第3話 とある雑誌社の編集部
「柏崎編集長!」
4月某日、都内某所のある寂れたビルのあるフロアで20代半ば程の女性が出社するなり、オフィスの奥に陣取った机に座っている中年男性に向かって言った。朝だというのにテンションが高く、高揚した顔で男に話しかける。
「おはようございますだろ」
編集長と呼ばれた男性は50代と思しく、無精髭を生やしたゴマ塩頭でくたびれたグレーのスーツを着ていた。あちこち破れた皮の椅子に気だるそうに座っている。柏崎は女性に注意をすると、またかといった表情でため息を着く。そんなうんざりした男の様子など気にもかけずに、女性は編集長に自身の用件をまくし立てた。
「今度の企画、変えていいですか? 私、取って置きの情報を掴んできたんです!」
「まずは荷物を置け。それから始業時間はまだだ」
壁に掛けてあるローマ数字の時計を見れば、始業開始まで15分もある。中年の男は朝に弱く、一分たりとも早く仕事を始めるような真似はしたくなかった。女性から目を離し手元に置いてあるマグカップを取ると、コーヒーを口に含む。マウスを操作し、PCでニュースサイトを見る。朝のルーティンだ。
ここはとある零細出版社のオカルト雑誌の編集部。部員は6名で小規模ではあるがその界隈では割と有名な雑誌だ。
ドタバタとロッカーに向かう足音を聞きながら、前日の株価や為替をチェックし気になるような記事を探した。ホイールでニュースサイトをスクロールをしていると、すぐにまたこちらへ向かってくる足音が聞こえた。中年の男はやれやれと心の中で盛大に息を吐いた。女性が入社してから朝の大切なひとときが邪魔されることが何度もあった。いくら言っても改めようとしない。
女性は朝型なのか午前中はいつもやかましい。尻上がりな男とは正反対だ。ベージュのカジュアルスーツを着た女性が机の前まで再び来ると、男は観念したように彼女の話を聞くことにした。
「で、何だ取って置きの情報ってのは?」
「はい! 大学の友人から仕入れた情報です! なんでも彼女の故郷にはずっと昔から語り継がれる言い伝えがあるというのです。その名も『白巫女伝説』です! 次号ではこれを詳しく調査した記事を載せたいと思うのです」
女性によればこの『白巫女伝説』というのは、近畿のある地方の小さな集落に語られる伝説で、白巫女と呼ばれる若い巫女にまつわる言い伝えであるそうだ。内容は白巫女が村のために妖怪やら悪霊やらを倒す、よくある退治物の伝説である。
柏崎はあまり興味が引かれないのか、小指を耳の穴に突っ込みながらつまらなそうに聞いていた。
「つまりお前はこの話が本当にあったと思っているわけだな? 近藤」
「もちろんです!」
「根拠は?」
「その友達によると実在するそうですよ、その白巫女は。しかも今もまだ生きて世のため人のため悪霊と戦っているとか……」
これを見てくださいと近藤と呼ばれた女性は自身のスマホを編集長に見せた。柏崎はスマホを受け取ると、そこに映されたサイトに目を通す。
――除霊、お祓い承ります。ご連絡は下記まで――
白い背景の画面の中央に簡素な文言があり、画面下部には白星降村と村らしき名とメールアドレスが書いてあった。柏崎は白星降村と手元のパソコンで検索してみたが、そのような村の名はヒットしなかった。今度は白巫女伝説と打ってみたがこちらも完全に一致する単語はでてこなかった。他の検索エンジンでも試してみたが結果は同じだった。
「白星降村は“はくせいふる”と読み、昔京都にあった村の名前だそうですよ。だいぶ前に近隣の村と合併して市になったので、その名前は数少ない人しか知らないそうです。白巫女伝説もその村があった地区にひっそりと言い伝えられているだけで、文献にも載っていないそうですよ。完全に口伝のみで伝えられる伝説です。そのサイトは検索エンジンにも引っかからなくて、必要とされている人にしか辿り着けないそうなんです。私は友達に教えてもらったんですけどね。どうです、面白そうでしょ? 次回の企画、これにしていいですよね?」
「う~ん……確かに面白そうではあるが。しかし、お前は前回の“マガツマさん”の都市伝説の続きの記事を書くはずだろう?」
マガツマさんとは、近藤がオカルト雑誌『現幽』の前号で記事にした都市伝説である。小中学校を中心に流布している怪談で、急速に全国に広まっていた。近藤はマガツマさんにまつわる話を取材し記事にして現幽に載せたのである。
どのような怪異かといえば内容は様々だが、大別すると2種類に分かれた。1つは1人きりの時、マガツマさんに自身にまつわる不幸な話をすると、マガツマさんがその不幸を取り去ってくれるという。もう1つは数人で怪談を順番に話していくとマガツマさんが現れ最後にとっておきの怖い話をしていくということだ。
マガツマさんが現れる条件は場所により様々である。
黄昏時の放課後にドアを締め切った教室に1人残り、2つの机を向い合せ片方に座り、もう片方の机に向かいマガツマさんマガツマさんと呼びかけるものや、学校内のどこかで4人一組で輪を組んで怪談を3つずつ話せば、いつの間にかその輪の中にマガツマさんがいて、世にも恐ろしい13話目の怪談を話して消えていくとか、微細は違えど様々なパターンがある。共通点は学校内にしか出現しないということだ。
そのような事を記事にすると思いの外反響が大きかったので、近藤は続けてより詳細な取材をする予定であった。しかし突然マガツマさんよりも近藤の興味を引く情報が舞い込んできた。近藤は大学では民俗学を専攻していただけに、都市伝説よりも民間信仰や伝承の方に強い関心があるため、今は完全に『白巫女伝説』に心が傾いている。
「マガツマさんは他の人に回せばいいじゃないですか。私がやる必要はないですよね?」
近藤はそれぞれのデスクにいる2人の先輩を見た。どちらも編集長と近藤のやり取りには興味がなく、だれた様子でスマホをいじっている。
「あいつらが担当する記事はもう決まっている」
「紫雨先輩はまだ決まっていませんでしたよね?」
「そうだなあ……」
柏崎が逡巡したのは少しで、すぐにやらせてみるかという気になった。現幽は怪談の実在性を重視しており、現場に赴いて直接取材をしている。怪談専門のフリーライターを使うこともあるが、現幽の編集部が直接取材に行き記事を書くことがほとんどだ。
編集部自ら一連の流れを経ると、記事に臨場感や怪談の確からしさが格段に上がるので、編集長の柏崎の意向でそのようなスタイルを取っている。
柏崎はマガツマさんの記事の続きを近藤に書かせたいと思っているが、自らネタを仕入れるということは現幽の編集部としてもっとも重要なスキルである。今年で入社3年目のようやくペーペーから卒業したばかりの近藤が、自身のコネを使ってネタを仕入れたとなれば、上司として経験を積ませてやるのが筋というものだ。
たとえ白巫女伝説がガセネタであったとしても、近藤にとってはその経験は無駄にならないだろう。というよりこの業界はオカルトな情報を扱っているので、ガセネタなど日常茶飯事である。気にすることはない。
「よし、やってみろ。マガツマさんは紫雨か堂上に引き継がせる」
「ありがとうございます! 編集長!」
「白星降村の正確な場所は分かってるんだよな?」
「もちろんです! すでにアポもとってあります。いつでもいけますよ!」
柏崎は内心で苦笑した。社会人の心得として報連相が大事だと昔から口うるさく言われるのに、近藤の先走った行動は一般的な会社ではマイナス評価だろう。それでも柏崎は近藤の向こう見ずな行動力は、この界隈では重宝されるものだと理解していたので、後で軽く注意するだけで許してやろうかと思った。
時計を見ればすでに始業時間の9時を過ぎていた。柏崎はこの場にいる3人の社員に向かって話しかけた。
「よし、せっかくだからこのままミーティングやるぞ。堂上は今日は休みだったな。紫雨は……また遅刻か」
社員の1人である紫雨章介は遅刻常習犯なので柏崎はさして気にもしないで続けた。
「山田、その後何か進展はあったか?」
「何もありませんね。怪力おばさんもフライング・ヒューマノイドも進展はなしです」
少し太り気味の中堅社員である山田は淡々と答えた。山田が前号で担当した怪現象は、少し前に東京西部のとある市で騒がれた不可思議な現象である。どちらもSNSで多数の目撃談があったので山田は現場へ向かったのだが、目撃情報以外は何も成果はなかった。
「岩代は?」
「……こちらも進展なしですね」
岩代と呼ばれた男はボソボソと答えた。痩せ気味で少し陰気な感じのする山田の同期の社員だ。岩代が担当したのは東京西部のT駅に舞い降りた天女についてで、こちらもSNSを中心に話題となっていた。
怪力おばさんは目撃証言だけだったが、フライング・ヒューマノイドやT駅の天女は写真や動画で撮影した者が多数いたにもかかわらず、どのスマホにも全く件の人物が写っていなかった。現幽編集部としてはこれらの怪現象に注目していたし、場所や時期も近かったので、これらは何かしら関連性があるものとして取材を進めていたが成果は芳しくない。
柏崎はこのネタに関してはここらで一旦中断して、別のネタを彼らに割り振ることにした。
「じゃ、予定通り山田は四宮のじいさんとこの呪いの藁人形、岩代は東北の蛇女の伝承、近藤は白巫女伝説をそれぞれ担当すること。入稿までの期限は1ヶ月だ。ネタになりそうな情報がでなかったらすぐに連絡すること」
3人はハイと返事し自分達のデスクへ戻っていった。各々これから先の1ヶ月の計画を練っていた。近藤はまだ慣れていないのかウンウンと唸っている。しばらくするとピピッと電子音が鳴り入口が開いた。
「おはようございまーす」
気だるげな調子でオフィスに入ってきたのは遅刻常習犯の紫雨章介だった。見るからに仕立ての良さそうなストライプ柄のスーツをカジュアルに着こなした20代後半の男だ。色付きメガネにパーマをかけた垢抜けた姿は、オカルト雑誌の編集部というよりアパレル関係者のようだった。
「先輩、また遅刻ですか?」
「あ~、運悪く人身事故で電車が止まってな」
時間に厳しい近藤が糾弾すると気だるげな男は適当な返しをする。そのやる気のない様子を見て近藤は呆れ半分、諦め半分で1人呟いた。
「うそばっかり」
後輩の非難の目を紫雨は全く気にもせず何の悪びれもなくひょうひょうと自席についた。
「紫雨」
「なんすかあ? 編集長」
柏崎に対してもぞんざいな態度を取る紫雨に他の3人の社員は眉をひそめる。しかし当の柏崎は紫雨の態度を気にした様子もなかった。
紫雨章介はその振る舞いや勤怠状況にやや難のある男であったが、交友関係が広くコネを使ってよく実話怪談を仕入れてくる。その外見に反して仕事は早く正確で、雑誌に載せる記事も今まで一度も落としたことはない。
その仕事ぶりから多少の粗は目をつぶるべきだろうと柏崎は思っている。ただあまり行き過ぎた行いがあれば、他の社員にも示しがつかないので注意するつもりではいた。しかし紫雨もそんな柏崎の考えが分かっているのか、怒られず見逃されるラインを超えたことはなかった。
柏崎は電車の遅延情報を確認することなく、紫雨にそのまま仕事の話をすることにした。
「次の記事、近藤が担当したマガツマさんを引き継いでくれないか?」
「あ~、無理っすね。俺、次のテーマ決まってるんで。てか近藤、なんでお前がやらないんだ?」
「私は独自のネタを仕入れてきたんです。私はそっちに取り掛かるので紫雨先輩は私の仕事を引き継いでくださいよ」
「はあ、お前もいっちょ前にネタ仕入れてこれるようになったか。ま、どうせ大したもんじゃないんだろけど」
「そんなことありませんよ!」
「紫雨、次のテーマってなんだ?」
「地鎮祭っすね」
「地鎮祭?」
憤慨する近藤を無視して柏崎と紫雨は続ける。
「ええ、知り合いに不動産会社に勤めてる奴がいましてね。そいつからのタレコミなんですけど、とある場所でマンションを建てることになったらしいんですよ。計画は滞りなく進み周辺の土地を買い取ったまでは良かったんですが」
「ふむ」
「その場所には無縁仏を供養している古い寺があるんですが、こいつを解体しようとすると関わった奴らに病気やら事故やら不幸が起きてるらしいんっすよ。地鎮祭も何度もやったらしいんですが、まるで効果がなかったようなんです。それで今度は特別な地鎮祭をやるそうで」
「つまり、除霊の類か?」
「おそらくは。その特別な地鎮祭に知り合いの不動産会社の関係者として参加させてもらえることになったんすよ」
「なるほどな」
「ちなみにその知り合いはオカルト的なことは全く信じていなかったんですが、どうも考えを改めたみたいですね」
くっくっくと紫雨は愉快そうに喉を鳴らした。柏崎はしばし黙考したが、やがて決断し紫雨に指示をだした。
「よし、お前はその地鎮祭に参加し詳細を記事にしろ」