷹司君に近づけると、ニヤリとまるで悪魔が人をそそのかすような笑みを浮かべた。なんだか嫌な予感がする。
「暴れてえんだよ。ただでさえ鬼神《あの女》のせいで自由が利かねえってのに、水無月のクソ女の封印が重なってろくに力が発揮できねえ。もう我慢ならねえんだ。何でもいいから殺してえんだよ」
ずっと僕を無視していた大鬼が、一瞬だけだが僕に視線を送りばっちり目が合ってしまった。ちょっと待ってよ。何だか雲行きが怪しくなってきたぞ。こんな大きな鬼とのバトルは極力避けたい。鷹司君、頼むよ。
「俺に言われてもどうしようもない。鬼神様の加護も母の封印も俺にはどうにもできん。当然、この男にも手出しはさせない」
おお、きっぱり断ってくれた! もしかしたら売られやしないかとヒヤヒヤしていたが、そんなことなかったぜ。信じて良かった、鷹司君。
「まあ聞けよ。確かに鬼神の加護のほうはどうにもならねえが、クソ女の封印はどうにかなるかもしれねえ」
「…………」
「考えてもみろよ。俺はお前を守るための盾でもあるんだぜ? お前の身を守る手段をクソ女が完全に奪うはずがねえ。お前が本当に俺の力を望めば、この封印は一時的にでも弱まるはずなんだ。なあ、お前だって俺の力が引き出せねえで困ってるだろ?」
大鬼は優しくささやいた。しかしそこには思いやりなどはなく、僕には人を惑わすための甘言にしか思えない。
「……俺にどうしろと?」
「提案があるんだが……」
悪魔のような鬼は1拍おいてから信じられないことを言った。
「鬼神を殺っちまおうぜ」