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第8話 柏崎

 柏崎は自分以外は誰もいない現幽きょうかい編集部のオフィスで、本日訪れる来客をもてなすための準備をしていた。


 今朝方、先方から突然連絡があり急いで用意をしているところだ。現幽きょうかい編集部のオフィスは狭く来客専用の部屋などないので、訪問者が来るときはいつもオフィスの奥にパーテーションを設置して簡易的な応接室としていた。


 準備が一段落すると自席に戻り缶コーヒーを飲みながら、今から来る客人達のことを考えた。電話でその組織の名前を聞いたときは驚いたものだった。なぜならばすっと前にその組織に取材をしようと何度も打診したからだ。しかし一度も承諾されることはなかった。


 何度も取材の申込みをしたのだが、しつこすぎたせいか終いには国家権力が介入してくるまでになった。柏崎はそのとき、噂は本当だったのだと興奮したものだが、それ以上踏み込めば命が危ないと感じ、その組織について諦めざるを得なくなり悔しい思いをした。


 それが今になって向こうから連絡をしてきたのだ。柏崎は少しでも彼らの正体に近づきたく、今回の訪問を好機と捉えていた。もちろん、かの組織について記事にすることなどできないので、これは純粋に柏崎の好奇心である。


 柏崎は訪問客のこと、取材に行った部下たちのこと、次の企画のことを考えながら待っていた。そして時計の針がちょうど正午を差したとき、来客を告げるインターホンの呼び出し音がオフィスに響いた。


 柏崎はゆっくり席を立つと入口に向かう。鉄製のドアを開けるとそこには2人の男女がいた。前には30くらいのと思われる女が立っており、その後ろには大柄の40前後の中年の男がいた。


「突然の訪問、申し訳ありません。しかもこのような時間帯に。何分、こちらも予定が詰まっているものでして、どうかご容赦ください」


「いえいえ、別に昼飯なんていつ食ってもいいんですから」


 柏崎は2名の客人と自己紹介を済ませると、先程作った簡易応接室へと招いた。奥側にある黒いソファに2人を座らせた後、給湯室から茶と菓子を持ってきてそれぞれ男と女の前に置く。柏崎が対面に座ると女は名刺を差し出した。



 ――宗教法人全国霊障支援管理協会 零源れいげん 珠姫たまき――



 間違いない。()()()()だ。この道にどっぷり浸かった者ならば、誰でも一度は聞いたことのある組織の名前だ。


「私達のことはご存知でしょうか? 柏崎さんは霊管にご興味があったと伺っておりますが」


 遠回しな言い方であるが、柏崎が昔に嗅ぎ回っていたことはバレていた。柏崎はまあ、そうだろうなと別段驚きはしなかった。


「ええ、噂程度には。聞いたところによれば、国家権力に組み込まれた怪異専門の組織だと認識しております」


「概ねそのとおりです。私達のこと、ずいぶん熱心に研究してくださったようですから、それくらいは当然ご存知ですよね。訂正があるとすれば、国家とは持ちつ持たれつの独立した組織ですよ」


 柏崎は心のなかで苦笑した。確かに霊管という組織を調べるにあたって、危ない橋を渡ったことも何度かある。霊管の関係者と思われる職員にしつこくインタビューを求めたことがある。ゴシップ記者のように何時間もストーカーのように後を付けたのは、今思えばやり過ぎだった。


 今日、彼らが自分の下へ訪れたのは、当時自身がしでかした粗相の報復に来たのだろうか。いや、まさか、その可能性は低いと思うが……。


 柏崎は女の顔を見た。見た目は若々しく女盛りといった風貌だが、纏う威厳のある雰囲気は30前後の小娘のものではない。恐らく見た目より歳を取っているだろうし、それなりの経験も積んでいるのだろう。


 柏崎は素直に降参して謝ることにした。


「あの時はまあ、すみません。どうも私は好奇心が暴走して倫理観が薄くなる悪癖があるようなので。今はだいぶ落ち着きましたが」


「いえ、別に責めているわけではないのですよ? もう終わったことですし、私はその事に関知しておりませんし。今日は別の要件で伺わせていただきました」


「聞かせていただきましょう」


 柏崎は舌の根も乾かぬうちに、まるで好奇心を隠す気もないほどギラギラとした目で前のめりになった。女は隣の男に目配せすると、男は革の鞄から一冊の雑誌を取り出しテーブルに置いた。柏崎の前に置かれたそれは前々号の現幽きょうかいだった。


「これが何か?」


「この号に書かれているとある記事について聞きたいことがありまして。詳細は彼から聞いて下さい」


 女が男に主導権を譲った。この男は確か零源龍彦れいげんたつひこという名前だった。女と同じ苗字なのでもしかしたら夫婦なのかもしれない。この厳つい男が自分のところの雑誌に、どのような気になる箇所を見つけたのかと、柏崎は興味深く思った。


 柏崎は記憶を辿り、この現幽きょうかいがインターネットにまつわる怪談を特集した号だとすぐに思い出した。よく見れば雑誌には一枚付箋が貼ってある。これが聞きたい記事が書いてあるページなのだろう。


「こちらが気になる場所で?」


「そうだ」


 男はぶっきらぼうに答えた。柏崎は現幽きょうかいを手に取ると、付箋の貼ってあるページを開いた。そこには自分が取材した実話怪談が書いてあった。否、自身の実体験だ。


「これは確かに私が書いたものですが、何かおかしなところでもありましたかね?」


「これを載せた意図はなんだ?」


「意図ですか……?」


 とぼけて見せる柏崎だが、零源龍彦という男がこの記事を問題にしている理由がすぐに分かった。というより付箋のページを開いた瞬間からピンときた。やはりこれは()()であったと。


「このお粗末な話をなぜ載せた? 不明確な点が多いし、肝心の動画の内容にも一切触れず具体的な話が何一つない。素人がネットで書き込む創作話よりひどいものだ」


 ずいぶんな言われように柏崎は苦笑した。だがこの男の指摘は正しく、何もかもがあやふやで、とにかく呪いの動画の存在を広めるためだけに書きなぐっただけだ。何しろ自分でもよくわかっていないからだ。


 そんな出来であったから、当然この話を載せるにあたって部下達や制作課から反対意見が出たものだった。しかし、柏崎は編集長特権を使って無理やり載せることにした。自分でもわからないが、なぜだかこの話しを広めなければならないと、一種の使命感のようなものに突き動かされていた。


 それも()()()()のせいだろうか。


「柏崎さん、あなた何ヶ月か前に入院してましたよね? 仕事中に突然意識を失い救急車で運ばれたとか。それから2週間ずっと昏睡状態で運良く目覚めることができたみたいですが、全く原因がわからず医師が困惑していたようですね。でも、あなたは原因が分かっているんじゃないですか?」


「あの動画には何が映っていたんだ? なぜURLを載せようと思った? いや、なぜ拡散したんだ?」


 あの記事は例の動画のアドレスを拡散する目的であると、この2人はすでに確信しているようだ。柏崎はさて、どのように説明しようかと逡巡したが、すっとぼけても無駄であろうし、正直に話したほうが面白くなりそうだと事実を話すことにした。


「確かに私が意識を失ったのはあの動画を見た直後でした。動画のせいであると確信も持っています。しかし、内容は全く覚えていないんです。ええ、これは本当です。ただ、ひどく興奮したということだけ覚えています」


「それをなぜ雑誌の載せようとと思った?」


「ご明察のとおり、世の中に広めるためです。ですが、なぜ自分がそのような行動を取ったのか不思議なんです。何か別の意思に動かされているような……。こちらからも質問なんですが、あなた方はあの動画についてどこまで知っているんですか? 私が何をされたかご存知なんですか?」


 柏崎としては重要なのは自身の身に何が起きたのかということだった。長い眠りから覚めてから、確かに自分の中の何かが変わった気がした。具体的にいえば怪異を察知する第六感的な直感が自身に付与されたのではないかと思うようになった。


 柏崎はいわゆる霊感というものが多少はあるが、そこまで強くはない。それがここ数ヶ月間で現幽きょうかいに持ち込まれた話が本物か偽物か何となく嗅ぎ分けられるようになった。この力が本物なのかどうか、あの動画から与えられた物なのか、それが知りたかった。


 もし本物であればこれから面白くなるだろうし、すでに今、あの霊管が自分の下へ訪れる事態になっている。柏崎は今この状況に年甲斐もなく胸を踊らせていた。


「俺達もそう多く把握しているわけではない。だがあれが厄介な代物であることは疑いようがないし、あんたが何をされたか調べるためにここに来たんだ」


「なるほど」


「もう1つ質問だ。柏崎さん、あんたはあの動画の存在をどうやって知った?」


「…………第三者から直接メールで教えてもらったんですよ。会社のホームページに載っているアドレス宛にです」


「名前はわかるか?」


「rindo_hasimotoだったと思います」


 柏崎は男の質問によって今の今まで件の動画の情報提供者のことを忘れていたのに驚いた。実際自分が巻き込まれた怪異の提供者であるのに、興味を抱かないなんて不自然である。しかもrindo_hasimotoは部下が今、取材を行っている蛇女くるめやマガツマさんの情報の提供者でもある。普段の柏崎であれば絶対に忘れるはずがない。それがどうしたことか、きれいサッパリと頭の中から抜けていた。


「リンドウハシモト……ハシモト、リンドウか?」


 男は1人つぶやくように言った。


「調べる必要がありそうね。でも今はこの方を保護するのが先です。続きは向こうで聞きましょう」


 じっと俯いて何かを考えていた女は柏崎の方をまっすぐ見つめた。


「柏崎さん、あなたは例の動画に呪われている可能性があります。ですのでお祓いをするため、これから私達の所で何日か過ごしてもらいます」


「……今からですか?」


「ええ、今からです」


「流石にそりゃ無理ですよ。こちとら仕事があるんですから。そのお祓いってのは何日もかかるものなんですかね? パパッとできないんですか?」


「お祓い自体はそこまで時間が掛からないと思います。しかし、お祓いを行う方は忙しくすぐにはこちらに来れないんです。先程も言いましたとおり、あなたは呪われている可能性があり、この呪いは放置しておくと大変危険であると私達は判断しました。ですから申し訳ないのですが、あなたには強制的に我々の下へ来ていただきます。どれほど滞在いただくかはわかりません。しかし、会社には私達の方から説明しますのでご安心を」


「嫌だと言ったら?」


 女は柏崎の鋭い眼光にも全く怯みもせず、涼しい顔でにっこり黙って笑いかけた。女は口を開かずただ黙って笑っているだけなので、柏崎は女がどのような意図か計りかねて自分も黙って女が説明するのを待っていると、来客を告げる呼び鈴がオフィスに鳴り響いた。


「どうぞ」


 女が出るように促す。柏崎は警戒しつつも素直に入口へ向かい、いま呼び鈴を鳴らした人物を確かめるべくドアを開いた。柏崎の視線の先には青い制服を着た男が2人立っている。警察だ。


「……どのような御用で?」


 柏崎は2人の警察が自分を合法的かつ強制的に連れて行くため、霊管が用意した者だとすぐに分かったが、そう聞くしかなかった。


「この方々は本物の警察です。念の為、手帳をご覧になります?」


 いつの間にか後ろに来ていた女が柏崎の肩越しに言った。柏崎は女の言うとおり、警官から警察手帳を見せてもらい、彼らが本物であることを確認した。さすがに偽造ではないだろうと、柏崎は観念した。本当に噂通り、国家権力と仲良しであると理解せざるを得なかった。


「せめて部下への置き手紙くらい書かせてくださいよ」


「もちろんです。分かっていると思いますが、我々のことやあなた自身に起こったことは伏せてください」


 柏崎は朝には思いもしなかった展開に心が追いつかず辟易としていたが、同時に面白くも思っていた。退屈な日常から非日常へ、しかも自分の生きがいとしている怪異が絡んでいる。若い頃なら嬉しさを隠せなかっただろう。


 柏崎は手紙を書きながら自分はこれからどうなるのか考えていた。恐らくもっと詳細に根掘り葉掘り聞かれるだろうし、それは部下達のことにまで及ぶだろう。だが、それは今は避けたいと思った。


 霊管が部下達が関わっている怪異が本物であると知れば彼らに止められる可能性が高い。なにせrindo_hasimotoから提供された蛇女くるめやマガツマさんだけでなく、山田や紫雨、近藤が担当している怪異はもれなく本物だからだ。柏崎はそれぞれの話を聞いたとき、直感的にそれがガセでなく事実であると解した。


 そういうわけで極上のネタを霊管に潰されるのは我慢ならない。入稿が遅れて雑誌を落とすわけにも、柏崎の個人的な趣味を台無しにされるわけにもいかない。柏崎は部下達のことを聞かれてものらりくらりと躱し、時間が経ってから折を見て話せばいいと思った。


 そういえばと、柏崎は白巫女しろみこ伝説の話を近藤から聞いた時に覚えた、かすかな違和感を思い出した。


 白巫女は実在する。そう直感したがなぜかちょっと違うなと思った。何が違うのかと自分でもわからなかったが、とにかく白巫女伝説に興味は抱けなかった。近藤には別の怪異を担当してほしかったが、結局、部下の自主性を重んじる方を選んだ。


 まあ、そんなことはどうでもいいかと、柏崎は白巫女伝説について考えるのをやめた。


 部下達宛の伝言が書き終わると、男が内容を確認し柏崎へと返す。柏崎はそれをデスクに置き、空調の風で飛ばないようにマグカップで固定すると、彼らの下へゆっくり歩いた。


 さて、これからどうなるか楽しみだ。


 柏崎を挟むように先頭は警察で後ろは男と女がくっつき、まるで凶悪犯を連行するように車へと誘われた。ビルの階下にはワゴン型の警察車両が停めてあり、柏崎は後部座席へと座らされた。となりには大柄の厳つい男が同席する。


 犯罪者のような扱いだなと思ったが、不快な気持ちはなくむしろ愉快でさえあった。


 車が発進しゆっくりと国道を走った。車内は静かでだれもが沈黙していた。柏崎は窓からぼんやりと外の風景を見る。


 ふと部下達の顔が思い浮かぶと、柏崎は今更、ほんの少しだけ罪悪感を覚えた。そういえば部下達の身の危険は全く気にしていなかったな、上司失格だなと心のなかで山田達に謝った。


 それでも危険があるとわかっていても中止する気にはなれなかった。この倫理観の欠如もあの動画のせいか、それとも元々自分は人として大事なものが欠けているのか。柏崎はぼんやりとそんなことを考えた。

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