第10話 魔境門
GW3日目。
僕と鷹司君は朝から光子さんのお家である本殿へと来ていた。昨日、鷹司君から光子さんに頼みたいことがあるので、僕にその仲介役をしてほしいとのことで、こうして早朝からお邪魔させていただいたわけである。
一枚板の高級そうな座卓の片側に僕と鷹司君、対面に光子さんと傘の旦那さんがいる。鷹司君が珍しく恭しい挨拶をして、光子さんがそれを軽くあしらった。
「それで、お願いとは何かしら?」
光子さんは冷ややかな目で鷹司君を見つめた。鷹司君は気持ち縮こまっているように見え、さすがの彼でも神様の前では横柄な態度はできないようだ。
「はっ……こちらの魔境神社で管理している魔境門を使わせていただきたく、お願いに参りました」
「魔境門を使いたいってことは、どこか特定の異界へ行きたいのよね? それはどこかしら?」
魔境門とは様々な異界への出入り口となっている境目で、異界とは妖怪などの怪異が作り出す現実とは少しずれた空間のことである。鷹司君はこの魔境門を使って彼の使役する鬼の下へと行きたいらしい。
「私の隷属鬼である鏖鬼が住むムクロガハラでございます」
「鏖鬼……。あの暴れん坊ね。昔、京の町でさんざん悪さをしたのを覚えているわ」
(彼には中々手を焼かされたね)
隷属鬼というのは鷹司君によれば、嶽一族が鬼神の力を借りて使役する鬼達のことだ。鬼というのはほとんどが荒くれ者で御すことが難しいので、鬼神の力で無理矢理従わせているらしい。
鷹司君の隷属鬼の鏖鬼は前に見たことがある。御堂邸で煤子様を浄化するため山の神と戦ったとき、鷹司君が召喚したのを覚えている。その時は水晶さんアタックであっさりやられていたが。
それから、どうやら光子さんと旦那さんはこの鏖鬼と顔見知りであるらしい。光子さんはじっとりと鷹司君を観察している。先程の冷たい目線ではなく何か思うようなことがありそうだ。
「鏖鬼が隷属鬼ならあなたが例の事件の子どもだったのね……。母親は水無月の者で間違いないわね?」
「……はい」
「鏖鬼に何を聞こうというのかしら?」
「母について聞きたいことがあります」
「…………」
彼の母親は彼がまだ幼い頃に亡くなったらしい。鷹司君は多くは語らなかったが昨日聞いたところによると、鷹司君が幼い頃に嶽一族の儀式を行っていたところ、彼に隷属鬼である鏖鬼が乗り移ってしまったようだ。暴走した鷹司君を助けるため、彼のお母さんは鬼神の加護を断つ封印を鷹司君くんに施した。
その所為かわからないが、お母さんはそのとき命を失ってしまった。鷹司君も詳細は知らないらしい。なにせ当時、彼は幼く隷属鬼に乗り移られていたわけだし、今になっても父親を含めた親族達は詳しく教えてくれないのだそうだ。
お母さんが掛けた封印は今もなお効力を発揮しており、そのため鷹司君は隷属鬼とのつながりが弱く、鏖鬼本来の力を引き出せないらしい。交信して会話もろくにできないので、こうして魔境門から直接鏖鬼の住む異界へ向かおうというわけだ。
ちなみにお母さんの旧姓の水無月は西の御三家の一つだ。
光子さんはしばらく何か考えていたが、一瞬だけ旦那さんに視線を向け頷くと少し優しくなった口調で鷹司君に語りかけた。
「わかったわ。あなたの望みを叶えましょう。魔境門の使用を許可します」
「ありがとうございます」
鷹司君は一歩下がると畳に額を付けた。これで第1段階はクリアだ。後は鷹司君が異界で彼の知りたい情報を得られるかどうかだ。どんなことが知りたいのか僕には教えてくれなかったけど。
「ただこれだけは肝に命じておきなさい。あなたの頼みを受けるのは特例中の特例よ。アタシは簡単に人の願いは叶えないの。たとえそれが自分の氏子であってもよ。今回特別に嶽一族であるあなたに情をかけて上げるのは、カミヒトさんに頼まれたからよ。だからあなたはカミヒトさんに一生をかけて感謝なさい」
「はっ。重々承知しております」
「ならいいわ。それじゃあ、早速伏魔殿に向かいましょうか」
僕と鷹司君は光子に促され彼女達夫婦の部屋をでると、入口とは反対の方向へ歩いた。裏口をでるとそこは黒い砂利石が敷き詰められた場所で、奥には物々しい五重の塔があった。塔の下には通路があり、その先には山を登る階段がある。
「あの塔を越えたら、その領域はもう魔境だと思ってちょうだい。今は魔境門は安定しているから魑魅魍魎共はいないでしょうけれど、一応注意してね」
この塔は東西南北に配置されており、結界の役目があるそうだ。一昨日、魔境神社を案内されたとき、そう聞いた。あの先はもう安全ではないかと思うと、自然に体が強張った。
僕達は塔の下を抜けると、長い長い階段を登った。
石造りの階段を登りきった先、山のほぼてっぺんにどこぞの遺跡のような巨石を組み合わせた箱があった。下から見るより遥かに巨大で思わずおおーと感嘆の声が漏れた。大きさは学校の体育館より一回り小さい程度であろうか。ここが伏魔殿だ。
幸いにして伏魔殿に着くまでに、妖怪達はでなかった。この伏魔殿を囲うように、人の胴体くらいあるぶっといしめ縄が張ってある。厳重なほどの結界だ。
光子さんがしめ縄に手をかざすと、しめ縄の一部がニョイーンと上に伸びアーチ状になった。光子さんは唐傘を差したまま、そこを通って結界の内側に入る。僕達も彼女の後に続いた。
伏魔殿の中は奥の方にでかい鏡のような丸い発光体がある以外は何もなかった。あれが魔境門だろうか。床は土が固められ、むき出しの石の壁には、何やら行書体のような漢字で天井までびっしりと埋め尽くされていた。鏡のような物のとなりには1人誰かが居た。
光子さんは奥に向かい歩き出す。僕達は彼女に従い後ろからついて行った。発光体は僕の身長の倍以上はある真円であった。キラキラと鏡面のように光っているが、僕達を写しているわけではなく日光を反射する水面のようだ。鏡のとなりに居る人は神職服を着た60後半から70くらいの老年の男性だった。
男性の丸坊主で柔和な顔つきがどことなく宿星さんに似ている。男性は僕達に頭を下げた。
「紹介するわ。魔境神社の宮司の玄遠よ」
「はじめまして。御園小路玄遠と申します。夢天華の祖父でございます。此度はご挨拶が遅れましたこと、お詫びいたします」
「玄遠には魔境門をずっと見てもらっていたの」
僕と鷹司君は順番に夢天華さんのおじいさんである玄遠さんに挨拶した。宮司というくらいだから、この方が魔境神社と御園小路家の長であろう。
「こちらが魔境門でございます。今は凪いでおりますので、よろしいかと」
「そう。じゃあ、あなた。ちょっとこっちに来なさい」
光子さんは鷹司君をちょうど魔境門の真ん中辺りに連れてきた。
「いい? この魔境門に両手で軽く触れながら、あなたの隷属鬼を思い浮かべるの。あなたと鏖鬼はつながっているから、魔境門とムクロガハラはわけなく接続されるでしょう」
光子さんから説明を受けた鷹司君は一度頷くと、言われたとおり魔境門に両手をそっと触れた。鷹司君の掌を中心に、水面のような鏡面に小さく波紋が起こり、やがて波は魔境門全体に広がった。波紋はどんどん激しくなり、津波ように大きく波を立て濁流となり、魔境門の中はさながら渦潮のようになった。
渦は長く続かず徐々に勢いが弱まると、程なくして完全に波は止み、元の凪いだ鏡面へと戻った。しかしそこに映し出されている光景は全く違った。僕はそこに映った場所を見て驚いた。
魔境門に映し出されているのは夥しいほどの骨の山だった。人間の物、動物の物、それから見たことのない化け物の骸骨が堆く積まれていた。そんな骨の丘がいくつも連なりあっている。
ここが鏖鬼がいるというムクロガハラか……。
「どう?」
「……確かに鏖鬼の気配を感じます」
「では成功ね。そのまま中へ入れるわよ。あなたが入ったら一旦魔境神社との接続を切るわね。魔境門はそのまま残っているから、帰るときはこの場所を念じればいいわ」
「承知しました」
鷹司君は顔色一つ変えていないが、こんな禍々しい場所へ行って大丈夫だろうか? 鏖鬼は一応、鷹司君の隷属鬼であるが、凶暴で暴れん坊らしいので心配だ。だが、もう僕にできることはない。
「鷹司君、気をつけてね」
何もできない僕はただ彼の無事を光の女神様にでも祈ろう。
「何を言っている。貴様も来るんだ」
「へっ?」
なんで僕が行くのさ。
「そうね。カミヒトさんも一緒に付いていったほうがいいわ。いくら鬼神《あの女》の首輪が掛けられているといっても、鏖鬼が危険なことに変わりはないからね」
マジか……光子さんまで。ムクロガハラまで同伴決定か……。
「何をしている? 早く行くぞ」
僕は彼にせっつかれ、渋々彼の隣に並んだ。ああ、嫌だ……。
「二人共、気をつけるのよ」
(カミヒト君なら鏖鬼が相手でも大丈夫さ)
僕達は光子さんと旦那さんに見送られ、魔境門を通り抜けた。